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第1章
縦横無尽
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《滑れっ……!》
一か八か、クローケの足元に念じる。彼の足が滑り
僕の脇腹を捉えていた黒い爪の侵攻は緩み、深く斬れ
込みを入れることなく掠り抜けた。予想外の滑りに
対し片膝を着くも、すぐに床を蹴って距離をとる
クローケ。
右腹部から体表に添って背中側に走る裂傷。脇下
や首を突き抜け脳に直接刺さる痛覚の信号。打撲の
鈍痛とは違う鋭い熱を帯びた痛みに息が止まった。
今のは、転移。クローケは"血を媒介にする"と
しか言っていなかった。羊皮紙も魔法陣も、別に
必要不可欠ではなかった。現にエディは、ただ血を
つけただけの羊皮紙で強奪されたのだ。ナイフの
持ち手に気づいていなかった。あれはおそらく
染み込ませた自らの血の色だ。こいつ、細い見た目に
そぐわず、豪胆なインファイターか……!僕の中の
魔術師という肩書きに対する偏見が、その戦闘方式
への発想を阻害していた。遠距離攻撃が無いとはいえ
まさか魔法ではなく体術で仕掛けてくるとは。
『デニス!大丈夫か!』
「ええ、何とか……」
幸い深手ではない。位置が位置なだけに激痛は
不可避だが、痛みにかまけていれば次こそ決着だ。
「……なかなかにいい反応をしますね。不意打ちだと
いうのに冷静な対処だ。とても15の子供とは
思えない。改めて思い返せば、あなたの行動や思考
は妙に鋭い。歴戦の戦士のそれでは無いが、いちいち
妥当で真っ当な手を指している。……これは、存外
研究材料になるかもしれませんね」
ナイフは既に回収されている。距離をとる際同時に
回収したのか。投擲による転移地点指定と右人差し指
の魔法爪によるヒットアンドアウェイ。思ってたのと
全然違う。
「そしてそれがあなたの"滑る力"……実に面白く、
頼りなく、滑稽だ。……だが非常に珍しい。知るには
いい題材です。要りませんがね」
言い終わると同時にナイフが飛んでくる。また
後方足元。来るとわかっていれば迎え撃つまでだ。
ダガーを構え振り返り、……居ない!?
「残念。不正解です」
『デニス!上じゃ!』
まずい、頭が回っていない。そうだ。あいつは
ナイフを3本持っていた!
『前に跳べ!』
ダガーの指示に身体が反応する。飛び込み前転の
要領で思い切り床を蹴る。今までいた場所にクローケ
の踵が突き刺さり、床板を激しく損傷する。同時に
床にフェイクで刺していたナイフを回収している。
『止まるな!着地を狙えい!』
踵落としの反動が残っている敵に対し、身体を
捻って突進する。立ち上がろうとするクローケの
腕に向けダガーを振り抜いた。……が、既にそこには
標的は居なかった。
「惜しい。また不正解です」
『右じゃ!』
ダガーを振った勢いが止まらず、右体側が空いて
しまっている。自らの足元に《滑れ》と念じ、強引に
身体を伏せてヘッドスライディングの体勢をとった。
髪の毛を掠る風圧。数本の毛髪が千切れ飛ぶ。僕は
無様な体制で少しの距離を滑り、膝立ちで敵に
向かい合うよう停止した。
「……その刃物、非常に鬱陶しいですね。セリカの報告
通り、正確に生きている者を把握しているようだ。
おまけにこっちにまで声が響いて耳障り……いや、
この場合頭障りと言うべきでしょうか」
ダガーの魂の目。人間を始め命あるものの位置を
正確に"見て"いる。クローケの転移自体が察知でき
なくてもどこに居るかは彼女なら瞬時に魂で追える。
セリカの単発推進に比べ、クローケの転移による
回避と接近はあまりにトリッキーだ。こんなの魔法
使いの風体で繰り出す攻撃じゃない。このままでは
ジリ貧だ。何か無いか、手の打ちようは。
「あなた単体であれば、礼儀正しく、面白い能力も
あり、そして妙に機転が効き、頭も悪くない……
どこかの守られているだけの豚より遥かに、組んだら
面白そうな人材だ。特に"凡人"という部分が」
考えろ。あいつが今まで行った全ての転移を
思い出せ。庭での羊皮紙転移、エディの転移、そして
投擲ナイフによる転移…………あれ?そういえば……
正面からクローケが突進してくる。今までの流れ
からして、そのまま真っ直ぐ来るとは思わない。でも
何もせず棒立ちしていれば、奴が転移を使う必要が
生まれない。……試す必要がある。仮説が正しければ
確実に逆転が見えるはず。僕はなるべく大振りで、
正面にダガーを振り下ろした。
床にナイフの刺さる音。回避即カウンターに適した
僕の後方、約1足分。転移が来る瞬間を狙いすまし、
僕は《滑れ》とナイフに念じた。刺さって
いた点がひとりでに滑り抜け、ナイフが宙を舞う。
物理法則に反した奇っ怪な現象を見て、僕はひとつ
確信を得た。
「なにっ!?」
クローケの焦る声。中途半端に僕の目の前に転移
してきた。剣を振った勢いの残る身体を半回転させ、
後ろ回し蹴りを敵の顔面に叩き込んだ。
「がはっ……!!」
決定打ではない。だが確実に動揺している。今、
おかしな挙動をしたナイフは、カランと軽い音を立て
床板に転がり落ちた。慌ててナイフを回収し大きく
後ろに飛び退くクローケ。驚きのあまり見開いた
目が、こちらを射抜いている。
「貴様……なぜ……!」
「さぁ、……なんでですかね」
思えば最初からおかしかったんだ。羊皮紙に血を
つけ、それを媒介として転移すると言うのであれば、
わざわざ庭の地面に羊皮紙をナイフで刺し留める
必要なんて無かったんだ。地面にただばらまけば
いい。玄関に刺し留める意味もないはず。エディ
強奪時も、羊皮紙はしっかりと手に握られていた。
そして今回が1番おかしい。なぜナイフなのか。
別に石でも紐でも、血さえつけておけばもっと
扱いやすい物はあったはずなんだ。にも関わらず、
クローケはわざわざ扱いの難しい投擲ナイフという
手段をとっていた。それは何故か。床や壁に、
しっかりと"留まる"必要があったんだ。
おそらくこの転移は磁石のようなもの。発動すると
双方をお互い引き寄せる形で転移する。だから、
転移先である血の場所は、しっかりとアンカーに
なっていなければならない。今はそのナイフを滑らせ
引き抜けやすくした為、転移自体が半端な不発に
終わり、ナイフとクローケがお互いに引き合う形で、
勝手に飛ぶ奇妙なナイフの現象が生まれた。
それさえ分かれば、大幅に可能性が見えてくる。
『けけけ。何か思いついたようじゃの』
「ええ。多分、大丈夫です」
状態を確認しよう。クローケの手持ちナイフは
2本になっている。天井を見ると、踵落とし時に転移
で使ったナイフが天井に刺さったまま残っている。
おそらく上方への転移の要として残しておいたの
だろう。…………ん?
天井のナイフの刃に、ちらりと何かが見えた。
明らかに築材と異なる色、親指程度の大きさ。
これは……
「……君の観察眼には恐れ入りました。しかし、これ
で終わりです」
……羊皮紙!気づいた瞬間、頭がぐらりと揺れた。
一瞬にして視界が歪む。平衡感覚を失い、気づけば、
……僕は天井付近にいた。
「しまっ……た」
身体の制御が効かない空中に投げ出された。あの時
か。脇腹への一撃、その際既に僕の血を採取
してたんだ。
自由落下に抗えずただ落ちて行く身体。真下には
クローケが高々と黒い爪を掲げている。彼は完全に
勝利を確信している。このまま僕の体が自分の爪に
"勝手に"突き刺さるのを待てばいいのだから。
人間は交通事故など、命に関わる危機に瀕した時
タキサイキア現象と呼ばれる脳の情報処理速度の
強化が起こる事があるらしい。ドクンと大きく心臓が
跳ね、時間が引き伸ばされ、視界が白黒に染まる。
この感覚、狼と戦った時にもあった。
頭がクリアになる。ダガーの声が酷く遅く、篭って
響く。
『デ……二……ス……!』
僕は、ダガーに向け考えを伝えた。
(ダガー、限界まで重くなってください。できますか)
ダガーの声は追いついてこない。だが、構わず
僕は考えを実行する。
身体を思い切り伸ばす。空中にも関わらず、
ダガーの質量は大岩の様に重く、抵抗を感じる。
腕を伸ばしきった所でダガーを手放した。
空中の巨大な質量を足場に、身体のバネで僅かに
横方向への推進力を得る。手を離したことで僕の
体は当初の落下予定地点からやや逸れた。
時間感覚が戻る。視界が色を取り戻し、床板が
高速で目の前に迫る。腕と足4点全てを使い、僕は
カエルのような姿勢でクローケの背後に着地した。
「なんだと!?」
ほぼ同時にダガーが床に突き刺さる。空中で落下物
の軌道が変わるという怪奇現象。物理法則に反した
動き。爪に刺さるはずだった身体の妙な軌道変化に
混乱したクローケは一瞬怯む。彼の足元に《滑れ》と
念じ、同時に腹這いの姿勢を活かして床を削り取る
ように鋭く足払いを放った。
完全に意識の外からの攻撃。クローケの細い身体は
摩擦の無い足を完全に払われ、姿勢を完全に崩した。
倒れ込むクローケに対し、僕は飛びかかる様に跳ねて
全体重を乗せた膝を彼の腹にめり込ませた。
「ぐがっは……!」
転倒による頭部強打と腹部への二ー・ドロップ。
大人の体とはいえ、あの細身にはかなりダメージに
なるはずだ。僕はそのまま前転しつつ、床に
くい込んだダガーを回収した。
危なかった。確実に終わったと思った。だが今
倒れているのはクローケで、立っているのは僕だ。
苦悶の表情を浮かべる彼は、転倒の際に口の中を
切ったようで、唇の端から僅かな血を流しこちらを
睨みつけていた。
「何故……いつも邪魔をされる……!しかも今回は
こんな子供に……!」
のたうち回るクローケ。苦悶だけでは無い。激しい
怒りを内包した感情が噛み締めた歯から漏れ出して
いる。丁寧だった口調はやや崩壊し、純粋な熱を帯び
ていた。
「……僕は、あなたが研究にそこまで執着する理由を
知りません。今までの話の流れで、魔法や特殊な
能力を研究し、自分のものにしようとしてきた事
は分かります。でもそれは、凡人である僕から
すれば、過剰に見えます」
彼は転移の説明をする時に言っていた。その力は、
"実に涙ぐましい研究成果"である、と。つまり何かを
研究して後天的に手に入れた、努力の賜物である事が
わかる。
「過剰!?過剰だと!?これは妥当な足掻きだ!」
呼吸が整わず、吐き捨てるように喚くクローケ。
僕は一旦ダガーを鞘に戻し、倒れている彼に視線の
高さを合わせるように膝立ちになった。
聞く必要があると思った。多分、僕も理解出来る
理由な気がした。彼の才能や能力への執着は、恐らく
僕自身が抱えるモノと根を同じくするものだ。
だが、だからといって、大事な弟や孤児を好きに
利用していいはずはない。家族として、人として、
それは当然看過できようはずもない。
「……教えてください。あなたは何が目的なのですか」
「馬鹿にしているのか!?憐れんでいるのか!?お前
のようなガキにわかるはずがない!才能豊かな環境に
身を置かざるを得なかった劣等者の苦悩など!」
……わかってしまうんだ。痛い程に。理由を詳しく
説明するには、今の僕だけでは難しいけど。
『……クローケ。お主勘違いしておるぞ』
ダガーが穏やかに語りかける。彼女はこの世界で
唯一僕の転生を理解している。前世で何があったか
までは詳しく知らなくても、僕がただの15歳で無い
ことを唯一把握している。
「勘違い……!?何を言っている?少なくともお前は
無条件の肯定、無償の愛を享受して生きてきた筈だ。
でなければ、あんな風に……!」
クローケが僕ら家族を直接目にしたのは庭での
乱戦が初めてだ。戦況と共に僕ら家族を俯瞰して
得た結論だろう。概ね間違っていない。
『詳細は控えるが、こやつは普通の人間とは根本的に
違う人生を歩んでおる。……侮るでない』
彼の漆黒の瞳が、僕の目を覗き込む。
『ただ幸福のみで生きてきた者の眼に見えるかのう?』
がくりと項垂れるクローケ。肩を震わしながら、
こう言った。
「……お前は、貴族の世界を知っているか……?」
一か八か、クローケの足元に念じる。彼の足が滑り
僕の脇腹を捉えていた黒い爪の侵攻は緩み、深く斬れ
込みを入れることなく掠り抜けた。予想外の滑りに
対し片膝を着くも、すぐに床を蹴って距離をとる
クローケ。
右腹部から体表に添って背中側に走る裂傷。脇下
や首を突き抜け脳に直接刺さる痛覚の信号。打撲の
鈍痛とは違う鋭い熱を帯びた痛みに息が止まった。
今のは、転移。クローケは"血を媒介にする"と
しか言っていなかった。羊皮紙も魔法陣も、別に
必要不可欠ではなかった。現にエディは、ただ血を
つけただけの羊皮紙で強奪されたのだ。ナイフの
持ち手に気づいていなかった。あれはおそらく
染み込ませた自らの血の色だ。こいつ、細い見た目に
そぐわず、豪胆なインファイターか……!僕の中の
魔術師という肩書きに対する偏見が、その戦闘方式
への発想を阻害していた。遠距離攻撃が無いとはいえ
まさか魔法ではなく体術で仕掛けてくるとは。
『デニス!大丈夫か!』
「ええ、何とか……」
幸い深手ではない。位置が位置なだけに激痛は
不可避だが、痛みにかまけていれば次こそ決着だ。
「……なかなかにいい反応をしますね。不意打ちだと
いうのに冷静な対処だ。とても15の子供とは
思えない。改めて思い返せば、あなたの行動や思考
は妙に鋭い。歴戦の戦士のそれでは無いが、いちいち
妥当で真っ当な手を指している。……これは、存外
研究材料になるかもしれませんね」
ナイフは既に回収されている。距離をとる際同時に
回収したのか。投擲による転移地点指定と右人差し指
の魔法爪によるヒットアンドアウェイ。思ってたのと
全然違う。
「そしてそれがあなたの"滑る力"……実に面白く、
頼りなく、滑稽だ。……だが非常に珍しい。知るには
いい題材です。要りませんがね」
言い終わると同時にナイフが飛んでくる。また
後方足元。来るとわかっていれば迎え撃つまでだ。
ダガーを構え振り返り、……居ない!?
「残念。不正解です」
『デニス!上じゃ!』
まずい、頭が回っていない。そうだ。あいつは
ナイフを3本持っていた!
『前に跳べ!』
ダガーの指示に身体が反応する。飛び込み前転の
要領で思い切り床を蹴る。今までいた場所にクローケ
の踵が突き刺さり、床板を激しく損傷する。同時に
床にフェイクで刺していたナイフを回収している。
『止まるな!着地を狙えい!』
踵落としの反動が残っている敵に対し、身体を
捻って突進する。立ち上がろうとするクローケの
腕に向けダガーを振り抜いた。……が、既にそこには
標的は居なかった。
「惜しい。また不正解です」
『右じゃ!』
ダガーを振った勢いが止まらず、右体側が空いて
しまっている。自らの足元に《滑れ》と念じ、強引に
身体を伏せてヘッドスライディングの体勢をとった。
髪の毛を掠る風圧。数本の毛髪が千切れ飛ぶ。僕は
無様な体制で少しの距離を滑り、膝立ちで敵に
向かい合うよう停止した。
「……その刃物、非常に鬱陶しいですね。セリカの報告
通り、正確に生きている者を把握しているようだ。
おまけにこっちにまで声が響いて耳障り……いや、
この場合頭障りと言うべきでしょうか」
ダガーの魂の目。人間を始め命あるものの位置を
正確に"見て"いる。クローケの転移自体が察知でき
なくてもどこに居るかは彼女なら瞬時に魂で追える。
セリカの単発推進に比べ、クローケの転移による
回避と接近はあまりにトリッキーだ。こんなの魔法
使いの風体で繰り出す攻撃じゃない。このままでは
ジリ貧だ。何か無いか、手の打ちようは。
「あなた単体であれば、礼儀正しく、面白い能力も
あり、そして妙に機転が効き、頭も悪くない……
どこかの守られているだけの豚より遥かに、組んだら
面白そうな人材だ。特に"凡人"という部分が」
考えろ。あいつが今まで行った全ての転移を
思い出せ。庭での羊皮紙転移、エディの転移、そして
投擲ナイフによる転移…………あれ?そういえば……
正面からクローケが突進してくる。今までの流れ
からして、そのまま真っ直ぐ来るとは思わない。でも
何もせず棒立ちしていれば、奴が転移を使う必要が
生まれない。……試す必要がある。仮説が正しければ
確実に逆転が見えるはず。僕はなるべく大振りで、
正面にダガーを振り下ろした。
床にナイフの刺さる音。回避即カウンターに適した
僕の後方、約1足分。転移が来る瞬間を狙いすまし、
僕は《滑れ》とナイフに念じた。刺さって
いた点がひとりでに滑り抜け、ナイフが宙を舞う。
物理法則に反した奇っ怪な現象を見て、僕はひとつ
確信を得た。
「なにっ!?」
クローケの焦る声。中途半端に僕の目の前に転移
してきた。剣を振った勢いの残る身体を半回転させ、
後ろ回し蹴りを敵の顔面に叩き込んだ。
「がはっ……!!」
決定打ではない。だが確実に動揺している。今、
おかしな挙動をしたナイフは、カランと軽い音を立て
床板に転がり落ちた。慌ててナイフを回収し大きく
後ろに飛び退くクローケ。驚きのあまり見開いた
目が、こちらを射抜いている。
「貴様……なぜ……!」
「さぁ、……なんでですかね」
思えば最初からおかしかったんだ。羊皮紙に血を
つけ、それを媒介として転移すると言うのであれば、
わざわざ庭の地面に羊皮紙をナイフで刺し留める
必要なんて無かったんだ。地面にただばらまけば
いい。玄関に刺し留める意味もないはず。エディ
強奪時も、羊皮紙はしっかりと手に握られていた。
そして今回が1番おかしい。なぜナイフなのか。
別に石でも紐でも、血さえつけておけばもっと
扱いやすい物はあったはずなんだ。にも関わらず、
クローケはわざわざ扱いの難しい投擲ナイフという
手段をとっていた。それは何故か。床や壁に、
しっかりと"留まる"必要があったんだ。
おそらくこの転移は磁石のようなもの。発動すると
双方をお互い引き寄せる形で転移する。だから、
転移先である血の場所は、しっかりとアンカーに
なっていなければならない。今はそのナイフを滑らせ
引き抜けやすくした為、転移自体が半端な不発に
終わり、ナイフとクローケがお互いに引き合う形で、
勝手に飛ぶ奇妙なナイフの現象が生まれた。
それさえ分かれば、大幅に可能性が見えてくる。
『けけけ。何か思いついたようじゃの』
「ええ。多分、大丈夫です」
状態を確認しよう。クローケの手持ちナイフは
2本になっている。天井を見ると、踵落とし時に転移
で使ったナイフが天井に刺さったまま残っている。
おそらく上方への転移の要として残しておいたの
だろう。…………ん?
天井のナイフの刃に、ちらりと何かが見えた。
明らかに築材と異なる色、親指程度の大きさ。
これは……
「……君の観察眼には恐れ入りました。しかし、これ
で終わりです」
……羊皮紙!気づいた瞬間、頭がぐらりと揺れた。
一瞬にして視界が歪む。平衡感覚を失い、気づけば、
……僕は天井付近にいた。
「しまっ……た」
身体の制御が効かない空中に投げ出された。あの時
か。脇腹への一撃、その際既に僕の血を採取
してたんだ。
自由落下に抗えずただ落ちて行く身体。真下には
クローケが高々と黒い爪を掲げている。彼は完全に
勝利を確信している。このまま僕の体が自分の爪に
"勝手に"突き刺さるのを待てばいいのだから。
人間は交通事故など、命に関わる危機に瀕した時
タキサイキア現象と呼ばれる脳の情報処理速度の
強化が起こる事があるらしい。ドクンと大きく心臓が
跳ね、時間が引き伸ばされ、視界が白黒に染まる。
この感覚、狼と戦った時にもあった。
頭がクリアになる。ダガーの声が酷く遅く、篭って
響く。
『デ……二……ス……!』
僕は、ダガーに向け考えを伝えた。
(ダガー、限界まで重くなってください。できますか)
ダガーの声は追いついてこない。だが、構わず
僕は考えを実行する。
身体を思い切り伸ばす。空中にも関わらず、
ダガーの質量は大岩の様に重く、抵抗を感じる。
腕を伸ばしきった所でダガーを手放した。
空中の巨大な質量を足場に、身体のバネで僅かに
横方向への推進力を得る。手を離したことで僕の
体は当初の落下予定地点からやや逸れた。
時間感覚が戻る。視界が色を取り戻し、床板が
高速で目の前に迫る。腕と足4点全てを使い、僕は
カエルのような姿勢でクローケの背後に着地した。
「なんだと!?」
ほぼ同時にダガーが床に突き刺さる。空中で落下物
の軌道が変わるという怪奇現象。物理法則に反した
動き。爪に刺さるはずだった身体の妙な軌道変化に
混乱したクローケは一瞬怯む。彼の足元に《滑れ》と
念じ、同時に腹這いの姿勢を活かして床を削り取る
ように鋭く足払いを放った。
完全に意識の外からの攻撃。クローケの細い身体は
摩擦の無い足を完全に払われ、姿勢を完全に崩した。
倒れ込むクローケに対し、僕は飛びかかる様に跳ねて
全体重を乗せた膝を彼の腹にめり込ませた。
「ぐがっは……!」
転倒による頭部強打と腹部への二ー・ドロップ。
大人の体とはいえ、あの細身にはかなりダメージに
なるはずだ。僕はそのまま前転しつつ、床に
くい込んだダガーを回収した。
危なかった。確実に終わったと思った。だが今
倒れているのはクローケで、立っているのは僕だ。
苦悶の表情を浮かべる彼は、転倒の際に口の中を
切ったようで、唇の端から僅かな血を流しこちらを
睨みつけていた。
「何故……いつも邪魔をされる……!しかも今回は
こんな子供に……!」
のたうち回るクローケ。苦悶だけでは無い。激しい
怒りを内包した感情が噛み締めた歯から漏れ出して
いる。丁寧だった口調はやや崩壊し、純粋な熱を帯び
ていた。
「……僕は、あなたが研究にそこまで執着する理由を
知りません。今までの話の流れで、魔法や特殊な
能力を研究し、自分のものにしようとしてきた事
は分かります。でもそれは、凡人である僕から
すれば、過剰に見えます」
彼は転移の説明をする時に言っていた。その力は、
"実に涙ぐましい研究成果"である、と。つまり何かを
研究して後天的に手に入れた、努力の賜物である事が
わかる。
「過剰!?過剰だと!?これは妥当な足掻きだ!」
呼吸が整わず、吐き捨てるように喚くクローケ。
僕は一旦ダガーを鞘に戻し、倒れている彼に視線の
高さを合わせるように膝立ちになった。
聞く必要があると思った。多分、僕も理解出来る
理由な気がした。彼の才能や能力への執着は、恐らく
僕自身が抱えるモノと根を同じくするものだ。
だが、だからといって、大事な弟や孤児を好きに
利用していいはずはない。家族として、人として、
それは当然看過できようはずもない。
「……教えてください。あなたは何が目的なのですか」
「馬鹿にしているのか!?憐れんでいるのか!?お前
のようなガキにわかるはずがない!才能豊かな環境に
身を置かざるを得なかった劣等者の苦悩など!」
……わかってしまうんだ。痛い程に。理由を詳しく
説明するには、今の僕だけでは難しいけど。
『……クローケ。お主勘違いしておるぞ』
ダガーが穏やかに語りかける。彼女はこの世界で
唯一僕の転生を理解している。前世で何があったか
までは詳しく知らなくても、僕がただの15歳で無い
ことを唯一把握している。
「勘違い……!?何を言っている?少なくともお前は
無条件の肯定、無償の愛を享受して生きてきた筈だ。
でなければ、あんな風に……!」
クローケが僕ら家族を直接目にしたのは庭での
乱戦が初めてだ。戦況と共に僕ら家族を俯瞰して
得た結論だろう。概ね間違っていない。
『詳細は控えるが、こやつは普通の人間とは根本的に
違う人生を歩んでおる。……侮るでない』
彼の漆黒の瞳が、僕の目を覗き込む。
『ただ幸福のみで生きてきた者の眼に見えるかのう?』
がくりと項垂れるクローケ。肩を震わしながら、
こう言った。
「……お前は、貴族の世界を知っているか……?」
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彼はこの能力で、女騎士セシリア、ギルド受付嬢リリア、幼女ルナ、踊り子エリスといった魅力的な女性たちと出会い、絆を深めていく。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
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