放蕩事情譚

ゴんざェもん

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前奏

汗と、平和のようなもの

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暑過ぎる。

昨日、後厄の年を迎えた私はラジオ体操をしていた。
軽快で、それでいてなんとも懐かしい音楽をこの歳になっても太陽の下でリズミカルに手足を曲げ伸ばしするとは、小学校の頃夏休みに在りし若年の私は考えもしなかっただろう。

勉学から離れて何ヶ月経ったのだろうか。数えることが億劫になってから、休学届を延長するときにだけ、過ぎ去りし日々を感じる。それ以外の日常では現在を生きること、明日の予定と預金残高のみが脳内の会議室で取り扱われる議題である。特に、勉学や研究に勤しんでいない学生において金を稼ぐことは避けることのできないことだ。

体操が終わり、すでに汗だくの私は、額の汗を拭い、粛々と仕事を始める。先輩たちの視線をすぐさま読み取り、若輩特有の高い声を出して、仕事を進める。

私のアルバイト先は自宅である学生寮、黄花(おうか)荘から坂を幾度か越えた先にあり、最近ではチェーン店に押されているとはいえ、東京都内の一等地に店を構える喫茶店である。

テーブルを拭き、アルコールで卓上と椅子を除菌し、水差しに氷を放り込み、水を注いだところで台所から先輩たちの声に耳を傾ける。

「今日も35度を超えるみたいなんよ。」
「へぇ、そうですか。」

最近ずっとこんな調子である。他に話すことといえば、前日の売上から政治関連に至るまで様々あるだろうが、この数ヶ月は専ら連日の酷暑について誰かが話し、「そうですか。」とか「へぇ。」とか、そんな具合だ。その合間を縫うように、急いているようで、頑なな先輩の指示によって、手足が動き続ける。この頃には意識は遠のいていく。

幾らか時間を早足で通り過ぎたようだ。時計を分針が動くのを確認し、台所に向かって休憩を告げ、外に出ると同時に煙草に火を点ける。

“平和”と銘された煙が熱気に揉まれて霧散していく。万物の法則に従って燃えゆくその一本。私の息と重なり、より早く消えてゆく。

もはや、駆け足で通り過ぎたランチタイムの後、手持ち無沙汰になった私は、店の音楽のボリュームを上げる。有線をかけるでもなく、店長のお気に入りの曲をかけるでもなく、どこから持ってきたか見当もつかないヒーリングソングが店内に癒しを届けるべく広がっていく。珈琲一杯で話続ける人々の水のグラスを眺めながら、水差しを片手にエアコンの送風口に立ち続けて、さらに気が遠のくのを感じる。

エスニックな曲が煩くなる頃には、西陽が差し込む店内には数名の”お客様”を残して閉店時間の5分前に差し掛かった。

遠のいた意識をなんとか引き戻し、今日あったことを思い出してみる。片付けが始まった。フルタイムで働くことが常になった私は、この時間になると店終いと帰りのバスの時間を待つことが自棄に面倒に感じられて集中力を失う。

帰りのバスに乗る頃には、理由を考えても分からない疲労感からか、魂の抜けた身体を見下ろす自分自身が直上に座して悲しい唄を歌い出す。唄が終わらないまま、黄花荘の門を開け、四階へ上がり、1番奥の部屋へ吸い込まれていく。自室の窓を開け、咥えた煙草の火が煙に変わり果ててゆく幾らかの間、唄は最高潮に達した。丁寧に灰皿に潰された煙草の煙の残滓の臭いから顔を背け、横になる。

拾った間接照明の明かり、漫画本の下に積まれた学術書、大分臭うアルバイトのエプロン、壁に吊るされたチェキの写真、床に並べられた酒瓶、それと有象無象。世界の中心で、静かになった体から魂は部屋の天井を通り抜け、蒸し返す屋上に漂って霧散した。うつろな身体が部屋に残され、部屋の中には人の息遣いが消える。黄花荘430号室は存在しないかに思えた。
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