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僾の花束
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君のいない世界なんていらない。
だからどうか、目を覚ましてくれ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「ッ…」
酷い頭痛がした。悪い夢を見ていたみたいだ。
ズキズキと痛むこめかみを抑えながら起き上がる。ふと、体に違和感を覚えた。
「……」
枕元の時計を見る。指していた日付は、3年前のものだった。
あの日だった。
隣で眠る彼女の頬を撫でる。
「ん…?…おはよ」
「おはよう、ユリ。起こしちゃったね」
「ううん。………ふぁ」
しばらくしてまた寝息を立ててしまった。
僕は彼女を起こさないようにそっとベッドから出る。鏡の前に立ち、違和感を確かめた。
「…よし」
今日、僕の最愛の彼女は僕の前からいなくなる。それを変えるために、僕は禁忌に手を出した。時を戻す、最悪の「魔法」。
待ってて、僕が必ず君を─────。
***
ぺたぺたと階段を降りる音が聞こえる。彼女の足音だ。
「おはよう」
彼女は私を見てふわりと微笑んだ。
「フレンチトーストにしたよ」
「いつもありがとう、いただきます」
シロップをかけ、フレンチトーストの欠片を口に運ぶ。僕は幸せそうな顔をして食べ進める彼女を見つめていた。
「あなたは本当に料理が上手だよね」
「ありがとう」
満足そうな顔をする彼女を見て、僕も席についた。
「そうだ、私今日出かける用事があるから」
「ああ、わかった。気をつけてね」
食べ終えた彼女は、出かける用意を始めた。
「いってくるね」
「行ってらっしゃい」
彼女が見えなくなるまで手を振る。玄関の扉が小さな音を立てて閉まった。
───────ああ、あのとき、僕は、なんとしてでも彼女が出かけるのを止めるべきだったのに。
彼女が出かけたあと、僕は研究室に籠って資料を読み漁っていた。ラジオから流れるニュースは耳に入っているわけでもなかったが、静かな研究室はもの寂しいためつけていた。
''ここで速報です。''
''高速道路を走るバスが横転し、乗用車8台を巻き込む事故となり現在通行止めとなっています。''
''事故による負傷者等の情報は届き次第お知らせいたします。''
額から嫌な汗が伝うのがわかった。アナウンサーが読み上げていた高速道路は、確か彼女も通る道だったはずだ。
読んでいた資料を放り出し、僕は彼女に電話をかける。
''おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか─────''
「繋がらない…」
意味もなく研究室を歩き回り、時々彼女のスマホに電話をかけてみる。しかし、何度かけても無機質なアナウンスが聞こえるだけだった。
''速報です。先程の高速道路での事故による負傷者は、軽傷者が18名、重傷者が6名、死亡者が3名です。なお、亡くなったのは東京都××区に住む27歳の女性と────────''
僕は持っていたスマホを床に落としてしまった。激しい動悸で立っているのも苦しくなり床に座り込む。
巻き込まれたのは彼女ではないか。そんな不安が僕の頭をよぎり、仕事がそれ以上手につくことはなかった。
なにもできなくなり僕はリビングのソファに倒れ込むように座った。何分、いや何十分こうしていただろうか。鳴り響く家電の音で我に返った僕は、慌てて受話器を取り上げる。
「はい」
''こちら○○様のお宅でしょうか''
「……はい」
''申し訳ありませんが、今から病院にお越しいただけますか?''
「それは…」
''……ご冥福をお祈りします。''
タクシーを飛ばして、僕は指定された病院に着いた。フロントで名前を告げると、案内されたのは霊安室だった。
「事故に巻き込まれて…最善を尽くしましたが、打ち所が悪く…」
医師の話など入ってこなかった。僕は彼女の横たわるベッドの傍に座り込み静かに泣いた。彼女の手を握ると、冷たく硬かった。最愛の彼女はもうこの世界にいない。認めたくなかったが、握ったこの手がなによりの証拠だった。理解はできても受け入れられはしなかった。
僕には彼女にかけられた面布を持ち上げる勇気はなかったのだ。
それから慌ただしく日々は過ぎた。彼女の葬式をあげ、溜まっていた仕事を片付け、なにも考えないように必死に働いた。気がついたらあの日から1年が経とうとしていた。
スマホの画面を眺めていると、同僚から電話がかかってきた。
''お前大丈夫か?''
「……」
''ただでさえいつも無表情なのに、ここ1年のお前やばいぞ。''
''奥さん亡くなって悲しいのはわかるよ。でも、お前だって前に進まなきゃいけない。わかるだろ?''
「……ほっといてくれ」
''まぁ、今の研究が終わったらしばらく休めよ。どうせ有給溜まってるんだろ?''
''正直俺もこの研究がなんなのかわかんないよ。時空を歪ませる分子なんて存在するわけない。お前もそう思うだろ?''
「……ああ。」
''ま、倒れない程度にやれよ~''
人間の理解を超えた科学は、しばしば魔法と称される。
僕はこの3年、死ぬ気でこの研究を進めてきた。『過去輸送装置』…平たく言えばタイムマシンで、使用者の意識を任意の時間軸に無理やり持っていくものだ。体にかかる負担は計り知れないが、それでも彼女と再び会えるのならば…その一心で今日まで研究を続けてきたのだ。
同僚になど、知られてたまるか。
リビングに飾ってある写真をそっと撫でる。
「君がいなくなってから、僕の時間はずっと止まったままなんだ。いい加減前に進めって、君もそう思う?僕だって何度も立ち直ろうとしたんだよ。でも、君のいない世界に生きている意味なんかないんだ。確かに君がいなくても地球は回るし朝は来る。でも僕はあの日に取り残されたままなんだ」
「だからさ、今から会いに行くね。」
「3年前の今日。君を死なせはしないよ」
研究室の奥、重たい扉を開けた先には機械が大きな音を立てて動いていた。機械の真ん中、小さな強化ガラスの窓の向こうには青い光がすごい勢いで渦巻いている。
「研究の成果を見せるよ。」
モニターに3年前の今日の日付を打ち込む。強化ガラスの窓がゆっくりと開き、僕は青い光に触れるように手を伸ばした。
その瞬間、強烈な眠気が襲い僕は倒れた。
***
目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。
隣には彼女が寝ている。枕元のデジタル時計に表示されている日付は、ちょうど彼女の命日だった。
あの日と同じように、僕は彼女を起こさないようそっとベッドを抜け、キッチンでフレンチトーストを作る。
彼女が降りてきた。
「おはよう」
彼女は私を見て微笑む。
「''フレンチトーストにしたよ''」
「いつもありがとう、いただきます」
僕は幸せそうな顔をして食べ進める彼女を見つめる。
「あなたは本当に料理が上手だよね」
「''ありがとう''」
僕も席につく。
「そうだ、私今日出かける用事があるから」
「うん、コンサートだよね。そのことなんだけど、今日は僕が送っていくよ。ちょうど仕事が一段落したんだ」
「ほんとっ?ありがとう!」
「じゃあ、車で待ってるから」
「うん!」
急いでフレンチトーストを頬張っている彼女を背に、僕は車の鍵を持ってドアを開けた。
「時間はまだ余裕あるし、下道で行くね。帰りは何時頃なの?」
「うーん…コンサートは16時までなんだけど、そのあと友達とご飯食べに行くから終わりそうになったら電話するね」
「わかった」
「ありがと!いってきます!」
これでいい。これで合ってるはずだ。自分の車でコンサートに出かけた彼女はバスの暴走に巻き込まれた。ならば高速道路を使わなければいい。僕は間違っていない。そのはずなのにこんなにも胸騒ぎがするのはなぜだろうか。
日中、僕は一度完成させた研究の資料を眺めていた。もちろん、現段階ではあまり進んでいない。昼も過ぎようかという頃、ラジオからニュースが流れた。
''ここで速報です。''
どうせ事故の話だろうと聞き流そうとしていた僕は、次の言葉に耳を疑った。
''本日、○○にあるコンサートホールの客席の照明が落下するという事故がありました。イベントにより賑わっていたホールは一瞬で混乱に陥り、コンサートは中断となりました。警察は事件・事故両方の可能性をみて捜査を進めています。また、照明の下敷きとなったのは4人ですが、怪我の状況はいまだわかっておりません。''
この時間のニュースは高速道路の事故のはずだ。
なぜ1周目と違うのか。どうして彼女のいる場所に限って。
色んな思いが頭の中を巡り、僕はまた何も考えられなくなった。このあと、病院から電話がくるだろうか。信じたくない。
家電が鳴った。僕はしばらく動くことができなかった。
やっとの思いで受話器を取った僕は、そのままふらつく足取りでタクシーに乗り込む。
どこで何を間違えたんだ?いや、僕は完璧にやったはずだ。ならばどうして彼女はここにいないのだろう。
「もう1回…」
家に帰ってから僕は研究室に籠って例の機械の制作に明け暮れた。
数日後、同僚から電話がかかってきた。
''お前1週間も有給とってなにしてんの?''
「忙しいんだ。放っておいてくれ。」
''おい、仮にも研究メンバーだぞ。その言い方はないんじゃねえの''
「…やらなきゃいけないことがあるんだ。」
''奥さんのことか?それは残念だけどさ…そろそろ前向くべきだってわかってるだろ?''
「……放っておいてくれ。」
僕は電話を切った。一分一秒が惜しい。
もう一度助けてみせる、僕は絶対に君を失いたくない。
彼女が亡くなって1年が経つ頃、それは完成した。
震える手でモニターに日付を打ち込む。1年前の、今日を。
ガラスが開き、青い光に触れて────────
***
目を覚ました。少し耳鳴りがする。彼女を起こさないようそっとベッドから降り朝食の準備をした。
彼女の足音。
「いいにおいー」
「今日はオムライスだよ」
「え、やった~」
「今日はコンサートだったね」
「そうそう、だから10時には家を出ないとと思ってる」
「…そのコンサート、今日じゃなきゃダメなの?」
「何言ってるの?ずっと楽しみにしてたの知ってるでしょ」
「そう…だよね。気をつけて。」
「へんなの。」
今日は彼女の大好きなピアニストの演奏会だった。やっと取れたチケットなの、とはしゃいでいたのを思い出す。
僕にはなにができるだろうか。彼女を守るために、僕は、
また失敗した。
やはりなんとかしてコンサートに行くこと自体を止めるべきなのだろうか、わからない。とりあえず僕はもう一度やらなければいけない。そのためにも、もっと早くあれを完成させる必要がある。
1秒たりとも無駄にしたくなかった。寝食を忘れて研究に没頭
した。半年後、ようやく完成した。同じ手順で同じように起動させる。
この問いに答えはあるのか。
次はどうすべきかと考えながら僕の意識は闇に飲まれた。
***
目を覚ました。しばらくなにも考えずベッドに座っていると、彼女がこちらを覗いてきた。
「なに考えてるの?」
「君を救うにはどうしたらいいかなって」
「…救う?変な言い方するね」
「そうかな」
「そうだよ」
「そっか。…大好きだよ、ユリ」
「…私も」
この日も彼女は僕の前からいなくなった。
信号無視の車に真横から。
***
「何度やっても救えない…どうしたらいいんだ?」
「僕は彼女を救いたいのに」
「どうして」
どうして。わからない。どうやっても彼女を救うことができない。
何度も何度もあの装置を起動した。体への影響?そんなものはどうだっていいんだ、彼女が僕の隣に居続けてくれるなら、僕は、それだけで…
不意に咳き込んだ。咄嗟に抑えた手のひらには血がついている。繰り返すタイムリープは少しずつ、でも着実に、僕の体を蝕んでいた。もう時間がないのかもしれない。
何十回目かの起動をする。次こそは。
***
目を覚ます。酷いだるさに起き上がるのも億劫だが、こうしてはいられない。しかし、隣を見ると彼女がいなかった。
「ユリ?ユリ…!」
急いで下に降りると、彼女が朝食を作っていた。僕は安堵して溜息を漏らす。食卓を見て思わず呟いた。
「フレンチトースト…」
「あれ?好きじゃない?」
「あぁ、いや、好きだよ」
「そうだ、今日コンサートなんだよね」
「そうだね。楽しんでおいで」
「…それなんだけど、行くのやめようかと思って。」
「あんなに楽しみにしてたのに?どうして?」
「それはあなたが1番わかってるんじゃないの?」
「え…」
彼女から出てきた言葉に僕は動揺を隠せなかった。なんのことだ?思い当たることが全くない。
「ごめん、なんのこと?」
「フレンチトースト、作ってくれたでしょ?」
「いつ?」
「1番最初に。」
まるで、タイムリープしていることを知っているみたいな話し方だった。そんなはずはない…と思う。
「わかってるよ。私は今日死ぬ。それはなにをどうやっても変えられない。」
聞いた事のないような彼女の冷たい声に背筋が凍る。
「でも、今日死んでもまた今日に戻ってくるんでしょ?あなたが戻すから。」
額を汗が伝う。
「死んだらそこの時間軸から外れると思うの。だから私は私が死んだことを覚えてる、そして何度もここに戻ってくることも。」
「もう疲れたよ。」
「もう…疲れたの。」
「あなたが私がいなくなることが耐えられないように、私だって何度も死ぬのは耐えられない。私を苦しめてるのはあなただってこと、わからない?」
僕は彼女を救いたかっただけだ。
「だから、もう終わりにしたくて。」
「なにを…」
「あなたと私が何十回も繰り返したこの日を。」
彼女は続ける。
「あなたが居なければいいの、だってそうでしょう?」
「私はあなたを殺したくない。けど、それ以上に私はもう死にたくないの。わかってくれるでしょ?」
彼女のためを思ってやってきていたのに、それがずっと彼女を苦しめていただなんて。
「あなたを殺して私も今日死ぬ。そうしたらもう二度と戻れない。」
台所から包丁を持ってきた彼女は、震える手で僕に向けた。
「ごめんね」
最後に映ったのは、彼女の、恐怖と安堵の混ざった表情だった。
***
''今日のニュースです。''
''昨日夕方、住宅内で男女の遺体が発見されました。''
''男は胸部に三箇所の刺傷、女は頸部に切り傷のようなものがあり、いずれも失血死であることが関係者への取材で明らかになりました。''
''現場に落ちていた包丁には女の指紋が見つかったことから、外部の犯行の可能性は低いと見て捜査を進めています。''
''続いて、次のニュースです。''
***
同じ日を繰り返すうち、僕の愛した彼女の本当の姿はぼやけて霞んでしまった。それでも僕は彼女を救うために何回何十回とここへ戻る。
彼女の好きなところも思いつかなくなってしまった、ああ、僕は、どうして、こんなに何度も繰り返すのだろうか。
僕の愛した彼女は一体どこへ行ったんだろうか。
だからどうか、目を覚ましてくれ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「ッ…」
酷い頭痛がした。悪い夢を見ていたみたいだ。
ズキズキと痛むこめかみを抑えながら起き上がる。ふと、体に違和感を覚えた。
「……」
枕元の時計を見る。指していた日付は、3年前のものだった。
あの日だった。
隣で眠る彼女の頬を撫でる。
「ん…?…おはよ」
「おはよう、ユリ。起こしちゃったね」
「ううん。………ふぁ」
しばらくしてまた寝息を立ててしまった。
僕は彼女を起こさないようにそっとベッドから出る。鏡の前に立ち、違和感を確かめた。
「…よし」
今日、僕の最愛の彼女は僕の前からいなくなる。それを変えるために、僕は禁忌に手を出した。時を戻す、最悪の「魔法」。
待ってて、僕が必ず君を─────。
***
ぺたぺたと階段を降りる音が聞こえる。彼女の足音だ。
「おはよう」
彼女は私を見てふわりと微笑んだ。
「フレンチトーストにしたよ」
「いつもありがとう、いただきます」
シロップをかけ、フレンチトーストの欠片を口に運ぶ。僕は幸せそうな顔をして食べ進める彼女を見つめていた。
「あなたは本当に料理が上手だよね」
「ありがとう」
満足そうな顔をする彼女を見て、僕も席についた。
「そうだ、私今日出かける用事があるから」
「ああ、わかった。気をつけてね」
食べ終えた彼女は、出かける用意を始めた。
「いってくるね」
「行ってらっしゃい」
彼女が見えなくなるまで手を振る。玄関の扉が小さな音を立てて閉まった。
───────ああ、あのとき、僕は、なんとしてでも彼女が出かけるのを止めるべきだったのに。
彼女が出かけたあと、僕は研究室に籠って資料を読み漁っていた。ラジオから流れるニュースは耳に入っているわけでもなかったが、静かな研究室はもの寂しいためつけていた。
''ここで速報です。''
''高速道路を走るバスが横転し、乗用車8台を巻き込む事故となり現在通行止めとなっています。''
''事故による負傷者等の情報は届き次第お知らせいたします。''
額から嫌な汗が伝うのがわかった。アナウンサーが読み上げていた高速道路は、確か彼女も通る道だったはずだ。
読んでいた資料を放り出し、僕は彼女に電話をかける。
''おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか─────''
「繋がらない…」
意味もなく研究室を歩き回り、時々彼女のスマホに電話をかけてみる。しかし、何度かけても無機質なアナウンスが聞こえるだけだった。
''速報です。先程の高速道路での事故による負傷者は、軽傷者が18名、重傷者が6名、死亡者が3名です。なお、亡くなったのは東京都××区に住む27歳の女性と────────''
僕は持っていたスマホを床に落としてしまった。激しい動悸で立っているのも苦しくなり床に座り込む。
巻き込まれたのは彼女ではないか。そんな不安が僕の頭をよぎり、仕事がそれ以上手につくことはなかった。
なにもできなくなり僕はリビングのソファに倒れ込むように座った。何分、いや何十分こうしていただろうか。鳴り響く家電の音で我に返った僕は、慌てて受話器を取り上げる。
「はい」
''こちら○○様のお宅でしょうか''
「……はい」
''申し訳ありませんが、今から病院にお越しいただけますか?''
「それは…」
''……ご冥福をお祈りします。''
タクシーを飛ばして、僕は指定された病院に着いた。フロントで名前を告げると、案内されたのは霊安室だった。
「事故に巻き込まれて…最善を尽くしましたが、打ち所が悪く…」
医師の話など入ってこなかった。僕は彼女の横たわるベッドの傍に座り込み静かに泣いた。彼女の手を握ると、冷たく硬かった。最愛の彼女はもうこの世界にいない。認めたくなかったが、握ったこの手がなによりの証拠だった。理解はできても受け入れられはしなかった。
僕には彼女にかけられた面布を持ち上げる勇気はなかったのだ。
それから慌ただしく日々は過ぎた。彼女の葬式をあげ、溜まっていた仕事を片付け、なにも考えないように必死に働いた。気がついたらあの日から1年が経とうとしていた。
スマホの画面を眺めていると、同僚から電話がかかってきた。
''お前大丈夫か?''
「……」
''ただでさえいつも無表情なのに、ここ1年のお前やばいぞ。''
''奥さん亡くなって悲しいのはわかるよ。でも、お前だって前に進まなきゃいけない。わかるだろ?''
「……ほっといてくれ」
''まぁ、今の研究が終わったらしばらく休めよ。どうせ有給溜まってるんだろ?''
''正直俺もこの研究がなんなのかわかんないよ。時空を歪ませる分子なんて存在するわけない。お前もそう思うだろ?''
「……ああ。」
''ま、倒れない程度にやれよ~''
人間の理解を超えた科学は、しばしば魔法と称される。
僕はこの3年、死ぬ気でこの研究を進めてきた。『過去輸送装置』…平たく言えばタイムマシンで、使用者の意識を任意の時間軸に無理やり持っていくものだ。体にかかる負担は計り知れないが、それでも彼女と再び会えるのならば…その一心で今日まで研究を続けてきたのだ。
同僚になど、知られてたまるか。
リビングに飾ってある写真をそっと撫でる。
「君がいなくなってから、僕の時間はずっと止まったままなんだ。いい加減前に進めって、君もそう思う?僕だって何度も立ち直ろうとしたんだよ。でも、君のいない世界に生きている意味なんかないんだ。確かに君がいなくても地球は回るし朝は来る。でも僕はあの日に取り残されたままなんだ」
「だからさ、今から会いに行くね。」
「3年前の今日。君を死なせはしないよ」
研究室の奥、重たい扉を開けた先には機械が大きな音を立てて動いていた。機械の真ん中、小さな強化ガラスの窓の向こうには青い光がすごい勢いで渦巻いている。
「研究の成果を見せるよ。」
モニターに3年前の今日の日付を打ち込む。強化ガラスの窓がゆっくりと開き、僕は青い光に触れるように手を伸ばした。
その瞬間、強烈な眠気が襲い僕は倒れた。
***
目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。
隣には彼女が寝ている。枕元のデジタル時計に表示されている日付は、ちょうど彼女の命日だった。
あの日と同じように、僕は彼女を起こさないようそっとベッドを抜け、キッチンでフレンチトーストを作る。
彼女が降りてきた。
「おはよう」
彼女は私を見て微笑む。
「''フレンチトーストにしたよ''」
「いつもありがとう、いただきます」
僕は幸せそうな顔をして食べ進める彼女を見つめる。
「あなたは本当に料理が上手だよね」
「''ありがとう''」
僕も席につく。
「そうだ、私今日出かける用事があるから」
「うん、コンサートだよね。そのことなんだけど、今日は僕が送っていくよ。ちょうど仕事が一段落したんだ」
「ほんとっ?ありがとう!」
「じゃあ、車で待ってるから」
「うん!」
急いでフレンチトーストを頬張っている彼女を背に、僕は車の鍵を持ってドアを開けた。
「時間はまだ余裕あるし、下道で行くね。帰りは何時頃なの?」
「うーん…コンサートは16時までなんだけど、そのあと友達とご飯食べに行くから終わりそうになったら電話するね」
「わかった」
「ありがと!いってきます!」
これでいい。これで合ってるはずだ。自分の車でコンサートに出かけた彼女はバスの暴走に巻き込まれた。ならば高速道路を使わなければいい。僕は間違っていない。そのはずなのにこんなにも胸騒ぎがするのはなぜだろうか。
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この時間のニュースは高速道路の事故のはずだ。
なぜ1周目と違うのか。どうして彼女のいる場所に限って。
色んな思いが頭の中を巡り、僕はまた何も考えられなくなった。このあと、病院から電話がくるだろうか。信じたくない。
家電が鳴った。僕はしばらく動くことができなかった。
やっとの思いで受話器を取った僕は、そのままふらつく足取りでタクシーに乗り込む。
どこで何を間違えたんだ?いや、僕は完璧にやったはずだ。ならばどうして彼女はここにいないのだろう。
「もう1回…」
家に帰ってから僕は研究室に籠って例の機械の制作に明け暮れた。
数日後、同僚から電話がかかってきた。
''お前1週間も有給とってなにしてんの?''
「忙しいんだ。放っておいてくれ。」
''おい、仮にも研究メンバーだぞ。その言い方はないんじゃねえの''
「…やらなきゃいけないことがあるんだ。」
''奥さんのことか?それは残念だけどさ…そろそろ前向くべきだってわかってるだろ?''
「……放っておいてくれ。」
僕は電話を切った。一分一秒が惜しい。
もう一度助けてみせる、僕は絶対に君を失いたくない。
彼女が亡くなって1年が経つ頃、それは完成した。
震える手でモニターに日付を打ち込む。1年前の、今日を。
ガラスが開き、青い光に触れて────────
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目を覚ました。少し耳鳴りがする。彼女を起こさないようそっとベッドから降り朝食の準備をした。
彼女の足音。
「いいにおいー」
「今日はオムライスだよ」
「え、やった~」
「今日はコンサートだったね」
「そうそう、だから10時には家を出ないとと思ってる」
「…そのコンサート、今日じゃなきゃダメなの?」
「何言ってるの?ずっと楽しみにしてたの知ってるでしょ」
「そう…だよね。気をつけて。」
「へんなの。」
今日は彼女の大好きなピアニストの演奏会だった。やっと取れたチケットなの、とはしゃいでいたのを思い出す。
僕にはなにができるだろうか。彼女を守るために、僕は、
また失敗した。
やはりなんとかしてコンサートに行くこと自体を止めるべきなのだろうか、わからない。とりあえず僕はもう一度やらなければいけない。そのためにも、もっと早くあれを完成させる必要がある。
1秒たりとも無駄にしたくなかった。寝食を忘れて研究に没頭
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この問いに答えはあるのか。
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「君を救うにはどうしたらいいかなって」
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「そうかな」
「そうだよ」
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「…私も」
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「どうして」
どうして。わからない。どうやっても彼女を救うことができない。
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「そうだ、今日コンサートなんだよね」
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「それはあなたが1番わかってるんじゃないの?」
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「1番最初に。」
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「わかってるよ。私は今日死ぬ。それはなにをどうやっても変えられない。」
聞いた事のないような彼女の冷たい声に背筋が凍る。
「でも、今日死んでもまた今日に戻ってくるんでしょ?あなたが戻すから。」
額を汗が伝う。
「死んだらそこの時間軸から外れると思うの。だから私は私が死んだことを覚えてる、そして何度もここに戻ってくることも。」
「もう疲れたよ。」
「もう…疲れたの。」
「あなたが私がいなくなることが耐えられないように、私だって何度も死ぬのは耐えられない。私を苦しめてるのはあなただってこと、わからない?」
僕は彼女を救いたかっただけだ。
「だから、もう終わりにしたくて。」
「なにを…」
「あなたと私が何十回も繰り返したこの日を。」
彼女は続ける。
「あなたが居なければいいの、だってそうでしょう?」
「私はあなたを殺したくない。けど、それ以上に私はもう死にたくないの。わかってくれるでしょ?」
彼女のためを思ってやってきていたのに、それがずっと彼女を苦しめていただなんて。
「あなたを殺して私も今日死ぬ。そうしたらもう二度と戻れない。」
台所から包丁を持ってきた彼女は、震える手で僕に向けた。
「ごめんね」
最後に映ったのは、彼女の、恐怖と安堵の混ざった表情だった。
***
''今日のニュースです。''
''昨日夕方、住宅内で男女の遺体が発見されました。''
''男は胸部に三箇所の刺傷、女は頸部に切り傷のようなものがあり、いずれも失血死であることが関係者への取材で明らかになりました。''
''現場に落ちていた包丁には女の指紋が見つかったことから、外部の犯行の可能性は低いと見て捜査を進めています。''
''続いて、次のニュースです。''
***
同じ日を繰り返すうち、僕の愛した彼女の本当の姿はぼやけて霞んでしまった。それでも僕は彼女を救うために何回何十回とここへ戻る。
彼女の好きなところも思いつかなくなってしまった、ああ、僕は、どうして、こんなに何度も繰り返すのだろうか。
僕の愛した彼女は一体どこへ行ったんだろうか。
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