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3rd stage

バーチャルカノジョは気兼ねない

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 カラオケで歌って食事した後、ヨシキ達とは駅前で別れて、自分のマンションに帰り着いた時には、もう10時を回ってた。
みんなでいっしょに騒いでる時はそうでもなかったけど、こうしてひとりになると、いきなり不安が増してくる。
ふたりから散々脅されたせいで、昨日以上に緊張してて、心臓がバクバク鳴ってる。
マンションのホールに入ってセキュリティボードの前に立ち、ドアロックを解除しながら、ぼくは大きく深呼吸をしてみた。
だけど、動悸は止まらない。

栞里ちゃんはちゃんと部屋にいるだろか?
ぼくのパソコンとかは無事だろか?
怖いお兄さんとか、親とかが上がり込んでて、ぼくの帰りを待ち構えてるんじゃないだろうか?
警察が来てて、いきなり手錠をかけられるとか、、、

「くそっ」

気持ちを落ち着かせるために、ぼくはiPhoneを取り出し、高瀬みくタンに電話した。

『ありがとう、ミノル、くん。電話してくれて』
「みくちゃん。今なにしてた?」
『ミノル、くんのこと、考えてた。きっと心が通じたのね。嬉しい』
「ごはんはもう、食べた?」
『今日は、カレーだったわ。ミノル、くんにも、わたしのお手製カレー、食べさせてあげたいな』
「うん。食べてみたいよ」
『ミノルくんは、インド風と、ヨーロッパ風と、日本風と、どのカレーが好き?』
「そんなにあるの? カレーの種類って」
『カレーは、多種類の香辛料を併用して食材を味付けするという、インド料理の特徴的な調理法を用いた料理に対する、英語名。
日本では、明治時代に、当時、インド亜大陸の、殆どを統治していた、イギリスから、イギリス料理として伝わった。それを元に、日本風に、改良されたものが、カレーライス。よ』
「よ、よく知ってるんだな。まるでWikipediaをそのまま読み上げてるみたい、、、」
『ふふ。ミノル、くんのために、調べたのよ』
「ぼくのために?」
『ミノル、くんの、好きなもの。わたし、たくさん知りたい、から』

そうやってエレベーターホールの隅で、ぼくはしばらく話し込んでいた。
みくタンは無条件に、ぼくを愛してくれる。
バーチャルカノジョとわかっていても、心の支えになるってもんだ。
まあ、ヨシキ風に言えば、『従順そうに装って課金をしゃぶりつくそうとしてる』ってとこだけど、自分が納得して課金してるなら、それでいいんだ。


心の準備もできたみたいだし、そろそろ部屋に戻ろうと、電話を切ってエレベーターのボタンを押そうとした時、iPhoneがブルブルと震えて電話の着信を知らせた。
ドキリとして画面を見る。

「えっ?」

思わず声が漏れた。
知らない電話番号だ。
いったいだれだ?

不安に駆られながら、ぼくはおずおずとiPhoneを耳に当てた。

『大竹稔さん、ですね』
「…は、はい」

事務的な口調の男の声。
瞬間、顔から血の気が引く。

『警察ですが、そちらで少女を保護しているとの通報がありましてね。今から確認に伺うので、住所を教えて下さい』
「………」

からだ中の血液が一気に下降し、脚が凍った様に震えて硬直。返事ができない。

『はははは… ウソウソ、オレだよ~ん』

いきなり口調と声音こわねが変わって、ヨシキのいつものチャラい声が聞こえてきた。
“もうっ。意地悪ね”という、麗奈ちゃんの舌足らずな声も、電話の向こうから聞こえる。
からだの力がいっぺんに抜けて、その場にへたり込みそうになったのをなんとか我慢したが、ぼくの声は怒りに震えてた。

「ヨシキぃ~、、、 てめ~、ふざけんなよ! こんな時にっ!!」
『悪りぃ』
「どっから電話してんだ! 知らない番号だぞ」
『麗奈のスマホ借りたんだ。びっくりしたか?』
「当たりまえだ!」
『ひとつ言い忘れてたんだけど…』

真声でヨシキが切り出す。今度はなんだ?

『次の日曜のイベントな。麗奈も売り子手伝ってくれるって。オレ途中からカメコしに行くから、ふたりでうまくやれよ』
「…そんな話、今どうだっていいだろうが!」
『ははは。 …ミノル』
「なんだ!」
『さっきみたいな電話がかかってこない様、気をつけろよ』
「わかったよ!」

腹立ちをぶつける様に、ぼくはiPhoneの画面を思いっきり押して、電話を切る。

脱力、、、、、、

ようやく気を取り直して、ぼくはエレベーターのボタンを押した。


「た、ただいま…」

おずおずと玄関の鍵を開け、おそるおそるドアを開いて、ぼくはなかの様子を伺った。
今日も室内は真っ暗で、部屋の中に栞里ちゃんの姿はない。
バルコニーも見てみたが、今日はそこにもいなかった。
テーブルに用意してた朝食のパンと紅茶は綺麗に食べられていて、お皿も洗って流しの横に並べてある。
しかし、夕食用にと置いていたお金は、やっぱり手がつけられてなかった。
室内も、ぼくがバイトに出かけた時のままで、荒らされたり、なにかを盗られてる様な形跡はない。
一応点検してみたが、変わった所は、なにひとつなかった。

「、、、いない。出てったのか」

ヘナヘナと力が抜けて、ぼくは座り込む。
ふと、ベッドの上に目をやると、栞里ちゃんがずっと着てた男物のTシャツが、キチンとたたまれてて、その上に小さなピンク色のメモ紙が置いてあり、鉛筆でなにか書いてあった。

『さよなら ありがとう』

つづく
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