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《37》
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思えばこんな風に、三人で過ごすのは初めてだ。校長は早めに寝てしまうし、彼は夜な夜な新しいメニューを試している。
彼の部屋は私のものと比べるとワイルドというか、何かに例えるとしたら、海賊船に近いかもしれない。壁に飾られた大きな布や、テーブルに積んであるチップがそう見えるのだろうか。
「いやー、やっと先生と飲める日が来たな」
「すみません、私あまりお酒は……いや、限界を試したことがないので、実際どのぐらいなのかは分からないのですが」
「私はあれです、いつもの頂きますよ」
いつものって校長だって滅多に来ないでしょと、席を立った。
「安心しなセンセ、ノンアルコールでも俺が美味いカクテルを作ってやる」
校長のいつものがホットミルクだったことは、別に気にすることではなかった。私の前に置かれた青色の飲み物は、色々なフルーツの味がする。爽やかで、いつまでも飲めるような味だった。とても美味しいと褒めると、彼は照れを隠すように髪を搔き上げた。
「まぁこれが俺へのプレゼントってとこだな。そんだけ褒めてもらえると作り甲斐がある。ありがたく受け取るとして、ツマミにこれでもやってみるか」
裏に赤い市松模様が描かれたトランプを机に並べた。何となく数枚を手に取る。
「ポーカーなら分かるでしょ。あれ……何が一番強いんだっけ。なんかほら必殺技みたいのあるでしょ」
「ロイヤルストレートフラッシュ……ですか?」
「そうそうそれ。センセ役分かる?」
「え、あっ……ええと確か」
「同じマークで1、10、JQKでしたかねえ。まぁそんなもん出ないとは思いますが」
「で、親が必要なんだっけ。センセやってくれる?」
私は自分の横にもう一つカードの置き場所を作り、二人に5枚を配った。
「出てもツーペアぐらいだろうなぁ。特に賭けるものもないし、俺達のルールでいきましょう」
私は手持ちのカードを確認する。マーク違いの7が2枚。ワンペアだ。
オリジナルルールで親も5枚並べて、交換するカードは裏にしたまま選ぶことにした。
「じゃあ俺は……2枚替えかなぁ。端の2枚頼むわ」
私も勿論それが何のカードかは知らない。次の校長は3枚替えだった。私と同じワンペアの可能性が高い。交換した分を山から補って、私も3枚交換した。
「じゃあ開きますよ、せーの!」
「……まぁこんなものですなぁ」
全員見事にワンペアだ。そう簡単に凄い役などは出ないらしい。三人で飲み物を口に含んだ。
「もう一回やってみましょう」
「そういえばAが4枚、キングが4枚って強くないの? ジョーカーと揃えたら最強に見えるけどね」
「確かに強そうですけど、フォーカードみたいです。ストレートフラッシュ……同じマークで番号が続いていく方が強いみたいですね」
トランプが入っていた古い箱に、小さくルールが書いてあった。掠れていてよく見えないが。読むのを諦めてカードを捲る。これはどうにもならない。全交換はどうかと思って、価値の高いエースを残しておく。見事に揃わない。
「……これ、もう揃うまでやりましょうぜ。揃わなかった奴は三人分のをシャッフルして山に戻す。山の上から5枚取って、それぞれに引きまくって、揃えるまで」
こうしてルールもクソもない、ただ確率を調べる為のカード揃えが始まった。
「はーっ、イイね。酒が進む。お、同じマークが3枚……でも別に何にもならねえか」
「そういえば、どうしてここに来たんですか」
「ん? ああ……そーいや話してなかったな。そういうの。別に隠してた訳じゃないんだけどな。よし、じゃあタイムリミットは俺の話が終わるまで。ツーペア以上が目標な」
新しい飲み物は赤色だった。あまりに鮮やかで、脳が飲み物だと認識する前に流し込んでみる。
「はいドブ。早速始めますよ。ま、そうだなぁ……別に昔から料理が好きとかそういうのじゃなくて。味なんて濃けりゃよかったもんね。ジャンクなものが好きだったよ。一人で暮らし始めた時だ。金がなくてとりあえず安かったパスタを買って茹でてみたのよ。いやー酷かったね、茹ですぎ芯が残りまくり、それが混じってる。しかも味付けは塩しかない。しばらく塩パスタの毎日だったよ。でも人間ってのは成長するもんでさ、そのうち自分のベストな茹で時間が分かってきたのよ。そうしたら塩パスタもマシになってさ。麺が良くなったら次はソース。さすがに塩だけは辛くなってきてね、安かった調味料を何かも知らずに買ってみた。……はいワンペア」
捨てられたカードを集めて、山の下へと入れる。
「あっ、ツーペア来ました」
「お、いいじゃん。スリーまで行こうぜ。んで、久々に店でパスタを食べる機会があったのよ。あの時に驚いたんだ、これ俺が作った方が美味いって。自分の好みに合わせたから当然なのかと思って、仲間にも食わせてみたんだ。そうしたら割と好評でさ。そこから料理屋のまかない目当てで仕事を始めた。勝手に、色々食材使ってたら何軒もクビになったけどね。俺としては色んな店の味を食べ比べできたのは面白かった。美味いものを求めて、甘いものにも手を出すようになってた。俺としては、ちっさいレストランとも呼べねえような店で満足だったんだがなぁ。これを作ったシェフは誰だ? 君か、うちの店に来てくれなんて映画みてえな台詞言われてよ。高い食材食えるならってことでついていったのさ」
もう既にカードは初めからオープン状態で、机に置かれている。ペースが早いので、そろそろ全てのカードを使い終わるかもしれない。どこからが二週目かは分からないが。
「呼ばれた店はまだオープンしてなかった。会員制のお高いレストラン。いざオープンしたらめちゃくちゃ忙しくて。でも俺も若かったからな、それなりにやりがいはあったよ。でも知らなかったんだ、俺が一生懸命作った料理を待ってる奴なんていないんだってこと。そこは真ん中にダンスフロアがあって、その周りをテーブルが囲っていた。メインは社交ダンスで、料理は二の次。客が落ち着いてくると、注文は減った。それでも値段が高いから赤字にはならないんだ。そもそも会員料がとんでもないしな。俺が完璧なタイミングで焼いた肉も、ただそれを頼めることだけがステータスで、味なんてどうでも良かったらしい。冷えた料理が毎晩廃棄になった。客はバカみたいに踊り狂っていて、俺は仕事だから作り続ける。そのうち周りの奴らも適当にやるようになって、野菜の使い回し、消費期限切れ、そんなものを平気で使ってた。俺は何かを試したくなって、自分の中で最高の一品を作った。それを自分で席まで運んだ。若い女はいつまでも手をつけることなく、俺はそいつに近づいて、食べてくれとお願いしたんだ。初めは笑っていたが何度か頭を下げると、奴は皿を床に叩きつけた。俺は初めに褒めた……のかな、でも食ってくれるだけマシだ。あのおっさんが平らげてくれたのを思い出した。何の未練もなく、その場を去る事ができたよ。……おかわり持ってくるか」
私はたいした相槌もできずに、カードに顔を埋めた。何だろう頰に熱を感じる。頭が少し重い。
「お待たせ。話はもう少しで終わりだ。揃わないな……。すっきり辞めたのはいいが、俺を誘ってくれたおっさんが敵になってた。俺が内部事情を漏らさないように手を回していたらしい。どこも雇ってくれなくて、路頭に迷うことになった。ついこの間まで分厚い肉を切ってたのに、ゴミ箱を漁ってるのはさすがに自分で可笑しくなった。どっかのレストランの裏っ側、そこのゴミ箱に座ってたら突然話しかけられた。まだ若い男だった。部下を引き連れて、こっちに笑いかけてきた。やけに高圧的な奴だったな。何してると聞いてきたから、俺がシェフだったことを話した。そうしたら男が信じられないと、こっちにアーミーナイフを投げてきた。知ってっかセンセ? 栓抜きとか色々入ってる奴だ。そんでそのちっさいナイフを渡して、部下にリンゴを買いに行かせた。そう、俺にそのナイフでリンゴを切ってみろと言ってきたんだ。あれは酷いナイフだったな。けど、リンゴは嫌という程剥いてきている。皮を途中で切ることなく、やってやったさ。男は感心したように笑うと、可笑しな話を持ちかけてきた。リンゴは有り難く頂いた」
突然声を潜めたので、私は彼に近づいた。
「子供達へ毎日飯を作ってほしい。全員に満足に、栄養面でも問題なく。それができるのなら何を作ってもいい。何を買ってもいい。ただし、そこからは二度と出られない。もう分かるだろ? それがここだよ。んで、その男が……あの坊ちゃんのお父様さ」
「坊ちゃんって……まさか」
「そう、黒のリーダー様。先生もその内会うのかもなぁ、アイツラの家族に。で、俺はここで悠々自適に好きな食材買って、好きな酒飲んで、やらせて貰ってるって訳。酒よりも珈琲のが好きだがな」
彼の腕が肩に回ってきた。一瞬くらりとしたのがバレたのか、ククッと音が出るように笑った。
「先生それバッチリアルコール入ってるんだわ。強くはねえけど、結構飲んじゃったからなぁ。そろそろ眠くなってきたか? ……あ、これ」
フルハウスだ。そう呟く声を最後に、抗えない睡魔へと身を委ねた。人前だということも気にせずに眠りについたのは、初めてかもしれない。
いつもより目を開くのが辛い。水分が足りていない気がする。ついでに体も痛い。
「おはようセンセ、机に寝るのはあの日以来だなあ」
初心に戻れたか? と冗談交じりに笑った。あちこちで関節が鳴る体を伸ばしていると、校長が床に倒れているのが見えた。
「ああ、実は校長のアレもウイスキー入りでね。結構入れてやった。こう見えて校長は昔、寝袋一つで世界のあちこちに行ってたらしいからな。まぁ今となっちゃ関係ねえんだが」
彼が揺らすと、校長の大きな体がのっそりと起き上がった。
「これは、これは……なかなか。やってくれましたなぁ」
「たまには良いだろう。そんなに弱くもないくせに」
腰を押さえながら軽く睨んだ。こちらに気づくと、表情はふっと柔らかくなる。
「先生、おはようございます。先生は大丈夫ですか」
二人がいつから一緒にいるのかは知らないが、思っていたよりも繋がりが深いようだ。私は曖昧に返し、しばらく体のコリをほぐすのに集中していた。
水を飲み、彼の作った軽めの朝食を体に入れて、酔い覚ましの為に外へ出る。ただ外の空気が吸いたかっただけだ。三人でダラダラと歩いていると、なぜかあまり寒さを感じなかった。その足で教会へ向かう。
そこは外よりも冷たい空気が流れている気がした。青白く光る室内は、他の場所と比べて神聖な場所という感じがする。校長の見様見真似でマリア像を見上げる。縋りたくなる気持ちも分からなくはないが、私が求めるものは別のところにある。
校長が大きな台の下を指差した。床には僅かに線が入っている。
「この下に生徒が眠っています。もう二度とここが開くことがないように、祈っているのです」
床に触れ、会う未来もあった彼らのことを想う。
部屋に帰って開けた箱に入っていたのは、新しいループタイだった。私が使っていた物よりも、遥かに良い質なのだろうと素人目で分かる。早速つけて、そのまま廊下に出ようとして立ち止まった。恥ずかしいけれど、彼らは私がつけてくることを望んでいるだろう。ここは私の感情など抜きに、そうしなければいけない。恥ずかしいというよりは照れているだけだ。なんて言われるだろうとそわそわしてしまう私の方こそ、プレゼントを靴下の中に期待している子供のようだ。
それからは授業の時間が減っていった。花壇を作ったり、図書室で何時間も過ごしたりと、各々が自由に過ごす時間に変わった。
私も彼と一緒に料理をしたりと、今までで経験したことのない事をしていた。このまま彼らとはもっと距離が近くなって、家族のように過ごせるかもしれない。私は満足していた、私だけが満足していたのかもしれない。
だって私は知らないから。ここにいる全員の中で、一番知らない。無知は仕方ない、仕方ないが……一番の罪だ。傷つけていることを知らない。誰かが私の代わりにやってくれるから私は今ここにいて、生活できている。息を吸って、笑っていられる。そんなことを考えることもしなかった。自由に溺れていた。今の私は、一体何なのだろう。
彼の部屋は私のものと比べるとワイルドというか、何かに例えるとしたら、海賊船に近いかもしれない。壁に飾られた大きな布や、テーブルに積んであるチップがそう見えるのだろうか。
「いやー、やっと先生と飲める日が来たな」
「すみません、私あまりお酒は……いや、限界を試したことがないので、実際どのぐらいなのかは分からないのですが」
「私はあれです、いつもの頂きますよ」
いつものって校長だって滅多に来ないでしょと、席を立った。
「安心しなセンセ、ノンアルコールでも俺が美味いカクテルを作ってやる」
校長のいつものがホットミルクだったことは、別に気にすることではなかった。私の前に置かれた青色の飲み物は、色々なフルーツの味がする。爽やかで、いつまでも飲めるような味だった。とても美味しいと褒めると、彼は照れを隠すように髪を搔き上げた。
「まぁこれが俺へのプレゼントってとこだな。そんだけ褒めてもらえると作り甲斐がある。ありがたく受け取るとして、ツマミにこれでもやってみるか」
裏に赤い市松模様が描かれたトランプを机に並べた。何となく数枚を手に取る。
「ポーカーなら分かるでしょ。あれ……何が一番強いんだっけ。なんかほら必殺技みたいのあるでしょ」
「ロイヤルストレートフラッシュ……ですか?」
「そうそうそれ。センセ役分かる?」
「え、あっ……ええと確か」
「同じマークで1、10、JQKでしたかねえ。まぁそんなもん出ないとは思いますが」
「で、親が必要なんだっけ。センセやってくれる?」
私は自分の横にもう一つカードの置き場所を作り、二人に5枚を配った。
「出てもツーペアぐらいだろうなぁ。特に賭けるものもないし、俺達のルールでいきましょう」
私は手持ちのカードを確認する。マーク違いの7が2枚。ワンペアだ。
オリジナルルールで親も5枚並べて、交換するカードは裏にしたまま選ぶことにした。
「じゃあ俺は……2枚替えかなぁ。端の2枚頼むわ」
私も勿論それが何のカードかは知らない。次の校長は3枚替えだった。私と同じワンペアの可能性が高い。交換した分を山から補って、私も3枚交換した。
「じゃあ開きますよ、せーの!」
「……まぁこんなものですなぁ」
全員見事にワンペアだ。そう簡単に凄い役などは出ないらしい。三人で飲み物を口に含んだ。
「もう一回やってみましょう」
「そういえばAが4枚、キングが4枚って強くないの? ジョーカーと揃えたら最強に見えるけどね」
「確かに強そうですけど、フォーカードみたいです。ストレートフラッシュ……同じマークで番号が続いていく方が強いみたいですね」
トランプが入っていた古い箱に、小さくルールが書いてあった。掠れていてよく見えないが。読むのを諦めてカードを捲る。これはどうにもならない。全交換はどうかと思って、価値の高いエースを残しておく。見事に揃わない。
「……これ、もう揃うまでやりましょうぜ。揃わなかった奴は三人分のをシャッフルして山に戻す。山の上から5枚取って、それぞれに引きまくって、揃えるまで」
こうしてルールもクソもない、ただ確率を調べる為のカード揃えが始まった。
「はーっ、イイね。酒が進む。お、同じマークが3枚……でも別に何にもならねえか」
「そういえば、どうしてここに来たんですか」
「ん? ああ……そーいや話してなかったな。そういうの。別に隠してた訳じゃないんだけどな。よし、じゃあタイムリミットは俺の話が終わるまで。ツーペア以上が目標な」
新しい飲み物は赤色だった。あまりに鮮やかで、脳が飲み物だと認識する前に流し込んでみる。
「はいドブ。早速始めますよ。ま、そうだなぁ……別に昔から料理が好きとかそういうのじゃなくて。味なんて濃けりゃよかったもんね。ジャンクなものが好きだったよ。一人で暮らし始めた時だ。金がなくてとりあえず安かったパスタを買って茹でてみたのよ。いやー酷かったね、茹ですぎ芯が残りまくり、それが混じってる。しかも味付けは塩しかない。しばらく塩パスタの毎日だったよ。でも人間ってのは成長するもんでさ、そのうち自分のベストな茹で時間が分かってきたのよ。そうしたら塩パスタもマシになってさ。麺が良くなったら次はソース。さすがに塩だけは辛くなってきてね、安かった調味料を何かも知らずに買ってみた。……はいワンペア」
捨てられたカードを集めて、山の下へと入れる。
「あっ、ツーペア来ました」
「お、いいじゃん。スリーまで行こうぜ。んで、久々に店でパスタを食べる機会があったのよ。あの時に驚いたんだ、これ俺が作った方が美味いって。自分の好みに合わせたから当然なのかと思って、仲間にも食わせてみたんだ。そうしたら割と好評でさ。そこから料理屋のまかない目当てで仕事を始めた。勝手に、色々食材使ってたら何軒もクビになったけどね。俺としては色んな店の味を食べ比べできたのは面白かった。美味いものを求めて、甘いものにも手を出すようになってた。俺としては、ちっさいレストランとも呼べねえような店で満足だったんだがなぁ。これを作ったシェフは誰だ? 君か、うちの店に来てくれなんて映画みてえな台詞言われてよ。高い食材食えるならってことでついていったのさ」
もう既にカードは初めからオープン状態で、机に置かれている。ペースが早いので、そろそろ全てのカードを使い終わるかもしれない。どこからが二週目かは分からないが。
「呼ばれた店はまだオープンしてなかった。会員制のお高いレストラン。いざオープンしたらめちゃくちゃ忙しくて。でも俺も若かったからな、それなりにやりがいはあったよ。でも知らなかったんだ、俺が一生懸命作った料理を待ってる奴なんていないんだってこと。そこは真ん中にダンスフロアがあって、その周りをテーブルが囲っていた。メインは社交ダンスで、料理は二の次。客が落ち着いてくると、注文は減った。それでも値段が高いから赤字にはならないんだ。そもそも会員料がとんでもないしな。俺が完璧なタイミングで焼いた肉も、ただそれを頼めることだけがステータスで、味なんてどうでも良かったらしい。冷えた料理が毎晩廃棄になった。客はバカみたいに踊り狂っていて、俺は仕事だから作り続ける。そのうち周りの奴らも適当にやるようになって、野菜の使い回し、消費期限切れ、そんなものを平気で使ってた。俺は何かを試したくなって、自分の中で最高の一品を作った。それを自分で席まで運んだ。若い女はいつまでも手をつけることなく、俺はそいつに近づいて、食べてくれとお願いしたんだ。初めは笑っていたが何度か頭を下げると、奴は皿を床に叩きつけた。俺は初めに褒めた……のかな、でも食ってくれるだけマシだ。あのおっさんが平らげてくれたのを思い出した。何の未練もなく、その場を去る事ができたよ。……おかわり持ってくるか」
私はたいした相槌もできずに、カードに顔を埋めた。何だろう頰に熱を感じる。頭が少し重い。
「お待たせ。話はもう少しで終わりだ。揃わないな……。すっきり辞めたのはいいが、俺を誘ってくれたおっさんが敵になってた。俺が内部事情を漏らさないように手を回していたらしい。どこも雇ってくれなくて、路頭に迷うことになった。ついこの間まで分厚い肉を切ってたのに、ゴミ箱を漁ってるのはさすがに自分で可笑しくなった。どっかのレストランの裏っ側、そこのゴミ箱に座ってたら突然話しかけられた。まだ若い男だった。部下を引き連れて、こっちに笑いかけてきた。やけに高圧的な奴だったな。何してると聞いてきたから、俺がシェフだったことを話した。そうしたら男が信じられないと、こっちにアーミーナイフを投げてきた。知ってっかセンセ? 栓抜きとか色々入ってる奴だ。そんでそのちっさいナイフを渡して、部下にリンゴを買いに行かせた。そう、俺にそのナイフでリンゴを切ってみろと言ってきたんだ。あれは酷いナイフだったな。けど、リンゴは嫌という程剥いてきている。皮を途中で切ることなく、やってやったさ。男は感心したように笑うと、可笑しな話を持ちかけてきた。リンゴは有り難く頂いた」
突然声を潜めたので、私は彼に近づいた。
「子供達へ毎日飯を作ってほしい。全員に満足に、栄養面でも問題なく。それができるのなら何を作ってもいい。何を買ってもいい。ただし、そこからは二度と出られない。もう分かるだろ? それがここだよ。んで、その男が……あの坊ちゃんのお父様さ」
「坊ちゃんって……まさか」
「そう、黒のリーダー様。先生もその内会うのかもなぁ、アイツラの家族に。で、俺はここで悠々自適に好きな食材買って、好きな酒飲んで、やらせて貰ってるって訳。酒よりも珈琲のが好きだがな」
彼の腕が肩に回ってきた。一瞬くらりとしたのがバレたのか、ククッと音が出るように笑った。
「先生それバッチリアルコール入ってるんだわ。強くはねえけど、結構飲んじゃったからなぁ。そろそろ眠くなってきたか? ……あ、これ」
フルハウスだ。そう呟く声を最後に、抗えない睡魔へと身を委ねた。人前だということも気にせずに眠りについたのは、初めてかもしれない。
いつもより目を開くのが辛い。水分が足りていない気がする。ついでに体も痛い。
「おはようセンセ、机に寝るのはあの日以来だなあ」
初心に戻れたか? と冗談交じりに笑った。あちこちで関節が鳴る体を伸ばしていると、校長が床に倒れているのが見えた。
「ああ、実は校長のアレもウイスキー入りでね。結構入れてやった。こう見えて校長は昔、寝袋一つで世界のあちこちに行ってたらしいからな。まぁ今となっちゃ関係ねえんだが」
彼が揺らすと、校長の大きな体がのっそりと起き上がった。
「これは、これは……なかなか。やってくれましたなぁ」
「たまには良いだろう。そんなに弱くもないくせに」
腰を押さえながら軽く睨んだ。こちらに気づくと、表情はふっと柔らかくなる。
「先生、おはようございます。先生は大丈夫ですか」
二人がいつから一緒にいるのかは知らないが、思っていたよりも繋がりが深いようだ。私は曖昧に返し、しばらく体のコリをほぐすのに集中していた。
水を飲み、彼の作った軽めの朝食を体に入れて、酔い覚ましの為に外へ出る。ただ外の空気が吸いたかっただけだ。三人でダラダラと歩いていると、なぜかあまり寒さを感じなかった。その足で教会へ向かう。
そこは外よりも冷たい空気が流れている気がした。青白く光る室内は、他の場所と比べて神聖な場所という感じがする。校長の見様見真似でマリア像を見上げる。縋りたくなる気持ちも分からなくはないが、私が求めるものは別のところにある。
校長が大きな台の下を指差した。床には僅かに線が入っている。
「この下に生徒が眠っています。もう二度とここが開くことがないように、祈っているのです」
床に触れ、会う未来もあった彼らのことを想う。
部屋に帰って開けた箱に入っていたのは、新しいループタイだった。私が使っていた物よりも、遥かに良い質なのだろうと素人目で分かる。早速つけて、そのまま廊下に出ようとして立ち止まった。恥ずかしいけれど、彼らは私がつけてくることを望んでいるだろう。ここは私の感情など抜きに、そうしなければいけない。恥ずかしいというよりは照れているだけだ。なんて言われるだろうとそわそわしてしまう私の方こそ、プレゼントを靴下の中に期待している子供のようだ。
それからは授業の時間が減っていった。花壇を作ったり、図書室で何時間も過ごしたりと、各々が自由に過ごす時間に変わった。
私も彼と一緒に料理をしたりと、今までで経験したことのない事をしていた。このまま彼らとはもっと距離が近くなって、家族のように過ごせるかもしれない。私は満足していた、私だけが満足していたのかもしれない。
だって私は知らないから。ここにいる全員の中で、一番知らない。無知は仕方ない、仕方ないが……一番の罪だ。傷つけていることを知らない。誰かが私の代わりにやってくれるから私は今ここにいて、生活できている。息を吸って、笑っていられる。そんなことを考えることもしなかった。自由に溺れていた。今の私は、一体何なのだろう。
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