隙なしハイスペ女子大生は恋愛偏差値が低すぎる。

深野ゆうみ

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秋の夜

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「はい、お待たせ。どうぞ」

 斉木さんが俺の目の前に温かいお茶の入った湯呑みを置く。ありがとう、と一言声をかけると斉木さんもソファに腰掛ける。

「昨日から今日まで本当にありがとう。人生で一番楽しかったかも」

 満足気な笑顔を浮かべて斉木さんは言った。それはもちろん俺も全く同じ気持ちで。できればこの日がずっと続けばいいのに、この時間が過ぎてしまわなければいいのに、そう思うほどだ。

「こちらこそ。大事な瞬間に一緒にいられて嬉しかった」

 斉木さんに真っ直ぐと視線を向けると斉木さんは恥ずかしそうに目を逸らした。一緒に過ごす時間が増えるほど、斉木さんの過剰な「雄」に対する意識は薄らいでいき、今となっては当初のガチガチの欠片もなくなっている。けれど、やっぱりこういうシチュエーションは相変わらず慣れないようで、緊張で固まってしまうのがまた初々しくてかわいいなと思ってしまう。

「去年は全然大野くんと関わるきっかけがなかったけどさ、今年になって偶然プレゼミが一緒で、そして忘れ物見つけてくれて、今こんな関係にまで発展してるのが不思議だなって思う。何が起こるかわからないものだね」

「俺なんか、斉木さんの視界にも入ってないんじゃないかってずっと思ってたからね。あまりにもハイスペ過ぎて近寄れないんだもん」

 振り返ると全てが偶然の連続で。でもそれこそが運命というものなのか、心の底から愛する人というのはこうやって結びついていくものなんだなと身をもって知ったような気がする。

「ハイスペって何それ、面白いなぁ」

 斉木さんはくすくすと笑う。

「あまりにもできすぎてるんだよ、斉木さんは。俺が斉木さんと付き合ってるって知れ渡った時には、そりゃあもう大勢の男から恨めしい顔で睨まれたんだから」

「えー!?そうなの?ごめんね、嫌な思いさせちゃってたんだ、知らなかった……」

 斉木さんはびっくりして俺の方を向くと眉毛を下げて申し訳なさそうに言った。

「全然大丈夫。男たちの気持ちは俺もわかるから」

 心配そうに見つめる斉木さんが子犬のようで、自然に手を伸ばして頭を撫でる。

「俺もさ、"できすぎてる完璧な斉木さん"って認識だった。他の男たちと一緒。それがたまたま、俺だけが斉木さんの不器用さを見ることができたんだよ。あの時『戦争と平和』を手に取ったのが他の男じゃなくて良かったって本当に思ってんだよね」

「……でも、私は大野くんじゃなきゃここまで来れなかったと思う。何も変わらずにずっと男性への苦手意識を拗らせてた気がする」

 斉木さんの言葉は、"別に俺じゃなくても、あの時に本を手に取った男なら斉木さんと付き合ったのではないか"と、たまに俺の頭の中を掠める考えを心地よく取り除いてくれる。斉木さんの言葉はいつも誠実さと温かさで溢れているのだ。

 二人の間を流れる空気は、穏やかで心地良い。今までに味わったことのない、心が満たされる感覚。

 と、そこにスマホのバイブが音を響かせた。音の方向を目で辿ると、俺のバッグの中からだと分かる。誰かからの通話なのだろう、音が途切れることはない。俺は一つ小さなため息をついた。本当はこの空気を壊したくなかったのだけど。

「大野くん、とっていいよ」

 斉木さんがそう言うから、俺は自分のスマホを渋々と取りに立った。そしてスマホの画面を見ると肩を落としてがっかりする。

「……親だ。後でかけ直すよ」

 こんな時に限って何の用事だというのだ。まぁあちらとしてはこちらがどういう状況かなんて一つも想像できないのだから仕方ないことなのだろうけど。

「えっ、いいよ。出なよ。急用かもよ」

 斉木さんにそう言われると、どきっとして、確かにな、なんて思って一言断りを入れてから立ったままスマホの応答ボタンをタップする。斉木さんは"時間と自分のことは気にせずに"という配慮なのだろう、バッグから本を取り出してページを繰り始めた。


 時間にして10分程度だろうか、親との通話が終わってため息をつく。何のことはない、冬休みはいつ帰るのかとか成人式には出席するのかとか、ただの近況報告だけで。まさか俺が今彼女の家にいて、ご両親にも既に挨拶をしている、なんて言ったらきっと卒倒することだろうし、話が長引くだけなのでそのことには一切触れずにいた。

 通話を終えた俺は斉木さんの隣に再び腰掛けた。斉木さんはこの10分間で完全に本の世界に入り込んでいるのか、俺が通話を終えても変わらず真剣な視線を活字に落としている。
 
 ───こんな彼女の姿が俺は大好きだ。

 容姿端麗、明るくて聡明。素直で汚れのない心。誰とでも仲良くなれて(女子限定)社交的だけど、しっかりと持っている自分だけの世界。誠実さ。

 俺は自分でも知らない間に、彼女を形作る全てのものに、溢れんばかりの愛おしさを抱いていた。

 分厚い文庫本のページをめくる細くて白い指。

 忙しなく字を追う真っ直ぐな瞳に、淡い翳りを落とす長いまつ毛。

 視線に気づいて一瞬だけ目を合わせ、控えめに笑みを浮かべる口元。

 静かに抱き寄せると、緊張に小さく震える細い肩。

 抱きしめた手にふわりと温かい感触を与える、手入れの行き届いた長い髪。

 耳元で「大野くん」と小さく呼ぶ、悩ましいほど艶っぽい声。

 俺はそんな斉木さんの背中に腕を回しながら一言「愛してる」と小さく発する。

 物音一つしないこの部屋で、心臓の音だけがやたらと大きく聞こえてくるが、もはや二人のどちらのものなのかわからない。そわそわしていた斉木さんの手が俺の背中の上で落ち着き、触れるその温かさが心地良い。

「私も」

 小さいはずの斉木さんの声が部屋の中に響き渡ると、俺の心の中にもその響きがじんわりと温もりを帯びて伝わってくるのがわかる。



 ───秋の夜は長い。すでに日が暮れ暗くなった外の夕闇に溶け込むように、俺たちは二人、強く抱きしめ合った。


 Fin.
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