上 下
12 / 35
背徳の歌姫

No.2 歌姫の好物

しおりを挟む

「これ、三輪さんの車ですか?」
駐車場の精算機近くに止まる車をテリーが指さした。
黒塗りのセダンだった。

「そうだ」
三輪は上着を脱いだ。

「では、ボクはあっちなので」
テリーは戻る方向を指さした。

「おぅ!また落ち着いたら飯でも食いに行こう。食べたい物、考えといてな」
三輪は電子タバコの煙を吐き出した。

「はい!ありがとうございます!」
テリーは余計にお腹が空いた。

三輪は車のドアに手を掛けると、思い出したかのように振り返った。
「今朝のような窃盗事件だが、ここ1ヶ月ですでに10件目に達している。かなりのハイペースだ」

「発生地域から見ても同一犯、もしくは複数人での犯行の可能性もあり得る。理恵も十分注意してくれ」
三輪は助手席に上着を投げ入れ、車に乗り込むと走り去っていった。

電子タバコの匂いと、少しだけ排気ガスの匂いが漂った。

テリーが車が見えなくなるまでたたずんでいると、雨が降り始めてきた。

「今日の天気予報は当たりか‥‥」
バッグから折り畳み傘を取り出し、テリーは目についた定食屋に入っていった。

‥‥
‥‥‥

食事を終えたテリーは、止む気配のない雨の中、学校に登校した。
『個性と秩序』を教育理念に掲げる私立汐見高校だ。
雨の日でも身体を動かせるよう、屋内の運動設備は充実している。
校内は賑やかな昼休み時間を迎えていた。
テリーは教室に入ると席に座り、バッグから本を取り出そうとした。

「おー、長久手さん。今日は社長出勤ですか?」
夏菜子が机の群れをかき分け、すり寄って来た。

テリーは今朝の事件を夏菜子に伝えた。
「この辺りも物騒になってるみたいだ。夏菜子も毎日遅くまで遊んでないで、早目に帰った方がいいよ」

「そんな遊び人じゃないよ、あたしゃ」
夏菜子は口を尖らせ、テリーの説教に釘をさした。

「ん?その雑誌‥‥表紙の人‥」
テリーは夏菜子が持っていた雑誌に興味を示した。

「これ?そりゃあ、この歳にもなれば雑誌の一つや二つくらい持ってるよ」
夏菜子は持っていた雑誌をテリーに渡した。

テリーはパラパラと雑誌をめくり、ある特集ページで手を止めた。
「奇跡の歌声‥‥アリーナを突き破る‥‥」

「へー‥‥意外!『eimy』に興味でもあるの??」
夏菜子はテリーの背後にまわり込んだ。

「『eimy』‥‥今朝の女の人だ」

「え!?今朝の人って‥‥『eimy』が被害者だったの!?」
夏菜子はテリーの横顔を凝視した。

「そうだと思う、お医者さんも『eimy』って言ってた。確か、名前は藤城エミリだったかな‥‥」

「へー!!それ本名なのかな?藤城エミリかー。素敵な名前だねー!」
夏菜子は両手を合わせて天井を見上げたが、すぐ目の輝きが陰りを見せた。

「今週、大きいフェスイベントがあるんだけど、出れるのかな?活動休止したと思ったら再開したりするアーティストだから、心配だなー‥‥‥‥」

(リハーサルってその事か‥‥)
テリーは携帯でフェスについて調べ始めた。

「これの事?『パラレルロック in 青坂pallet』」
テリーは夏菜子に携帯画面を見せた。

「そうそう!実は私も参戦予定でーす!」

「え?夏菜子歌えるの?」

「うぉーーい‥‥観に行くって意味だよ。『eimy』観られないようだったら、テンション下がっちゃうなぁー‥‥」
夏菜子は溜息をついた。

「多分、お医者さんも軽症だろうって言ってたし、大丈夫だと思うよ。そんなに『eimy』良いなら、ボクも聴いてみようかな」
テリーは手早く雑誌のページをめくり、速読をしていた。大まかな情報を頭に入れる時、よく使う手だ。

「良いねー!これ新曲なんだけど聴いてみてー!気に入ったなら1曲アプリでプレゼントするよ!」
夏菜子は携帯にヘッドホンを付け、テリーに渡した。

チャカチャカチャ‥‥♪
小気味良いリズムと電子音を主張したテーマが耳に残る。何よりもボーカルが良い。
ボーカルがうねるようにミックスがされていた。

「『eimy』って一人だよね?何か数人で歌ってるみたいに聴こえる」
テリーはヘッドホンを外すと夏菜子に返した。

「一人だけど、声とか重ねてるんじゃないの?
わかんないけど、カッコよければ何でもいいよ!」
夏菜子は歯を見せて笑った。短い前髪が彼女の幼さを際立たせていた。

‥‥キーンコーンカーンコーン‥‥
授業開始のチャイムが鳴った。
「はい、みんな席について~授業始めますよー」

先生が教室に入ってくると、夏菜子はくるくる回りながら自分の席に戻った。

テリーは雑誌に写っている『eimy』を見つめていた。

‥‥
‥‥‥

テリーは放課後、黒須病院へ向かった。
タケシのお見舞いの為だった。
住宅街の外れ、隣町との境目に位置する黒須病院は今日も多くの人が訪れていた。

病室へ向かう途中のエスカレーターで東堂とママさんに出くわした。タケシの両親だ。
「理恵ちゃん、来てくれたのね!そうだ、これ食べてみて?近所に新しくパン屋さんができたのー!」
ママさんは丁寧にラッピングされたパンをくれた。

「ありがとう理恵、タケシも喜ぶと思う」
東堂はテリーの肩を優しく叩いた。

三人で病室へ入ると、タケシは眠っていた。
北村医師が病室に入ってきた。
「先程、タケシ君は新薬の投与を終えた所です。副作用で眠気が出ます。しばらく眠らせてあげましょう」

北村に待合スペースへ案内され、東堂夫妻はタケシの体調について報告を受けた。
テリーが聞く限りでも、順調に治療は進んでいるように聞こえた。

「すみません、この後バイトがありますので、これをタケシに渡してくれますか?」
それは東堂館で行われた最後の親善試合の日、演武でテリーが身につけていた『えんじ色のハチマキ』だった。

「お見舞いに来ても、毎回渡しそびれちゃって‥」

東堂はテリーからハチマキを受け取った。

「タケシのやつ、もう理恵に貸したの忘れてるんじゃないか?」
「いくらタケシでも、あなたほど物忘れはしません!」
東堂の言葉にママさんが反応した。まだを根に持っているようだ。

東堂夫妻はタケシの寝顔を見に、病室へ向かった。

「北村さん、今朝の‥‥エミリさんはもう帰られましたか?」
テリーはバッグを肩に掛け直した。

「藤城エミリさんですね?目立つ外傷も無ければ、検査でも異常は見つかりませんでした。ちょっと前に事務所の方とお帰りになられましたよ。‥‥ただ‥‥‥」

「ただ‥‥‥?何か気になる点でも?」
真剣に考える北村医師の顔が凛々しく見えた。
テリーは少しだけ北村を見直した。

「うちの看護師で『eimy』のファンがいまして、彼女から聞いた話ですが‥‥」
北村は周りに人がいないのを確認すると話を続けた。

「看護師が気を利かせて、エミリさんの昼食メニューに『黒田屋』というお店のフルーツサンドを追加したそうです。そのお店のフルーツサンドは『eimy』の大好物のようです」

「ひょっとして、このパン屋さんですか?」
テリーはカヨからもらったパンを北村に見せた。パンの包装には『黒田屋』と書かれていた。

「おー!よく買えましたね。開店前から行列が出来るお店のようですよ。‥‥‥ただ、彼女は牛乳だけを飲んで、他のメニューには手をつけなかったんです。フルーツサンドね」

「看護師も後々思い出したようですが、牛乳は『eimy』が嫌いな飲み物らしいです。もしかして、どこか具合が悪かったのかと思いまして‥‥‥」
北村は眉を八の字にして話した。

(体調は悪いけど、無理して栄養価の高い牛乳だけは飲んでおいた‥‥リハーサルに備えてか?)
テリーは今朝のエミリの様子を思い出そうとした。

「まぁ、何か問題あれば連絡が来るでしょう」
北村は本当に笑顔が下手だった。

テリーは何か心の中で引っ掛かるものを感じながらも、その日は帰宅した。
しおりを挟む

処理中です...