6 / 11
6.彼女は大切な人
しおりを挟むそれからほんの数分も絶たずに、来客を告げるベルが鳴った。想像していたよりもずっと早い到着に、デヴィン絶望的な表情を浮かべていた。当然のことながら、支度はまだ完璧に済んでいないらしい。
「セス……!」
「姉さん、元気だった?」
フランチェスカより頭一つ分、いや、今はそれ以上に大きく見える。線が細くて女の子みたいだったセスが、今はがっしりと体格も良くなってすっかり大人びて見える。フランチェスカと同じブロンドの髪を肩まで伸ばし、くたびれたスーツもなんだか洗練されている。母によく似た優しそうな眼差しは幼い頃と変わらない。
「元気よ、会いたかったわ。セスも元気そう、また背が伸びた?」
「もう今更伸びる訳ないだろ、ねぇ、旦那様は?」
「ごめんね、仕事で外に出てるの。カーティスもずっと貴方に会いたがっていたわ。実は手紙が手違いで今朝届いたのよ」
「そうだったんだ。どうりで返事が来ない訳だ……。じゃあ押し掛けたみたいになったね。ごめん、デヴィンさん達にも申し訳ないことを……」
セスは迎えてくれた使用人達に申し訳なさそうに頭を下げた。デヴィンは滅相もない、と慌てている。
「……どうしたの、姉さん元気ないね」
離れていても、さすが血の分けた兄弟だ。セスは姉の様子がいつもと違うことに目敏く気付くと、心配そうな顔で覗き込んだ。
「……なんでもない」
「そうだ、海を見に行かない? 泊まっている宿からすごく綺麗な海が見えてさ」
「海……いいわね」
山で四方を囲まれたチェレスタ出身の者にとって、海は大変珍しく、憧れだった。それはフランチェスカも同様だった。いつか見に行きたいと思っていたのだが、忙しない毎日の中ですっかり忘れていた。
「ねぇ、デヴィン。私しばらく出掛けてくるわ」
「し……しばらくとは?」
「気が済むまで」
デヴィンの顔が僅かに引き攣った。普段から勢いだけで物事を決めるフランチェスカに対し、デヴィンは基本的には嫌な顔をしないで対応してくれる。だが、今回ばかりは苦い顔をしたまま首を縦に振らない。
「いいじゃない。どうせカーティスは仕事、仕事だし、一晩くらい」
それに、セスの部屋の支度をしなくてもいいわよ。と囁くと、デヴィンは静かに頷いた。
「……では、お二人が戻るまでにしっかりと準備させていただきます。お荷物のご用意を」
「簡単でいいわ、ありがとう」
「え、待ってよ。一晩って言った?」
セスは少し迷惑そうな顔でフランチェスカを見た。
「いいじゃない。兄弟水入らず、私の愚痴を聞いてちょうだい」
「いいけど……あ、あれ誰だろう?」
こじんまりとした馬車から、待ちきれない様子で自ら扉を開く。黒のヴェールを被った、華奢な女性が転がるように飛び出してきた。
「デヴィン、手紙をもらって飛んで来たの。カーティスは?」
ふわっとヴェールを上げると、その美しい顔立ちが露わになる。大きな瞳に薄い唇、顔は驚くほど小さい。ふわふわとした巻き毛は柔らかそうで、頬の周りで愛らしく揺れている。
「マチルダ様」
「……マチルダ?」
その美しさに見惚れていたフランチェスカだったが、その名前を聞いて思わず眉を顰めた。
「あら、失礼。私はマチルダ・フォンティーヌ。どこかでお会いしました?」
彼女は少し驚いたような顔をして振り返ると、すぐに感じ良く微笑んだ。
「いーえ、初めましてだわ。私はフランチェスカ・ユノー」
「ああ、貴方が……」
名乗った途端、マチルダはそっとヴェールを被り直した。気付いていないとでも思っているのだろうか、ヴェールの中で視線が忙しなくフランチェスカを観察するように動いていた。
「僕はセス、初めまして。綺麗な髪飾りですね、ヴェールと一緒になってるんだ」
セスは感心したように彼女の髪に付いていた真珠の飾りを褒めた。ヴェールの上にリボンのようにあしらわれている。
「セス、やめて」
セスには裏表という概念がない。おまけに、綺麗なものや珍しいものを見ると素直にすぐ口に出して褒める。そのおかげで誰とでもすぐに友人になれるのだが、女性とのトラブルも多い。
セスからすれば思ったことを言っただけなのだが、女性からすれば思わせぶりな態度を取られたと思う。
「彼女はね……敵よ」
今回は無用なトラブルを避けようという姉の気持ちというより、自分の敵になるかもしれない女をいい気分にさせたくなかった。
ただ、弟に説明するのにもう少し、言葉を選ぶべきだったかもしれない。
「そうなの?」
セスの顔付きがさっと変わった。
「……何があったか知りませんけど、この人を傷つけたら許しませんよ。僕の大切な人なので」
セスはにっこりと微笑んで、マチルダの目をまっすぐに見つめた。
「……まぁ」
「セス、もう行きましょう。それじゃあ、デヴィン。カーティスによろしく。……どうぞ、貴方もごゆっくり」
セスに凄まれて立ち尽くすマチルダをいい気味だと思った。
急ぎで荷物を用意してくれたようだから、簡単にと言っても何が必要か分からなかったかのだろう。フランチェスカは思っていたよりずっと大きな荷物を抱えてその場を離れた。
「マ、マチルダ様、きっと何か誤解があったのでしょう。話せばきっと、」
デヴィンはこの場をなんとか穏やかに済ませようと右往左往していた。
「……私のこと、綺麗ですって」
「え、ああ。そうですね、マチルダ様はお綺麗ですよ」
マチルダの少し嬉しそうな声を聞いて、デヴィンはホッと胸を撫で下ろした。どうやら機嫌を損ねたわけではないらしい。綺麗だと言ったのは髪飾りのことでは? とも思ったが、余計なことは言わないでおく。
「素敵な殿方だったわ。それに、彼女を庇うあの仕草……そう、"大切な人"なのね」
「そうですね。セス様は留学中でお二人が会うのも何年振りかだと聞いております」
フランチェスカから『気が済むまで』と言われた時は一瞬ヒヤッとしたが、一晩兄弟水入らずで話せばスッキリして帰ってくるだろう。デヴィンは楽観的に考えていた、この時までは。
10
あなたにおすすめの小説
家出を決行した結果
棗
恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。
デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。
自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。
※なろうさんにも公開しています。
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、どうぞお好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました
相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。
――男らしい? ゴリラ?
クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。
デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。
「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに対して、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載しております。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
冷遇夫がお探しの私は、隣にいます
終日ひもの干す紐
恋愛
愛人がいるなら、さっさと言ってくれればいいのに!
妻に駆け落ちされた、傷心の辺境伯ロシェのもとへ嫁いでほしい。
シャノンが王命を受け、嫁いでから一年……とんでもない場面に立ち会ってしまう。
「サフィール……またそんなふうに僕を見つめて、かわいいね」
シャノンには冷たいの夫の、甘ったるい囁き。
扉の向こうの、不貞行為。
これまでの我慢も苦労も全て無駄になり、沸々と湧き上がる怒りを、ロシェの愛猫『アンブル』に愚痴った。
まさかそれが、こんなことになるなんて!
目が覚めると『アンブル』になっていたシャノン。
猫の姿に向けられる夫からの愛情。
夫ロシェの“本当の姿”を垣間見たシャノンは……?
* * *
他のサイトにも投稿しています。
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる