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第3章
60・物事はつるべ落とし
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アウロラは少し目を細め、先程コミィが出ていった
玄関に目を向けた。
「コミィも多分わかってるから、態度に出さない
ようにしてくれてるみたいなのよね」
先程目にした、隠しようのない病状。詳細までは
分からないが、喀血を伴う咳なんて軽症な筈がない。
「昔から考えれば、信じられないくらい穏やかに
なったわよ、彼」
「え……コミィさんが、ですか?」
「いけない」と言わんばかりに口元を手で隠し、
笑うアウロラ。……聞き捨てならないな、それは。
そうだとすれば、色々と話が変わってくる。水汲み
から戻ってきたコミィの顔を、僕は思わず凝視して
しまった。
・
・
・
「じゃ、気をつけて頑張ってくださいね。屋根はまだ
いいとして、森は暗くなるのが早いですから」
まだアウロラの手伝いがあるようで、家の前で手を
振り、僕らを見送るコミィ。彼のにこやかな顔に、
先程浮かんだ想像が頭をもたげる。"もしそうなら"
と"そんなはずは"が互いに制空権を争っている。
空想の世界ならいくらでも有り得る。だが、現実的
に考えれば、それはかなり低い確率でしか現れない。
そんなものを、初めから想定できるはずないだろう。
ゲームやアニメじゃないんだ。可能性は頭を過ぎって
も、すぐに自ら棄却してしまう。
アウロラの家から十分離れたところで、僕は
ダガー、ルアさん、カイルに言う。
「あの、聞いてください。……おそらくコミィさんは、
"解離性同一性障害者"です」
前世の世界の言葉をそのまま持ち出した為、ルア
さんすら「なんだそりゃ」と突っ込む。カイルは
やはりというかなんというか、首を傾げるのみだ。
多重人格。1人の人間に複数の人格が備わる、
後天的な精神疾患。コミィの場合、少し特殊な状態
でなければ成り立たない発言があったが、根拠は
今までの会話でいくつか揃っていたんだ。
通常、切り分けられてしまった人格は、切り替わる
毎に記憶を完全に分断していたり、あるいはほぼ
そのまま共有していたりする。だが彼の場合は、
それでは説明がつかないのだ。場所を移動して
しまった時、コミィは"時間の経過はなかった"と
発言していた。でもそれが勘違いなんだ。
確かに時間帯は変化していなかった。だが、日付は
変化していたんだ。この世界にはカレンダーという
分かりやすい日数把握をする為の仕組みがない。
意識を失った、数日後のほぼ同じ時間帯に、元の
人格に戻っていたと考えれば辻褄が合う。
ただしこれが可能になるのは、切り替わった人格
が、狙ったタイミングで元の人格に主導権を返せる
事が絶対条件であり、そうでなければ成り立たない。
別人格がそのコントロールを完璧にできていると
考えると、元の人格の記憶や思考を"一方的に保持
している"可能性が高い。
……まさか、前世の記憶がこんな風に役に立つ
なんて思いもしなかった。前世の父さんは確かに
医者ではあったけど、別に精神科医という訳では
なかった。単に僕の興味が、そちらに偏っていた
だけなのだが。
僕は多重人格の特徴と、現状の推測を皆にざっくり
と説明し「彼の動向に注意した方がいいかもしれない」
と伝えておいた。アウロラの話が確かなら、主人格は
"今まで僕らが会話していたコミィではない"かも
しれないのだから。
「つーか、聞いても信じらんねぇんだが……そんな事
あんのか?人格が切り替わるとか……アタシゃ今まで
そんなの見た事ねぇぞ。……理性がトンで我を忘れる
ようなヤツなら、何人かはいたがな」
「俺も知らないぞ!俺は俺だし、ししょーはししょー
で、デニスはデニスだ!」
……本人は気づいていないようだ。カイルにも、
ほんの僅かにその兆候があるのだが。彼は普段の
猪突猛進大型犬筋肉カイルの他に、過去を振り返る時
に極わずかな幼児退行の傾向があった。話し方や仕草
が少し子供のように変化する。
……ルアさんは、カイルと長く時間を共有してる
からこそ、気づかなかったのかもしれない。そして
カイルの場合、今のところ大きな問題がある訳では
無い。わざわざそれを突きつける意味は無いだろう。
・
・
・
2人と別れ、僕はメモにあった家の戸を叩き、
依頼主に事の経緯を説明した。足を添え木で固定し
杖をついた初老の男性。
司祭の治癒魔法はどうしたのかと思い、それとなく
聞いてみたが、治療は受けているとの事。ただ、身体
の治癒力を促進する治癒魔法は、本人の自然治癒力
が落ちている場合、治るまで通常より時間がかかる
と説明され、なるほどと膝を叩いてしまった。
彼から、植物を編んで拵えられた大きな背負籠を
借りる。木登りに関して大丈夫かと訊かれたので、
僕は少し考えて言った。
「もしあれば、長いロープをお借りしたいです」
・
・
・
昨晩のクンシハンマスと拳を合わせた森の入口。
昼間な為、鬱蒼とはしていないが、やや日を陰らせ
くらい印象は受ける。奥に進むと、周囲の木が格段に
高くなる。教わった特徴を持つ樹木を見つけ見上げる
と、村のどの建物よりもはるかに高い。2階建ての
レイゼー工房と比較すると……おそらくその倍はある。
「ダガー、ちょっと手伝ってください」
『縄を借りておったのう。……かかかか、なるほど、
前にもやったアレじゃな。任せておけ』
僕は自分の腰にロープを縛り、反対の末端に
ダガーをしっかりと括り付ける。短刀の重さを利用
してぶんぶんとロープを回し、遠心力を利用して
一気に上空へ放り投げた。太い枝に縄がピンと張り、
ダガーは枝付近で宙ぶらりんとなった。
ロープに対し、《滑れ》と念じる。枝に擦る部分を
接触の拒絶で保護しつつ、ダガーに言う。
「ゆっくりお願いします!」
ダガーが徐々に重くなる。枝の根元を支点として、
井戸の釣瓶のようにスルスルと僕の体が持ち上がる。
彼女が地面に着く頃には、僕ははるか上空、実が生る
高さへと吊り上げられた。
『前回は家の庭じゃったのう。今回の方が平和的じゃ』
「屍人でなく木の実が相手ですからね」
アウロラの足場魔法があれば、おそらく空中を
階段でも登るかのように目的地まで到達できたかも
しれない。だが、これが僕らのやり方だ。各々の
力を効果的に使い、背負った籠にひょいひょいと
木の実を捥いで放り込む。
そんな調子でいくつかの木を回った頃。流石に
少々疲れが出てきた。籠もだいたい満杯に近くまで
満たされている。額の汗を腕でぬぐい取り、吊られた
状態で、ふうと一息ついた時、それは起きた。
『デニス!!!』
ダガーの声に総毛立つ。神経が警戒にスイッチする
寸前、"ガッ"という不穏な音が枝に響いた。なんだ?
と思う間もなく、僕を空に留めていた命綱が1本の
矢によって切断されていた。
ダガーに見えていた? 才能の行使!? 腰の
結び目付近から断たれたロープは、無情にも落下の
風圧に揺れるのみ。地面が、猛スピードで飛んで
くる。巨大な壁に撥ねられるように、僕の身体は
為す術なく大地に打ち付けられた。
「ゥがっは……!!!」
内臓が跳ねる。脳が揺れる。痛みより先に、呼吸の
完全停止が命の危機を叫ぶ。受け身も取れず、体の
全感覚が皿を落としたように弾け割れた。目が霞む。
意識が……飛ぶ。遠くでダガーが何かを言っているが、
僕の耳には、布を詰め込んだみたいに籠ったものに
しか聞こえなかった。散らばった収穫物が映る
視覚は、その実の輪郭を暈しながら、ゆっくりと
フェードアウトしていった……
・
・
・
……誰かが僕を呼んでいる。この声は……暖かく、
力強く、そして、今にも泣き出しそうな。全身の
筋肉から放出されるような、その声は……
目が映像を捉え始めたのは、声を聞いたすぐ後
からだった。天井。工房ではない。くすんだ色の、
少し高い位置にある梁……瞼を不器用に2、3度
動かし、ようやく周囲が見えてきた。
ここは……小聖堂、か。
「デニスーー!!良かった!動いた!」
岩のように重い上半身を起こす。僕は確か、木から
落下して……それからどうなった?
周りを見ると、カイル、レイゼーさん、そして
司祭の3人。腰の鞘にはダガーも収まっていた。
聖堂の端には、もう1人、誰かいる。
「君はよく怪我をする子ですね。こんな短期間に3度
も同じ人に魔法を施したのは、これが初めてです」
落ち着いた司祭の声が響く。
「……何が、あったんでしょうか」
窓の外が暗い。完全に日が暮れている。何者かの
矢を受けてから、既にかなり時間が経過していると
みえる。それは、心配に歪んだカイルの顔を見ても
明らかだろう。
「実はな……君が寝ている間、色々あった。まずは
君の身に起きたことだ。木から落ちたか。全身を
強く打っていたようだ内外共に治癒魔法は施して
もらった。痛みは残っているだろうが、命に別状は
ないだろう」
レイゼーさんがゆっくりと話し始めた。単純に
木から落ちた、という事になっていたが、あれは
不注意による事故とは言い難い。
「君の帰りが遅いのでな。儂やフィガロ、それと
ルア君やカイル君で探しに工房を出た。だが、暗く
なった森の中で、君を発見する事は出来なかった」
発見できなかった……? ならどうやって、僕は
ここに? 奥で腕を組んでいた誰かが、目深に被って
いたフードをズラす。太い腕に生え揃った体毛。
長いマズル。彼は……
「クンシ……ハンマス……」
居づらそうに端で壁に背を預けていた理由が、
説明もなく理解できた。
「入レ違イダッた。倒レテイルオ前を見ツけ、人間に
渡ソウと、匂イを頼リに、ヒトツの巣を当タッた」
巣? 建物……工房か? でも、そんな匂いで
わかるものなのだろうか。
「巣の外に、オ前の口と同ジ匂イがアッタノデな」
また口臭……? すごく嫌だ。が、ここで察した。
今朝、フィガロが吐き出した、泡。ハリヤタの樹液。
「我々が森の中で散らばった木の実を見つけ、君の姿
が見えないので、一旦工房に戻ろうと決めた。そこで
彼と会ったのだよ」
……大体の流れはわかった。おそらく、目立たぬ
よう、クンシハンマスにフード付きローブを工房で
貸したのだろう。……だが、おかしい。回り始めた
頭が、そう言っている。
「……なぜ僕は今、工房でなく小聖堂にいるので
しょうか。それと、フィガロさんとルアさんは
どこですか?」
昨日は工房に司祭を呼び御足労頂いた。なら、
何故今回はこちらに運び込まれたのか。連日で
申し訳なかったから? それも分からなくもないが、
フィガロならそんな事に拘らなそうだ。ダガーは
何も喋らない。レイゼーには既に知られているのに
発言しない理由……それは、司祭が"通る人間"だから
だろう。
「それがな……我々が工房を空けている間に、誰かが
中を荒らした。今、フィガロが現場を見ている」
荒らされた……!? どういう事だ? 村で1番の
弱小と自他共に認めていたはずのレイゼー工房を?
一体なぜ、誰が? レイゼーさんはなおも続ける。
「フリージアスも、部分的に壊されてしまってな。
話す為の機構をやられた。ルア君は……ひとりで
どこかに行ってしまった。そうそう、デニス君に
伝言を残していった」
ルアさん……ひょっとして。
「"アイツを探す"、そう言えば伝わる、と聞いている」
なるほど。さすがルアさんだ。状況を整理すれば
彼女がそう言うのはわかる。
レイゼーさん達は散らばった木の実を見つけた。
と言うことは、ルアさんであれば気づいたはずだ。
遥か上、枝に刺さった矢の存在、あるいは、その
痕跡に。村人が無差別に何者かに襲われている
わけではない。なら明確に僕を狙ったと考えられる。
僕があの時、森にいると知っていた人物。
ルアさんやカイルは除外すると、足を怪我している
依頼主、ベッドから動けないアウロラ、そして、
……コミィ。可能性が高いのは、彼だ。
彼の別人格という推測が出た直後にこれだ。なんて
間の悪い。僕らは彼の隠された人格について何も
知らない。性格、思考、目的。それらが何を基準に
動くのか想定が全くできない。だからこそルアさんは
"アイツを探す"、と言ったのだろう。とっ捕まえて、
洗い浚い聞いてやる、と。
まだ痛みの残る頭を振り、無理やり考えを
巡らせる。考える前に、まずは状況の整理だ。
僕を襲った理由は、工房に侵入する為、人払いを
したかったと考えられる。レイゼー工房は弱小だが、
村の中ではかなり背徳に寄っても看過される性質を
持っている。僕を狙撃したと思われるコミィが
工房を荒らした?いや、それは考えにくい。彼なら
普通に玄関から入って、何気なく工房内を彷徨い
たって問題なかったはずだ。
普通には入りにくい人物が、レイゼー工房の何かを
欲していた? それを阻止しようとしたフリージアス
が破壊された? ……どうなってるんだ、この村は。
頭の中で絡む糸に悩んでいると、フィガロとルア
さんがほとんど同時に小聖堂へ入ってきた。蝋燭の
照らし出した2人の表情は、共にやや暗い。
「おう、デニス。起きたか」
ルアさんが真っ先に言う。僕の横の長椅子にどかり
と腰を下ろすと、機嫌悪そうに呟いた。
「……見つかんねぇ。案の定、姿を消しやがった」
これは、コミィの事であっているだろうか。ガサツ
に髪を搔くルアさん。苛立ちを隠しもしない。
「侮った。ヒョロガリだから見つけてとっ捕まえる
なんて簡単だと思ったんだがよ」
ヒョロガリ……間違いなさそうだ。コミィが姿を
消したというのは、この件に関わっていると本人が
言っているようなものだろう。
「親方。間違いないです」
フィガロが猫背で妙な鍵を摘み、揺らしている。
「保管庫、やられてました。目的はアレでしょう」
レイゼーさんの顔が、明らかに青ざめた。
玄関に目を向けた。
「コミィも多分わかってるから、態度に出さない
ようにしてくれてるみたいなのよね」
先程目にした、隠しようのない病状。詳細までは
分からないが、喀血を伴う咳なんて軽症な筈がない。
「昔から考えれば、信じられないくらい穏やかに
なったわよ、彼」
「え……コミィさんが、ですか?」
「いけない」と言わんばかりに口元を手で隠し、
笑うアウロラ。……聞き捨てならないな、それは。
そうだとすれば、色々と話が変わってくる。水汲み
から戻ってきたコミィの顔を、僕は思わず凝視して
しまった。
・
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「じゃ、気をつけて頑張ってくださいね。屋根はまだ
いいとして、森は暗くなるのが早いですから」
まだアウロラの手伝いがあるようで、家の前で手を
振り、僕らを見送るコミィ。彼のにこやかな顔に、
先程浮かんだ想像が頭をもたげる。"もしそうなら"
と"そんなはずは"が互いに制空権を争っている。
空想の世界ならいくらでも有り得る。だが、現実的
に考えれば、それはかなり低い確率でしか現れない。
そんなものを、初めから想定できるはずないだろう。
ゲームやアニメじゃないんだ。可能性は頭を過ぎって
も、すぐに自ら棄却してしまう。
アウロラの家から十分離れたところで、僕は
ダガー、ルアさん、カイルに言う。
「あの、聞いてください。……おそらくコミィさんは、
"解離性同一性障害者"です」
前世の世界の言葉をそのまま持ち出した為、ルア
さんすら「なんだそりゃ」と突っ込む。カイルは
やはりというかなんというか、首を傾げるのみだ。
多重人格。1人の人間に複数の人格が備わる、
後天的な精神疾患。コミィの場合、少し特殊な状態
でなければ成り立たない発言があったが、根拠は
今までの会話でいくつか揃っていたんだ。
通常、切り分けられてしまった人格は、切り替わる
毎に記憶を完全に分断していたり、あるいはほぼ
そのまま共有していたりする。だが彼の場合は、
それでは説明がつかないのだ。場所を移動して
しまった時、コミィは"時間の経過はなかった"と
発言していた。でもそれが勘違いなんだ。
確かに時間帯は変化していなかった。だが、日付は
変化していたんだ。この世界にはカレンダーという
分かりやすい日数把握をする為の仕組みがない。
意識を失った、数日後のほぼ同じ時間帯に、元の
人格に戻っていたと考えれば辻褄が合う。
ただしこれが可能になるのは、切り替わった人格
が、狙ったタイミングで元の人格に主導権を返せる
事が絶対条件であり、そうでなければ成り立たない。
別人格がそのコントロールを完璧にできていると
考えると、元の人格の記憶や思考を"一方的に保持
している"可能性が高い。
……まさか、前世の記憶がこんな風に役に立つ
なんて思いもしなかった。前世の父さんは確かに
医者ではあったけど、別に精神科医という訳では
なかった。単に僕の興味が、そちらに偏っていた
だけなのだが。
僕は多重人格の特徴と、現状の推測を皆にざっくり
と説明し「彼の動向に注意した方がいいかもしれない」
と伝えておいた。アウロラの話が確かなら、主人格は
"今まで僕らが会話していたコミィではない"かも
しれないのだから。
「つーか、聞いても信じらんねぇんだが……そんな事
あんのか?人格が切り替わるとか……アタシゃ今まで
そんなの見た事ねぇぞ。……理性がトンで我を忘れる
ようなヤツなら、何人かはいたがな」
「俺も知らないぞ!俺は俺だし、ししょーはししょー
で、デニスはデニスだ!」
……本人は気づいていないようだ。カイルにも、
ほんの僅かにその兆候があるのだが。彼は普段の
猪突猛進大型犬筋肉カイルの他に、過去を振り返る時
に極わずかな幼児退行の傾向があった。話し方や仕草
が少し子供のように変化する。
……ルアさんは、カイルと長く時間を共有してる
からこそ、気づかなかったのかもしれない。そして
カイルの場合、今のところ大きな問題がある訳では
無い。わざわざそれを突きつける意味は無いだろう。
・
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・
2人と別れ、僕はメモにあった家の戸を叩き、
依頼主に事の経緯を説明した。足を添え木で固定し
杖をついた初老の男性。
司祭の治癒魔法はどうしたのかと思い、それとなく
聞いてみたが、治療は受けているとの事。ただ、身体
の治癒力を促進する治癒魔法は、本人の自然治癒力
が落ちている場合、治るまで通常より時間がかかる
と説明され、なるほどと膝を叩いてしまった。
彼から、植物を編んで拵えられた大きな背負籠を
借りる。木登りに関して大丈夫かと訊かれたので、
僕は少し考えて言った。
「もしあれば、長いロープをお借りしたいです」
・
・
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昨晩のクンシハンマスと拳を合わせた森の入口。
昼間な為、鬱蒼とはしていないが、やや日を陰らせ
くらい印象は受ける。奥に進むと、周囲の木が格段に
高くなる。教わった特徴を持つ樹木を見つけ見上げる
と、村のどの建物よりもはるかに高い。2階建ての
レイゼー工房と比較すると……おそらくその倍はある。
「ダガー、ちょっと手伝ってください」
『縄を借りておったのう。……かかかか、なるほど、
前にもやったアレじゃな。任せておけ』
僕は自分の腰にロープを縛り、反対の末端に
ダガーをしっかりと括り付ける。短刀の重さを利用
してぶんぶんとロープを回し、遠心力を利用して
一気に上空へ放り投げた。太い枝に縄がピンと張り、
ダガーは枝付近で宙ぶらりんとなった。
ロープに対し、《滑れ》と念じる。枝に擦る部分を
接触の拒絶で保護しつつ、ダガーに言う。
「ゆっくりお願いします!」
ダガーが徐々に重くなる。枝の根元を支点として、
井戸の釣瓶のようにスルスルと僕の体が持ち上がる。
彼女が地面に着く頃には、僕ははるか上空、実が生る
高さへと吊り上げられた。
『前回は家の庭じゃったのう。今回の方が平和的じゃ』
「屍人でなく木の実が相手ですからね」
アウロラの足場魔法があれば、おそらく空中を
階段でも登るかのように目的地まで到達できたかも
しれない。だが、これが僕らのやり方だ。各々の
力を効果的に使い、背負った籠にひょいひょいと
木の実を捥いで放り込む。
そんな調子でいくつかの木を回った頃。流石に
少々疲れが出てきた。籠もだいたい満杯に近くまで
満たされている。額の汗を腕でぬぐい取り、吊られた
状態で、ふうと一息ついた時、それは起きた。
『デニス!!!』
ダガーの声に総毛立つ。神経が警戒にスイッチする
寸前、"ガッ"という不穏な音が枝に響いた。なんだ?
と思う間もなく、僕を空に留めていた命綱が1本の
矢によって切断されていた。
ダガーに見えていた? 才能の行使!? 腰の
結び目付近から断たれたロープは、無情にも落下の
風圧に揺れるのみ。地面が、猛スピードで飛んで
くる。巨大な壁に撥ねられるように、僕の身体は
為す術なく大地に打ち付けられた。
「ゥがっは……!!!」
内臓が跳ねる。脳が揺れる。痛みより先に、呼吸の
完全停止が命の危機を叫ぶ。受け身も取れず、体の
全感覚が皿を落としたように弾け割れた。目が霞む。
意識が……飛ぶ。遠くでダガーが何かを言っているが、
僕の耳には、布を詰め込んだみたいに籠ったものに
しか聞こえなかった。散らばった収穫物が映る
視覚は、その実の輪郭を暈しながら、ゆっくりと
フェードアウトしていった……
・
・
・
……誰かが僕を呼んでいる。この声は……暖かく、
力強く、そして、今にも泣き出しそうな。全身の
筋肉から放出されるような、その声は……
目が映像を捉え始めたのは、声を聞いたすぐ後
からだった。天井。工房ではない。くすんだ色の、
少し高い位置にある梁……瞼を不器用に2、3度
動かし、ようやく周囲が見えてきた。
ここは……小聖堂、か。
「デニスーー!!良かった!動いた!」
岩のように重い上半身を起こす。僕は確か、木から
落下して……それからどうなった?
周りを見ると、カイル、レイゼーさん、そして
司祭の3人。腰の鞘にはダガーも収まっていた。
聖堂の端には、もう1人、誰かいる。
「君はよく怪我をする子ですね。こんな短期間に3度
も同じ人に魔法を施したのは、これが初めてです」
落ち着いた司祭の声が響く。
「……何が、あったんでしょうか」
窓の外が暗い。完全に日が暮れている。何者かの
矢を受けてから、既にかなり時間が経過していると
みえる。それは、心配に歪んだカイルの顔を見ても
明らかだろう。
「実はな……君が寝ている間、色々あった。まずは
君の身に起きたことだ。木から落ちたか。全身を
強く打っていたようだ内外共に治癒魔法は施して
もらった。痛みは残っているだろうが、命に別状は
ないだろう」
レイゼーさんがゆっくりと話し始めた。単純に
木から落ちた、という事になっていたが、あれは
不注意による事故とは言い難い。
「君の帰りが遅いのでな。儂やフィガロ、それと
ルア君やカイル君で探しに工房を出た。だが、暗く
なった森の中で、君を発見する事は出来なかった」
発見できなかった……? ならどうやって、僕は
ここに? 奥で腕を組んでいた誰かが、目深に被って
いたフードをズラす。太い腕に生え揃った体毛。
長いマズル。彼は……
「クンシ……ハンマス……」
居づらそうに端で壁に背を預けていた理由が、
説明もなく理解できた。
「入レ違イダッた。倒レテイルオ前を見ツけ、人間に
渡ソウと、匂イを頼リに、ヒトツの巣を当タッた」
巣? 建物……工房か? でも、そんな匂いで
わかるものなのだろうか。
「巣の外に、オ前の口と同ジ匂イがアッタノデな」
また口臭……? すごく嫌だ。が、ここで察した。
今朝、フィガロが吐き出した、泡。ハリヤタの樹液。
「我々が森の中で散らばった木の実を見つけ、君の姿
が見えないので、一旦工房に戻ろうと決めた。そこで
彼と会ったのだよ」
……大体の流れはわかった。おそらく、目立たぬ
よう、クンシハンマスにフード付きローブを工房で
貸したのだろう。……だが、おかしい。回り始めた
頭が、そう言っている。
「……なぜ僕は今、工房でなく小聖堂にいるので
しょうか。それと、フィガロさんとルアさんは
どこですか?」
昨日は工房に司祭を呼び御足労頂いた。なら、
何故今回はこちらに運び込まれたのか。連日で
申し訳なかったから? それも分からなくもないが、
フィガロならそんな事に拘らなそうだ。ダガーは
何も喋らない。レイゼーには既に知られているのに
発言しない理由……それは、司祭が"通る人間"だから
だろう。
「それがな……我々が工房を空けている間に、誰かが
中を荒らした。今、フィガロが現場を見ている」
荒らされた……!? どういう事だ? 村で1番の
弱小と自他共に認めていたはずのレイゼー工房を?
一体なぜ、誰が? レイゼーさんはなおも続ける。
「フリージアスも、部分的に壊されてしまってな。
話す為の機構をやられた。ルア君は……ひとりで
どこかに行ってしまった。そうそう、デニス君に
伝言を残していった」
ルアさん……ひょっとして。
「"アイツを探す"、そう言えば伝わる、と聞いている」
なるほど。さすがルアさんだ。状況を整理すれば
彼女がそう言うのはわかる。
レイゼーさん達は散らばった木の実を見つけた。
と言うことは、ルアさんであれば気づいたはずだ。
遥か上、枝に刺さった矢の存在、あるいは、その
痕跡に。村人が無差別に何者かに襲われている
わけではない。なら明確に僕を狙ったと考えられる。
僕があの時、森にいると知っていた人物。
ルアさんやカイルは除外すると、足を怪我している
依頼主、ベッドから動けないアウロラ、そして、
……コミィ。可能性が高いのは、彼だ。
彼の別人格という推測が出た直後にこれだ。なんて
間の悪い。僕らは彼の隠された人格について何も
知らない。性格、思考、目的。それらが何を基準に
動くのか想定が全くできない。だからこそルアさんは
"アイツを探す"、と言ったのだろう。とっ捕まえて、
洗い浚い聞いてやる、と。
まだ痛みの残る頭を振り、無理やり考えを
巡らせる。考える前に、まずは状況の整理だ。
僕を襲った理由は、工房に侵入する為、人払いを
したかったと考えられる。レイゼー工房は弱小だが、
村の中ではかなり背徳に寄っても看過される性質を
持っている。僕を狙撃したと思われるコミィが
工房を荒らした?いや、それは考えにくい。彼なら
普通に玄関から入って、何気なく工房内を彷徨い
たって問題なかったはずだ。
普通には入りにくい人物が、レイゼー工房の何かを
欲していた? それを阻止しようとしたフリージアス
が破壊された? ……どうなってるんだ、この村は。
頭の中で絡む糸に悩んでいると、フィガロとルア
さんがほとんど同時に小聖堂へ入ってきた。蝋燭の
照らし出した2人の表情は、共にやや暗い。
「おう、デニス。起きたか」
ルアさんが真っ先に言う。僕の横の長椅子にどかり
と腰を下ろすと、機嫌悪そうに呟いた。
「……見つかんねぇ。案の定、姿を消しやがった」
これは、コミィの事であっているだろうか。ガサツ
に髪を搔くルアさん。苛立ちを隠しもしない。
「侮った。ヒョロガリだから見つけてとっ捕まえる
なんて簡単だと思ったんだがよ」
ヒョロガリ……間違いなさそうだ。コミィが姿を
消したというのは、この件に関わっていると本人が
言っているようなものだろう。
「親方。間違いないです」
フィガロが猫背で妙な鍵を摘み、揺らしている。
「保管庫、やられてました。目的はアレでしょう」
レイゼーさんの顔が、明らかに青ざめた。
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弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
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そんな関係のあたしたち。
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【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
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断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
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断罪まで、あと10分。
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