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【6.夜会にて②】
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そのとき、その場を切り裂くような張りのある声が響いた。
「そこの女。なぜその指輪をしている」
振り返ると皇帝だった。
ハンナとデイヴィッドは慌てて深く頭を下げる。
マクリーン子爵夫妻もぎょっとしてバッと頭を下げたが、皇帝が指輪についてひどく怒った言い方をしていたので、「これはヤバい状況か?」と混乱していた。
皇帝は怒りを湛えた冷たい声で繰り返した。
「なぜその女がはめているのかと聞いている」
二度も繰り返したということは、これはまずい状況で間違いない!
マクリーン子爵は、急に汗が噴き出し手が強張るのを感じた。
しかし、皇帝に問われている以上、何か、何か答えなければ!
マクリーン子爵はぶるぶる震えながら蚊の鳴くような声で答えた。
「こ、皇帝陛下がわがマクリーン家に下賜した指輪でございます。皇帝陛下とマクリーン家の友好の証でございます。我が妻が身に着けるものとして相応しいかと……」
しかし、少しも納得しない様子で皇帝が睨みつけた。
「それはハンナに贈ったものだが」
「ハンナは私の昔の妻で……」
「そんなことは分かっている。私がどんな気持ちでハンナにその指輪を贈ったのか知っているか」
「全く存じ上げませんで……」
「私に皇帝としてどうあるべきかを思い出させてくれたのだ、ハンナは」
皇帝は深みのある言い方をして、俯いているハンナにゆっくりと目をやった。
当時、皇帝は悩んでいたのだ。
隣国に出していた軍隊のことだった。
隣国が開戦したと聞いたときは状況が分からなかったので一先ず同盟に応じて消極的に出していた軍だったが、次第に状況が分かって来ると隣国には戦争の正当な理由がない気がした。
皇帝は軍を引き続き出し続けることに疑問を持った。
しかし、引き上げれば隣国との同盟に水を差すことになる。いざ我が国が何かの戦争に巻き込まれ、隣国の応援を必要としたときに、このような温度差で援助が受けられるだろうか。
いっそ隣国の関わる戦争を仲介し治める方向でも検討したが、しかし厄介なことに、隣国は戦争を望み、また我が国の軍部は隣国の戦争を歓迎していた。
悩ましい状況の中、たまたま開かれた皇帝の誕生パーティにハンナが出席したのだった。
野心家なところのあるマクリーン子爵は、ハンナが女帝の女系の曾孫という薄い血縁であるにも関わらず「血縁であることに変わりはない」とせっつき、ハンナに「皇帝陛下に特別な花でも贈れ」と言うのだった。
皇帝の目に留まり「親戚か」と思ってもらえれば、マクリーン家の名を覚えてもらえるかもしれない、というのがマクリーン子爵の考えだった。
というのも、弱小で経済状況のよくないマクリーン子爵家は、徴税がうまくいかず、宮廷から統治権の剥奪の脅しを受けたことが何度もあったのである。
皇帝の心証をよくする気持ちもあった。
ハンナの方は、「遠い親戚、しかも実家と疎遠である自分が?」と思わなくもなかったが、夫に命令されたことだし、また誕生日の祝いの花くらいなら誰が贈っても悪い気はされないかもしれないと思った。
それで、ハンナは上品だけど身の丈にあった花束を用意した。
そのときに、親戚である言い訳に『女帝の香』を花束につけたのである。
ハンナは『女帝の薬』と一緒に、女帝が晩年いつも使用していた特別な『香』の調合も母から伝え聞いていたのだった。
もちろん、その香は女帝が生きていた頃も公にされてはなかったし、直系とはいえ女帝の孫である皇帝が今も覚えているとは思えなかった。
しかし、まあ気休め程度に、もし皇帝が覚えていたら懐かしく思ってくれるかも、くらいの感覚でハンナは『女帝の香』を花束につけたのだった。
驚くべきことに、その香を皇帝は覚えていたのだった。
たくさんの出席者からの花束の山を侍従長から示され、ふと足を向けたときに、懐かしい香りが漂ってきた。
「え?」と思って香りの元を探らせると、それはハンナの花束だった。
皇帝は久しぶりの香りに胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
敬愛する祖母がいつもつけていた香!
祖母は初孫の自分をとてつもなく可愛がってくれて、自分もよく祖母に懐き、祖母のドレスに纏わりついていたものだ。
昼寝をするときも祖母のハンカチ一枚あれば安心して眠れたほどに。ああ、そのハンカチからもこの香りが漂っていた――。
そんなことが思い出されると同時に、その香りは祖母の力強さも思い出させてくれたのだった。
偉大で、国外に対しても強い発言力を持っていた祖母。
その祖母が、まるですぐそばにいるような感覚に陥った。
皇帝はふっと宙を仰いだ。
祖母。女帝。あなたなら、隣国に違和感を感じたら、どう対処しますか?
強く正しかった女帝。
彼女なら、間違った戦争をする隣国を赦しはしないだろう。たとえ同盟にひびが入っても。
同盟にひびが入って困るなら強くなればいいのだ!
強い国を作る。そうすればいいのだ。私が!
皇帝は女帝に強く背中を押してもらったような気持ちになった。猛烈に励まされたのだった。
しかし、この香りはいったい?
そして皇帝は花の送り主を見た。
ハンナ・マクリーン子爵夫人。
調べさせたら、パウレット侯爵の前妻の子だという。パウレット侯爵の前妻は確かに女帝の末娘の子だった。
れっきと血が繋がっているのだ。
皇帝は礼を言いたくなった。
それで、例の『価値のない指輪』をハンナにくれたのだった。
しかし、今、自分の目の前で、ハンナではない見知らぬ下品な女が指輪を得意げに身に着けていた。
しかもそれを、当のハンナに向かって見せびらかしているではないか!
皇帝が怒るのも無理がなかった。
「その指輪はハンナ以外のものが着けるべきものか!?」
皇帝の声は雷のようにマクリーン子爵夫妻の上に鳴り響く。
「あ、い、いいえ!」
マクリーン子爵は震えあがった。
「ならばすぐに外せ! 汚らわしい!」
「は、はい! 直ちに……!」
エマは半泣きになりながら、ぶるぶる震える指で苦労しながら指輪を外した。
皇帝がさっと片手を挙げたので、すぐ傍に控えていた護衛騎士の一人がさっとエマに駆け寄り、指輪を取り上げた。
皇帝は指輪が確かに護衛騎士の手にあることを確認してから、また鋭い目をマクリーン子爵夫妻に向けた。
「そこの女。なぜその指輪をしている」
振り返ると皇帝だった。
ハンナとデイヴィッドは慌てて深く頭を下げる。
マクリーン子爵夫妻もぎょっとしてバッと頭を下げたが、皇帝が指輪についてひどく怒った言い方をしていたので、「これはヤバい状況か?」と混乱していた。
皇帝は怒りを湛えた冷たい声で繰り返した。
「なぜその女がはめているのかと聞いている」
二度も繰り返したということは、これはまずい状況で間違いない!
マクリーン子爵は、急に汗が噴き出し手が強張るのを感じた。
しかし、皇帝に問われている以上、何か、何か答えなければ!
マクリーン子爵はぶるぶる震えながら蚊の鳴くような声で答えた。
「こ、皇帝陛下がわがマクリーン家に下賜した指輪でございます。皇帝陛下とマクリーン家の友好の証でございます。我が妻が身に着けるものとして相応しいかと……」
しかし、少しも納得しない様子で皇帝が睨みつけた。
「それはハンナに贈ったものだが」
「ハンナは私の昔の妻で……」
「そんなことは分かっている。私がどんな気持ちでハンナにその指輪を贈ったのか知っているか」
「全く存じ上げませんで……」
「私に皇帝としてどうあるべきかを思い出させてくれたのだ、ハンナは」
皇帝は深みのある言い方をして、俯いているハンナにゆっくりと目をやった。
当時、皇帝は悩んでいたのだ。
隣国に出していた軍隊のことだった。
隣国が開戦したと聞いたときは状況が分からなかったので一先ず同盟に応じて消極的に出していた軍だったが、次第に状況が分かって来ると隣国には戦争の正当な理由がない気がした。
皇帝は軍を引き続き出し続けることに疑問を持った。
しかし、引き上げれば隣国との同盟に水を差すことになる。いざ我が国が何かの戦争に巻き込まれ、隣国の応援を必要としたときに、このような温度差で援助が受けられるだろうか。
いっそ隣国の関わる戦争を仲介し治める方向でも検討したが、しかし厄介なことに、隣国は戦争を望み、また我が国の軍部は隣国の戦争を歓迎していた。
悩ましい状況の中、たまたま開かれた皇帝の誕生パーティにハンナが出席したのだった。
野心家なところのあるマクリーン子爵は、ハンナが女帝の女系の曾孫という薄い血縁であるにも関わらず「血縁であることに変わりはない」とせっつき、ハンナに「皇帝陛下に特別な花でも贈れ」と言うのだった。
皇帝の目に留まり「親戚か」と思ってもらえれば、マクリーン家の名を覚えてもらえるかもしれない、というのがマクリーン子爵の考えだった。
というのも、弱小で経済状況のよくないマクリーン子爵家は、徴税がうまくいかず、宮廷から統治権の剥奪の脅しを受けたことが何度もあったのである。
皇帝の心証をよくする気持ちもあった。
ハンナの方は、「遠い親戚、しかも実家と疎遠である自分が?」と思わなくもなかったが、夫に命令されたことだし、また誕生日の祝いの花くらいなら誰が贈っても悪い気はされないかもしれないと思った。
それで、ハンナは上品だけど身の丈にあった花束を用意した。
そのときに、親戚である言い訳に『女帝の香』を花束につけたのである。
ハンナは『女帝の薬』と一緒に、女帝が晩年いつも使用していた特別な『香』の調合も母から伝え聞いていたのだった。
もちろん、その香は女帝が生きていた頃も公にされてはなかったし、直系とはいえ女帝の孫である皇帝が今も覚えているとは思えなかった。
しかし、まあ気休め程度に、もし皇帝が覚えていたら懐かしく思ってくれるかも、くらいの感覚でハンナは『女帝の香』を花束につけたのだった。
驚くべきことに、その香を皇帝は覚えていたのだった。
たくさんの出席者からの花束の山を侍従長から示され、ふと足を向けたときに、懐かしい香りが漂ってきた。
「え?」と思って香りの元を探らせると、それはハンナの花束だった。
皇帝は久しぶりの香りに胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
敬愛する祖母がいつもつけていた香!
祖母は初孫の自分をとてつもなく可愛がってくれて、自分もよく祖母に懐き、祖母のドレスに纏わりついていたものだ。
昼寝をするときも祖母のハンカチ一枚あれば安心して眠れたほどに。ああ、そのハンカチからもこの香りが漂っていた――。
そんなことが思い出されると同時に、その香りは祖母の力強さも思い出させてくれたのだった。
偉大で、国外に対しても強い発言力を持っていた祖母。
その祖母が、まるですぐそばにいるような感覚に陥った。
皇帝はふっと宙を仰いだ。
祖母。女帝。あなたなら、隣国に違和感を感じたら、どう対処しますか?
強く正しかった女帝。
彼女なら、間違った戦争をする隣国を赦しはしないだろう。たとえ同盟にひびが入っても。
同盟にひびが入って困るなら強くなればいいのだ!
強い国を作る。そうすればいいのだ。私が!
皇帝は女帝に強く背中を押してもらったような気持ちになった。猛烈に励まされたのだった。
しかし、この香りはいったい?
そして皇帝は花の送り主を見た。
ハンナ・マクリーン子爵夫人。
調べさせたら、パウレット侯爵の前妻の子だという。パウレット侯爵の前妻は確かに女帝の末娘の子だった。
れっきと血が繋がっているのだ。
皇帝は礼を言いたくなった。
それで、例の『価値のない指輪』をハンナにくれたのだった。
しかし、今、自分の目の前で、ハンナではない見知らぬ下品な女が指輪を得意げに身に着けていた。
しかもそれを、当のハンナに向かって見せびらかしているではないか!
皇帝が怒るのも無理がなかった。
「その指輪はハンナ以外のものが着けるべきものか!?」
皇帝の声は雷のようにマクリーン子爵夫妻の上に鳴り響く。
「あ、い、いいえ!」
マクリーン子爵は震えあがった。
「ならばすぐに外せ! 汚らわしい!」
「は、はい! 直ちに……!」
エマは半泣きになりながら、ぶるぶる震える指で苦労しながら指輪を外した。
皇帝がさっと片手を挙げたので、すぐ傍に控えていた護衛騎士の一人がさっとエマに駆け寄り、指輪を取り上げた。
皇帝は指輪が確かに護衛騎士の手にあることを確認してから、また鋭い目をマクリーン子爵夫妻に向けた。
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