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存在理由は運命

No.5 予期せぬ再会

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タクシー会社へ連絡を終えると、暗知は小さく溜息をついた。暗知の視線の先には、キングファイルを片付けているテリーがいた。
「ボクはペイストリーに狙われてるんですね」

暗知は少し首を傾げた。
「それは、少しニュアンスが違うな。理恵ちゃんは奴らに見つかってはいけないんだ。なぜなら理恵ちゃんはソフィアとシベイリア共和国にいる事になっているからね」

「え?それは一体‥‥‥」

「10年前、ソフィアは理恵ちゃんを連れてシベイリア共和国に入った事になっている。我々は理恵ちゃんを守るというより、んだ」
そう言うと暗知は断片的に顛末を語った。

10年前、ソフィアとテリーが空港を発つ日、保安検査場でボヤ騒ぎが起きた。
荷物検査の列に並ぶテリーの背後から、いきなり煙が立ち上がったのだ。

煙を吸ったテリーは眠気でその場に倒れ込んでしまい、空港内の医務室に運ばれた。
しばらくしてテリーは保安検査場に戻ってきたが、それはテリーではなく、米国が用意した諜報員候補の女の子だった。

事前に医務室で待機していた彼女はとして、テリーと入れ替わった。
全て竜司主導の元、実行された身代わり作戦だった。

その子の名は『ミリアム』という。
米国カリフォルニア州にある孤児院の出だ。
共和国に渡った後、ソフィアがスパイの教養を全て教え込み、今では優秀な諜報員になっているようだ。

テリーが空港の医務室で目を覚ました時、既にソフィアは出国しており、竜司から今回の出国はソフィアだけになったと伝えられた。

テリーと竜司は空港を後にすると、その足で東堂の道場へ連れて行かれ、その日の夜からアヤが待つマンションへ入居する事になった。

マンションを立ち去る前、竜司はテリーと約束をした。《今後、直接連絡は取らないようにする事》
それが父と交わした《約束》で、この日を最後に竜司とは会っていない。

次の日、暗知がテリーの元を訪れ、父は米国へ出国した事を知る。
テリーは一日にして家族と離れ離れになった。
幼い彼女にとって、急激な環境変化は心を閉じてしまうきっかけになったのだった。

「当時7歳の諜報員を用意するなんて‥‥‥なぜボクを行かせてくれなかったんですか?」

暗知は口にチャックをする素振りを見せた。

「これをの質問にします」
テリーはピースサインをすると、拳を握った。

暗知は頷くと口を開いた。
「資料に書かれていたから知っていると思うけど、シベイリア共和国は労働党によって統治されている」

「労働党と、今は新党があるんですよね?」

「それはまだだね。労働党内の民主派は昨今頻発している民主化運動を追風に新しい国作りをしようとしている。現在、国家元首:バルトは病に伏しているというが、実はもう死去しているのではないか、という噂もある」

「労働党の保守派だが、民主派が党員としてソフィアをシベイリアに迎えることを認める代わりに、実娘を保守派の監視下に置くことを条件とした。でも、それは理恵ちゃんの身の危険を意味する」

米国で留学経験のあるソフィアを信用していない労働党保守派の人間がいた。
ソフィアの素性が発覚した場合、実娘にも身の危険がある。その為、をソフィアの娘として出国させたのだ。

「だからボクは両親にも会えず、存在を隠して生きていかないといけないのか‥‥」
テリーは溜息をつくと黄金色の髪を触った。
父と《約束》した、《髪を染めるということ》も一種のカモフラージュだったと理解した。

暗知は眉間にシワを寄せ、傷ついたフローリングを見つめた。
「秘密を知れば、理恵ちゃんが悲しむのは目に見えていた」

「それと事務所の移転は関係してるんですか?」
テリーは目を擦ると暗知を見上げた。

「話は後ほど、この事務所の鍵は返してもらうよ?」
暗知は携帯電話を取り出すと、電話に出た。
タクシーが来たようだ。

‥‥‥‥
‥‥‥

暗知を先頭に旧事務所を出ると周囲を警戒しながら、二人はタクシーに乗り込んだ。
「この事務所は既に監視されてると思われる。急遽引っ越したのはそのせいさ」

「それはペイストリーにですか?」
テリーは小声で暗知に尋ねた。

「うん、ビルの壁に変なマーキングがされていた。eimyの一件で、後をつけられたこともある」
暗知も声のトーンを抑えた。

「お客様~国道沿い真っ直ぐで良いですか~??」
男性のドライバーが猫撫で声で尋ねてくると、暗知は一つ返事で了承した。

タクシーは黒田屋の向かい側にあるスーパーマーケットを目指していた。
暗知お気に入りのインスタントコーヒーを買う為だ。

「はい暗知です。え?もう乗ってますが‥‥‥」
暗知は電話を切ると、何かを悟った。

「~~♪」
ドライバーは陽気に口笛を吹き始めると、黒田屋の方向とは違う方へハンドルを切った。

「ちょっと、運転手さん!どこへ行く気ですか!」
テリーは身を乗り出すと、タクシーの料金メーターが動いていないのに気がついた。

タクシーが急加速すると、テリーは後部座席に埋まるように押し戻された。
「やられた、彼はタクシードライバーではない」
暗知はシートベルトを付けた。

「自己紹介がまだでした~。私は『チュロス』と言います。本名ではないですよ~」
男は後部座席が見えるようにルームミラーの位置を手直しした。

「あなたですか?事務所のビルに変なマーキングをした人は」
暗知はテリーにシートベルトをするようジェスチャーをした。

「気付いてたんですね~!あと盗聴器もです~」
ドーナツは肩を揺らして笑っていた。

テリーには彼が純日本人に見えた。
刈り上げられたツーブロックヘアーは一昔前のサラリーマンのようで、黒スーツから伸びた細長い手が車のシフトレバーを撫でていた。

「あなたが我々の事を嗅ぎ回っているのは知っています~そろそろお互いの事を知っても良い頃でしょ~」
チュロスは語尾のイントネーションを上げ下げする話し方が特徴的だった。

「あなたがペイストリーですか、どこに連れて行こうが、すぐに警察が来ますよ」
テリーは携帯電話の追跡アプリを起動させ、三輪にメールを送ろうとした。アプリを使えば、三輪はテリーがどこにいるのかを端末で確認できる。

「どうぞどうぞ、初めに言っておきますが私はあなた方の敵ではありませんよ~」
チュロスは口を尖らせ、おどけて見せた。

「それならタクシーと偽って、誘拐まがいの事をする必要はないでしょう」
暗知は眼鏡を押さえた。

「ボスに会えば分かりますよ~」
タクシーが高速インターチェンジを入るとチュロスはアクセルを踏み込んだ。
途端にチュロスは口をつぐみ、無駄な言葉を発しなくなった。

‥‥‥‥
‥‥‥

30分程走っただろうか、タクシーは地下駐車場へ進入し、車寄せで停車した。
「降りて頂いて結構です~、すぐ係の者が参りますので~」
そう言うと、チュロスはタクシーを発進させた。

「ここは‥‥‥」
テリーは暗知と車から降りると、スーミア社の菱形◆を象ったロゴマークを目にした。
現在地はスーミア日本支社の地下駐車場だと、すぐに理解した。

スモーク加工が施された正面玄関の自動ドアが開くとカーリーヘアーの女性が姿を現した。
「ようこそ、スーミア日本支社へ」
黒スーツに身を包んだアヤだった。

「アヤちゃん!?」
テリーの大声が地下駐車場内にこだました。

「理恵がいるのは想定外だった、驚かせてごめん」

「そういうことか‥‥‥」
暗知はジャケットの内ポケットに引っ掛けていた『黒いペン』を取り出した。
今朝、暗知がアヤに新居の鍵を渡す際にアヤからプレゼントされた物だ。
黒光りするペンはチュロスが製作した盗聴器内蔵のペンだった。

暗知の動きを知るアヤは、暗知の携帯番号をチュロスに伝え、待ち伏せさせていた。
暗知がタクシーを呼ぶと、アヤはチュロスに知らせた。チュロスは自らをタクシー会社と偽り、暗知に電話を掛け、2人を搭乗させた。

「アヤちゃんは、ペイストリーの仲間なの‥‥‥?」
テリーはアヤに近づき手を取った。

「まぁ、そういう事!ここでのあたしはマカロンよ」
アヤは自分のコードネームを告げると、テリーの手を優しく振り解き、自動ドア横の小扉をカードキーで開錠した。

「こちらへどうぞ」
小扉に入ると、すぐ小型のエレベーターが現れた。

テリーと暗知はエレベーターに乗るとマカロンはエレベーターの昇降ボタンを押した。
ボタンを見る限り地下2階と24階だけで、直通エレベーターのようだった。

「さっき、あのチュロスって人が言ってたけど。アヤちゃんは敵じゃないんだよね?」
テリーは操作ボタンの前に立つアヤに尋ねた。

「スーミア日本社でのあたしの名は『マカロン』だよ。理恵の敵じゃないし、ボスに会えばわかるよ」
24階に到着すると、マカロンは先にエレベーターを降りると、後に続くようにと無言で手振りをした。

「どういう事態なのかさっぱりだ」
暗知はそう呟くと、マカロンの後に続いた。

24階は屋外テラスと大小の会議室があるようだ。
一番奥に支社長室があった。
コンコン--   マカロンは支社長室をノックし、ドアを開けた。
「失礼します、お連れいたしました」

「ようこそ!2人とも、久しぶり‥‥‥でもないか」
聴き覚えのある声と、見た事のあるシルエットにテリーと暗知はよろめいた。

テカテカのオールバックヘアとビシッとスーツを着こなした男。
二人は『近藤二郎』の姿を目にした。
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