その身を賭けろ

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キス以上のこと

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 もしかしたらクビになるかもなあと思いながら職場へ戻り、次のクライントの元へ。
 気が気ではなかったが仕事はきちんと済ませ、無事終業時刻。
 香奈がとりなしてくれたのか、なんのお咎めもなかった。
 数日は油断できないが、首の皮は繋がった気がする。
 胸を撫で下ろしながら事務所を出ると、見覚えのある車が止まっていた。ここ数日で見慣れた、葉月の車だ。
 その車から降りた人物を見た途端、同じように帰宅しようとしていた同僚たちがざわめく。旭にはすでに可愛く映っているが、一般的に見れば葉月はクールでミステリアスかつ、人目を引く美形。その視線が、見知った同僚……旭に注がれていれば、どんな関係なのだと気になりもする。
 
「迎えに来たぞ」
「う、うん。ありがとう。終わる時間、浅黄さんに聞いたのか?」
「ああ。出てこない時は、電話するつもりだったがな。サプライズってヤツ? 驚いたか?」
「驚いたさ!」
 
 驚いたこともあるが、思わぬ出迎えに旭は尻尾を振らんばかりに、全身で喜びを表している。
 抱き着くのは同僚の手前、さすがにグッとこらえた。
 高級そうな車でお出迎えをする若い青年に、喜びを隠さない忠犬。抱き着くのをこらえたところで、旭の現状を知る者は、一瞬で実状を把握した。
 ああ、最近旭の機嫌が良かったのは、この男が理由だったのかと。
 
「それじゃ、また明日」
 
 旭は不躾な視線をよこす同僚数人に笑顔で挨拶をし、助手席へ乗り込んだ。
 
「ありがとう、葉月。すっごい嬉しい!」
「それはいいが……。お前、態度に出過ぎだぞ。明日には、お前がホモだって噂で持ち切りだな」
「葉月が好きなんだから、俺もホモなんじゃないのか?」
「あのな……。問題はそこじゃ……。いや、いい。お前は元から、あまり周りを気にしないタイプだもんな」
 
 葉月が車を発進させる。カーナビが読み上げた音声は、旭の自宅方面だった。
 
「俺のアパート、もうないけど」
「車だよ、車。近くの駐車場だろ? あのアパート、駐車場隣接してなかったもんな」
「ああ、そうか」
 
 葉月が迎えにきてくれたのは、旭の車を迎えに行くためでもあったらしい。
 
「連日カジノで遊べなくて、そろそろ禁断症状でも出るんじゃないか?」
 
 くすくすと笑う葉月に、旭が溜息をつく。
 
「仕方ないよ。さすがにこんな事態じゃな」

 それに元から、そこまで毎日ゲームをしているわけでもない。
 したいのはヤマヤマだが、負けてばかりで賭ける金が続かないのだ。

「明日からは普通に通えばいいさ。ほら、一応合鍵も作っておいたぞ」
「えっ……。そ、それ、俺が貰ってもいいのか?」
「信用してるって、言っただろ」
「は、葉月……」
「運転中におかしなことしたら、処分するからな。お前ごと」
「……ハイ」
 
 運転中じゃなければよいのかと、揚げ足をとってみようと思ったが、合鍵をオアズケにされそうだったのでおとなしくしておいた。




 葉月のマンションへ戻ると、葉月は旭のために駐車スペース、個室、合鍵を用意してくれていた。いたれりつくせりだ。
 
「せっかくだから、昼間業者呼んで、一応お前のベッドを入れておいた」
 
 部屋を貰えたのはありがたいし、寝床を作ってくれたのも、気遣いとしては嬉しい。けれど『もうお前とは一緒に寝たくない』という意思表示かと思い、悲しくなった。
 
「……別に、ベッドはなくてもよかったな」
 
 拗ねたように、そうぽつりと呟く旭の頭を、葉月が軽く小突く。
 
「バーカ。だから一応って言っただろう? 来たけりゃ来いよ。ただ、昨日もあまり眠れてなかったみたいだしな。遠慮なくしがみついたおれもおれだが」
「いや、もう……しがみついてくれる分には全然!」

 
 実際眠れなかったのは、葉月の問題発言のせいだ。
 真意を訊きたかったが、時間が開きすぎて訊きにくい。弾みで出たような言葉を葉月は覚えていないかもしれないし、何をおかしな妄想を語っているんだと思われかねない。
 それよりも、来たけりゃ来いというある意味男らしい潔さに痺れていた。
 
「ん……? ソレ、どうしたんだ?」
「ソレ?」
 
 葉月が、香奈が貼ってくれたバンドエイドを指す。

「ずいぶん似合わない色だな」

 旭は少し誇らしげな顔で、ああこれかと腕を上げた。
 
「実は朝……」
 
 もしかしたら嫉妬をしてくれるかもしれない。そんな甘い気持ちを胸に、朝あったことをかいつまんで話す。オッサン扱いされたことに関しては伏せておいた。そして葉月は、旭の想像以上に動揺を見せた。
 
「一歩間違えたら危なかっただろ? お前、なんでそんな嬉しそうな顔してるんだ」
「別にバンドエイドが嬉しいってわけじゃなくてさ。いや、嬉しいけど。一人の少年を更正させ、クライアントに感謝をされるという……こう、ボディーガードの本懐っていうのかな」
 
 自分に酔っているような感じで、心底自慢げに話し出す旭を、葉月が呆れたような目で見つめる。
 
「……心底、楽しそうだな」
「あ、でも今日一番嬉しかったのは葉月が迎えに来てくれたことと、合鍵貰えたことだぞ!」
 
 旭の中ではこれくらいの怪我は比較的よくあること。
 女子高生たちの送り迎えはボーナスステージのようなものだが、他の依頼に関しては基本的に危険がつきものだ。依頼者たちは身の危険を感じているからこそ、依頼してくるのだから。
 
「そうか」
「ごめん、俺テンション高すぎで」
 
 葉月が少し引いている様子なのを感じ取り、旭がうなだれる。うなだれたものの、嬉しさは隠しきれていない。
 
「手、ちょっと貸せ」
「え?」
「そっち」
 
 手を掴まれて、ピンク色のバンドエイドをそっと剥がされる。皮膚がひきつれるお馴染みの感覚がピリッと走った。少しふやけて白くなってはいたが、元々たいしたことのない傷は、ほとんど塞がっている。
 
「おれの見てないところで、こんな傷作りやがって」
 
 赤い舌がそろりとのぞく。指に近づいてくる様がなまめかしく、旭は固まったようにそれをジッと見ていた。

「ん……」
「あ……葉月……ッ」
 
 湿った感覚が指先を這う。葉月の舌が自分の指に絡んでいると思うだけで、身体が熱くなった。
 少し上を見上げながら、傷のついてない先端を口に含まれた時はいっそ目眩すらした。
 
「ハハ、お前、カオ真っ赤」
「あ、当たり前だろ! こんなことされたら」
「嬉しいクセに」
 
 葉月は旭の手を解放し、自分の唇を手の甲でぐいっと拭った。
 あまりにも普通な葉月の態度を見ていると、立ったまま夢でも見ていたのではと思えてくる。
 
「嬉しくないわけ、ないだろ……」
 
 心臓が嘘みたいに高鳴っている。キスをしたことはあるし、されたこともある。なのに、今はそれ以上に高揚していた。
 昂ぶる気持ちそのままに、葉月が舐めた指先にキスをすると、今度は葉月の頬が染まる。
 
「何恥ずかしいコトしてんだ」
「葉月がしてくれたことのほうが、よっぽどだと思うけど」
「……お前が楽しそうにしてるから、もっと喜ばせてやろうと思ったんだよ」
「葉月が俺に何かしてくれるなら、なんでも嬉しいよ。でも、その理由が嫉妬だったら、もっと嬉しかったかな」
 
 おれが嫉妬なんて、と噛み付いてくるかと思ったが、葉月は余裕ありげな笑みを浮かべただけだった。
 
「なら、そう思っておけよ」
 
 クールな切り返しは相変わらず彼らしい。しかし元々テンションが高かったところに、更に燃料を与えられた旭の感情は止まらなかった。
 
「わかった! ありがとう葉月!」
 
 葉月の細い身体がしなって後ろに倒れ込むほどの勢いで抱き着く。
 
「うわっ、馬鹿! だから力込めすぎなんだって、お前」
「ごめん、でも……」
 
 激情のまま、唇を重ねる。いつもなら一度は拒んでみせる葉月が、視線をさ迷わせたあと、旭の唇をおとなしく受け入れた。
 昨日旭が言った、キスさせてくれたらもっと幸せになれる、という言葉を意識しているのかもしれない。どんな理由であれ、許されているのが嬉しい。あとは一言、キスの合間、葉月が好きだと告げてくれたら。そう願わずにはいられない。
 葉月の唇の甘さと、友情と呼ぶにはあまりに密度の濃い時間を、たっぷりと堪能した。
 
 
 
 
 自炊の習慣はお互いにあまりないため、夕飯は今日もデリバリー。これではまるで囲われているようだとも思うが、葉月は出張ボディーガード代だから気にするなと言う。
 さすがに申し訳なさすぎるので、安アパートで家賃光熱費水道代など含め支払っていたすべての生活費を葉月に渡すことで話がまとまった。葉月にとってははした金かもしれないが、ケジメというヤツだ。何より、お金が目当てだとは少しでも思われたくなかった。
 
「でも、それだとお前に何もメリットがないだろう?」
「前までと同じ金額で葉月と暮らせて、夕飯も部屋も豪華になって……メリットだらけだけど……。そう言うなら、キス以上のことでもさせてくれる?」
 
 冗談に交えて言った言葉。実際旭は葉月を抱きしめてキスができれば満足だったが、好きな相手のいつもと違う表情を見たい気持ちはあった。
 
「……たとえば、どんな?」
 
 呆れられるかと思ったが、葉月はニヤニヤしながらそんなことを訊いてくる。
 
「どんなって……」
 
 もやもやとした感情が胸の中に燻る。直感的に、これ以上この話を続けていたらまずいと思った。
 その理由は、旭にもよくわからない。
 
「お前、そこで止まるなよ。余計怖いだろ」
「怖い……? 俺は、葉月が嫌がることは、する気はないし」
「キスだって、やめろって言ってただろ」
「さっきは言わなかった」
「もう慣れただけだ」
 
 結局、葉月に煽られるように話を続けてしまっている。
 
「もっといろんなところに、触れたいとは思う。でも、キスより先は葉月も俺のことを、友情以上に思えてから」
 
 言葉を選んで、やっとそれだけ告げた。葉月は何かしら、考え込んでいる様子だった。
 
「実のところ、お前にキスされても抱きしめられても、嫌な感じはしないんだ」
「え、それって!」
「多分ギラついたところがないからだろうな」
「え……」
「去勢された犬みたいでさ。馬鹿にしてるんじゃないぞ? だからおれはきっと、お前といるとホッとするんだ」
 
 期待して多少落とされたが、葉月にとって安心できる存在でいられるのは嬉しい。
 去勢された犬というのは酷い言い方ではあるが、旭の現状をよく表している。そして、葉月がそれを望んでいるなら、いいと思った。
 旭はテーブルに置かれた、夕飯の入っていた個包装を端に除けて立ち上がる。
 
「今日は俺が淹れようか、コーヒー。葉月の家だし、泥水みたいにはならないと思うぞ」
「なら、お願いしようか? 美味いの、期待してる」
 
 葉月は、旭の気持ちを受け入れはしないが、赦してくれている。今はそれで充分だ。そうは思っても、どこか寂しい気持ちまでは消えなかった。




 夜、葉月の大きなベッドに、向かい合わせ寝転ぶ。
 
「……で、結局、自分のベッドは使わないのか」
「そりゃ、あんなふうに誘われたら」
「誘ってない」
「でも、もし俺が来なかったら、寂しかったろ?」
「今までだって一人だったんだぞ。寂しいなんてコトがあるか」
 
 相変わらずのポーカーフェイス。表情からは何も読み取れない。けれどなんとなく、喜んでいるような気がした。
 
「へへ……」
「何、笑ってんだ」
「葉月は、俺のこと結構好きだよなあって」
「友達としてならな」
 
 そこは譲れないらしい。しかし、今はそうだとしても、いずれほだされてくれるかもしれない。旭はそれを、いつまでも根気強く待つつもりだった。
 
「葉月は……明日は、カジノ?」
「ああ、夕方から。昼間はドライブがてら競艇場」
「カジノは俺も行くからさ、帰りは一緒に帰ろ……」
「そうだな」
「葉月……」
「ん?」
「好きだ……ほんと」
 
 酷くふわふわした気分になって、目の前の身体を抱きしめる。
 抱きしめた身体は冷たかった。だが、旭の体温が移るように少しずつ温かくなっていく。それがたまらなく気持ちいい。
 旭はすでに、半分夢の中にいた。一日いろいろなことがあって自然と眠気がとんでいたが、ベッドへ入った途端ドッときた。昨日は寝ていないのだから、無理もない。
 
「コラ。お前から抱きしめるのはダメだって言っ……ん」 
「葉月……」
「バカ、お前どこさわってんだ。昔の彼女と間違えてるんじゃないだろうな」
 
 旭はキスをしながら、葉月の服の中に手を差し入れる。
 いつもなら劣情を煽るようなキスはしないのだが、この時は葉月の粘膜を擦り上げるような動きで口内を舐めた。明らかな、前戯としてのキスに葉月が旭を押し退けようと腕を突っぱねる。
 
「は……ッ。やめ……この馬鹿力め……」
「どうしよう。すっごい、いい夢」
「現実だ、ゲンジツ!」
「葉月……」
 
 ひたすらに、甘い。葉月の身体を撫でるだけで指が喜ぶ。気持ち良さそうに自分を受け入れてる姿に、欲情した。都合が悪い部分は夢なので存在していない。
 そしてついには、葉月の胸にべったりと手を添えたまま彫像のように固まって動かなくなった。
 
「……バカヤロー……」
 
 遠くで葉月がそう叫ぶ声が聞こえた気がしたが、旭は幸せな夢の中。
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