テンシを狩る者

小枝 唯

文字の大きさ
9 / 46
楽園へのプロローグ

天使の人形

しおりを挟む
 各国で一人選ばれた代表は、マスターと呼ばれる男の指示に従う。最近、彼から新しい天使の動きを聞いた。まだ実例が少なく、対策もされていない未知の存在。それが【天使の人形】だ。
 正体は、名前通りの人形。人間の姿や性格をそっくりそのまま真似る。しかし人形だからこそ、感情が読み取れない。だから敵意が無いと判断したのだ。人形の元となった満は、テンシ化する事なく死んでしまったのだろう。
 由香里は満を止めようと、羽を握る手に腕を絡めた。全力で抑えているのにびくともしないのが、人間ではない何かだと伝わってくる。

「や、やめて!」
「……そうさ、俺は人形だ。だけど貴女に幸せを持って来たんだ」
「ユカリ君、耳を貸すな」
「黙れ。お前の正体、知ってるぞ。穢れた血を持った悪魔め」

 悪魔──天使とは真逆に位置する存在。
 たしかに、リーラにはそんな悪魔の血が半分流れていた。半分という事は、もう一つは別の血。少々複雑な家系だが、簡単に言えば彼女はハーフだ。だからこそ、バケモノとまともに素手で戦う力を持っている。

「本当、なんですか?」
「ああ。どこから聞いたか知らないが、正しい情報だ」

 驚いている由香里に、人形は不気味な笑みを隠せずいた。悪魔と聞けば、いくら天使について話を聞いていたとしても、恐怖が向こうへ行く。もう少し誘えば、彼女にとっての敵と味方が入れ替わるだろう。
 天は、未だリーラの腕に食い付く羽を抜きながら、慌てたように小声で言った。

「どうすんのっ?」
「ふむ……ギフトが反応してくれるのを願うか」
「賭けじゃん」
「大丈夫、死なせないさ。フォローは頼んだぞ」

 今、由香里は人形の手中。そうなると、下手に近付いたり動けば危険が彼女に及ぶ。お守りは渡した。悪意によって反応するするその石の薔薇が咲くのを願う。もし反応せず危険が降り掛かろうとした時は、銃の引き金を引けばいい。

「俺は貴女の味方だ。その証拠に、弟から頼まれごとをされているんだ」
「え?」
「天国へ連れてきて欲しい、と」
「天国?」
「そう、満が居る場所だ。貴女たちは、唯一の家族だったと聞いている。そんな貴女を独り、残したくない。だから一緒に、楽園で過ごそうと」

 丸くなった紅茶のような瞳が、全てを理解したように閉じられる。恐怖でキュッと結ばれていた唇は、緩やかな微笑みを浮かべていた。人形は表情の変化に、唇をニィッと不気味に引き上げる。
 確実に堕ちた。またこれで一人、天使化する。しかしそう確信した時、由香里の目蓋がすっと開く。その瞳は、何故か強い怒りを滲ませていた。

「嘘」
「……は?」
「あの子は、絶対にそれは言わない。もう弟の姿で、嘘をつかないで!」

 彼女の手は差し出された偽りの手を通り越し、偽物の頬を叩いた。パシンと軽くも鋭い音が、部屋に響く。
 予想だにしなかった展開に、人形は間の抜けた顔をした。が、それも一瞬。すぐに怒りに歪め、由香里に襲いかかる。しかし触れそうになった手は、また別の何かに拒絶された。
 焼けるような痛み。人形は由香里の首元を飾る、ピンクの石の存在に気付く。

「それはっ──」
「ギフトさ」

 低く、どこか愉快そうな声が間近で聞こえた。
 人形は反射的に、腕で盾を作るように胸の前で固めた。腕にリーラの足が直撃し、骨の奥に響く。衝撃の強さで、踏ん張った足が勝手にズルズルと滑った。人形が言えたものではないが、化け物の力だ。
 人形が身を庇った事で、由香里の体は解放された。突然の事によろけた体を、天が支える。

「リーラさんごめんなさい、私……!」
「いいんだよユカリ君。ワタシを信じてくれて、ありがとう。あぁ、部屋を散らかしてしまうが、許してくれ」

 少し仕方なさそうに眉根を下げて笑った彼女の言葉で、人形の変化に気付く。人形の周囲を、椅子や本棚が浮いている。
 窓から差し込む日差しに、一瞬だけ白く瞬く物が見えた。それは糸。ピアノ線のような硬く細い糸が、人形の手から出ている。それによって物が操られているのだ。

「祝福を受けられないヤツが、我々の邪魔をするな」
「生憎だが、お前らから祝福の祝福なんざ欲しくないんだよ」

 数本の糸で宙に浮いた本棚が、三人へ放り投げられる。
 天は由香里を庇うように抱き寄せ、背中を向ける。腕の中で悲鳴に満たない喉の音を聞くと、彼は安心させるように頭に手を置いた。

「あいつは大丈夫」

 たしかに人間でないとは聞いた。しかし背を超える本棚がぶつかれば、ひとたまりもないはず。由香里はなんとか、天の肩から顔半分だけを出した。危ないと忠告されるが、耳を通り抜ける。
 バキリと、大木が割れるような音がした。音の直後、何かが部屋に舞う。それは木の断片。先程まで、本棚だったものだ。

「あ、ほら言ったじゃん、危ないって。大丈夫? 刺さってない?」

 天は由香里が頭にかぶった木クズを払う。
 何が起こったか。確かに目で見届けたのに、理解が追いつかない。リーラの前面に迫った本棚。しかし彼女は身を守ろうとするどころか、巨大な相手を蹴りつけた。途端、頑丈に作られた本棚は爆発するように、粉々になった。人智に収まる力ではない。
 天はこうなる事が分かって、由香里を庇ったのだ。本棚からではなく、鋭利な破片から守るために。

 休む暇なく椅子、机が投げられる。しかしそれも、当然のように蹴り落とされた。
 次あの足に当たれば、偽物の体はたとえ死ななくてもひとたまりない。だがその心配は無さそうだ。糸を使いさえすれば、距離は保てる。
 しかしいくら何かをぶつけても相殺される。これではキリが無いが、人形の顔は勝気に笑っている。

「!」

 リーラは手がクンッと引っ張られるのを感じた。いつの間に仕掛けたのか、何十もの糸が両腕に絡んでいる。
 そう、物が駄目なら本人を捉えればいい。

「操れるのが物だけだと思うな」
「ふむ、なるほど」

 リーラは強度を確かめるように、軽く糸を引っ張った。人間の肌はきっと細切れになる。針金のような丈夫さだ。
 しかし人形はゾッとするのを感じた。リーラの唇が、面白そうに引き上がったのだ。彼女は大きく足を開くと、腕を思い切り振った。そんな事をすれば腕が切れる。そう思ったのに、切れたのはシャツだけだった。糸から人形に伝わる皮膚は、まるで鋼の硬さ。
 振られた事で一瞬緩んだ糸が、ピンと張る。その意味を理解した時には、人形の体はバランスを崩して宙を浮く。そのままの反動で、体はリーラの目前に引き寄せられていた。

「あっ……?!」

 空中で身動きが取れない。人形は庇う真似すらできず、そのまま壁へ蹴り飛ばされた。
 ボキリと、体の奥から骨の悲鳴を聞いた。体は座る形なのに、視界が真横に傾いている。

「くそ、化け物がっ」

 人形は九十度傾いても悪態をつく余裕があるようだ。握った手に無数の羽根が見える。それが手から放たれるより、銃口から弾が飛ぶ方が早かった。赤い弾は数発、続けて発砲する。全て四肢を捉え、羽根は投げられる前に床にヒラヒラと落ちていく。

「無駄だ、俺は人形だぞ。死なんてない」

 そう言って笑った顔が、不思議そうな表情に変わる。と思えばすぐに、人のような汗を浮かべ出した。反対に、リーラはいつもの笑顔を見せる。

「再生できないだろ? 特別仕様なんだ」
「は、あっ?」

 人形は混乱と焦りに言葉を忘れる。傾いた視界に映る足が、一歩一歩近づいてくる。
 リーラは人形の前でかがみ、耳元に囁く。

「主人の名は?」

 首を横に振った体は震えていた。人形でも、ありえないと高を括っていた死は、怖いようだ。右目が黒く染まる。奥に赤い弾が見えた。歯の根が合わず、カチカチなる口を必死に動かして人形は叫ぶ。

「ほ、本当に知らない! 覚えていない!」
「ならいい」

 言葉とは裏腹に、銃の引き金に置いた人差し指はあっさり引かれた。水気を含んだ爆発音が響き渡る。すぐあと、ドサリと重たい物が倒れる音がした。

 引き金を引く前、由香里の視界を天の両手が隠していた。だから彼女は、何が起こったのか知らない。発砲音のせいで上げた鼓膜の悲鳴が治まった頃、ようやく目隠しは外される。
 二人の足元に、コロコロとビー玉のような物が転がってきた。それは人形の目玉。持ち主は、葉巻を吸うリーラの横で崩れ落ちている。その姿はもう弟ではなく、ただの球体人形だった。

「怪我は無いか? ユカリ君」
「は、はいっ」
「私の心配は無し?」
「アマ君の事は信頼しているからさ」

 ムスッとした天の顔が、その一言にまんざらでもない様子に変わる。
 リーラの紫の目が、二人の体を確かめるように移動する。服の擦り切れすら無いと納得したのか、頷くとスマホを取り出した。聞かれたくないのか、天たちに背を向け、部屋の角で小さく話しかけている。

「ねえ、天さんってリーラさん好きなの?」
「えっ? んなわけないじゃん! あ、いや、まあ、悪いやつじゃないし? 友達でいる分には損はないっていうか」

 友人関係という事だけに、ここまで否定と肯定を繰り返されたのは初めてだ。なんというか、彼女に対してだけ素直さが欠けるような気がする。
 ふと、二人の間に人影が落ちる。そこを見れば、リーラがニコニコと天の弁明を聞いていた。彼はそれに気づくと、顔を真っ赤にさせて頬を引きつらせる。

「キミには既に、ワタシが入る隙の無いほどの人が居るもんね?」

 そう言われると、天は目を逸らした。目は口ほどにものを言うとは、彼のために用意されたような言葉だ。

「ところでユカリ君。もう少しで警察がやってくる。その間、アマ君と外で待っていてもらえないだろうか? なんなら、近くでお茶をして来てもいいよ」

 由香里は被害者であるため、知る権利がある。しかし同時に、全てを教える事もできない。それは今後訪れる普通の幸せを守るためでもあった。
 素直に頷いた由香里は、天と共に家を出る。天の提案で、近所の和菓子屋に行く事になった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...