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第3章
59・器の容量
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石畳の道を通り過ぎ、地面が草と、土に変わる。
村の中でもやや離れた建物に向かう僕の足は、
先程のやり取りを経て、酷く重くなっていた。
"やめておきたまえ"。そう言った彼の理屈は、
あまりにも納得いくものであったから。
・
・
・
「やめておけ、って、それはどういう……!」
僕の必死な声を受け、レイゼーさんもフィガロも
やや顔を暗くする。ルアさんは彼らが次に何を
言うのかと視線をフィガロに刺していた。
「まず第一に、記戒躯への封入。これはだいぶ
難しい。君たちも見た通り、記戒躯は具体的な
行動や感情を令記により予め定めたものだ。当然、
人形の動きを制御する各部品も、"令記で駆動"
する様にできている。もう少し噛み砕こう。君は
腕を動かす時、何を考える?」
腕を動かす?それは、別に……えと、考える……?
「"各筋肉をどう伸縮"させるか、なんて、考えた事
あるかね? 対して、記戒躯の令記はこうだ。
"腕を上げる際は上腕二頭線を巻き上げ、上腕三頭線
を解放しろ"……このように、動作の全てに、各部品
の動き方を割り当てている」
「動作を、部品の動きに……」
改めて、人形の凄まじい技術力を知ると共に、
分かりやすく感覚の違いを突きつけられた。人間と
人形では、そもそも体を動かすための意識が違い
すぎるということか。
「紫魂石と記載晶石を接続して、その無意識動作を
令記で変換するという方法も考えられなくもないが、
それだって限界はある。記戒躯から手応え反応を
正確に紫魂石に返す事が出来なければ、自分の意思で
制御したにもかかわらず自分の身体を壊す事にも
繋がるだろう。まぁ、ここは技術的なところだ。
むしろ問題は、次以降だ」
最初の問題だけでもかなり絶望が大きいのだが、
これ以降どんなことがあるというのか。
「覚えているか? 記載晶石には、魔力を通す必要
があるということを。紫魂石は自動的に駆動分の
魔力を吸収できるが、それはあくまで紫魂石が
動く為のものだ。先程言った記載晶石との合わせ技を
実現しようとすれば……そうだな。君が常に甲斐甲斐
しく魔力を通して体を動けるようにしてやる、と
いう方法も考えられる。だが、それをできなくなれば
今の刃物に収まっている状態と、何も変わらない」
小聖堂でレイゼーさんの見せた、フリージアスの
起動。そして、記載晶石に魔力を通す必要性の説明。
ゼンマイのネジを巻き続ける必要性は、今の説明で
痛いほど理解できた。多分それは、思い描いている
未来と少し違う気はする。
トンとテーブルを指で打ち、フィガロが続ける。
「さて、ここからだ。今までは記戒躯に注ぐ事を
前提に話してきたが、もし仮に、ナマモノへの
移し替えを考えるとどうなるか。……親方。あくまで
思考実験ゆえ、神だのなんだの口は挟まないで
いただきたい」
レイゼーさんはフィガロの刺した釘に目を閉じ、
手をヒラヒラとした。ナマモノ……つまり生体と
いうことか。生き物の身体に魂を埋め込む。それは
転生時の、生命誕生の瞬間に必ず行われる事のはず。
実は人工物よりも自然な形という可能性もある。が、
フィガロの口ぶりではそうでもないのだろう。
「エルフ種のように、基礎寿命が長大な者は別と
して、我々人間の寿命は50~60年がせいぜいと
言ったところだ。異常に生きたとしても80年。
それが人間の限界だ。今のところ、ではあるが」
前世よりも平均寿命が少し短く感じる。それは
やはり環境の差だろうか。
「君の持つ紫魂石、見せてもらったところ、出土して
からゆうに数百年は経っているであろう」
「500年くらい、と聞いています」
「うむ。石そのものはもっと古そうだがね。仮に
500年の記憶を持つとして、……デニスくん。君は
それを覚えていられると思うかね?」
覚えていられるか……?それは、分からないが……
そうか。彼の言いたいことが、何となくわかって
しまった。
「記憶とは連続性と関連性が複雑に噛み合った、
非常に繊細なものだ。もし人間の脳の記憶限界が
500年未満だとした場合、記憶の欠損や変質が
考えられる。そして、記憶のどのような部分に
不備が出るかは私にも分からない。……もしかしたら、
直近の記憶と思われる、君とのやり取りが
ごっそり抜けてしまう可能性も、無くは無いのだ」
記憶の保持容量限界。言われてみれば、当たり前
の事だ。バケツの水をティーカップに移せば、その
大部分は溢れてしまう。そして記憶は、汲み直せば
いい水と違い、流れ落ちた部分も等しく重要で、
替えが効かない。
「悪いことは言わん。現状維持もひとつの選択肢だ」
フィガロは、そう締めた。
・
・
・
「おい、デニス。そんな状態で仕事出来んのか?」
とぼとぼとした足取りと地面に落ちた視線。ルア
さんが僕にかけた声に、返す言葉もない。
一通りの壁を提示した後、フィガロは空気を入れ
替えるかのように「コミィを連れてアウロラの家を
訪れるといい。彼女は常に手が足りていない」と
促した。
路銀のため仕事は必要だが、僕は壁に頭を打ち
付け、すっかり消沈していた。だがフィガロは
強引に僕らをコミィの家まで引っ張っていき、
コミィに一言、「任せた」とだけ言って、工房に戻って
しまった。
「えと……やっぱり、今日はやめときますか?」
コミィも心配そうに僕を見た。僕は布巻きのダガー
をちらりと目の端に入れる。……仮に、この村で
何も得られなかったとしても、だから諦める、とは
したくない。この後も旅を続けるなら、稼ぎは絶対に
必要だ。僕は頬をパンッと大きく1度叩き、コミィに
「いいえ、お願いします」と言った。
・
・
・
小高い位置にある村の中でも、更に高い所に位置
する小ぢんまりとした家。焦げ茶の建物が多い中、
白の木の柵で周囲を囲い、建物自体もやや明るい
色合いで構成されていた。小さな庭には1本高い木が
植わっており、まばらの芝に混じって所々背の高い
雑草と、白い花が揺れている。コミィはそのまま
敷地内に入り、木の扉をノックする。
「はーい、どなたー?」
澄んだ細い声が家の中から聞こえた。
「コミィだ。入るよ」
家主が現れる前に、コミィは扉を押し開ける。
幼馴染みで慣れている為か、やや遠慮なく見えた。
しかし、理由はそうでないことが、扉をくぐって
すぐに分かった。
「あら。珍しいわね、お客さん?」
透き通るような白い肌。細く伸びた手で長い髪を
耳にかける。彼女はベッドの上で外からの日を
受け、光に霧散してしまいそうな儚い笑顔を、
こちらに向けた。
「コミィも少し久しぶりね。ひょっとして、また
何処かに行ってたの?」
「あははは、参ったな。お恥ずかしい」
これは、手が足りてないのも当然だ。痩せた
腕や毛布の薄い盛り上がりを見ても、アウロラは
おそらくかなり長く床に伏しているのだろう。
幼馴染み4人組の最後のピースは、薄氷のように
危うげなものに見えた。
そして彼女もまた、当然ながらコミィの体質を
把握している。十数日の空白は、この村の規模を
考えれば、久しぶりと言って差し支えないと思う。
「紹介するよ。こちら、デニスさん、ルアさん、
カイルさん。3人とも旅の人だ。少しのあいだ、
ここに滞在する事になってる」
僕は軽く頭を下げる。……しかし、なんというか、
路銀を稼ぐ為とはいえ、これは、その、少しだけ、
気が引けてしまう。仕事を受け金銭を受け取るのは
当然のことなのかもしれないが、どうにも言語化
しにくい据わりの悪さを感じる。余計な気の使いすぎ
だろうか。
「あの……コミィさん、その……」
僕のモゾモゾした気持ちを伝えようと声をかける。
気まずそうな顔を見て察したのか、コミィは慌てて
フォローをしてくれた。
「あ……えっとですね。別にアウロラから直接依頼を
受ける訳じゃないですよ。彼女、色んな人が世話しに
来てくれる関係で、村の色んな困り事とかを1番
把握してるんです。それを、解決できそうな人と
繋いでくれてるんですよ。ほら、村の男性、殆ど
人形技師だから、困り事引き受けてくれる人って
あまりいないんですよね」
そうか……言ってしまえば、アウロラは依頼
掲示板と同じような立ち位置というわけか。
「あはは、本当は他の街みたいに依頼書の掲示場所が
あれば良いのだけれどね。この村、実は字を読める
人があまり多くないのよ」
「なるほど……そういう事なんですね」
彼女の柔らかな笑顔が、やや自虐的に変わる。
「それに、動けない私も役割を与えて貰ってるような
ものなの。他所から来たのであれば、少し不思議かも
しれないけど、よろしくね」
腑に落ちたが、そういうことならそうと言って
おいてほしい。……と思ったが、それがこの村の
常識なのであれば、部外者であるこちらが、何か反応
しない限り気づかないのも無理は無いか。宿が無い
ことから、旅人が頻繁に訪れる村でもないのだろう。
そして、ふとグナエさんの教えを思い出す。旅先
では信用を得て直談判をしろと。おそらく、この
アウロラに辿り着いている時点で、それはクリア
ということなのだろう。
僕はアウロラに「よろしくお願いいたします」と
言うと、彼女はにこりと笑って震える手で、サイド
テーブル上に置かれた紙束を手に取った。
……そうか、彼女は文字が扱える、と。
それならその立ち位置も納得だ。
「えっと、今来てるお話は……あなた達ができることが
分からない分からないから、いくつか候補を挙げ
ましょうか……あ、もし文字が読めるなら、直接
見てみる? 私の汚い字で良ければ」
彼女の差し出した紙束を受け取る。後ろからルア
さんとカイルも覗き込んでいるが、カイルに限っては
内容の把握というより、純粋に見慣れぬものに対する
興味でしかないだろう。一瞬で他の事に気が散って
いる。
その困り事をまとめた依頼書の束を見ていると、
胸が締め付けられる気分になった。筆圧の弱さ、
線の震え、部分的に書き直された文字……何よりも、
紙束をめくる毎に、目に見えて変化している。
……これを"下手な文字"なんて表現するアウロラの
自虐、全くもって笑えない。
「同じ依頼に3人であたっても効率が悪いな。依頼
自体は細々したもんが多い。別々に選ぶか」
ルアさんが顎に指を添えて言う。
「え、それは構いませんが……カイルは?」
「アイツが1人で仕事なんかしたら、1のお悩みが
10の大問題になっちまう。留守番させとくか、
動くとしてもアタシとだ」
うん。容易に想像ができる。そういう事ならと、
紙束をルアさんに手渡すと、彼女はパラパラ依頼
を確認し、即決した。屋根の修理依頼だそうで、
アウロラはその見出しに木炭で小さな印をつけた。
そして彼女は、ルアさんに何か紙切れを手渡す。
再度受け取った紙束で依頼を再確認していく。
出来ればあまり危険の無さそうなお困り事が良い
のだが……
やはり、薬草集めや薪割りなど、軽微な依頼は
お昼1食分と言ったところか。もう少しだけ稼げる
ものがあるといいのだが……井戸修理……厩舎の臨時
掃除係……いや、少し報酬が美味しいものがある。
出来高制とみて良さそうな書き方がされていた。
「すみません、アウロラさん。この"木の実採取"の
依頼なのですが……」
彼女は僕の指さした先を確認すると、「ああ」と
言った。
「樹の高い所に実る果実の採取ですね。それを加工
して売ってる人がいるのですが、最近足を怪我して
しまったらしく、木に登れないらしいんです」
「なるほど、売り物にする前提だから、採取数に
応じて報酬が変わるのですね」
だいたい10個で食事1食分。僕の能力と相性がいい
という訳でもないが、頑張った分だけ稼げるなら
色々とやりようがある。
「この依頼、僕が承ります」
アウロラは笑顔で依頼の横に印をつける。続いて
依頼人の家の場所と、採取場所をメモした紙を受け
取った。先程ルアさんが受け取った紙切れも、これと
同じような内容だろう。仕事現場である採取場所は、
昨晩クンシハンマス達と語り合った場所、その奥の
森であった。
「アウロラ、この花は?」
コミィが奥の部屋から、声をかけた。目を向けると
テーブルの上には、少々変わった花の束が置いて
あった。見た目的には、薔薇。深紅の花弁の根元に
やや黒色のグラデーションがかかっている。かなり
強い色合いだ。
「ああ、今朝早く、彼が置いていってくれたの。
工房に行く前だったみたいで、そのまま置いて
いっちゃったのよ。ほんと、せっかちよねぇ」
彼、という言い方。フィガロの話からすれば、
おそらくそれはビュートの事だろう。あのやや
血の気が多く見えた彼にも、彼女に花を贈るような
習慣があるのか、と、少々認識を改めた。
「生けておくよ。花瓶は?」
「いつも悪いわね、上の戸棚。あ、そこ。片足あげて」
アウロラの指示で、慣れた様子で片足を上げる
コミィ。その妙な光景を気にもせず、アウロラは
人差し指を立て、くるりと回すように振り、
ピタリと動きを止める。
コミィは上げていた足に力を入れ、グッと体重を
かけ、"宙を踏んだ"。踏み台にでも乗ったかのように
コミィは1段高い位置に立ち、戸棚の花瓶を易々と
取り上げる。段を降りたところで「ありがと」と
言うと、何事も無かったかのように、外に水を汲みに
行ってしまった。
「……今のは……?」
アウロラは頬を掻きながら、軽く笑って言う。
「地味な魔法でしょ? 空でも飛べたら良いのにね」
いや、空中に足場を作るような魔法が使えるのなら
それも可能なのでは、と、僕は短絡的に考えた。だが
アウロラは少し悲しそうに言う。
「足場作ってる間、私は動けないのよね」
あはは、と自虐的な笑いを浮かべたかと思うと、
アウロラは少し咳き込んだ。喉に何かがまとわりつく
ようなゴロゴロとした咳の後、彼女は口元を抑えて
いた右手を素早く握り、隠した。
「ごめんなさいね、お見苦しい姿見せて」
タイミング的に、僕は少し不穏なものを感じた。
ルアさんも同じ事を思ったらしく、質問する。
「アンタ、魔法が身体に障るのか?」
しかし、意外にも彼女は「いえいえ、関係ないわ」
と、それを否定した。サイドテーブルの引き出しから
小さな布を取り出し、手を拭くアウロラ。その布は
僅かに、赤く染った。
「魔法なんて関係なく、多分私は長くないの」
村の中でもやや離れた建物に向かう僕の足は、
先程のやり取りを経て、酷く重くなっていた。
"やめておきたまえ"。そう言った彼の理屈は、
あまりにも納得いくものであったから。
・
・
・
「やめておけ、って、それはどういう……!」
僕の必死な声を受け、レイゼーさんもフィガロも
やや顔を暗くする。ルアさんは彼らが次に何を
言うのかと視線をフィガロに刺していた。
「まず第一に、記戒躯への封入。これはだいぶ
難しい。君たちも見た通り、記戒躯は具体的な
行動や感情を令記により予め定めたものだ。当然、
人形の動きを制御する各部品も、"令記で駆動"
する様にできている。もう少し噛み砕こう。君は
腕を動かす時、何を考える?」
腕を動かす?それは、別に……えと、考える……?
「"各筋肉をどう伸縮"させるか、なんて、考えた事
あるかね? 対して、記戒躯の令記はこうだ。
"腕を上げる際は上腕二頭線を巻き上げ、上腕三頭線
を解放しろ"……このように、動作の全てに、各部品
の動き方を割り当てている」
「動作を、部品の動きに……」
改めて、人形の凄まじい技術力を知ると共に、
分かりやすく感覚の違いを突きつけられた。人間と
人形では、そもそも体を動かすための意識が違い
すぎるということか。
「紫魂石と記載晶石を接続して、その無意識動作を
令記で変換するという方法も考えられなくもないが、
それだって限界はある。記戒躯から手応え反応を
正確に紫魂石に返す事が出来なければ、自分の意思で
制御したにもかかわらず自分の身体を壊す事にも
繋がるだろう。まぁ、ここは技術的なところだ。
むしろ問題は、次以降だ」
最初の問題だけでもかなり絶望が大きいのだが、
これ以降どんなことがあるというのか。
「覚えているか? 記載晶石には、魔力を通す必要
があるということを。紫魂石は自動的に駆動分の
魔力を吸収できるが、それはあくまで紫魂石が
動く為のものだ。先程言った記載晶石との合わせ技を
実現しようとすれば……そうだな。君が常に甲斐甲斐
しく魔力を通して体を動けるようにしてやる、と
いう方法も考えられる。だが、それをできなくなれば
今の刃物に収まっている状態と、何も変わらない」
小聖堂でレイゼーさんの見せた、フリージアスの
起動。そして、記載晶石に魔力を通す必要性の説明。
ゼンマイのネジを巻き続ける必要性は、今の説明で
痛いほど理解できた。多分それは、思い描いている
未来と少し違う気はする。
トンとテーブルを指で打ち、フィガロが続ける。
「さて、ここからだ。今までは記戒躯に注ぐ事を
前提に話してきたが、もし仮に、ナマモノへの
移し替えを考えるとどうなるか。……親方。あくまで
思考実験ゆえ、神だのなんだの口は挟まないで
いただきたい」
レイゼーさんはフィガロの刺した釘に目を閉じ、
手をヒラヒラとした。ナマモノ……つまり生体と
いうことか。生き物の身体に魂を埋め込む。それは
転生時の、生命誕生の瞬間に必ず行われる事のはず。
実は人工物よりも自然な形という可能性もある。が、
フィガロの口ぶりではそうでもないのだろう。
「エルフ種のように、基礎寿命が長大な者は別と
して、我々人間の寿命は50~60年がせいぜいと
言ったところだ。異常に生きたとしても80年。
それが人間の限界だ。今のところ、ではあるが」
前世よりも平均寿命が少し短く感じる。それは
やはり環境の差だろうか。
「君の持つ紫魂石、見せてもらったところ、出土して
からゆうに数百年は経っているであろう」
「500年くらい、と聞いています」
「うむ。石そのものはもっと古そうだがね。仮に
500年の記憶を持つとして、……デニスくん。君は
それを覚えていられると思うかね?」
覚えていられるか……?それは、分からないが……
そうか。彼の言いたいことが、何となくわかって
しまった。
「記憶とは連続性と関連性が複雑に噛み合った、
非常に繊細なものだ。もし人間の脳の記憶限界が
500年未満だとした場合、記憶の欠損や変質が
考えられる。そして、記憶のどのような部分に
不備が出るかは私にも分からない。……もしかしたら、
直近の記憶と思われる、君とのやり取りが
ごっそり抜けてしまう可能性も、無くは無いのだ」
記憶の保持容量限界。言われてみれば、当たり前
の事だ。バケツの水をティーカップに移せば、その
大部分は溢れてしまう。そして記憶は、汲み直せば
いい水と違い、流れ落ちた部分も等しく重要で、
替えが効かない。
「悪いことは言わん。現状維持もひとつの選択肢だ」
フィガロは、そう締めた。
・
・
・
「おい、デニス。そんな状態で仕事出来んのか?」
とぼとぼとした足取りと地面に落ちた視線。ルア
さんが僕にかけた声に、返す言葉もない。
一通りの壁を提示した後、フィガロは空気を入れ
替えるかのように「コミィを連れてアウロラの家を
訪れるといい。彼女は常に手が足りていない」と
促した。
路銀のため仕事は必要だが、僕は壁に頭を打ち
付け、すっかり消沈していた。だがフィガロは
強引に僕らをコミィの家まで引っ張っていき、
コミィに一言、「任せた」とだけ言って、工房に戻って
しまった。
「えと……やっぱり、今日はやめときますか?」
コミィも心配そうに僕を見た。僕は布巻きのダガー
をちらりと目の端に入れる。……仮に、この村で
何も得られなかったとしても、だから諦める、とは
したくない。この後も旅を続けるなら、稼ぎは絶対に
必要だ。僕は頬をパンッと大きく1度叩き、コミィに
「いいえ、お願いします」と言った。
・
・
・
小高い位置にある村の中でも、更に高い所に位置
する小ぢんまりとした家。焦げ茶の建物が多い中、
白の木の柵で周囲を囲い、建物自体もやや明るい
色合いで構成されていた。小さな庭には1本高い木が
植わっており、まばらの芝に混じって所々背の高い
雑草と、白い花が揺れている。コミィはそのまま
敷地内に入り、木の扉をノックする。
「はーい、どなたー?」
澄んだ細い声が家の中から聞こえた。
「コミィだ。入るよ」
家主が現れる前に、コミィは扉を押し開ける。
幼馴染みで慣れている為か、やや遠慮なく見えた。
しかし、理由はそうでないことが、扉をくぐって
すぐに分かった。
「あら。珍しいわね、お客さん?」
透き通るような白い肌。細く伸びた手で長い髪を
耳にかける。彼女はベッドの上で外からの日を
受け、光に霧散してしまいそうな儚い笑顔を、
こちらに向けた。
「コミィも少し久しぶりね。ひょっとして、また
何処かに行ってたの?」
「あははは、参ったな。お恥ずかしい」
これは、手が足りてないのも当然だ。痩せた
腕や毛布の薄い盛り上がりを見ても、アウロラは
おそらくかなり長く床に伏しているのだろう。
幼馴染み4人組の最後のピースは、薄氷のように
危うげなものに見えた。
そして彼女もまた、当然ながらコミィの体質を
把握している。十数日の空白は、この村の規模を
考えれば、久しぶりと言って差し支えないと思う。
「紹介するよ。こちら、デニスさん、ルアさん、
カイルさん。3人とも旅の人だ。少しのあいだ、
ここに滞在する事になってる」
僕は軽く頭を下げる。……しかし、なんというか、
路銀を稼ぐ為とはいえ、これは、その、少しだけ、
気が引けてしまう。仕事を受け金銭を受け取るのは
当然のことなのかもしれないが、どうにも言語化
しにくい据わりの悪さを感じる。余計な気の使いすぎ
だろうか。
「あの……コミィさん、その……」
僕のモゾモゾした気持ちを伝えようと声をかける。
気まずそうな顔を見て察したのか、コミィは慌てて
フォローをしてくれた。
「あ……えっとですね。別にアウロラから直接依頼を
受ける訳じゃないですよ。彼女、色んな人が世話しに
来てくれる関係で、村の色んな困り事とかを1番
把握してるんです。それを、解決できそうな人と
繋いでくれてるんですよ。ほら、村の男性、殆ど
人形技師だから、困り事引き受けてくれる人って
あまりいないんですよね」
そうか……言ってしまえば、アウロラは依頼
掲示板と同じような立ち位置というわけか。
「あはは、本当は他の街みたいに依頼書の掲示場所が
あれば良いのだけれどね。この村、実は字を読める
人があまり多くないのよ」
「なるほど……そういう事なんですね」
彼女の柔らかな笑顔が、やや自虐的に変わる。
「それに、動けない私も役割を与えて貰ってるような
ものなの。他所から来たのであれば、少し不思議かも
しれないけど、よろしくね」
腑に落ちたが、そういうことならそうと言って
おいてほしい。……と思ったが、それがこの村の
常識なのであれば、部外者であるこちらが、何か反応
しない限り気づかないのも無理は無いか。宿が無い
ことから、旅人が頻繁に訪れる村でもないのだろう。
そして、ふとグナエさんの教えを思い出す。旅先
では信用を得て直談判をしろと。おそらく、この
アウロラに辿り着いている時点で、それはクリア
ということなのだろう。
僕はアウロラに「よろしくお願いいたします」と
言うと、彼女はにこりと笑って震える手で、サイド
テーブル上に置かれた紙束を手に取った。
……そうか、彼女は文字が扱える、と。
それならその立ち位置も納得だ。
「えっと、今来てるお話は……あなた達ができることが
分からない分からないから、いくつか候補を挙げ
ましょうか……あ、もし文字が読めるなら、直接
見てみる? 私の汚い字で良ければ」
彼女の差し出した紙束を受け取る。後ろからルア
さんとカイルも覗き込んでいるが、カイルに限っては
内容の把握というより、純粋に見慣れぬものに対する
興味でしかないだろう。一瞬で他の事に気が散って
いる。
その困り事をまとめた依頼書の束を見ていると、
胸が締め付けられる気分になった。筆圧の弱さ、
線の震え、部分的に書き直された文字……何よりも、
紙束をめくる毎に、目に見えて変化している。
……これを"下手な文字"なんて表現するアウロラの
自虐、全くもって笑えない。
「同じ依頼に3人であたっても効率が悪いな。依頼
自体は細々したもんが多い。別々に選ぶか」
ルアさんが顎に指を添えて言う。
「え、それは構いませんが……カイルは?」
「アイツが1人で仕事なんかしたら、1のお悩みが
10の大問題になっちまう。留守番させとくか、
動くとしてもアタシとだ」
うん。容易に想像ができる。そういう事ならと、
紙束をルアさんに手渡すと、彼女はパラパラ依頼
を確認し、即決した。屋根の修理依頼だそうで、
アウロラはその見出しに木炭で小さな印をつけた。
そして彼女は、ルアさんに何か紙切れを手渡す。
再度受け取った紙束で依頼を再確認していく。
出来ればあまり危険の無さそうなお困り事が良い
のだが……
やはり、薬草集めや薪割りなど、軽微な依頼は
お昼1食分と言ったところか。もう少しだけ稼げる
ものがあるといいのだが……井戸修理……厩舎の臨時
掃除係……いや、少し報酬が美味しいものがある。
出来高制とみて良さそうな書き方がされていた。
「すみません、アウロラさん。この"木の実採取"の
依頼なのですが……」
彼女は僕の指さした先を確認すると、「ああ」と
言った。
「樹の高い所に実る果実の採取ですね。それを加工
して売ってる人がいるのですが、最近足を怪我して
しまったらしく、木に登れないらしいんです」
「なるほど、売り物にする前提だから、採取数に
応じて報酬が変わるのですね」
だいたい10個で食事1食分。僕の能力と相性がいい
という訳でもないが、頑張った分だけ稼げるなら
色々とやりようがある。
「この依頼、僕が承ります」
アウロラは笑顔で依頼の横に印をつける。続いて
依頼人の家の場所と、採取場所をメモした紙を受け
取った。先程ルアさんが受け取った紙切れも、これと
同じような内容だろう。仕事現場である採取場所は、
昨晩クンシハンマス達と語り合った場所、その奥の
森であった。
「アウロラ、この花は?」
コミィが奥の部屋から、声をかけた。目を向けると
テーブルの上には、少々変わった花の束が置いて
あった。見た目的には、薔薇。深紅の花弁の根元に
やや黒色のグラデーションがかかっている。かなり
強い色合いだ。
「ああ、今朝早く、彼が置いていってくれたの。
工房に行く前だったみたいで、そのまま置いて
いっちゃったのよ。ほんと、せっかちよねぇ」
彼、という言い方。フィガロの話からすれば、
おそらくそれはビュートの事だろう。あのやや
血の気が多く見えた彼にも、彼女に花を贈るような
習慣があるのか、と、少々認識を改めた。
「生けておくよ。花瓶は?」
「いつも悪いわね、上の戸棚。あ、そこ。片足あげて」
アウロラの指示で、慣れた様子で片足を上げる
コミィ。その妙な光景を気にもせず、アウロラは
人差し指を立て、くるりと回すように振り、
ピタリと動きを止める。
コミィは上げていた足に力を入れ、グッと体重を
かけ、"宙を踏んだ"。踏み台にでも乗ったかのように
コミィは1段高い位置に立ち、戸棚の花瓶を易々と
取り上げる。段を降りたところで「ありがと」と
言うと、何事も無かったかのように、外に水を汲みに
行ってしまった。
「……今のは……?」
アウロラは頬を掻きながら、軽く笑って言う。
「地味な魔法でしょ? 空でも飛べたら良いのにね」
いや、空中に足場を作るような魔法が使えるのなら
それも可能なのでは、と、僕は短絡的に考えた。だが
アウロラは少し悲しそうに言う。
「足場作ってる間、私は動けないのよね」
あはは、と自虐的な笑いを浮かべたかと思うと、
アウロラは少し咳き込んだ。喉に何かがまとわりつく
ようなゴロゴロとした咳の後、彼女は口元を抑えて
いた右手を素早く握り、隠した。
「ごめんなさいね、お見苦しい姿見せて」
タイミング的に、僕は少し不穏なものを感じた。
ルアさんも同じ事を思ったらしく、質問する。
「アンタ、魔法が身体に障るのか?」
しかし、意外にも彼女は「いえいえ、関係ないわ」
と、それを否定した。サイドテーブルの引き出しから
小さな布を取り出し、手を拭くアウロラ。その布は
僅かに、赤く染った。
「魔法なんて関係なく、多分私は長くないの」
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