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第六章
しおりを挟む私は深呼吸をして、舞台へと向かった。
観客席からの視線が、一斉に私に集まる。
緊張で手が震えそうになったが、私は父の形見のリュートをしっかりと抱きしめた。
舞台の中央に立つ。
グレゴリー卿が、優しい眼差しで私を見ていた。
その視線に、少しだけ勇気をもらう。
「本日は、父が作曲した『星降る夜の子守唄』を演奏させていただきます」
私は宣言し、リュートを構えた。
観客席から、ざわめきが起こる。
「父親の曲?」
「バートン男爵の兄、あの王室楽団の首席奏者が作った曲か」
「でも、あの人はもう亡くなっているはず......」
私は目を閉じた。
雑音を全て遮断する。
今、ここにあるのは、私とリュートだけ。
指を弦に置く。
そして――演奏を始めた。
最初の音が、静寂を切り裂いた。
優しく、温かい旋律。
私は父との思い出を辿りながら、一音一音、心を込めて奏でていく。
母が亡くなった夜。
泣き続ける私を、父はこの曲で慰めてくれた。
「クレア、悲しい時こそ、音楽があるんだよ。音楽は君の心を包み込んでくれる」
父の優しい声。温かい腕。
全てが、この曲の中に込められている。
演奏は中盤へと差し掛かる。
ここからが、最も技術を要する部分だ。
複雑な装飾音、急激なテンポの変化。
だが、私は迷わない。
グレゴリー卿の指導を思い出す。
「そこの装飾音はもっと軽やかに」
「フレーズの繋ぎを滑らかに」
私は全ての助言を、完璧に演奏に反映させていく。
そして――クライマックス。
最も感情的な部分。
ここで、私は全てを解き放った。
技術も、感情も、魂も。
全てを音楽に託しきった。
そして音楽堂は元の静寂に包まれた。
誰も、何も言わない。
まさか――失敗したのだろうか?
その時だった。
グレゴリー卿が立ち上がった。
彼は拍手を始めた。
ゆっくりと、しかし力強く。
次に、他の審査員たちも立ち上がり、拍手を始めた。
そして――観客席の貴族たちも、次々と立ち上がっていく。
スタンディングオベーション。
音楽堂全体が、拍手に包まれた。
私は信じられない気持ちで、その光景を見つめていた。
「素晴らしい」
グレゴリー卿が声を張り上げた。
「これぞ、真の音楽だ。技術と心、その両方が完璧に調和している」
他の審査員たちも頷いている。
「あの曲は――確かにあの男が作った曲だ」
一人の審査員が言った。
「私も王室楽団で共に演奏していたから、覚えている。だが、こんなに美しく奏でられたのは初めてだ」
「お嬢さん」
別の審査員が私に声をかけた。
「あなたの父君は、素晴らしい音楽家でした。そして、あなたはその才能を完璧に受け継いでいる」
涙が溢れた。
私は慌てて拭おうとしたが、止まらない。
「ありがとうございます」
私は震える声で答えた。
「父が――父がきっと、喜んでいると思います」
拍手は鳴り止まなかった。
私は深々と頭を下げ、舞台を降りた。
控室に戻ると、他の令嬢たちが私を見る目が変わっていた。
尊敬、羨望、そして――嫉妬。
様々な感情が混ざった視線。
「すごかったわ」
一人の令嬢が近づいてきた。
「私、鳥肌が立ったもの。あなた、絶対に合格よ」
「ありがとう」
私は微笑んだ。
ペトラは――部屋の隅で、青ざめた顔をしていた。
彼女は自分の演奏と私の演奏の差を、理解したのだろう。
観客の反応が、あまりにも違いすぎた。
選考会は続いたが、私の後に演奏した令嬢たちは気の毒だった。
観客たちは、まだ私の演奏の余韻に浸っていて、他の演奏に集中できていない様子だった。
全ての演奏が終わり、審査員たちが評議のために退席した。
控室には、緊張した空気が満ちている。
「今年の合格者は何人かしら」
「例年は五人から七人くらいだって聞いたわ」
「でも、今年はレベルが高いから、もっと少ないかも」
令嬢たちが不安そうに囁き合っている。
三十分ほど経った頃。
係の者が控室に戻ってきた。
「審査結果が出ました。合格者の発表を行います。全員、音楽堂へ」
私たちは再び音楽堂へと向かった。
舞台の上には、審査員たちが並んでいる。
グレゴリー卿が一歩前に出た。
「本日は、素晴らしい演奏の数々を聴かせていただきました。審査の結果、今年度の宮廷楽師として――」
彼は一呼吸置いた。
「六名の方を採用いたします」
ざわめきが起こる。
六名。平均的な人数だ。
「では、発表いたします」
グレゴリー卿が名簿を読み上げ始めた。
「マーガレット・フィッツジェラルド嬢」
最初の名前が呼ばれた。
美しいピアノ演奏をしていた令嬢だ。彼女は喜びの表情で前に出た。
「エリザベス・モンタギュー嬢」
二人目。
「アナスタシア・ペンブルック嬢」
三人目。
私の心臓が激しく打っている。
「ヴィクトリア・カーライル嬢」
四人目。
「シャーロット・ウィンザー嬢」
「そして最後、クレア・エヴァンス嬢」
――私の名前だ。
「……はい」
私は前に出た。
観客席から、盛大な拍手が起こる。
やった。
やったのだ。
私は宮廷楽師になれた。
六人全員が、舞台の上に並んだ。
グレゴリー卿が私たちを見渡す。
「皆さん、おめでとうございます。明日から、宮廷楽師としての職務を開始していただきます」
私は深々と頭を下げた。
これで――私は自由になれる。
叔父の支配から。
義妹の嫌がらせから。
全てから解放される。
「なお」
グレゴリー卿が続けた。
「今年度の首席合格者を発表いたします」
首席?
そんな制度があるのか。
「今年の首席合格者は――」
グレゴリー卿が私を見た。
「クレア・エヴァンス嬢です」
え?
「彼女の演奏は、技術、感性、心、全てにおいて完璧でした。今後、宮廷楽師たちの模範となっていただきたい」
観客席が、再び拍手に包まれた。
首席。
私が、首席合格。
信じられない。
夢みたいだ。
その時――。
「待て」
大きな声が、音楽堂に響き渡った。
観客席から、叔父のバートンが立ち上がった。
彼の顔は真っ赤に染まり、怒りで震えている。
「グレゴリー卿、異議を申し立てる」
会場が、一斉に静まり返った。
グレゴリー卿は眉をひそめた。
「異議、ですと?」
「そうだ」
バートンは舞台へと歩み寄った。
「クレアを首席合格とするのは不当だ。いや、そもそも彼女を合格とすること自体が間違っている」
観客席から、ざわめきが起こる。
「バートン男爵」
グレゴリー卿の声が、冷たくなった。
「選考会の審査結果に異議を唱えるとは、よほどの理由があるのでしょうな」
「無論だ」
バートンは私を指差した。
「この娘は、不正を働いたのだ」
不正?
私は唖然とした。
「何を仰っているのですか、叔父様」
「黙れ、クレア」
バートンは私を睨みつけた。
「お前は音楽院を卒業していない。正式な教育も受けていない。
なのに、なぜこれほどまでに完璧な演奏ができる? 答えは一つ。魔法を使ったのだ」
会場が、どよめいた。
「魔法だと?」
「バカな」
「しかし、確かに不自然なほど完璧だった......」
観客たちが騒ぎ始める。
「落ち着いてください、皆様」
グレゴリー卿が手を上げた。
「バートン男爵、あなたは魔法を使ったと主張されるが、証拠はあるのですか?」
「証拠ならある」
バートンは懐から書類を取り出した。
「この娘の母親は、特殊な能力を持っていたという記録が残っている。王室魔導師団の記録だ」
私の血の気が引いた。
「その能力は、音楽を操る類のものだったとされている。クレアがその能力を受け継いでいても不思議ではない」
バートンは勝ち誇ったように続けた。
「つまり、この娘は自分の実力ではなく、母親から受け継いだ魔法の力で演奏を操作したのだ。
これは明らかな不正行為である」
観客席が、再びどよめいた。
私は拳を握り締めた。
確かに、私は音花の恵みという力を持っている。
でも――今日の演奏では、一切使っていない。
グレゴリー卿との約束通り、純粋な技術だけで勝負したのだ。
「バートン男爵」
グレゴリー卿が静かに言った。
「あなたの主張は興味深い。しかし、一つ問題があります」
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