放蕩事情譚

ゴんざェもん

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第一章

午後23時19分

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男にとって我慢できないものはすぐに解決せねばなるまい。

昼過ぎに、寝起きしては悶える時間を越えて、体を起こすと雑然とした部屋には何かが足りなかった。懐を探り、背中の届かない所の痒みを振り解いたところでそれは見当も付かない代物であったようだ。昨晩の食事は何時だったか、何を食したのか考える内に食欲が押し寄せ、部屋の隅の棚から何時買い置いたか知れないレトルトカレーと米をレンジに放り込んで呆けていた。

原子か分子だったかもしれない何かを揺らす装置は1分半の間に私の中から何かを引き摺り出し、過ぎ去ろうとしている夏の空気に溶け込もうとしているのが感じられた。

恐ろしくも、奇妙な現代機械から安っぽいカレーライスを生み出してしまった私は、それを器に移す手間を抜き、袋から啜りながら部屋に戻る。昼の黄花荘は寝息すら拾い上げず、蝉の鳴き声を反響する空洞であった。

カレーライスは空の袋を残し、胃に収まり、ゴミ箱へと投げ込まれる。食欲を満たした抜け殻は布団の中で蠢くと思いきや、二日間の布団内での宙吊りを考えると、そそくさと他所へ行く装いを身に付ける方向へ赴くこととなった。何か足りなかった。何か足りないことで人間はそれを補おうとする欲求に駆られ、その方向へと進んで仕舞えば最後、部屋の鍵を閉め、黄花荘の階段を下りるのは容易いことであった。

夏の暑さは翳りを見せたか。太陽は雲に隠れ、小雨さえ零さむとしている。そんな湿った空気の中を、夏の太陽を嫌らしく思う私は進んで行った。

いつもの散歩道には神社への参道を利用している。古びた商店街には、新参者の若者が構えた店が入り始め、さぞ写真映えを狙った店が軒を連ねている。私がしばし歩くと、小さな赤い喫茶店が見えて来る。鳥居を潜り、境内に入らんとする土地には極めて小さな郵便局程度しか入る事は許されていないのではないかと思われたその場所に「御伽草」が在るのだ。御伽草は、若い男性が1人で営んでいる珈琲屋であり、普段は客がいる事は愚か、店前で写真を撮る人さえ見掛けない店であった。店内に入ると同時にブレンドコーヒーの注文を受けると、店主はゆっくりと豆を挽き、珈琲を早めに落とすと、すぐに熱い珈琲をカウンターに差し出す。店主が奥の椅子に戻るのを感じながら、カウンターから北欧風のティーセットに注がれた珈琲を受け取り、席に着く。これが一連の流れである。

珈琲の最後の一口を口に含み、小銭をちょうどカウンターに置いて、店を出ると、私は境内を横目に表参道へと歩を進めることとなる。

境内の木陰で休んでいた魂も表参道へと引っ張られ、繁華街裏手の路地へと吸い込まれていった。

恋人たちが愛を育むという宿が軒を連ねる場所を抜け、交通量の多い通りに出る。ある人はイヤホンへと仕切りに話し掛け、またある人は恋人と思われる人と手を繋ぎ、横断歩道を渡っていった。

私はこの横断歩道を渡ってはいけないと悟り、渡り掛けた魂の背中の辺りを絞り上げ、人通りのより少ない場所へと進んで行く。

くたびれたサラリーマン風の男性や珍妙な服を着た女性とすれ違いながら、口内から消えゆく、珈琲の苦味の最後の一味を感じながら、雑居ビルのエレベーターに乗り込みボタンを押した。

私に捕まっていた魂は、食欲の次の欲求を見出したらしい。夕方の汚らしいネオンの隙間を通り抜け、これは0.05ミリ程の薄さで空に溶けていき、夜の闇を呼んできた。

人も殆どいない電車を降りると、そこは空の駅であった。長く続くホームを重い足取りで進み、改札を見張る駅員が他の者と談笑して目も向けないところを靴を鳴らして通り抜け、外に出た。

駅前のコンビニエンスストアにはびっしりと水滴が付着し、熱帯夜を演出している。これは地下鉄の通り過ぎる時の風の後に私の脚に纏わり付き、帰路の重い足取りに更なる負荷を掛ける。

小学生の頃、勉学には熱心に取り組んでいた私には、鈍足という唯一の欠点があった。しかし、運動にも余念が無かった私は、他所の誘いを蹴り飛ばし、地域の新進気鋭の中学で部活動を引っ張る役回りを演じることになる。これが幸いして、全ての努力が無に帰す、出来事を引き起こし、精神は砕け散った。監督という名を与えられた老いぼれが私を追い込み、10年以上磨いたものと自信を破壊した。そして、旧帝大を輩出するエリートの中で見事な落ちこぼれとなった。その後、ややあり、現在の大学へと進むことになるのだが、ここまでを思い返すことがどれだけの苦痛と体力を要するか、自分以外の何者にも理解されないであろう。神という存在がいるとしてもこれは理解に難い。

ところで、その鍛えられた足腰に纏わり付く蒸し暑さは形容し難いものである。ポケットには学生には高額な領収書が丸めてあり、これも足枷となった。

男というものに酒、煙草、そして、女というのは常であるものであろう。これが私の成れの果てであるかに思えた。足りないものなどこれ以外に在るのだろうか。耐え忍んで稼いだ金額の約1ヶ月分の金額が氷よりも早く消え失せる。だが、これによって刹那的に満たされることが出来てしまうのが私という存在なのかもしれない。

抜け殻が暗い夜道を往く様を見て、今度は魂が私の襟を引き絞り、直上から斜め前へと摘み上げる。薄ら笑いに見えるその表情は嘲笑であり、刹那的に快楽に満たされた後の虚に囚われた抜け殻を一切の情けもなく、連れて行く。

程なくして、夜になって酒盛りの声の響く黄花荘に到着した。私の意識は、脱ぎ掛けの靴下に持っていかれそうになりながら、煙草に火をつけ、窓を開け放つ方へと向かい、部屋の冷気と一緒に大量の煙を吐き出した。

魂は、夜烏と遊び、これを窓の外の街頭に腰を据えて見上げている。忌々しい限りを尽くすその表情は変わる事はない。

携帯電話には、祖母と母からの着信履歴が表示され、程なくして遊び倒した女から絵文字を散りばめたメッセージが表示された。この時は、既に酔いが覚めていたが、これらを忘れるための酒に手を掛けるまでに時間は要さなかった。

東洋医学の発展に敬意を表し、漢方薬を煎じた苦汁で抗うつ剤と睡眠導入剤を飲み込み、その残りカスを安物の芋焼酎で満たし、これを煽る。

魂はさらに大袈裟に笑みを浮かべ、満たすことなど幻想であることを抜け殻に告げた後に東の空へと消えて行った。
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