ヒロイン系彼氏

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少女漫画的な駆け引き

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 ぼくは……女装した男と二人で、夕暮れの町を並んで歩いていた。
 何故こんなことに。いっそ逃げ帰りたかったけど、こんな姿の檜垣くんを一人ぼっちにするのは気が引けた。
 慌てて本屋を飛び出したから、新刊も買えてない。本当、調子を狂わされっぱなしだ。

「それで。どうしてそんな姿に?」
「酒井のヒロインに……」
「ソレはもう聞いた」
「酒井が少女漫画に出てくる男の立場でいたいなら、オレがヒロインになればいいと思ったんだ。それだけだよ」

 それだけでこんな格好を。行動力凄すぎだろ。

「少しくらいはときめいてくれるかもしれない。そう思ったらセーラー服を着てた」

 やたら神妙な顔してたのも、そそくさと帰ってったのもこのためだったり? 恐ろしいな。何が一番恐ろしいって、ほんのちょっとだけど、ときめいてしまった自分だ。シチュエーション萌えコワイ。
 だって本屋で手が触れ合うっていうの、本当に小さな頃から何度も何度も何度も妄想してきたんだよ。しかも、相手はセーラー服美少女なんてパーフェクトすぎて。中身は檜垣くんだし、ややゴツイけど……それを差し引いても胸にきた。

「そもそも、そのセーラー服どうしたの? 檜垣くんが着られるサイズなんて」
「姉のなんだ」
「や、檜垣くんのお姉さん、そんなでかくないでしょ」

 むしろうちの姉ちゃんより小さかった、ような気がする。

「……実は、オレの姉さん、少女漫画家目指してて。その資料としてオレに着させるために買ったらしい。男の身体でもスカートのひるがえり方とかシワとかは参考になるみたいで」
「なるほど。素晴らしいお姉さんだ……。描けたら是非読ませてほしい」
「あっ……。酒井……。あ、姉のほうを、好きになる?」
「えっ?」

 思ってもみないことを言われて檜垣くんを見ると、不安そうに唇を噛みしめていた。
 少女漫画を目指してる女子大学生でしかも姉の友達。運命を感じるにしては中々美味しい感じがする。
 でもどちらかといえばぼくは、同級生モノが好きだ。それを言ったら檜垣くんに余計な希望を与えてしまいそうだから言えないけど。

「あー……。その可能性は、なくもないっていうか」
「やっぱりそうか。オレの姉と酒井の姉さんが友達だって知って、正直コレはヤバイと思ってて……。多分これも、ひ、引く行動だよな?」
「今回は自覚あったんだ?」
「うう……」

 なのに、女装しちゃったんだ。ぼくのためだけに。
 ……まずい。ちょっと可愛く思えてきた。

「そうだよな。男がこんな格好しても似合わないとは思ったんだ。姉さんも、ゴッツい女装ーって笑うし」

 そこまで言われてて、よく着てくる気になったな。
 檜垣くんは話しながら薄いセーラー服の裾を軽く摘んで、膝上までめくって離した。中身が見たいわけでもないのに思わず目で追ってしまうのは、男のサガとしか言いようがない。
 檜垣くんにも視線の先がバレバレだったみたいで、顔を上げた途端目があって死ぬほど気まずかった。

「でもほら。オレが男だってわかってても、セーラー服という記号をもって酒井はオレを意識する。女性が着るものだという認識があるからだ」

 その通り。女性にしてはゴツイってくらいで、檜垣くんは少年を少し過ぎたあたりの中性的な身体つきをしている。加えて顔もいい。身長はあるから、モデルにも見えるくらい。

「そんなオレにヒロインみたいに縋られたら、嫌な気はしないんじゃないかなあと、思っ……たんだ、けど」

 檜垣くんは馬鹿だけど、頭がいい。実際ぼくは態度に出さないだけで、まんまとその思惑にはまっている。
 漫画というのはキャラクターが与えられた役割をこなす、舞台のようなもの。非日常的な姿をしている檜垣くんに告白されることによって、自分もそこへ組み込まれたような錯覚に陥る。
 だから、ドキドキする。けどそれだけ。

「別に。どんな格好したって、男は男だろ。ときめくことなんてないよ」

 わざと冷たく言った。また女装で押しかけられても困るし。
 本当になあ……。思いついたとしても普通はやんないぞ、こんなこと。

「あっ。絶対に学校へは着て来るなよ。着てきたら今度こそ嫌いになる」
「そ、それはさすがに、オレも無理……」

 もはや檜垣くんに羞恥心があるのが、意外な感じする。

「はあ……。女装してもダメかあ。手応えみたいなものはあったんだけどな」

 鈍いかと思ったら割と鋭いし、侮れない。でもそこでぼくの言葉を素直に信じてしまうあたりが檜垣くんなんだよなあ。

「学校以外でならいい? 酒井くん! こ、今度の日曜、わたしとデートして!」
「だから、裏声下手だってば、もう……」

 思わず笑いがこみ上げる。
 相手は男だけど。だけど。こんな……本当に、漫画みたいな青春、これを逃したら過ごせることはきっとない。ここまで想ってくれる相手にも、出会えることはないだろう。
 ちょっと愛情の方向が斜め上に行ってる気がするけども……。

 高校一年の、たった1ページ。破いてみるのもそう悪くはないんじゃないか?

「いいよ」
「えっ、ほ、本当に!? 裏声下手だけど?」
「別に女装してこなくてもいいけど」

 檜垣くんはぶんぶんと首を横に振った。勢いよすぎてカツラが飛んでいかないか少し心配になった。

「それはダメだ。男の格好だときっとオレがやること全部、酒井はヒロイン扱いされてると感じるかもしれない」

 そうかもしれない。檜垣くんにその気がなくても、ぼくがそう捉えてしまう可能性は充分にある。
 意識的にそうしていた時はともかく、こうなる前から彼の生活を少女漫画の世界っぽいなあと眺めていたわけだし。
 結局イケメンがやることって、それだけでドラマのワンシーンのようになるんだよな。羨ましい。
 それがこんな……女装してて、見る影もない。

「あっ……。でも、オレがこんな格好でデートの待ち合わせ場所に現れたら気持ち悪いか……?」
「そんな今更」
「今更……」
「そもそも、なんであの本屋に?」
「ああ。酒井の家に行こうとしたら、本屋へ入る姿を見かけて、これはチャンスだと」
「その姿で家に」

 良かった。押しかけられなくて。
 ああ、でも。なんとなく家の方へ向かって歩いてしまっている。その姿で家に来られるのもアレだけど、檜垣くんをこのまま一人で帰すのはな。
 ぼくはくるっと踵を返した。

「酒井?」
「送ってくよ。君の家。その格好で一人で帰るのはアレだろ」

 さすがに手までは差し出せなかったけど。
 檜垣くんは、頬を染めてスカートの裾をくしゃっと掴んだ。

「なんか本当に、ヒロインにでもなった気分だ」
「なるんじゃなかったっけ? ぼくのヒロインに」
「えっ。してくれるのか……?」
「ちょっと気持ち悪いかな」
「やっぱり……」
「じ、冗談だよ……。ほら、行こう」

 弾んだり、沈んだり、見ていて飽きない。それをぼくがさせているのかと思うと、悪くない。
 ちょっとした冗談でもすぐ信じるし、今までよく普通に生きてこられたなあ。きっと周りが優しさの塊でできていたんだろう。

「や、いい。うち、ここから離れてるし、悪いから。それで、あの、これ」
「んっ!?」

 今日も壁ドンかと思ったら、封筒を差し出された。
 白い封筒に、ハートマークのシール。可愛らしいピンクのマーカーで酒井くんへと書かれている。

「コレ、読んでくださいぃ!」

 檜垣くんはぼくに封筒を手渡すと、およそ女だとは思えない足取りで走っていってしまった。

「カツラ飛ばないかな、アレ……」

 そしてやっぱり、裏声は下手だった。




 ラブレターなんて貰うの、初めてだ。相手は男……女装した男だったけど。でも、告白よりキュンとくる。ぼくはこういう小道具に心底弱い。
 カバンにしまってドキドキとしながら家に帰って、机の上で開封前のラブレターを、現在五分ほど眺めている。
  
 檜垣くん、一体どんな顔でこれを書いたのか……。
 宛名は可愛らしく丸っこいで書かれているんだけど、元が達筆だからか上手く崩しきれてなくて微笑ましい。
 差し出し人の名前は耀子よりと書いてある。古典的な。自分の名前になんでも子をつければいいってもんじゃない。30点。

 開けるのが怖いような、嬉しいような妙な気分。そのまま眺めていても仕方ないので、ハートマークのシールをそっと剥がした。
 中には便箋が一枚。紙の中央に、好きです、とピンクのペンで一言だけ書かれていた。

「……ツボ、わかってるなあ」

 ぼくの少女漫画が好きって気持ちを、よく理解してる。80点。
 残りは、君では乗り越えられない壁だよ。

 いくら女装していても、ヒロインになりたいと言ってくれても、男って時点で無理。
 この壁はとても高くて、そして厚い。擬似的な青春として扱うならいいけど、永遠はない。そしてぼくはこのシチュエーションに酔ってるだけかもしれない。

 まあ。それはそれとして。
 ぼくは便箋を封筒に戻して、大切に、机の中にそっとしまった。





 姉ちゃんの部屋には少女漫画だけでなく、少年漫画やボーイズラブの本も詰まってる。最近では男同士の恋愛モノが一番好きみたいだ。
 だから、この前の件で根掘り葉掘り訊かれることを覚悟してんだけど、姉ちゃんは……。

 アンタが言いたくないなら訊かないしー。アタシの趣味で身内にホモを押し付けたりはしないよ。話したくなったら言ってね。という、なんともさっぱりした様子だった。

 姉というのは常に理不尽なものだけど、ぼくは姉ちゃんのこういうところは気に入ってる。
 だからこそ、相談しようか悩んだ。でも結局ぼくは何も言えず、ひとりこうして待ち合わせ場所で檜垣くんを待っている。

 日曜。午前11時。デートの日。

 檜垣くんは約束通り学校では自重してくれて、何もなかったかのように振る舞ってくれた。あれが夢だったんじゃないかと思えてくるほど。
 でも家に帰って机を開ければラブレターが入っていたし、土曜の帰りには檜垣くんが真っ赤な顔で、明日……とボソボソ言ってきた。ぼくはただ頷いた。檜垣くんは倒れでもしそうなくらい緊張していて、思わず少し、可愛いなと思ってしまった。学校だから、女装はしてなかったのに。

 だって……ぼくなんかに震えるほど緊張するなんてさ。どんだけだよ、本当に。

 でもぼくはまた、ここ最近のことは夢だったんじゃないかと思い始めている。何故なら約束時間を過ぎて30分経っても檜垣くんが来ないから。ぼくはずっと駅前で待ちぼうけだ。
 いくら少女漫画みたいな展開が好きでも、30分遅れてこられて、今来たとこ! なんて言えるほどお人好しじゃないぞ、ぼくは。

 帰ろうかなと思うたび昨日の檜垣くんが頭にちらついて、結局一時間待ってしまった。待ち人は、未だ来たらず。

「はあ、どうするかな……」

 一応ラインは交換してるから送ってみたけど、既読がつかない。これは完全に寝ているか。それか……まさか、事故にでもあったんじゃ。
 姉ちゃんに言って、華さんに連絡をとってもらう、とか? 友達と約束していて、相手が来ないならそこまで不自然でもないし……。

「直哉くん?」

 迷ったままスマホを握りしめていると、声をかけられた。
 顔をあげると、素朴で可愛らしい女性が立っていた。
 ……どこかで、見たことが……。

「私、耀の姉です」
「あ! 華さん?」
「はい。ああ、わかってよかった」

 うちに来てる時は気づかなかったけど、華さん相当可愛いな。美少女だ。こうして改めて見ると女装した檜垣くんの面影が少しあるような気がしなくもない。
 まさかこれは。弟の代わりに姉とデートする、みたいな展開が待ち受けて……?

「うちの弟、熱出しちゃって! 朦朧としてスマホ握りしめながら、駅に行かなきゃってうわ言のように言ってて……」

 確かに昨日の檜垣くん、様子がおかしかったもんなあ。アレは緊張してたからではなく、素で具合が悪かったのか。なんてことだ。

「それであの。無理を承知で言うんだけど。今うち、家に誰もいなくて……。私もこれから出かけなきゃいけなくて。直哉くん、お見舞いに行ってくれない?」
「え!?」
「耀、本当に楽しみにしてて。酒井が恥ずかしい想いをするかもしれないからって、私に男に見えない女装の仕方とか聞いてきたりね。だから……」

 おい、華さんにどこまで話してるんだよ檜垣くん……。

「これ、うちの鍵。帰りに机とかに置いてってくれたらいいから。お願い!」

 約束がなくなったんだから、もちろんぼくは、これから予定が何もない。残念ながら華さんとのデート展開もなさそうだし。
 それに、そんなに楽しみにしてたって聞いちゃったらなあ。ここで断るのは鬼だよな。熱を出してるなら、おかしなことをされる心配もなさそうだし。

「わかりました」
「ありがとう! 耀もきっと喜ぶ! いつかお礼をさせてね!」

 それなら華さんの描いた漫画が読んでみたいな……。と思ったけど、条件を出す間もなくそのまま急いだ様子で改札へ走っていってしまった。

 女の子らしい走り方。可愛らしい後ろ姿。翻るスカートからのぞく華奢な脚。
 全部、檜垣くんにはないものだ。なのにぼくは今、熱を出したという檜垣くんのほうが気になってる。
 鍵と一緒に渡された紙には、丸っこい文字で住所と簡単な地図が書いてあった。ラブレターに書かれた、檜垣くんの筆跡を思い出す。思い出せる程度には、アレを見ている。

 今日、デートをして。青春の1ページを破ったらそれで終われる気がしたのに。

「お見舞いイベントとはな」

 別の意味で身体を張った駆け引きだなあと思いながら、ぼくは紙に書かれた住所へと足を向けた。




 お見舞いイベントというのは。長く続いている少女漫画なら、一度は起こる定番イベントである。
 それを初デートで起こしてくるなんて、檜垣くんめ、なかなかやってくれる。

 ヒロインが熱を出し、男の子がプリントを持ってきたり、そのしっとり汗ばんだ肌や初めて見るパジャマ姿にドキリとしたり、お粥を作って意外な料理の腕を発揮してみせたりする。
 逆に男の子が熱を出した場合は普段料理を作ったことのないヒロインがお粥を失敗し悪化するオチがついたりする。
 同級生モノだと大体このふたつが多いんじゃなかろうか。

 ぼくは。料理は、できない。
 おとなしくドラッグストアでレトルトのお粥と薬とスポーツドリンク、ミネラルウォーターを買っていった。自分が病気の時に見舞われて何が嬉しいかといったらコレだ。むしろ水と薬だけ置いてとっとと帰ってほしい。

 檜垣くんはぼくに病気姿を見られて大丈夫なのかな。弱ってる姿は見せたくないと思うんじゃないか? 来られないレベルなら、ボロボロになってるかもしれないし……。

 考えてみたけど鍵は受け取ってるし、置いて帰れってことは、むしろ家の人が帰ってくるまでぼくが帰れないってことでは? ややハメられた気もしつつ、ぼくは地図アプリに表示される檜垣くんの家へ訪れた。

 何も変わったことのない、普通の一軒家。2階建て。檜垣くんの部屋は2階かな。
 誰もいないと言ってたから、病床の檜垣くんを起こさないよう、インターフォンを鳴らさず鍵を開けて入った。

 乗せられるようにして来ちゃったけど、本当に良かったのかな……。勝手に人の家に入るなんて、泥棒にでもなったみたいでめちゃくちゃ嫌な汗が出るぞ。
 キッチンの場所を確認してから二階へ上がると、弟の部屋と書かれた紙が扉にセロハンテープで貼ってあった。

 一応感染防止にマスクを買ったので、それをつけて……小さくノックをしてから部屋へ入った。
 檜垣くんはスマホを握りしめたまま寝ていた。もう、握って絶対離さないような感じ。ぼくにラインでも打とうとして力尽きたのかもしれない。

 さて。寝てるなら起こすわけにもいかないし、起きるまでどうするかな。
 とりあえず部屋を見渡してみる。しっかり片付いていて、男の部屋なのにどこかいい匂いというか、女の子みたいな匂いがする。壁にはこの前着ていたであろうセーラー服がかかっている。つい先日衣替えをしたばっかりなんだけど、このセーラー服、コスプレ用なのかやたら生地が薄い。これじゃあ風邪を引いてもおかしくない。
 机の上にはガチなメイク道具が買ったばかりの様子で置いてある。女の子みたいな匂いの元はコレか。女装のためにここまで揃えるとか、さすがにちょっと気持ち悪い。いや、健気だと言えなくも……。デートコースと今日の予定をビッチリ書いた紙とかも置いてあるし。しかし字が綺麗だな。これは丸っこくするの大変だったろう。

 ……この計画表ヤバイ。ここでつまづいて見せるとか映画館で間違えて手が触れるとか、食事中にいたるまで少女漫画的になりそうなきっかけが細かく書かれている。指輪を欲しそうに眺めて、酒井が買ってくれるという記述には棒線が引いてあった。まあ、これはぼくがアクション起こさないと無理だから計画には組み込めないよな。
 でも確かに、女の子がやってくれたら、ぼくなら運命を感じてコロリと落ちそうではある。こういうデート、夢見てたし。
 ただな、こういうデートプラン立てるの、普通は彼氏のほうじゃないか?
 細かすぎる、気持ち悪いな、ヤバイわコイツって思いながら、つい最後まで読んでしまったんだけど。
 最後に。

 ヒロインじゃなくてごめんな、酒井。

 って書いてあって、なんというか。ブワッときた。それ以外の表現が浮かんでこない。
 悲しいような嬉しいような、それとも気持ち悪さが限界を越えたのか。とにかく言い表せないような感情の昂ぶりが襲ってきた。
 ドキドキとして汗が滲む。視界も歪んだ。風邪がうつってしまったのかもしれない。

「ん、……あ。え、酒井? ここどこ? オレ、倒れた……?」

 デートに行く夢でも、見ていたんだろうか。目を覚ました檜垣くんがうわごとのように呟いた。

「初めから倒れっぱなしだよ。いいから寝てな」
「……オレの、部屋?」
「そう。君の部屋」
「あ! ダメだ、その紙読んだら! また引かれ……ッ!」

 檜垣くんはがばりと起き上がって、すぐに撃沈した。スマホもベッドを転がって床に落ちた。
 ……待ち受け、ぼくなんだけど。いつ撮ったんだよ、これ。

「あああ。ごめん……見ないで……」
「遅いかな」
「遅いか……」
「これ消すよ?」
「だめ……」

 風邪のせいか声が弱々しい。消したらショックで風邪が酷くなりそうだったので、見逃してやることにした。
 ぼくはわざと大仰に溜息をついて、スマホを檜垣くんの手に持たせた。檜垣くんはもう離してなるものかって感じに、ぎゅうと握りしめた。こっちが恥ずかしくなる。
 具合の悪さも手伝ってか頬は赤く、瞳が潤んで今にも泣き出しそうだ。

「薬は飲んだ?」

 首を横に振る。

「お粥、食べられる?」
「酒井が、作ってくれるの?」
「レトルトだけど」
「食べる……」

 檜垣くんはそれだけ言うと、羽布団をかぶってしまった。
 中でモソモソしてるから、スマホにロックでもかけてるのかもしれない。
 ぼくはさっき確認しておいたキッチンへ行って、お粥を食器棚のお皿に入れてレンジで温め、ミネラルウォーターをコップにそそいで檜垣くんの元へ戻った。
 凄い具合悪そうだったけど、本当に食べられるんだろうか……。ぼくが用意したから、無理に食べようとしてるんじゃないか? でも、多少無理してでも胃に何か入れて薬飲んだほうがよくなるかな。熱、高そうだったし。苦しいよな、あれじゃ。

「檜垣くん、入る……ぶふっ」

 部屋に入ったら檜垣くんが黒髪ロングのカツラをかぶって、上半身だけ起こしていた。それはいい。ただ、無理してかぶったからか、カツラがめちゃくちゃズレてた。

「カツラずれてるから」
「……ごめん。化粧もしてないし、上手くかぶれないし、声もいつもより掠れてるし。酒井を楽しませることができない」

 いや、別のベクトルで面白いけどな……。水こぼしそうだから勘弁してくれ。

「笑わせようとしなくていいよ」
「笑わせようと思ったわけじゃ。酒井が来てくれて死ぬほど嬉しいのに、こんな汚い姿、見せてしまうし」
「いーんだよ。看病しにきたんだからさ」

 ぼくは机の椅子をベッド横につけて座り、檜垣くんのカツラを取った。
 こんなのかぶってたら、よけいに熱が上がりそうだ。ベッドの中で何をモソモソしてるのかと思えば、これをかぶっていたのか。鏡も見に行けないから、この惨状に。
 檜垣くんは汚い姿と言うけれど、髭も生えてないし汗だらけでも爽やかな感じしかしない。むしろこう、妙な艶さえある。イケメンは得だと思う。

 お粥の入った少し深めのお皿を渡そうとしたけど、檜垣くんはスマホを握りしめたままだ。これでは受け取ってもらえない。

「置いても消さないから」

 檜垣くんはまた、首を横に振る。声を出すのがつらいのかもしれない。
 まあ、大体、何を考えているかはわかる。食べさせろってことだよな。看病イベントでは鉄板だから、コレ。
 檜垣くんがなんで少女漫画に詳しいのかは謎だけど、お姉さんの影響か、もしくは相談して教えてもらったのかもしれない。華さんは弟がホモになるのを、応援してしまっていいのか。うちの姉もぼくが男を好きだと言い出した時には、両手上げて応援してきそうだけども。

「わかったわかった。はい、くちあけて。あーん」

 檜垣くんは素直に口をあけて、もぐもぐと咀嚼した。ぬるめに温めたから熱いことはないはずだ。

「け、結構、恥ずかしい」
「ぼくのほうが恥ずかしいわ。確かに好奇心でデートはオーケーしたけどさ、風邪引いてる時まで無理するなって」
「ん……」

 嬉しさより恥ずかしさが上回ったのか、残りは自分で食べてくれた。教室であんなことをしてきたり、カツラをずれたままかぶったりしてみせるくせに。照れのツボがわからない。本当は凄く恥ずかしかったりしたんだろうか。

「次は薬」
「ありがとう、酒井。もう死んでもいい」
「本当に死にそうな顔しててシャレになんないからやめてくれ。ありがたく思ってるなら生きて」
「酒井、優しい……」
「病人には優しいのが普通ですから」

 そもそも、そんなに優しいことも言ってない。口説きはスルーだし。
 檜垣くんは薬を飲んで、すぐに身体を倒した。お粥は普通に食べてたけど、起き上がっているのは結構つらそうだった。

「好き。諦めたくないんだ。ごめん。ごめんな。もうちょっとだけ、好きでいさせて。今回は……諦めたくない……酒井が、諦めるなって、言ってくれたから」

 そのまま、寝てしまった。ぼくの服の裾を掴んだまま。
 ぼくはお皿とコップを床に置いて、寝てしまった檜垣くんの額を撫でる。
 諦めるな……か。言わなきゃよかったと思ってる身としては、重い言葉だな。
 でももうちょっとだけってことは、ある程度気が済んだら好きじゃなくなるのか? 喜ばしいことなのに、なんだかモヤモヤする。それに、どうしてそこまで、ぼくなんかを好きなんだろう。檜垣くんは、失恋した時に慰めてくれたからって言ってたけど、何か引っかかるんだよなあ。元々惚れっぽいタチなのかな? 付き合ってみたら、奇行が目立ってすぐフられるとか有り得そう……。

「ん……」

 寝苦しいのか、檜垣くんが眉を寄せてうめく。せっかく綺麗な顔してるのに、眉間に跡が残ったら可哀想だなと思って撫でてやると、安心したように穏やかな表情になった。
 家族が誰か帰ってきたら、ぼくも帰らないと。鍵はキッチンのテーブルに置いておけばいいか。さすがに病人残して、鍵をかけずに出るのは気が引けるしな……。

 そのまま静かに檜垣くんの寝顔を見守っていると、またうなされ始めた。

「姉さん……」

 ぼくの名前じゃなくて、華さんを呼んでいて少し面白くない。

「姉さん、好き……」

 時が、止まるかと思った。それは、家族としての好きだったのかもしれない。でも、確かにそれだけではない響きを含んでいた気がしたのだ。

 檜垣くんへのぼくへの好きが、恋愛でないとは今更考えにくい。だからこそ……今の華さんへ向けた好きが、家族愛とは違うものだと感覚的にわかったというか。

 少女漫画的な恋愛ばかり夢見ていたぼくは、現実はやっぱり違うな。ヘビーだ。と、逆に物語の中にでもいるみたいなことを考えていた。

 ぼくは。元から檜垣くんの想いには応えるつもりがなかった。
 だから彼が誰と付き合おうと関係ないし、むしろ応援すると思う。でも華さんが相手であるのなら、ぼくも諦めなよって言ったと思う。

 それから一時間ほどで華さんが帰ってきたので、ぼくは簡単な挨拶だけかわして檜垣くんの家を出た。何か訊きたかったけど、結局何も訊けなかった。

 檜垣くんが、誰を好きだろうとぼくには関係ない。

 はずなのに。

 声も、顔も。酒井のヒロインになりにきたって、告白も。……ぼく以外を好きだと呟いた、ことも。頭から、ちっとも離れてくれなかった。
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