スー・ロウは早く眠りたい

山神まつり

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スー・ロウは早く眠りたい

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「スー・ロウ、仕事だ。今夜の8時に―――」

おぎゃあおぎゃあおぎゃあ

「あージエン、ちょっと待ってくれミルクの時間だ」

スー・ロウはソファーから立ち上がると、簡易キッチンへ向かった。小さな薬缶に水を注ぐとコンロに掛ける。その間に下の棚から粉ミルクを取り出した。

相変わらず大音量の泣き声が響いている。強面のジエンと呼ばれた男のこめかみに筋が入り込んだ。

「スー・ロウ!泣き声がうるさくて仕事の依頼が出来ないぞ!どうにかしろ!」

「だから今どうにかしようとしてるんじゃねぇか。ジエン、今手が空いてるんだろ?レイレイをあやしてくれ」

「お、俺が?無理に決まってるだろ!」

「将来奥さんを貰って子供が出来た時にそんなことでも言ったら奥さんすぐに子供を連れて出ていっちまうぞ。今から練習練習」

スー・ロウに言われ、ジエンは渋々と部屋の隅に置かれた小さなベビーベッドに近づいた。

「はーい、泣いちゃ駄目でちゅよー今、ミルク出来まちゅからねー」

髭面で強面のジエンが余程怖かったのか、レイレイは目に大粒の涙を溜めて更に大声で泣きだした。

「ジエンが赤ちゃん言葉しゃべっていやがる」

「スー・ロウ!泣き止まないぞ!」

「そんなの、抱っこしてあやしてやらなきゃ」

ジエンは恐る恐るレイレイを抱っこし、何とか揺らしているようだった。

スー・ロウは大きな欠伸をしながらミルクを作る。ミルクを飲んだらゲップをさせて寝かせる。そうしたらすぐにおしめが濡れたとかでまた泣き始めるだろう。

世の中の母親はこんな生産性のない作業を休みなく延々とこなしているのだ。もう、尊敬を通り越して神様じゃないかと思う。

ミルクを人肌に冷まし、レイレイに飲ませる。美味しそうにコクコクと飲んでいる。

産まれて数カ月はこんなミルクだけで赤ん坊は育つのだから本当に不思議だ。

ジエンは少しレイレイをあやしただけなのに憔悴しきっていた。

「―――と、いうわけだ。頼んだぞ、スー・ロウ」



数か月前、スー・ロウはある依頼を受けて西街の大手企業の幹部のリュウ一族の殲滅を行っていた。リュウ一族が東街の力ある家に大きな損害を与えたとか理由は分からないが、スー・ロウはただ命令を遂行しただけだった。

女だろうが子供だろうが老人だろうがすべて殺せという命だった。

スー・ロウは別に快楽殺人者というわけではない。組織の中にはそういった奴もいるだろうが、スー・ロウはただ信じられるものは金だけであると信じてやまなかった。

金さえあれば、生きていける。

金さえあれば、自分は捨てられることはなかった。

スー・ロウは仕事を終わらせた後、その場で一本煙草を吹かす。鎮魂の儀式のようなものだ。

その日も煙草を吸おうとライターをジャケットのポケットから取り出した。火をつけようとした時、どこからかか細い泣き声のような声が聞こえてきた。

どうやら生者が残っていたようだ。

スー・ロウは銃を取り出し、あたりを練り歩いた。転がる死体を足でどかしながら進むと、胸から血を流した女性の傍におくるみで包まれた赤ん坊が転がっていた。

母だったのだろうか。

スー・ロウは完璧主義だった。仕事でも生活でもしっかりとやり遂げることをポリシーにしている。妥協は許されない。

赤ん坊は泣き叫んでいる。お腹が減ったのか唇を尖らせて何かを吸う仕草をしている。

赤ん坊の眉間に銃口を向ける。あとは引き金を引くだけだ。

だが、スー・ロウは珍しく逡巡する。そして、小さい頃、いつの間にか街中で一人ぼっちになり泣いている自分の姿が投影された。

そんな果てしなく昔のこと、すっかり忘れ切っていたのに。

気づくと、スー・ロウはおくるみを胸に抱いてその場を後にしていた。あとの片づけは組織のものがやってくれるだろう。そして、死体の数に違いがあることに気付き、スー・ロウを疑うだろう。

その前に、組織から抜けよう。ボスは許してくれないだろうが、フリーのスタイルでこの仕事を続けさせてもらえるよう直談判してみるしかない。

この赤ん坊を育てていくには、金が要る。この仕事を辞めるわけにはいかない。

その日から、スー・ロウは赤ん坊を育てるため、育児と殺し屋を両立していくことになる。



「ニーハオ、スーさん!」

うとうとと寸暇を惜しんで微睡んでいた時に、闖入者が大きすぎる音と共に入場した。

となると、もちろんのこと大きな音に反応して折角眠りについたレイレイも覚醒する。

おぎゃあー

「……ちょっ、サガミ、おまえふざけんなよ」

よろよろと重たい体を起こし、スー・ロウは目の前の涼しい顔でこちらを見やる男を睨みつけた。

サガミは二ホンというアジアの国から来た武器屋だ。たまにこうして注文のものを届けてくれる。

「へぇ、噂には聞いていたけど本当に赤ん坊を育ててるんだね。どうしたのさ、スーさん、ユンファのことを忘れたの?」

ユンファの名前にスー・ロウはぴくりとこめかみを震わせる。

「……やだなぁ、そんなに睨まないでよ。子供を拾って育てて、裏切られるのは分かってるんだからさ、もうそんな酔狂なことはしないと思ってたよ」

「―――俺にも、よく分からねぇよ。気づいたら、拾ってきてた」

「スーさんさ、人間を犬猫みたいなもんだと思ってない?そう簡単なもんじゃないよ?」

「……うるせえよ。サガミ、用件をさっさと済ませろ。こっちは三日まともに寝てねぇんだ」

「あ、ごめんごめん。前に言われてたスコーピオンとグロッグ、予備弾、あといくらかの投げナイフね。投げナイフなんて珍しいね。最近は暗器とか使わなかったのに」

「―――風の噂で、西街にユンファがついたらしい」

サガミはひゅっと息を飲んだ。

「なーるほど、かつての師弟対決か」

「あっちはどう思っていたか、知らねぇけどな」

おぎゃあおぎゃあ

レイレイの泣き声はさらに大きくなってくる。流石にサガミは耳に指を突っ込んで目をしかめている。

「でも、この赤ん坊仕事の時はどうしてんの?」

「連れていってる」

「えーマジで?流れ弾とか当たったらどうすんのさ」

「問題ねぇ」

スー・ロウは壁側を指さした。そこにはぼろぼろの抱っこ紐と銀色のレインコートのようなものがぶら下がっている。

「ジエンに用意させた。会長の孫に使っていた抱っこ紐のお古と、防弾防刃用のコートだ。これでレイレイに被害は及ばないってこと」

「はぁ……組織を抜けたってのに、会長さんは相変わらずスーさんに甘いね」



レイレイはスー・ロウの背中ですやすやと寝息を立てている。

結局、サガミが帰った後もレイレイの癇癪は止まず、寝不足のまま仕事に向かっている。

因みにレイレイというのは、小さい頃、一人ぼっちでうろうろしていた時に助けてくれた家の娘の名前だ。どこの家の人間も薄汚い子供であるスー・ロウを追い払っていたのに、レイレイやレイレイの両親はスー・ロウを温かく迎え入れてくれた。

だけど、そんな幸せは長く続かず、街を襲った賊にレイレイの両親は殺され、レイレイは攫われた。俺は家の中の水甕の中に息を殺して隠れていたため助かった。

それから組織に拾われ、殺し屋の技術を叩きこまれて育った。

レイレイは今はどうしているだろうか、と考える日々もあったが、いつのまにかそんなことを考えることもなくなった。

考えることをすれば、そこに隙がうまれ、簡単に命を奪われてしまうからだ。

スー・ロウは考えることを止めた。常に感覚だけを研ぎ澄ませて、生きてきた。

今夜の仕事は西街のある政治家の幹部の家だ。東街の情報を流したと言われている。大した根拠もないのに、元組織は怪しい芽があれば早めに潰す。

東街と西街は昔からずっと抗争を続けている。小さな村が消えれば、相手側の村も消える。そんな無意味なことをずっと続けている。

上の考えがどうあるかなど、スー・ロウは興味がない。

むしろ、レイレイのような親無しの子供があぶれていることは、スー・ロウにとっては好都合ともいえる。

平和が訪れてしまえば、スー・ロウの仕事がなくなってしまうし、存在意義も消えてしまう。だから、双方の街が一生仲たがいをしていればいいと思う。

自分のようなみじめで悲しい思いをする子供がこれからずっと生まれようとも。

だだっ広い塀をぐるりと旋回し、スー・ロウは正門まで移動した。

正門には夜陰に紛れ、殺気を隠しているものの嗅ぎなれた血の臭いが漂っていた。

「―――ズーランか?」

「ご無沙汰しています、スー・ロウ」

闇から抜け出てきたように、小さなサングラスを掛け、背中まで黒髪をたなびかせた男が現れた。ズーランはスー・ロウの前まで来ると、すっと頭を下げた。

「僭越ながら、今夜は私を共にしてくださいませ」

「他の人材は寄こさなかったのか?」

スー・ロウはため息交じりにそう言うと、ズーランはかっと目を開き、その場に崩れた。

「ああ、愛しきスー・ロウに拒まれても、蔑みの目を向けられても、貴方と共に使命を全うできるだけで至上の幸福―――」

「あああもう分かったから。あまり喧しくすると支障が出るだろ」

えっくえっく

会話の音量が思いの外大きかったのか、背中のレイレイが少しぐずり始めた。

「あ、やばい。レイレイが本格的にぐずりだす前にやるぞ」

「その赤子は、まさか、スー・ロウの御子……!?」

「ちげぇよ。会長から聞いてねぇか?組織を抜ける元になった原因」

ズーランは小さく頷いた。

「それなりな制裁は覚悟していたけどな。こうして、また組織の恩恵を受けながら仕事をさせてもらえてるのは、感謝しかねぇよ」

スー・ロウはカチャと銃を構えた。ズーランは腰元からすらっとサーベルを取り出した。

「さっさと済まそうか」



事前に西街に情報が漏れていたのか、邸宅には数十人規模の殺し屋部隊がすでに配置されていた。これを想定し、会長はサーベルの使い手にして組織ナンバー2の強さを持つズーランを寄こしたのだろう。

ただ、スー・ロウへの尊敬の念が度を越していて、扱いに困るのが玉に瑕だ。

ズーランがサーベルで敵を薙ぎ払い道を作る、その隙にスー・ロウが後方から銃で攻めていくという流れだ。

ズーランは長い髪を馬油で念入りにトリートメントをしていることから、髪が傷ついたり汚れたりすると手に負えなくなる。ならば、結べばいいのにとも思うが、そこは本人の譲れない美徳があるらしい。

相手の人数が把握しきれない。姿の見えない二階からも銃弾が降り注いでくる。ジエンに用意してもらった防弾防刃のコートは頑丈だが重さがあり、いつものように俊敏に動けないのがデメリットだ。だが、スー・ロウの背中に雨のように降り注ぐ弾丸はレイレイに当たってはいないようだ。

レイレイ本人は、そのカンコンと音が鳴るのが楽しいのか、こんな危なげな状況の中きゃっきゃと声を上げている。

「機嫌が良いようなら、ありがてぇけどよ―――!」

20代の若い頃と違って、やはり動きにキレはなくなってきている。それに、睡眠不足も相まって、視界がぐらぐらと揺れている。

仕事も、急な訪問者も多すぎるのだ。

「これが終わったら、がっつり寝かせてもらうからな」

標的に銃口を向けた途端、肩に焼けるような痛みが走った。

弾が飛んできた方向を見やると、二階に赤い髪の少年が銃口を向けてこちらを睨みつけている。

スー・ロウはレイレイが無事でいることを確認すると、そのまま二階へ向けて銃を撃った。

赤い髪の少年は軽快に弾を避けると、そのまま一階へとジャンプした。

「スー・ロウ!大丈夫ですか?」

「俺は大丈夫だ。肩をちょっとやられただけだ、問題ない」

ズーランは戸惑いながらもそのまま頷き、仕事を続行した。スー・ロウは怪我をした時のために両利きでも撃てるように訓練している。

そのため、逆の左で銃を構えた。

一階から降りてきた少年は、銃を仕舞い、峨嵋刺(がびし)を向けながらゆっくりとこちらに向かってくる。

「―――久しぶりだな、ユンファ。腕、上げたじゃねぇか。気配に気づけなかった」

「耄碌したな、スー・ロウ。こんなの、昔のあんただったら避けられたはずだ」

そこにはかつて自分の子供のように育て上げたユンファが立っていた。



今から10年ほど前、珍しく雪がちらついた凍えそうに寒い夜。

その時は西街と特に関係性が悪化しており、毎日のようにあらゆるところで抗争が起こっていた。

その日は西街の小さな村の鎮圧で、何でそんなところとは思っていたが、会長の意図はあまり考えず無心で言われた仕事をこなすだけだった。

スー・ロウは前の仕事の片づけで現場に駆け付けたのが遅くなり、現場に着いた時にはあちこちに死体が転がっていたり、家が燃やされていたりしていた。

仕事とはいえ、何度見ても胸糞が悪い光景だ。

だけど、小さい頃に会長に拾ってもらい、育て上げてもらった恩に報いるよう全うしなければならない。感傷的になることは、一番仕事をする上で足枷になるものだ。

微々たるその感情を打ち払うように、スー・ロウは銃を片手に村の中を疾走した。

ある家の中に入ると、すでに男性と女性、その隣に小さな女の子がすでに死体となり転がっていた。

だが、こういう時にスー・ロウの長年の勘は冴えている。

台所の脇に置かれた大きな水瓶、かつてスー・ロウも息を殺して隠れていた場所。そこから微かな息遣いが感じられた。

このまま、見過ごしてもいい。その方が、スー・ロウのように生き延びるだろう。

だけど、それは自分のような人間がもう一人生まれるということだ。

それは、隠れている人間の将来のためにはならないのではないか。一人で荒野を生き延びるのは辛く厳しい。はっきり言って地獄を見る。そんな人生を、歩ませていいのだろうか。

そんな逡巡が生まれた一瞬、水瓶から勢いよく赤いものが飛び出した。

スー・ロウは懐から峨嵋刺を取り出し、繰り出されたナイフを受け止めた。赤いものは少年の髪色で、荒い息を吐きながらスー・ロウを睨みつけている。

咄嗟に、反撃してくる少年の芯の強さに感服した。5歳から6歳くらいだろうか、台所にあったらしい刃の細い包丁で切りかかってきたようだ。

この歳で、この屈することない強さ。

「―――おまえらみんな、殺してやる!」

「いいね、殺しに来い、相手してやる」

少年は粗いものの、臆することなくスー・ロウに立ち向かってくる。太刀打ちできるものでもないが、その執念にスー・ロウは思うところがあった。

「なあ、おまえ、名前は何ていう?」

「殺人者のおまえに言うことなんてない!」

「俺が、おまえを立派な殺し屋に育ててやるよ。俺のところに来い」

スー・ロウの提案に、少年は一瞬怯んだものの返事をすることなく更に立ち向かってきた。腕が痺れてきたのか段々と振るう速度が落ちてきた。いつしか、少年は膝をつき、無言でスー・ロウを睨み上げた。

「―――早く、殺せ!」

悔しそうに唇を噛みしめている。口の端に血が滲んでいることを厭わない少年に、ますますスー・ロウはある欲望が湧き上がってきた。

「気に入った、絶対おまえは俺を超える存在になる。だから、殺さねぇよ」

スー・ロウは少年に当て身をし、気絶させると肩に担いで現場を後にした。

目が覚めた少年は見覚えのない場所とスー・ロウにしばらく暴れたが、カップ麺を食べさせると目を丸くし黙り込んで食べていた。

少年は小さな声でユンファと名乗った。

スー・ロウはユンファと暮らす中でいつ寝首をかかれても仕方ないと思いながら過ごしていた。ただ、それは自分の技術をユンファに伝えきってからにして欲しいと思っていた。一人前になれば、会長がユンファを一殺し屋として重宝してくれる。

自分がいなくなっても、一人で生きていける。

そんなスー・ロウの心配することもなく、ユンファは黙って技術を磨いた。そして、いつしかスー・ロウを超えるほどの暗器使いになった。

そして、10年が経った頃、ユンファはスー・ロウにも何も告げずに組織を抜け、自分の生まれ育った西街についた。



ユンファと対峙しながら肩の傷はうずいていた。

レイレイをおぶっているのもあるが、肩に重みが加わると気が遠くなりそうだった。

「―――また、俺のように西の子供を拾って、殺し屋に育て上げるのか」

どこか悔しそうに呟くユンファに、一瞬、スー・ロウの集中が切れた。

その時、左の脇腹にも痛みが走った。

一気に熱が帯びて、激痛が走る。だけど、倒れてはいられない。

ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには愉悦を交えた表情のズーランが立っていた。

「……ズーラン、おまえ」

「申し訳ありません、スー・ロウ。これも会長の命なのです。ああ、でも、スー・ロウをこの手で殺すことが出来るなんて、至上の幸福……!」

恍惚な表情を浮かべ、ズーランはサーベルを抜き取ると、そのまま再度貫こうと構えた。

「―――スー・ロウ!」

ユンファがスー・ロウの脇を通り抜け、ズーランに切りかかった。

「その子を連れて、早くここを出ろ!」

「―――ユンファ」

「スー・ロウ、約束しろ。その子を、俺みたいな人間に育て上げないことを!」

「あなた、スー・ロウが育てたという御子ですね……ああ、羨ましい。私も、スー・ロウと共に過ごしたかったのに、その権利を独り占めするなんて。ああ、憎らしい憎らしい。あなたを先に殺しましょう!」

ユンファとズーランが激しい剣戟を繰り広げる中、スー・ロウは朦朧とした意識の中、足を引きずりながら出口へと向かった。

スー・ロウは泥のように眠った。

文字通り、ぐっすりと深く眠り込んでいた。

今まで眠れなかった分を取り戻すかのように。周りの音を気にすることもなく。

周りの音―――?

かっと勢いよく瞼を開くと、きゃっきゃっと楽しそうな赤ん坊の声がする。

「―――レイレイ!」

スー・ロウは上体を起こすと、肩と脇腹の痛みに悶絶し、そのままくの形に沈み込んだ。

「―――安心しろ、スー・ロウ。レイレイはこの通りとっても元気だ」

「その声は……ジエンか?」

目を細めながら前方を見やるも、視界が朦朧としている。

「三日間も微動だにせずに眠り込んでいたよ。傷のこともそうだけどよ、仕事と育児でほとんど睡眠がとれていなかっただろう。睡眠がとれなきゃ、仕事のパフォーマンスも悪いだろうしな」

「ジエンが、レイレイの世話をしてくれたのか……?」

あんなに赤ん坊の世話に慣れていなかった男が、スー・ロウが眠っていた三日間も代わりにこなしていてくれたということだろうか。

「信じられないだろ?まぁ、組織の女性たちに色々と訊きながらやったんだよ」

組織、の言葉にスー・ロウは体に力が入るのを感じた。

「ジエン、俺は、会長から消されようとしていたんだ。ズーランにそう命じてた」

「ああ、大体はユンファから聞いてる」

「ユンファから?どういうことだ?」

「スー・ロウ、ユンファはおまえを裏切ったわけじゃない。むしろ、会長がおまえを殺そうとしていることを知って、おまえを助けるために西についたんだ。西の組織側についていれば、東の組織の動きも分かるだろう。東にいたままの方が、情報は隠蔽されて不利だと考えたんだ。スー・ロウが負傷したことも、ユンファから連絡を受けて、俺がここまで連れてきた」

「そう、だったのか……」

スー・ロウは上体に不格好に巻かれた包帯を見下ろした。

「ジエン、ズーランも一発目から狙えたはずなのに急所を外したんだよ。会長の命は絶対なはずなのに」

ジエンはわからん、といったように首をすくめた。

「時間を掛けておまえをいたぶりたかっただけなのかもしれないし、憧憬の念が行き過ぎて手元が狂っただけなのかもしれないし、あいつのことは情報屋の俺でもよく分からん。とりあえず、今精のつくものを作ってやるから待ってろ」

「ありがとな、ジエンマーマ」

「―――やめろ」

ふと、ベビーベットを見やるとレイレイの小さな手が見える。まだ汚れを知らない純白の小さな拳、俺は組織の規則を二度も破って二人の子供を引き取った。一人は一人で生きていけるよう、スー・ロウを凌げるほどの技術を身に着けた。もう一人は、どのような人生を歩んでいくのだろうか。

ろくに教育を受けていない愛情も注がれていないスー・ロウが与えられるものは、ただ人を殺す技術だけだ。

『スー・ロウ、約束しろ。その子を、俺みたいな人間に育て上げないことを!』

ユンファは苦しそうにそう叫んでいた。

スー・ロウの育て方は、間違っていたのだろうか。でも、間違っていたのならば、やり直せばいい。人は間違えるものだ。だけど、何度もやり直せる。

ユンファとの約束を守るために、レイレイには人を殺す技術は教えない。この西街との抗争も、いずれきっと終わる時が来る。その時には、もう人を殺す技術は必要としないだろう。

その後には、そう、悪いことや良いことを識別できる能力―――教育が必要になってくるはずだ。スー・ロウはその類を持ち合わせていないので、きちんと教育を学べる機関へレイレイを通わせたい。

人並みの幸せというものは分からないが、スー・ロウは模索しながら、レイレイを悲しませたりしないよう育てていこうと思う。

そこまで考えた時に、猛烈な眠気に襲われた。

ジエンのご飯を食べる前にどうやら眠ってしまいそうだ。

目を閉じると、夢の中に小さい頃のスー・ロウとユンファと少し成長したレイレイが輪になって一緒に遊んでいた。そんな穏やかな日々があったら面白かったのに、と思いながらどこか物悲しくなった。



一カ月以上養生し、スー・ロウは大分動けるようになった。

ジエンが仕事の合間に様子を見に来てくれたり、現状を聞いたサガミまでが武器ではなく食べ物やおむつなども配達してくれるようになった。

レイレイはベビーベットの中でご機嫌だ。最近はまとめて寝てくれることも増えて、スー・ロウの寝不足は大分改善された。

そして、今日は仕事復帰の初日だ。レイレイは最近スー・ロウ以上に懐きつつあるジエンに預けることにした。

「レイレイ、行ってくるな」

分かっているのか、レイレイは手のひらをグーパーしながらこちらを見ている。いってらっしゃい、という意思表示だとスー・ロウは思うことにした。

東街を駆ける。

向かう場所は一つ、東街の組織の本部だ。

自分を育て、引導を渡そうとした会長に一発食らわせてやらないと気が済まない。

そして、仕事が終わった暁には西街の組織にいってユンファを返してもらおう。

本部の入口につくと、組織に名を連ねる殺し屋たちがすでにスー・ロウを待ち構えていた。

サーベルを腰に差すズーランも立っている。

スー・ロウはサガミから大量に届けてもらった武器の中から銃を取り出して構えた。

「さあてと、リベンジマッチと行きますか―――」
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