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土の中の夢 ― エンキドゥが見た最初の悪夢
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ウルクの砂を掘ると、湿った匂いがする。
乾いた大地のくせに、奥のほうはねっとりと粘ついていて、まるでまだ何かを孕んでいるようなのだ。
私は考古学者として、その日も古代ウルク遺跡の調査をしていた。
ギルガメシュ王の時代、紀元前2700年。神と人の狭間に立った王の伝説は、もはや神話の彼方にある――そう信じていた。
だが、その夜。
テントの中でノートを開いた私の視界に、ひとつの奇妙な文字列が浮かび上がった。
粘土板の断片を転写したものの中に、誰も知らぬ一行が混ざっていたのだ。
「女神アルルは、手を洗っていない。」
ありえない。
既存のギルガメシュ叙事詩には、そんな記述は存在しない。
彼女は“手を洗い”、粘土をつまみ、エンキドゥを創造したはずだ。
けれど、もし――
もしその手が「洗われていなかった」としたら?
私はその夜、夢を見た。
湿った粘土の中から、毛に覆われた腕が、私の手首をつかむ夢を。
目が覚めたとき、寝袋の中に泥があった。
指先にまだ、冷たい粘土の感触が残っていた。
翌日、現地の作業員が叫んだ。
「土の中に、人がいます!」
掘り返すと、それは完全な人骨でもミイラでもなかった。
ただ、粘土に覆われた肉体の形が、地層の中に浮かび上がっていた。
まるで、何かが地面の中で成りかけて、止まったような……。
胸のあたりに、刻印があった。
楔形文字でこう記されていた。
「エンキドゥ、第一のもの。まだ目覚めず。」
私は震えながら、記録を取った。
その夜、再び夢を見た。
水飲み場。
星が落ちてくる。
裸の男がそれを抱きかかえ、私の方を向いて微笑んだ。
その目は、土の色をしていた。
「おまえの手は洗ったか?」
男が問う。
「洗っていないなら、おまえも私を創る者だ。」
目が覚めたとき、爪の間に粘土が詰まっていた。
テントの外では砂嵐が吹いていた。
だが、その音は風ではなかった。
耳を澄ますと、それは何かが地の底で這い出してくる音だった。
ウルクには、ギルガメシュの暴政を鎮めるために、神々が土から「対」を作り出したという伝承がある。
だが本当の恐怖は――
その“創造”が一度で終わったとは書かれていないということだ。
女神アルルが「洗っていない手」で粘土を投げたとき、
そこに何人のエンキドゥが生まれ、そして地中に還ったのか。
彼らはまだ、「土の下」で夢を見ているのではないか。
ギルガメシュに敗れ、都市の外へ葬られた“原型たち”が、いまも夜ごと、
「もう一度、人間になりたい」と呻いているのではないか。
私は今、日本に戻っている。
だが、夜になると、机の上の粘土標本が湿る。
まるで呼吸しているように。
そして昨日、気づいた。
ノートの余白に、泥で書かれた新しい一行が増えていた。
「二度目の創造が始まる。」
私は、まだ手を洗っていない。
乾いた大地のくせに、奥のほうはねっとりと粘ついていて、まるでまだ何かを孕んでいるようなのだ。
私は考古学者として、その日も古代ウルク遺跡の調査をしていた。
ギルガメシュ王の時代、紀元前2700年。神と人の狭間に立った王の伝説は、もはや神話の彼方にある――そう信じていた。
だが、その夜。
テントの中でノートを開いた私の視界に、ひとつの奇妙な文字列が浮かび上がった。
粘土板の断片を転写したものの中に、誰も知らぬ一行が混ざっていたのだ。
「女神アルルは、手を洗っていない。」
ありえない。
既存のギルガメシュ叙事詩には、そんな記述は存在しない。
彼女は“手を洗い”、粘土をつまみ、エンキドゥを創造したはずだ。
けれど、もし――
もしその手が「洗われていなかった」としたら?
私はその夜、夢を見た。
湿った粘土の中から、毛に覆われた腕が、私の手首をつかむ夢を。
目が覚めたとき、寝袋の中に泥があった。
指先にまだ、冷たい粘土の感触が残っていた。
翌日、現地の作業員が叫んだ。
「土の中に、人がいます!」
掘り返すと、それは完全な人骨でもミイラでもなかった。
ただ、粘土に覆われた肉体の形が、地層の中に浮かび上がっていた。
まるで、何かが地面の中で成りかけて、止まったような……。
胸のあたりに、刻印があった。
楔形文字でこう記されていた。
「エンキドゥ、第一のもの。まだ目覚めず。」
私は震えながら、記録を取った。
その夜、再び夢を見た。
水飲み場。
星が落ちてくる。
裸の男がそれを抱きかかえ、私の方を向いて微笑んだ。
その目は、土の色をしていた。
「おまえの手は洗ったか?」
男が問う。
「洗っていないなら、おまえも私を創る者だ。」
目が覚めたとき、爪の間に粘土が詰まっていた。
テントの外では砂嵐が吹いていた。
だが、その音は風ではなかった。
耳を澄ますと、それは何かが地の底で這い出してくる音だった。
ウルクには、ギルガメシュの暴政を鎮めるために、神々が土から「対」を作り出したという伝承がある。
だが本当の恐怖は――
その“創造”が一度で終わったとは書かれていないということだ。
女神アルルが「洗っていない手」で粘土を投げたとき、
そこに何人のエンキドゥが生まれ、そして地中に還ったのか。
彼らはまだ、「土の下」で夢を見ているのではないか。
ギルガメシュに敗れ、都市の外へ葬られた“原型たち”が、いまも夜ごと、
「もう一度、人間になりたい」と呻いているのではないか。
私は今、日本に戻っている。
だが、夜になると、机の上の粘土標本が湿る。
まるで呼吸しているように。
そして昨日、気づいた。
ノートの余白に、泥で書かれた新しい一行が増えていた。
「二度目の創造が始まる。」
私は、まだ手を洗っていない。
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