Miss.Terry 〜長久手亜矢の回想録〜

真昼間イル

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背徳の歌姫

No.2 歌姫の好物

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「これ、三輪さんの車ですか?」
駐車場の精算機近くに止まる車をテリーが指さした。
黒塗りのセダンだった。

「そうだ」
三輪は上着を脱いだ。

「では、ボクはあっちなので」
テリーは戻る方向を指さした。

「おぅ!また落ち着いたら飯でも食いに行こう。食べたい物、考えといてな」
三輪は電子タバコの煙を吐き出した。

「はい!ありがとうございます!」
テリーは余計にお腹が空いた。

三輪は車のドアに手を掛けると、思い出したかのように振り返った。
「今朝のような窃盗事件だが、ここ1ヶ月ですでに10件目に達している。かなりのハイペースだ」

「発生地域から見ても同一犯、もしくは複数人での犯行の可能性もあり得る。理恵も十分注意してくれ」
三輪は助手席に上着を投げ入れ、車に乗り込むと走り去っていった。

電子タバコの匂いと、少しだけ排気ガスの匂いが漂った。

テリーが車が見えなくなるまでたたずんでいると、雨が降り始めてきた。

「今日の天気予報は当たりか‥‥」
バッグから折り畳み傘を取り出し、テリーは目についた定食屋に入っていった。

‥‥
‥‥‥

食事を終えたテリーは、止む気配のない雨の中、学校に登校した。
『個性と秩序』を教育理念に掲げる私立汐見高校だ。
雨の日でも身体を動かせるよう、屋内の運動設備は充実している。
校内は賑やかな昼休み時間を迎えていた。
テリーは教室に入ると席に座り、バッグから本を取り出そうとした。

「おー、長久手さん。今日は社長出勤ですか?」
夏菜子が机の群れをかき分け、すり寄って来た。

テリーは今朝の事件を夏菜子に伝えた。
「この辺りも物騒になってるみたいだ。夏菜子も毎日遅くまで遊んでないで、早目に帰った方がいいよ」

「そんな遊び人じゃないよ、あたしゃ」
夏菜子は口を尖らせ、テリーの説教に釘をさした。

「ん?その雑誌‥‥表紙の人‥」
テリーは夏菜子が持っていた雑誌に興味を示した。

「これ?そりゃあ、この歳にもなれば雑誌の一つや二つくらい持ってるよ」
夏菜子は持っていた雑誌をテリーに渡した。

テリーはパラパラと雑誌をめくり、ある特集ページで手を止めた。
「奇跡の歌声‥‥アリーナを突き破る‥‥」

「へー‥‥意外!『eimy』に興味でもあるの??」
夏菜子はテリーの背後にまわり込んだ。

「『eimy』‥‥今朝の女の人だ」

「え!?今朝の人って‥‥『eimy』が被害者だったの!?」
夏菜子はテリーの横顔を凝視した。

「そうだと思う、お医者さんも『eimy』って言ってた。確か、名前は藤城エミリだったかな‥‥」

「へー!!それ本名なのかな?藤城エミリかー。素敵な名前だねー!」
夏菜子は両手を合わせて天井を見上げたが、すぐ目の輝きが陰りを見せた。

「今週、大きいフェスイベントがあるんだけど、出れるのかな?活動休止したと思ったら再開したりするアーティストだから、心配だなー‥‥‥‥」

(リハーサルってその事か‥‥)
テリーは携帯でフェスについて調べ始めた。

「これの事?『パラレルロック in 青坂pallet』」
テリーは夏菜子に携帯画面を見せた。

「そうそう!実は私も参戦予定でーす!」

「え?夏菜子歌えるの?」

「うぉーーい‥‥観に行くって意味だよ。『eimy』観られないようだったら、テンション下がっちゃうなぁー‥‥」
夏菜子は溜息をついた。

「多分、お医者さんも軽症だろうって言ってたし、大丈夫だと思うよ。そんなに『eimy』良いなら、ボクも聴いてみようかな」
テリーは手早く雑誌のページをめくり、速読をしていた。大まかな情報を頭に入れる時、よく使う手だ。

「良いねー!これ新曲なんだけど聴いてみてー!気に入ったなら1曲アプリでプレゼントするよ!」
夏菜子は携帯にヘッドホンを付け、テリーに渡した。

チャカチャカチャ‥‥♪
小気味良いリズムと電子音を主張したテーマが耳に残る。何よりもボーカルが良い。
ボーカルがうねるようにミックスがされていた。

「『eimy』って一人だよね?何か数人で歌ってるみたいに聴こえる」
テリーはヘッドホンを外すと夏菜子に返した。

「一人だけど、声とか重ねてるんじゃないの?
わかんないけど、カッコよければ何でもいいよ!」
夏菜子は歯を見せて笑った。短い前髪が彼女の幼さを際立たせていた。

‥‥キーンコーンカーンコーン‥‥
授業開始のチャイムが鳴った。
「はい、みんな席について~授業始めますよー」

先生が教室に入ってくると、夏菜子はくるくる回りながら自分の席に戻った。

テリーは雑誌に写っている『eimy』を見つめていた。

‥‥
‥‥‥

テリーは放課後、黒須病院へ向かった。
タケシのお見舞いの為だった。
住宅街の外れ、隣町との境目に位置する黒須病院は今日も多くの人が訪れていた。

病室へ向かう途中のエスカレーターで東堂とママさんに出くわした。タケシの両親だ。
「理恵ちゃん、来てくれたのね!そうだ、これ食べてみて?近所に新しくパン屋さんができたのー!」
ママさんは丁寧にラッピングされたパンをくれた。

「ありがとう理恵、タケシも喜ぶと思う」
東堂はテリーの肩を優しく叩いた。

三人で病室へ入ると、タケシは眠っていた。
北村医師が病室に入ってきた。
「先程、タケシ君は新薬の投与を終えた所です。副作用で眠気が出ます。しばらく眠らせてあげましょう」

北村に待合スペースへ案内され、東堂夫妻はタケシの体調について報告を受けた。
テリーが聞く限りでも、順調に治療は進んでいるように聞こえた。

「すみません、この後バイトがありますので、これをタケシに渡してくれますか?」
それは東堂館で行われた最後の親善試合の日、演武でテリーが身につけていた『えんじ色のハチマキ』だった。

「お見舞いに来ても、毎回渡しそびれちゃって‥」

東堂はテリーからハチマキを受け取った。

「タケシのやつ、もう理恵に貸したの忘れてるんじゃないか?」
「いくらタケシでも、あなたほど物忘れはしません!」
東堂の言葉にママさんが反応した。まだを根に持っているようだ。

東堂夫妻はタケシの寝顔を見に、病室へ向かった。

「北村さん、今朝の‥‥エミリさんはもう帰られましたか?」
テリーはバッグを肩に掛け直した。

「藤城エミリさんですね?目立つ外傷も無ければ、検査でも異常は見つかりませんでした。ちょっと前に事務所の方とお帰りになられましたよ。‥‥ただ‥‥‥」

「ただ‥‥‥?何か気になる点でも?」
真剣に考える北村医師の顔が凛々しく見えた。
テリーは少しだけ北村を見直した。

「うちの看護師で『eimy』のファンがいまして、彼女から聞いた話ですが‥‥」
北村は周りに人がいないのを確認すると話を続けた。

「看護師が気を利かせて、エミリさんの昼食メニューに『黒田屋』というお店のフルーツサンドを追加したそうです。そのお店のフルーツサンドは『eimy』の大好物のようです」

「ひょっとして、このパン屋さんですか?」
テリーはカヨからもらったパンを北村に見せた。パンの包装には『黒田屋』と書かれていた。

「おー!よく買えましたね。開店前から行列が出来るお店のようですよ。‥‥‥ただ、彼女は牛乳だけを飲んで、他のメニューには手をつけなかったんです。フルーツサンドね」

「看護師も後々思い出したようですが、牛乳は『eimy』が嫌いな飲み物らしいです。もしかして、どこか具合が悪かったのかと思いまして‥‥‥」
北村は眉を八の字にして話した。

(体調は悪いけど、無理して栄養価の高い牛乳だけは飲んでおいた‥‥リハーサルに備えてか?)
テリーは今朝のエミリの様子を思い出そうとした。

「まぁ、何か問題あれば連絡が来るでしょう」
北村は本当に笑顔が下手だった。

テリーは何か心の中で引っ掛かるものを感じながらも、その日は帰宅した。
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