蛍火送り

椎井 慧

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第五夜

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 おかしなことを聞いてくる。覚えているに決まっているでしょう。あなたの姿が忘れられなくてここに来たのだから。あなたに会いたくてもう一度ここに来たのだから。

 ――ただ、そんなことを言う勇気もなく私はひたすらに彼の瞳を見つめることしかできなかった。

 木洩れ日に透けるヒカルの瞳は薄茶色で、ガラス玉のようで、ちかちかと太陽の光を反射している。なんて美しいのだろう。

 黙りこくる私にヒカルが念を押すように問いかけてくる。

「ねえ……。灯里だよね? 昨日、ぼくと会ったこと覚えてる……?」

 不安と寂しさを内包した表情でこちらを見てくる彼に、はっとしてようやく私は答えた。

「覚えてるよ」

 たった一言答えただけだったのに、ヒカルの頬がみるみる紅潮していくのが目に見えてわかった。色の薄い頬に映える紅が、さっきまで「正体不明の彼」だったヒカルを「一人の男の子」として鮮やかに彩る。

 「きれい」

 私はヒカルに聞こえないように小さな小さな声で呟いた。



 気付けば私とヒカルは何時間も泉のほとりで話し込んでいた。日は傾き、ツクツクボウシが早く帰りなさいと急かすように鳴く。

 今日改めて出来た友人、ヒカル。彼はまだ子どもの私には理解できない話ばかりをした。

「ぼくはね、もうずっとここにいるんだ。どれくらい? ……わからない」
「今日は何日? 8月14日……。そうか、だから灯里と会えたんだね」
「本当は父さんと母さんと妹に会いたいけど……。もう会えないんだ」

 私はヒカルが話す度に、なぜ? どうして? それは何? と幼子のように細かく聞き、ヒカルはヒカルの言葉で教えてくれた。

 ただ、この時の私はひたすらに無知で、正しく彼の苦しみを理解することができなかった。

 ――いや、人の苦しみを正しく理解するなんて誰にも出来ないのかも知れない。けれど、それがどんなに辛いことか想像することが出来ていただろうか。私は彼の辛さに寄り添えたのだろうか。

 ただ、辛そうな彼を放っておけない。そんな気持ちが胸中に灯ったのは確かだった。

 そして昼行灯のようにぼんやりとしたこの気持ちが、いずれ私たちの道を照らしてくれることになることを、この時はまだ知らなかった。
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