テンシを狩る者

小枝 唯

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楽園へのプロローグ

潜入捜査

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 田畑しか見当たらないここに、新たな建物が建とうとしていた。工事中というのは、少なからず騒音が付き物となる。しかしこの空間に広がる音は、金属音だけではなかった。それは銃声に、肉が切り裂かれる音、はたまたなんの動物か想像できない醜い悲鳴。それらがほとんどだ。
 銃声が数発、続けて鳴り響く。放ったのは、まるで絵本から飛び出したような可憐な少女。銃を持ちながらも、ふんだんにフリルを施したドレスに身を包む姿は、不思議と見入る。
 しかし弾に貫かれたと思われた白い人型は倒れず、無数の蛾となって散り散りになった。

「ぎゃっ蛾になるなんて聞いてないし、でけえ! 無理ぃ!」

 見た目にしては、少年に近い声だった。叫んだ彼女へ、蛾は一斉に襲いかかる。
 しかし、人の顔ほどある蛾は、真っ二つとなって地面に落ちた。蛾の後ろに居たのは、スーツ姿で長身の女。きっちりとスーツを着こなしているが、顔や指先には色鮮やかなタトゥーが刻まれている。そしてその手には、蛾の体液が滴る刀が握られていた。

「ミア、大丈夫?」
翡翠ひすいぃ……ごめん、ありがとう」

 翡翠はミアに駆け寄り、涙の滲んだ彼女の目元を指で優しく拭う。紫の血で、モダンな色彩のドレスが汚れてしまった。
 しかしまだ彼女たちが葬るべき相手は残っている。スカートの汚れを払っていたミアは、翡翠の足を掴もうと地面を這う泥のようなものを見つける。

「翡翠に触んな!」

 咄嗟に花を散りばめた靴で踏みつけると、グシャっと顔面が潰れてソレは動きを止める。するとまるでゾンビのような見た目な体は、純白な羽に包まれた。風に流されて散ったその場に残ったのは、海色の石。テンシの核だ。
 そう、彼女たちはこう見えてもテンシ狩り。ここには、テンシを狩るために訪れていた。

 翡翠の刃から逃れた数匹の蛾が、他の人間を探して空を彷徨う。しかし目の前に蛇のような字を記した紙が現れた。気付けばそれは四方を囲み、淡い青色の丸い幕が覆う。

「破!」

 青年の声が鋭く聞こえたのを合図に、幕は蛾を巻き込んで爆発した。水色の袴を着た青年は、残りの札を混乱する蛾へ投げ、同じように言霊を唱える。

- 雑魚ばっかだな。りん、もっと派手な奴を倒せ
「そう無茶を仰らないでください、龍神様」

 鈴は耳元で囁かれる愚痴に苦笑いをする。弱い相手だけであるのは、平和な証拠だ。まあ、ここが言われた通り例の治験バイトの本拠地だとすれば、弱すぎて心配になるが。
 龍神と呼ばれた何かは、悪臭ある体液まみれの周囲を見て訝しそうに首をかしげた。

- 核はどうした?

 そういえばと、鈴も辺りを見る。それらしい物も無ければ、木っ端微塵になった蛾の死骸も、羽にならず落ちたままだ。

「鈴~!」
「あ、ミア君、翡翠さん」

 遠くから駆けて来る二人に、紫の体液がある事に気付く。二人が回収してくれたのだろうと、ホッと胸を撫で下ろした。

「蛾の核は回収できましたか?」
「あれ、そっちので最後じゃなかった?」
「私たちは別のテンシのを回収しましたけど」
「こっちの蛾は落としませんでしたよ」
「え?」
「……あっ! あいつの本体、蛾じゃない!」

 ミアは先程の光景をよく思い返す。相手にしたのは、真っ白な毛に覆われた人型のテンシ。
 彼女はしくじりに気付いて、可愛らしい顔を歪める。てっきり、テンシの体に当たって蛾となったのだと思っていた。しかし記憶を繰り返し見てみれば、テンシは当たる直前に蛾となって、自ら体を散らしていた。
 鋭い銃声と絶叫が少し遠くで聞こえた。返り血で紫のドレスシャツを汚しているのは、我らがリーダー。その背後へ、見覚えのある白いテンシが忍び寄る。

「リーラ、後ろ!」

 回収した赤色の核を眺めていた彼女は、声に気付く。しかしテンシも声に押されるように襲いかかった。
 リーラは振り返らず、足を高く後ろへ蹴り上げる。硬いブーツに包まれたカカトは、テンシの顎に直撃した。テンシは衝撃に真上を向き、ふらふらとバランスを崩す。彼女はその様子に不気味に口角を引き上げ、今度は思い切り腕を振った。握られているのは、巨大な鎌。まるで血を固めて研いだかのような真っ赤な刃をしている。

「地獄の中でおやすみ」

 鈍い音が喉から出ると、白い体は上下で離れる。勢いよく噴射する血に紛れ、半透明な核が外へ飛び出した。テンシの体は無数の羽に包まれ、風に飛ばされていく。同時に、床に散らばった蛾の体も羽となって消えた。
 リーラは口元に付着した血を、人間より少し長い舌で舐め取る。

「ん~……不味い血だ」
「ごめん、俺がしくじった」

 遠くから駆け寄り疲労に背中を丸めたミアの頭に、リーラはポンと手を添える。

「虫嫌いは仕方がない。それでも、いつでも頭をクールにしたまえ」
「う……はい」
「だがそうは言っても、キミは一人じゃない。気負いすぎず、パートナーと助け合う事を忘れるんじゃないぞ」
「! もちろん!」

 ミアは隣に立った翡翠を見上げる。彼女はそれに微笑み、頷いた。

 今日、ここに数人のテンシ狩りがリーラの指示で集められた。最近騒がせている治験バイトの件だ。
 先週手に入れた人形からの情報に基づいて調査した結果、敵の本拠地は建築中の建物に扮している事が判明した。工事中となれば、長期間滞在しても詮索されないからだろう。
 さらにここは、人目に付きにくい田舎だ。山の奥で静かにさえしていれば、誰も邪魔できない。

「リーラさん、二人だけで大丈夫でしょうか?」

 鈴が心配そうに、幕に隠された建物に視線を向ける。
 集まったテンシ狩りは、ここに居る四人だけではなく、六人。ミア、翡翠、鈴はリーラを筆頭に、施設から出て来たテンシを狩る役目。残りの二人は、施設内の調査。生存者や治験に使われた物の回収、そして施設内の持ち主であり、実験に積極的に関わった山崎竜真の保護などだ。
 彼らはもちろんリーダーの言う事は聞くし、テンシ狩り歴も長い。それを知っていても鈴が心配するのには、少し理由があった。しかしリーラは否定するように笑う。

「あの二人は口喧嘩が多いからね。だがほら、喧嘩するほど仲がいい、とか言うだろう?」
「たしかに、そうですけど」
「大丈夫。ヘマするような子たちじゃない。信じて待とうじゃないか」

 いつもの調子で、大きな手がワシャワシャと夜色の髪を撫でる。鈴は乱暴な撫で方に少しくすぐったそうにしながらも、目線を再び施設の入り口へ向けた。

        ───                **             ───                    **

 骨組みの中は、外見よりも広々としていた。見渡す白い廊下は綺麗に整備されている。埃がほとんど無いのを見ると、毎日定期的に掃除の手が入っているのが予想できた。
 しかし、いやだからこそか、異様な光景だった。そんな綺麗な場所に、人間が何人も横たわっている。そのどれも外傷は無いが、目は閉ざされていた。
 他と変わらず横たえたスーツ姿の男を、眼鏡を掛けた女の足が、転がすようにうつ伏せから仰向けにさせた。息をしているかの確認だ。乱暴なやり方に近くに居た壮年の男は、やれやれと溜息を吐く。

「おいヨアケ、そんな乱暴にしたら死んじまうぞ」
「これくらいで死ぬわけないだろ」
「まったく、足癖の悪い嬢ちゃんだなぁ」
「あ? お前は俺より歳下だろうが」

 クツクツ笑う男の背中には、背丈ほどの刃。比べ、からかいに舌打ちをするヨアケと呼ばれた女は丸腰だ。
 この見た目だが、二人ともテンシ狩り。そしてどちらも十年以上の暦を持つ。今日は多くの被害を出しているテンシ実験の拠点に来たが、予想していなかった光景だ。二人とも、描いていたのはこんな静かなものではなく、もっと血に塗れた地獄絵図だった。
 完全な天使を作る過程で生まれる、失敗例のテンシ。そんな彼らが大量に生産されていると考え、死者の数もそれに比例すると思われた。
 案の定テンシは無数に湧き、外で待機しているリーラたちが相手している。それなのに、施設内は血が一滴も落ちていない。一部屋ずつ見て回ったが、皆が一斉に目を閉じている。

「……忠徳ただのり、こいつら全員生存者って言えると思うか?」
「まあ、息はしているがなぁ」

 忠徳の言葉は、確信しているようで思考を巡らせながらの言い方だ。
 リーラからは生存者は皆、情報を得るために保護する事になっている。しかしこれは、果たして生存と呼べるだろうか。皆、文字通り死んだように眠っている。しかも幸せそうな表情で。
 一つ、二人の中でとある説が生まれた。それは暦の長いテンシ狩りだからこそ、代表から教えられる事。何故天使は、わざわざ人間から天使を作ろうとしているのか。地上を【楽園】と化するために、人間から完璧な天使を作る必要があるのだと言う。
 そして予想される【楽園】というは、話で聞いた限りこの状況と似ている。

「……まだ全部じゃねえ。りゅーまってヤツも探すぞ」

 僅かな沈黙が互いの思考を合致させたが、ヨアケは否定するように遮った。忠徳はそれに仕方なさそうな笑みをこぼす。
 これはもしもの話。単に、出来上がったテンシが似たような能力を持っているだけかもしれない。
 半ば言い聞かせるようだったが、たしかにまだ全部屋見た訳じゃない。ヨアケも忠徳も、機械に疎い。そんな彼らが素人目に見て、厳重だと分かる扉が残されている。まるで大量の金塊でも隠しているのかと、疑いたくなる見た目だ。
 一歩前に進んだ忠徳を、ヨアケが止める。

「センサーがある」
「よしよし、ぶっ壊してやろう」
「やめろバカ。衝撃で爆発でもしたらどうする気だ」

 数年前、それで痛い目に遭ったのをまだ覚えている。忠徳は背中の剣へ回した手を、少しつまらなさそうに下ろした。
 ヨアケは忠徳の前に立ち、眼鏡を外す。外す際に閉じた赤い目を開き、センサー元の機械を睨むように見つめた。すると、機械が端から白色に染まっていく。染まり終わったその体は、完全に石となっている。
 眼鏡をかけ直した彼女は、見た物を石に変えるメデゥーサの末裔だ。視界に入った物を石化できる。しかし末裔であるため、その力は伝説に描かれるような強さはない。
 生き物は数分しか石化できないし、使いすぎれば彼女の命を大きく削った。そして目を見ればというのも異なり、一枚でも何かが遮っていれば視線を合わせられる。眼鏡はそのためだ。
 ドアに取手らしい物は見当たらない。その代わり、触れると数字が浮かび上がった。

「めんどくせえな。パスワードかよ」

 この扉が最後だが、パスワードに関するメモは一切無かった。研究員が誰か一人でも起きていれば、脅すなりなんなりして吐かせられたのだが。
 忠徳はニィッと嬉しそうに笑うと、剣の太い塚を握る。

「退きな、ヨアケ」
「あ?」

 なんだと振り返った時、忠徳は背負った剣を引き抜く。その勢いのまま、彼は片手で巨大な刃を軽々振り落とした。衝撃波は風の刃と化し、鉄の扉にぶつかる。刃は風といえどかき消えず、その鋭さを変えずに分厚い扉を切り刻んだ。
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