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蠱毒のテンシ
テンシを狩る理由(1)
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屋敷の中は、それぞれ友との会話を楽しむ者で賑わっている。そんな中、リーベをロゼッタに任せたリーラは、比較的人が居ない角のソファに腰を下ろした。
体が痛い。葉巻の麻酔効果が薄れてきている。吸ったのは直近で昨日の寝る前で、立っているのも苦痛だ。しかしこの体で約百年。痛みの強さに変化はないが、流石に慣れてその場でしゃがむなんて事はしない。だがそれでも痛いものは痛いのだ。あくまでも感覚が麻痺しているだけであって、体の悲鳴は絶えない。そのせいで、取り出したジッポライターを掴む手に力が入らず、床に放ってしまった。
思わず舌打ちし、虚しく目線で追う。すると、後ろをついて来たゾネの足にぶつかって止まった。ゾネは何も言われずとも拾い、リーラの前で両膝を付くとジッポライターの蓋を開けた。
「子犬、それは火が出る。貸しなさい」
「やだ」
ジッポライターが火をつける道具だなんて知っている。それでもわざわざ言ったのは、ゾネは火が嫌いだからだ。別に彼に向けないから隣で吸っているが、触らせた事はなかった。
ゾネは見様見真似で、大きな手には小さすぎる歯車を何度も回す。五回目でやっと火がつき、ムスッとしていた顔をパッと明るくさせた。にこにこした笑顔で火を差し出され、リーラは葉巻の先に灯した。
深く吸って、ゆっくり吐く。数回繰り返すと、体の中がすーっと冷たく感じる。それは煙が全身に行き渡った合図で、その頃には痛みも薄れていた。
「ありがとうね、ゾネ」
「ん!」
撫でられると嬉しそうに尻尾が揺れる。しかし眩しい金の瞳がじーっとリーラを見つめる。そこで彼女は首をかしげた。
いつもなら、さっきみたいに飛びついてくるはずだ。尻尾も絶えず揺れているし、待てを命じてもない。試しに「おいで」の合図で、膝をぽんぽんと叩いてみせる。それでも、彼は動かなかった。
「どうした?」
「リーラ痛い。触らない、痛くない。さっき痛い、オレ触った。ごめんなさい」
ゾネは聞いての通り、語学力が著しく劣っている。リーラが三十年前に拾った頃は言葉すら喋れなかったから、ずいぶんマシにはなった。それでも、本人が頑張っても単語以上に習得はできていない。
だが伝えている事は理解できる。つまりゾネは、麻酔が切れているリーラに抱きついたのを反省しているのだ。
立派な耳をしゅんと折れさせ、尻尾も垂れた。大きな体を小さくするそんな姿に、リーラはクスッと笑う。紫の瞳は、優しい彼を愛しそうに見ていた。可愛くて、少しいじわるしたくなる。それをグッと飲み込み、両手を広げて見せた。
「いい子にはご褒美が必要だ。だからおいで?」
「~っ」
白い尻尾が左右に揺れて、うずうずしている。もう一度「おいで」と言われ、絶え切れずにゾネはリーラの胸に飛び込んだ。キューンという、甘える時に喉の奥から聞こえる声が鳴る。リーラは可笑しそうに笑い、それに応えて強めに撫でた。
リーラは月に一度、故郷のドイツに帰省する。それはゾネが寂しがらないようにするためだ。しかし先月は業務がお互い忙しくて帰れず、結局電話以外で交流できなかった。ゾネの夜泣きがひどいと、リーラの代わりに彼と屋敷に住んでいる狩人に聞いている。だから今日はたっぷり可愛がるつもりだ。
「先月は帰れなくて悪かったよ」
「待った。いい子?」
「ああいい子だったね。みんなは元気か?」
「元気! でもリーラ、会いたい。みんな」
「ふふ、そうだね。今月は帰るよ」
「……リーベ」
「ん? あぁ、あの子も連れていくよ。もう名前を覚えたのか? 賢いね」
ゾネは褒められて満更でもなさそうだ。しかしすぐ、ロゼッタと話をしているリーベを一瞥する。
「アイツ、強い。でも、悪いじゃない」
リーラは頷いて頭を撫でた。彼がこの反応をするのは読めていた。ゾネは野生的な思考と判断をする。だからこそ、リーベの眠っている本来の力の強さを、本能で理解したのだ。そして彼に敵意がなく、その手で頬を撫でた優しさも理解している。
ゾネは強い存在が好きだ。自分にはない力がある者に懐く傾向がある。リーラと出会った時も、彼女の圧倒的な力に憧れていた。特にゾネが好きなのは、優しくて強い人だ。例えば、力を暴力ではなく、他者を守るために使う人。
だからリーラは、ゾネがリーベと仲良くできると確信していた。
「あの子がここに居るのは、オマエと同じ理由だよ?」
「同じ?」
ゾネは本能的に動くあまり、力を発散させる必要がある。定期的に暴れなければ、ストレスでそこらじゅうのものを壊すのだ。そして厄介なのは、そうなってしまうのをゾネ自身が望まないという事。
だからリーラはゾネをテンシ狩りに介入させ、暴れる機会を与えたのだ。純粋な敵意を向けられる相手が存在すれば、その力に意味を見出し、傷つけてはならない存在を傷つけ、悲しまなくて済む。つまりゾネは、人々を傷つけないために狩人を続けているのだ。そしてそれはリーベも同じ。楽園化を止めるために、その力が悪用されないよう、いつでも自分を狩れる立場の側に居る。
リーラはぎゅっとゾネの首を抱きしめる。こんなに優しい子たちを利用させ、傷つけ、悲しませる事はしない。
ほのかな香水の香りに、いくら洗っても取れない、染みついた血の匂い。そんなリーラの香りに包まれ、ゾネは安心したように目を瞑る。彼女が喜んだりするのは嬉しいし、悲しませたくない。リーベは悪い人間じゃないから、もう牙を剥かないだろう。しかし不満があった。
ゾネはむっとした顔でリーラを見上げた。そして「浮気!」と叫ぶ。リーラはまさかそんな言葉を聞くなんて思っていなく、ぽかんとする。
「ゾネ……意味分かって言ってるのか?」
「うーっ」
拗ねた声を出しながら、ゾネはリーラの腰にぎゅーっと抱きつく。
「言ったじゃないか、日本でもパートナーができる可能性があると。オマエもワタシが帰るまで、パートナーを作って作っていいんだぞ? 強い子はたくさん居る」
「リーラ、パートナー!」
「あぁ、分かった分かった」
リーラは仕方なさそうに背中を撫でて慰め、頬にキスをする。
誰よりも懐かれている自覚はあった。それは彼の懐く人物像を理解しているからだ。だから別に嫌じゃないし、むしろ離れたら寂しいと思うだろうが、ここまで執着されるとも思わなかった。強い人物は度々現れる。それなのにゾネは懐きはしても、離れる事はしない。
彼の小さい頃から一緒だから、親のように見ているのかもしれない。もちろんリーラも自分の子同然可愛がっている。
「子犬は本当にワタシが好きだね」
その言葉にゾネは今まで以上に尻尾を激しく振り、リーラの手を噛んだ。甘噛みで痛くない。狼の甘噛みは愛情表現の一種だが、痕が残るから外ではしないよう躾けている。
冗談で言ったつもりだったのに、こんなに嬉しそうにするとは思わなかった。主人としては噛むなと止めるべきなのだろうが、まあ、今日は目を瞑ろう。ゾネに甘い自覚はあるが、それも無視だ。
目の前から一人の足音が近づいてきた。遠慮気味にリーラの視界に映ったのは、小さな靴。二人を微笑ましそうに見ているのは、まだ幼さを残した少年。
「やあ、ダーニャ。久しぶりだね」
「ダーニャ!」
彼はダニール。ダーニャは愛称だ。15歳という狩人の中でも最年少だが、ロシアの立派な代表だ。
ダニールは「こんにちは」と言いかけたが、ゾネに勢いよく抱き上げられて言葉を崩した。ゾネは彼にもよく懐いている。ネクロマンサーという力を持つ強さももちろんだが、心優しく、よく狼の姿の時に毛を梳かしてくれるからだ。
「子犬、そろそろ下ろしてあげなさい」
ゾネは嬉しそうにくるくると回り、リーラの指示でようやくダニールを下ろした。ダニールは少し目が回ったようで、おぼつかない足取りだが、頭を振って目眩と取り払う。
「大丈夫か?」
「うん。久しぶり、リーラ、ゾネ」
ダニールは、隣にしゃがんで差し出してきたゾネの頭を撫でる。彼は最年少というのもあって、絶対にパートナーが必要だった。そんなパートナーは今、少し離れた所で三人を見守っている一人の鎧兵。あの中には、いくつもの魂が宿っている。寡黙だがよく気が利いて、今ではダニールのかけがえのない家族だ。
「元気だったかい?」
「うん。リーラも?」
「絶好調さ」
「ふふ、良かった。あ、それでさ……リーベだっけ。ロゼやイオエルからリーラの昔話、たくさん聞いてるみたいだけど、大丈夫かなって」
「なんだって?」
イオエルというのは、ギリシャの代表だ。見れば確かに、少し古い形のコートを着た男が、談笑に混ざっている。
ダニールは歳が近いのもあって、リーベに興味があった。みんな良くしてくれるが、やはり同年代の友達が欲しい年頃。そう思って四人に近寄れば、リーラが絶対止めそうな昔話が聞こえてくる。きっとロゼッタとイオエルの事だから、許可無く喋っているに違いないと、本人に言いに来た。
油断していた。イオエルとは、彼が代表になった二十年前に知り合った。だから余計な事は知らないが、彼は話を引き出すのが上手い。リーラが狩人になった当時から知っているロゼッタに、余計な話を聞き出している。彼女も話すのが好きだから、ノリに乗っているだろう。
本当に、身内しか知らない事を言われそうだ。今だって相手の記憶を消し去りたいほど、恥ずかしい時期。しかしリュゼが止めてくれると思ったのに。
「Oh Mann……!」
リーラは急いで立ち上がり、ゾネとダニールを忘れたように、談笑中の四人へ歩き出す。ダニールは同情するようにあははと笑いながら、ゾネの腕をつんつんと突く。ゾネは理解すると、小さな体を抱き上げてリーラについて行った。
リーベはイオエルと一緒にロゼッタから、リーラは昔は誰とも喋ろうとしなかったとか、素直じゃなかったなど今とは真逆なイメージを聞いていた。笑わなかったと聞いても、今の彼女からは想像できない。
「リーラはそんなに静かだったのか?」
「ええ。でもそれは本当に素直じゃないだけ。お人形が好きでね、私の部屋に招いた時、とても目を輝かせていたわ。うふふ、一人プレゼントすると言ったら大慌てで……とても可愛かったわねぇ」
タダでは嫌だと拒否し、しばらくしたらバラの花束を買ってきて「これで等価交換だ」と、不器用に渡してくれた。バラは今でも大切に飾ってある。
「確かに昔と性格が違う。けれどそれは、あの子が少しずつ安心してきたからなの。今の姿が、等身大よ」
リーベはふと、教会の懺悔室での事を思い出す。あの時一瞬だけ、まだ覆い隠している傷に触れた気がした。彼女の傷はどれだけ深いのだろうか。体を常に蝕む痛みと同等か、それともそれ以上か。
リーラが優しい理由は、きっと彼女が傷の痛みに敏感だから。今もなお抱える傷の痛みを癒したいと思うのは、傲慢だろうか。
「そういえば、甘いもの好きのあの子がコーヒーを飲めるようになったのは、貴方の影響? イオエル」
「ん? あぁそうだ。あいつは『大人』に憧れてたからな」
イオエルはくくっと可笑しそうに笑った。
リーラには人間の血が流れていないため、長寿で、成長速度も遅い。さらに生きている大半が、訳あって未熟な体だった。姿が幼少の時期が長かったのが影響したのか、大人の仕草をよく研究していた。今のようにスマートな立ち振る舞いができるのは、その意識が強かったからだろう。
「ふふふ、でもあの子、今も寝るにはぬいぐるみが──」
「楽しそうだねお嬢様?」
比較的大きくゴツンとヒールが踏んだ音と、リーラの声。ロゼッタは本人の登場に「あらあら」と、残念そうに笑った。
体が痛い。葉巻の麻酔効果が薄れてきている。吸ったのは直近で昨日の寝る前で、立っているのも苦痛だ。しかしこの体で約百年。痛みの強さに変化はないが、流石に慣れてその場でしゃがむなんて事はしない。だがそれでも痛いものは痛いのだ。あくまでも感覚が麻痺しているだけであって、体の悲鳴は絶えない。そのせいで、取り出したジッポライターを掴む手に力が入らず、床に放ってしまった。
思わず舌打ちし、虚しく目線で追う。すると、後ろをついて来たゾネの足にぶつかって止まった。ゾネは何も言われずとも拾い、リーラの前で両膝を付くとジッポライターの蓋を開けた。
「子犬、それは火が出る。貸しなさい」
「やだ」
ジッポライターが火をつける道具だなんて知っている。それでもわざわざ言ったのは、ゾネは火が嫌いだからだ。別に彼に向けないから隣で吸っているが、触らせた事はなかった。
ゾネは見様見真似で、大きな手には小さすぎる歯車を何度も回す。五回目でやっと火がつき、ムスッとしていた顔をパッと明るくさせた。にこにこした笑顔で火を差し出され、リーラは葉巻の先に灯した。
深く吸って、ゆっくり吐く。数回繰り返すと、体の中がすーっと冷たく感じる。それは煙が全身に行き渡った合図で、その頃には痛みも薄れていた。
「ありがとうね、ゾネ」
「ん!」
撫でられると嬉しそうに尻尾が揺れる。しかし眩しい金の瞳がじーっとリーラを見つめる。そこで彼女は首をかしげた。
いつもなら、さっきみたいに飛びついてくるはずだ。尻尾も絶えず揺れているし、待てを命じてもない。試しに「おいで」の合図で、膝をぽんぽんと叩いてみせる。それでも、彼は動かなかった。
「どうした?」
「リーラ痛い。触らない、痛くない。さっき痛い、オレ触った。ごめんなさい」
ゾネは聞いての通り、語学力が著しく劣っている。リーラが三十年前に拾った頃は言葉すら喋れなかったから、ずいぶんマシにはなった。それでも、本人が頑張っても単語以上に習得はできていない。
だが伝えている事は理解できる。つまりゾネは、麻酔が切れているリーラに抱きついたのを反省しているのだ。
立派な耳をしゅんと折れさせ、尻尾も垂れた。大きな体を小さくするそんな姿に、リーラはクスッと笑う。紫の瞳は、優しい彼を愛しそうに見ていた。可愛くて、少しいじわるしたくなる。それをグッと飲み込み、両手を広げて見せた。
「いい子にはご褒美が必要だ。だからおいで?」
「~っ」
白い尻尾が左右に揺れて、うずうずしている。もう一度「おいで」と言われ、絶え切れずにゾネはリーラの胸に飛び込んだ。キューンという、甘える時に喉の奥から聞こえる声が鳴る。リーラは可笑しそうに笑い、それに応えて強めに撫でた。
リーラは月に一度、故郷のドイツに帰省する。それはゾネが寂しがらないようにするためだ。しかし先月は業務がお互い忙しくて帰れず、結局電話以外で交流できなかった。ゾネの夜泣きがひどいと、リーラの代わりに彼と屋敷に住んでいる狩人に聞いている。だから今日はたっぷり可愛がるつもりだ。
「先月は帰れなくて悪かったよ」
「待った。いい子?」
「ああいい子だったね。みんなは元気か?」
「元気! でもリーラ、会いたい。みんな」
「ふふ、そうだね。今月は帰るよ」
「……リーベ」
「ん? あぁ、あの子も連れていくよ。もう名前を覚えたのか? 賢いね」
ゾネは褒められて満更でもなさそうだ。しかしすぐ、ロゼッタと話をしているリーベを一瞥する。
「アイツ、強い。でも、悪いじゃない」
リーラは頷いて頭を撫でた。彼がこの反応をするのは読めていた。ゾネは野生的な思考と判断をする。だからこそ、リーベの眠っている本来の力の強さを、本能で理解したのだ。そして彼に敵意がなく、その手で頬を撫でた優しさも理解している。
ゾネは強い存在が好きだ。自分にはない力がある者に懐く傾向がある。リーラと出会った時も、彼女の圧倒的な力に憧れていた。特にゾネが好きなのは、優しくて強い人だ。例えば、力を暴力ではなく、他者を守るために使う人。
だからリーラは、ゾネがリーベと仲良くできると確信していた。
「あの子がここに居るのは、オマエと同じ理由だよ?」
「同じ?」
ゾネは本能的に動くあまり、力を発散させる必要がある。定期的に暴れなければ、ストレスでそこらじゅうのものを壊すのだ。そして厄介なのは、そうなってしまうのをゾネ自身が望まないという事。
だからリーラはゾネをテンシ狩りに介入させ、暴れる機会を与えたのだ。純粋な敵意を向けられる相手が存在すれば、その力に意味を見出し、傷つけてはならない存在を傷つけ、悲しまなくて済む。つまりゾネは、人々を傷つけないために狩人を続けているのだ。そしてそれはリーベも同じ。楽園化を止めるために、その力が悪用されないよう、いつでも自分を狩れる立場の側に居る。
リーラはぎゅっとゾネの首を抱きしめる。こんなに優しい子たちを利用させ、傷つけ、悲しませる事はしない。
ほのかな香水の香りに、いくら洗っても取れない、染みついた血の匂い。そんなリーラの香りに包まれ、ゾネは安心したように目を瞑る。彼女が喜んだりするのは嬉しいし、悲しませたくない。リーベは悪い人間じゃないから、もう牙を剥かないだろう。しかし不満があった。
ゾネはむっとした顔でリーラを見上げた。そして「浮気!」と叫ぶ。リーラはまさかそんな言葉を聞くなんて思っていなく、ぽかんとする。
「ゾネ……意味分かって言ってるのか?」
「うーっ」
拗ねた声を出しながら、ゾネはリーラの腰にぎゅーっと抱きつく。
「言ったじゃないか、日本でもパートナーができる可能性があると。オマエもワタシが帰るまで、パートナーを作って作っていいんだぞ? 強い子はたくさん居る」
「リーラ、パートナー!」
「あぁ、分かった分かった」
リーラは仕方なさそうに背中を撫でて慰め、頬にキスをする。
誰よりも懐かれている自覚はあった。それは彼の懐く人物像を理解しているからだ。だから別に嫌じゃないし、むしろ離れたら寂しいと思うだろうが、ここまで執着されるとも思わなかった。強い人物は度々現れる。それなのにゾネは懐きはしても、離れる事はしない。
彼の小さい頃から一緒だから、親のように見ているのかもしれない。もちろんリーラも自分の子同然可愛がっている。
「子犬は本当にワタシが好きだね」
その言葉にゾネは今まで以上に尻尾を激しく振り、リーラの手を噛んだ。甘噛みで痛くない。狼の甘噛みは愛情表現の一種だが、痕が残るから外ではしないよう躾けている。
冗談で言ったつもりだったのに、こんなに嬉しそうにするとは思わなかった。主人としては噛むなと止めるべきなのだろうが、まあ、今日は目を瞑ろう。ゾネに甘い自覚はあるが、それも無視だ。
目の前から一人の足音が近づいてきた。遠慮気味にリーラの視界に映ったのは、小さな靴。二人を微笑ましそうに見ているのは、まだ幼さを残した少年。
「やあ、ダーニャ。久しぶりだね」
「ダーニャ!」
彼はダニール。ダーニャは愛称だ。15歳という狩人の中でも最年少だが、ロシアの立派な代表だ。
ダニールは「こんにちは」と言いかけたが、ゾネに勢いよく抱き上げられて言葉を崩した。ゾネは彼にもよく懐いている。ネクロマンサーという力を持つ強さももちろんだが、心優しく、よく狼の姿の時に毛を梳かしてくれるからだ。
「子犬、そろそろ下ろしてあげなさい」
ゾネは嬉しそうにくるくると回り、リーラの指示でようやくダニールを下ろした。ダニールは少し目が回ったようで、おぼつかない足取りだが、頭を振って目眩と取り払う。
「大丈夫か?」
「うん。久しぶり、リーラ、ゾネ」
ダニールは、隣にしゃがんで差し出してきたゾネの頭を撫でる。彼は最年少というのもあって、絶対にパートナーが必要だった。そんなパートナーは今、少し離れた所で三人を見守っている一人の鎧兵。あの中には、いくつもの魂が宿っている。寡黙だがよく気が利いて、今ではダニールのかけがえのない家族だ。
「元気だったかい?」
「うん。リーラも?」
「絶好調さ」
「ふふ、良かった。あ、それでさ……リーベだっけ。ロゼやイオエルからリーラの昔話、たくさん聞いてるみたいだけど、大丈夫かなって」
「なんだって?」
イオエルというのは、ギリシャの代表だ。見れば確かに、少し古い形のコートを着た男が、談笑に混ざっている。
ダニールは歳が近いのもあって、リーベに興味があった。みんな良くしてくれるが、やはり同年代の友達が欲しい年頃。そう思って四人に近寄れば、リーラが絶対止めそうな昔話が聞こえてくる。きっとロゼッタとイオエルの事だから、許可無く喋っているに違いないと、本人に言いに来た。
油断していた。イオエルとは、彼が代表になった二十年前に知り合った。だから余計な事は知らないが、彼は話を引き出すのが上手い。リーラが狩人になった当時から知っているロゼッタに、余計な話を聞き出している。彼女も話すのが好きだから、ノリに乗っているだろう。
本当に、身内しか知らない事を言われそうだ。今だって相手の記憶を消し去りたいほど、恥ずかしい時期。しかしリュゼが止めてくれると思ったのに。
「Oh Mann……!」
リーラは急いで立ち上がり、ゾネとダニールを忘れたように、談笑中の四人へ歩き出す。ダニールは同情するようにあははと笑いながら、ゾネの腕をつんつんと突く。ゾネは理解すると、小さな体を抱き上げてリーラについて行った。
リーベはイオエルと一緒にロゼッタから、リーラは昔は誰とも喋ろうとしなかったとか、素直じゃなかったなど今とは真逆なイメージを聞いていた。笑わなかったと聞いても、今の彼女からは想像できない。
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「確かに昔と性格が違う。けれどそれは、あの子が少しずつ安心してきたからなの。今の姿が、等身大よ」
リーベはふと、教会の懺悔室での事を思い出す。あの時一瞬だけ、まだ覆い隠している傷に触れた気がした。彼女の傷はどれだけ深いのだろうか。体を常に蝕む痛みと同等か、それともそれ以上か。
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「ん? あぁそうだ。あいつは『大人』に憧れてたからな」
イオエルはくくっと可笑しそうに笑った。
リーラには人間の血が流れていないため、長寿で、成長速度も遅い。さらに生きている大半が、訳あって未熟な体だった。姿が幼少の時期が長かったのが影響したのか、大人の仕草をよく研究していた。今のようにスマートな立ち振る舞いができるのは、その意識が強かったからだろう。
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