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41.目的
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「ひどい雨だな……」
雨は勢いを増すばかりだった。外は白く霞んでいる。
「ああ、まったく参ったよ」
「バリーもタイミングが悪かったな。父上も母上も出掛けてるんだ」
夜には戻るはずだ、と言うとバリーはゆったりと首を横に振った。
「俺はアルベルトに会いに来たんだよ」
「私に?」
心当たりがまるで無い。バリーとは手紙でやり取りする程度で、あまり顔を合わせる機会も無い。最後に会ったのはアルベルトの生誕祭だったが、クレアとのことでまともに話すこともなかった。
「この前言いそびれてしまったんだがお誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう。まさか、それを言いに来てくれたのか?」
「いや、本当は君の婚約者に会う予定だった」
アルベルトはそれまでの笑顔を引っ込めると、怪訝そうな顔をした。
「……何だって?」
「クレア・バンクスさ。バンクス夫妻はフェルナンデス家とも親交があるのは知ってるだろう? だけど、婚約は白紙になったとか。王妃様がっかりしてたぞ」
そんなところまで話が進んでいたのか、とアルベルトは頭を抱えた。
「子どもの頃の口約束だったんだ……」
「そんな気はしてた。親たちが先走ったんだろうなって」
気にするな、この話を知ってるのはこれだけだ。と、バリーは肩を叩いて励ました。
「婚約の話は無し、だから今晩の晩餐会も中止になったんだが……王妃様はまだアルベルトが心配らしい」
バリーは何やら胸元から四つ折りの紙切れを取り出した。規則正しく、びっしりと書かれた細かい文字に一種の狂気を感じる。アルベルトは呪物を受け取るように、爪の先で摘んでその紙を受け取った。
「この条件に合う女性を探してくれって」
「なんだこれ、またびっしりと……」
淑やかであること、素直であること、一途であること、料理がある程度出来ること、整理整頓が出来ること、贅沢好きではないこと……事細やかな条件の一番下に慌てて付け足されたような一文に、彼女の心情が顕れていた。
ーー無鉄砲でないこと。
王妃はずっと、クレアのことを"無鉄砲娘"と呼んでいた。条件の揃った婚約を無しにしても、あてのない旅に出ようとする愚か者だ、と。笑顔で送り出してはいたものの、クレアのことはまだ怒っているらしい。
「貴方なら女性にお詳しいでしょうって。俺に頼むの、本当はもの凄く嫌だったんだろうな」
手紙の字が震えてたよ、とバリーは楽しそうに笑った。
「必要ない」
「そう言うと思ったよ」
バリーはゆったりと腰掛け、まるで自分の家のように寛いでいる。
「第一、私のことよりバリーこそ……婚約破棄しただろう」
「いや、婚約することを破棄したんだ」
バリーは少し怒ったように言い返した。さほど違いはないように思えるが、彼にとっては重要な問題らしい。訂正してくれ、と憤慨している。悪かった、と謝罪すると分かればいいと言って満足そうに笑った。
「だが、独り者なのは変わらないはずだ」
「俺は大丈夫、アルベルト王子に相応しい方を見つけたのちに、身を固めたいと思っております」
急に丁寧な物言いになったことに不信感を覚えたアルベルトだったが、その理由がすぐに分かった。
「ああ、正式な理由をつけて物色したいだけだろう。まったく……」
「人聞きが悪いな……まぁいいだろう。適当に流していればいいさ」
口の端を歪めて意地悪そうに笑う。アルベルトは正直バリーという男が苦手だった。自分とそっくりな顔立ちをしているのに、中身が違うだけでこうも別人になる。
飄々としていて掴みどころがない。それでいて、何もかもを見透かしたような目をしながら無邪気に近付く。
「……心に決めた人がいるんだ」
アルベルトは、ふっと笑いながら呟いた。その表情があまりに幸せそうで、バリーの頬も思わず緩んだ。
「そう、王妃様はご存知なのか?」
「いや、まだだ。話したいとも思ってるんだが……」
「なかなか難しいのか……なんとなく察したよ。でも、話すだけ話してみたらどうだ、だめなら駆け落ちすればいい」
バリーは心配そうに親身に話を聞いておきながら、たまに到底あり得ないアドバイスをする。おまけに、「お前がいない間は、このフェルナンデスがクレール城を仕切ろう」だなんて言ってる。だが、そういうところが憎めない。
「適当だな……私は逃げない」
ドアを叩く音がする。焼き立てのクッキーと紅茶を手に、ネイトはゆっくりと部屋の中を進む。
「失礼します」
緊張して口の中がカラカラだった。ドアを開ける直前まで、ネイトはすっかり失念していた。
ーーあいつ、俺とのこと話したのかな。
途端に不安になった。アレとアレはいいとして、アレとアレは絶対に言わないでほしい。
そもそも、彼が"ロイ"と名乗っていたことをアルベルトは知っているのだろうか。この衝撃を分かち合いたい
チャーリーの姿はここにはいないようだった。
「ありがとう」
バリーはにっこりと知らない顔で微笑む。ネイトは緊張で震える手でバリーの前にカップを置いた。
「……ネイト、緊張してるのかい?」
ネイトの手を微笑ましそうに見つめながら、バリーが楽しそうに言う。
「あれ、二人は知り合いだったか……?」
アルベルトは驚いたような顔で二人の顔を交互に見比べた。
「いえ……「ああ、元恋人だ」」
雨は勢いを増すばかりだった。外は白く霞んでいる。
「ああ、まったく参ったよ」
「バリーもタイミングが悪かったな。父上も母上も出掛けてるんだ」
夜には戻るはずだ、と言うとバリーはゆったりと首を横に振った。
「俺はアルベルトに会いに来たんだよ」
「私に?」
心当たりがまるで無い。バリーとは手紙でやり取りする程度で、あまり顔を合わせる機会も無い。最後に会ったのはアルベルトの生誕祭だったが、クレアとのことでまともに話すこともなかった。
「この前言いそびれてしまったんだがお誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう。まさか、それを言いに来てくれたのか?」
「いや、本当は君の婚約者に会う予定だった」
アルベルトはそれまでの笑顔を引っ込めると、怪訝そうな顔をした。
「……何だって?」
「クレア・バンクスさ。バンクス夫妻はフェルナンデス家とも親交があるのは知ってるだろう? だけど、婚約は白紙になったとか。王妃様がっかりしてたぞ」
そんなところまで話が進んでいたのか、とアルベルトは頭を抱えた。
「子どもの頃の口約束だったんだ……」
「そんな気はしてた。親たちが先走ったんだろうなって」
気にするな、この話を知ってるのはこれだけだ。と、バリーは肩を叩いて励ました。
「婚約の話は無し、だから今晩の晩餐会も中止になったんだが……王妃様はまだアルベルトが心配らしい」
バリーは何やら胸元から四つ折りの紙切れを取り出した。規則正しく、びっしりと書かれた細かい文字に一種の狂気を感じる。アルベルトは呪物を受け取るように、爪の先で摘んでその紙を受け取った。
「この条件に合う女性を探してくれって」
「なんだこれ、またびっしりと……」
淑やかであること、素直であること、一途であること、料理がある程度出来ること、整理整頓が出来ること、贅沢好きではないこと……事細やかな条件の一番下に慌てて付け足されたような一文に、彼女の心情が顕れていた。
ーー無鉄砲でないこと。
王妃はずっと、クレアのことを"無鉄砲娘"と呼んでいた。条件の揃った婚約を無しにしても、あてのない旅に出ようとする愚か者だ、と。笑顔で送り出してはいたものの、クレアのことはまだ怒っているらしい。
「貴方なら女性にお詳しいでしょうって。俺に頼むの、本当はもの凄く嫌だったんだろうな」
手紙の字が震えてたよ、とバリーは楽しそうに笑った。
「必要ない」
「そう言うと思ったよ」
バリーはゆったりと腰掛け、まるで自分の家のように寛いでいる。
「第一、私のことよりバリーこそ……婚約破棄しただろう」
「いや、婚約することを破棄したんだ」
バリーは少し怒ったように言い返した。さほど違いはないように思えるが、彼にとっては重要な問題らしい。訂正してくれ、と憤慨している。悪かった、と謝罪すると分かればいいと言って満足そうに笑った。
「だが、独り者なのは変わらないはずだ」
「俺は大丈夫、アルベルト王子に相応しい方を見つけたのちに、身を固めたいと思っております」
急に丁寧な物言いになったことに不信感を覚えたアルベルトだったが、その理由がすぐに分かった。
「ああ、正式な理由をつけて物色したいだけだろう。まったく……」
「人聞きが悪いな……まぁいいだろう。適当に流していればいいさ」
口の端を歪めて意地悪そうに笑う。アルベルトは正直バリーという男が苦手だった。自分とそっくりな顔立ちをしているのに、中身が違うだけでこうも別人になる。
飄々としていて掴みどころがない。それでいて、何もかもを見透かしたような目をしながら無邪気に近付く。
「……心に決めた人がいるんだ」
アルベルトは、ふっと笑いながら呟いた。その表情があまりに幸せそうで、バリーの頬も思わず緩んだ。
「そう、王妃様はご存知なのか?」
「いや、まだだ。話したいとも思ってるんだが……」
「なかなか難しいのか……なんとなく察したよ。でも、話すだけ話してみたらどうだ、だめなら駆け落ちすればいい」
バリーは心配そうに親身に話を聞いておきながら、たまに到底あり得ないアドバイスをする。おまけに、「お前がいない間は、このフェルナンデスがクレール城を仕切ろう」だなんて言ってる。だが、そういうところが憎めない。
「適当だな……私は逃げない」
ドアを叩く音がする。焼き立てのクッキーと紅茶を手に、ネイトはゆっくりと部屋の中を進む。
「失礼します」
緊張して口の中がカラカラだった。ドアを開ける直前まで、ネイトはすっかり失念していた。
ーーあいつ、俺とのこと話したのかな。
途端に不安になった。アレとアレはいいとして、アレとアレは絶対に言わないでほしい。
そもそも、彼が"ロイ"と名乗っていたことをアルベルトは知っているのだろうか。この衝撃を分かち合いたい
チャーリーの姿はここにはいないようだった。
「ありがとう」
バリーはにっこりと知らない顔で微笑む。ネイトは緊張で震える手でバリーの前にカップを置いた。
「……ネイト、緊張してるのかい?」
ネイトの手を微笑ましそうに見つめながら、バリーが楽しそうに言う。
「あれ、二人は知り合いだったか……?」
アルベルトは驚いたような顔で二人の顔を交互に見比べた。
「いえ……「ああ、元恋人だ」」
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