宿命の御手

日向 白猫

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 無謀な復讐ほど愚かなものはない。何故なら、確実に果たすことができる保証がないからだ。失敗に終わる可能性の方が遥かに高いのに、どうしてそのような選択をする人間がいるのだろうか。
 今の自分には、それが少しだけわかるような気がした。
 この胸の中に巣食う、どろどろとしたものは、復讐でしか晴れない。
 彼はそう確信しながら、ポレックスの運転する車の助手席に腰を深く沈めていた。大きく、静かに深呼吸をする。セダンではなく、ワンボックスを運転するポレックスは、スーツに身を包み、耳には通信機のイヤホンを入れていた。
 並走するミニムス、メディウスと連絡を二、三取り合うと、ポレックスの車は彼らと別れた。
 しばらく街道を走らせると、一軒のレストランの前でポレックスは車を止めた。アーヌラーリウスは目配せをされ、車を降りた。
「三〇分後に現地に向かえ。道すがら、増援を消すのを忘れずにな」
「了解」
 アーヌラーリウスは渡された通信機を耳に嵌め込み、外に出た。イヤホンのコードは無造作に垂らし、首を小さく、リズムよく振る。背後でワンボックスが発進した。
 アーヌラーリウスは車が消えるか消えないかの内に、レストランのテラス席へ腰掛け、持参した雑誌を開いた。水を運んできたウェイトレスにいくつか注文を通し、所定の時間になるのを待った。
 雑誌の内容は全く頭に入ってこない。サクソフォンに関するゴシップ記事が連日のように書き並べられているのだが、それすら目に入ってこなかった。
 考えるのは、暗い工場内に吊るされたインデックスの死体と、微笑んでいるような死相だった。
 彼がその表情で、何を伝えようとしたのか。アーヌラーリウスはそう考えかけて、死人が何を伝えようというのか、と思い直した。それをここ数日、ずっと繰り返していた。ミニムスとはあの日以来、一言も口を利いていない。
 今回の作戦で、二人が直接関わることはなかったし、互いの役割的にもこれから戦闘時に接点がないように思えた。
 サクソフォン暗殺という最終目標に関して言えば、何ら支障はないのだが、何か話さなくてはいけないような気がして落ち着かない。
「ご注文のアイスティーでございます」
 雑誌から顔を上げる。表情のないウェイトレスの手から、アイスティーのグラスが離れる。結露した滑らかな表面に指の跡があった。四本の指の跡だ。この女は人差し指を立てて、グラスを持つ癖があるらしい。
 欠けた人差し指の跡が、インデックスを思わせた。雑誌を持つ手に力が入る。
 ――この感じは、何だ……。
 何かを破壊したい衝動を抑え、アイスティーを飲む。雑誌は閉じて、テーブルの上に放った。グラスから垂れた水滴が少しばかりその表紙を濡らしてしまう。もう読む気はないのでそのままにしておく。
 パスタが運ばれてきたタイミングで、通信が入った。ポレックスから三人への指示だ。
「全員持ち場にはいるな。作戦開始だ」
 その言葉を待っていたかのように、ミニムスの声が間髪入れずに返っていた。
「了解」
 メディウスの返答もそれに含まれている。
 当初の予定にはなかった、復讐の狼煙が上がった。

 都心を外れた長閑な丘に、その豪奢な館はあった。白亜の壁が眩く聳え、青々とした屋根が人目を惹く。
 セシル・ワイルダー率いる「ワイルダーファミリー」の根城は、清閑とした緑の中でこれでもかと存在を主張していた。そして、それがワイルダーファミリーの強大さをも示していた。
 国内屈指の規模と実力を誇るワイルダーファミリーは、地元警察の手だけでは掌握し切れず、それをいいことに国家権力や有力な資本家とも繋がりを持っていた。それを笠に着て、違法な売買と平然と行っていた。
 国や行政は彼らと密接な繋がりを持っているために、それを取り締まることもできないでいた。
 同時に、彼らは市場にもその手を伸ばしており、組織としての資産は大企業を裕に超えるものを持っていた。まさに、この国を裏で牛耳っているのである。
 そんな組織に喧嘩を売る同業者がいるわけがなく、彼らはこれほど目立つ根城を持つことができるのだった。
 その根城の真ん前に一台の乗用車が止まる。スポーツタイプの高級車だ。紅い車体は皆人の目を余すことなく引き、騒々しいエンジン音は耳障りこの上ない。庭でバーベキューに興じていたファミリーの数人が訝しげに互いを見合い、腰に差していた銃を各々、手に持った。
 撃鉄を起こし、巨大な門の向こうに止まる赤い車に忍び寄る。
 この界隈で見慣れない車だった。言わずと知れたセシル・ワイルダーに、どこぞの命知らずが喧嘩を売りに来たのかもしれなかった。
 もし、そうであるならば、下っ端の彼らが門前払いをしなければならない。
 五人の男が車に銃口を向けて、近づいた。
「――っ!」
 突然、後部座席の窓が開き、若い男が顔を出した。まだ二〇にも満たないその男は、愛想のいい笑顔で手を振り、そして窓の向こうに引っ込んだ。
「何だ?」
「やめろ。迂闊に近づくな」
 男達は車と一定の距離を保ちながら、銃口を向け続けた。
「やっほー。皆さま、お疲れ様でございます。私、喫茶Fingersの従業員、ミニムスと申します」
 ミニムスが再び窓から顔を出し、恭しく挨拶をする。男達はわけが分からず、互いに顔を見合わせ、首を傾げる。
 ミニムスは続ける。
「とまあ、挨拶はこれくらいにして……まずは手土産を、召し上がれ!」
 ドアを蹴り開けたミニムスが担いでいたのは、無反動砲である。どよめく一同に構わず、彼は躊躇いなく引き金を引いた。
「グッバイ」
 凄まじい轟音と大地の鳴動は、ワイルダーファミリーを地獄の底に叩き落としたに違ない。芝生が捲れ上がり剥き出しになった土と、もうもうと立ち上る煙と、揺らぎ燃える焔が彼らに地獄を思わせた。
 どこかで怒号が飛び交い、ファミリーの面々が庭に集結し始めた。それぞれが何かの物陰に隠れ、襲撃者の来場を待ちわびていた。
 重い鉄の門はすでに吹き飛ばされ、歪に折れ曲がって庭に打ち捨てられていた。
 煙が風に攫われ、その中から黒い影が一つ、庭に飛び込んだ。
「さあ! 何もかもぶっこ――」
 黒い影――ミニムスの額に銃弾が音もなく潜り込んだ。当然、彼の声はそこで途切れる。
 パシュ、パシュ。
 続けて数発、彼の躰を銃弾が襲った。声も立てず、彼の躰はびくり、びくりと跳ねて、銃弾の勢いに任せて数歩下がった。彼が勢いを失ったのを機に、物陰に隠れていたファミリー達が一気に躍り出た。
 その手には機関銃の類も握られていて、容赦なく引き金が引かれる。けたたましい爆音と火薬の匂いがその場を満たした。連射された弾はミニムスの躰を粉微塵に吹き飛ばし、その度にザクロが弾けたように肉片が周囲に飛び散った。
 再起不能と見たのか、刀やバットを握った男達がミニムスに駆け寄り、もはや原型も留めていない彼の躰を叩き潰して斬り刻んだ。
「……こいつの写真は撮ったな? よし。箱詰めにしておけ」
「はい」
 幹部らしき男が群がる者どもを押し退けてミニムスの死体に近寄った。燻らせていた煙草を死体の上に投げ捨てて、足で揉み消した。靴底から肉の焼ける匂いが僅かに立ち込め、男は顔を顰めた。
 オールバックの金髪を両手で撫でつけ、整える。後ろに控えた部下を見遣って、さらに指示をした。
「写真を現像して、こいつの所属を割り出せ。箱詰めにしたら、そこへこいつを送り返してやれ。ワイルダーファミリーに喧嘩を売ると、どう――な――――!?」
 男の首が真一文字に割れた。その切り口から勢いよく血が噴き出し、男が倒れる。その背後に立っているのはメディウスである。銀縁の眼鏡を光らせ、猟奇的な笑みを口元に張り付ける。
 狼狽えた数人の部下も、瞬く間に処分され地面に倒れた。
「もう一人いやがるのか!」
 残された者達も各々に得物を構えてメディウスに狙いをつける。しかし――。
「おいおい。勝手に殺してくれるなよ?」
 その声に反応し、ファミリー達は足元を見た。
 さっきまでただの肉片でしかなかったミニムスの笑顔が、そこにあった。
 彼は手近にあった機関銃を手に取り、引き金を引いた。火薬が爆ぜ、銃口から火が噴いた。ミニムスの躰は、欠けたところが徐々に再生していき、足が完全に形を取り戻すと彼は邸の中へと突入した。
「侵入者だ! ボスを守れ!」
 庭に取り残されたファミリーがミニムスの後を追う。すると、そのうちの数人が突然呻き声一つ上げず倒れた。それに驚いた他のファミリーが足を止める。
「うぐ」
「うう!」
 足を止めたファミリー達が次々に斃れていく。
「狙撃だ! 全員、邸の中へ入れ!」
 ミニムスを追いかけるために邸に向かっていたファミリーだが、すぐにその目的が追跡から逃亡に変わる。
 彼らは頭を守りながら、邸へと駆け込む。が、銃弾を生身で防げるわけがなく、次々に狙撃されてしまう。
「さすが、ポレックス。百発百中だね!」
 邸を入ったところで、ミニムスが通信機に向かって叫ぶ。
「余計なおしゃべりしてねえで、先を急げ。死にてえのか」
「誰に向かって言ってんの? それ」
 不敵に笑うミニムスの貌の右半分が機関銃の掃射によって抉られる。
「だーかーらー」
 入り口を振り返り、奪い取った機関銃で反撃する。木製の扉が激しく損壊し、吹き飛ぶ。その向こう側でファミリー達の悲鳴が聞こえた。
「無駄だって」
 にやりと笑むと、ミニムスは正面にある螺旋階段を上った。階上からは騒ぎを聞きつけた男達が部屋から出てきて、迫りくるミニムスに応戦した。その手には種々雑多な銃器が握られており、ミニムスに頭上から容赦なく銃弾が降り注いだ。
 しかし、彼は銃弾の雨をものともせず階段を駆け上がり、廊下に出ていた男どもを機関銃で一掃した。コンクリートでできた床が砕け、そこにミニムスと男どもの血が拡がる。
「ふん。他愛ねえな」
 さきほどまでの笑みはどこかへ消え、ミニムスは冷たい目で廊下を見渡した。

 邸の最奥。一階の大広間にセシル・ワイルダーはいた。庭の爆発音を耳にした時点で、自室にいるのは危険と判断したからだ。この大広間は臨時集会などで各地の幹部が集まる時以外には使われず、普段は物置となっていた。
 襲撃の規模からみて、逃げることが最善かと思われたが、敵の数を聞くと単独との報告だった。彼の、国内屈指のマフィアの頭であるというプライドが、逃げるという選択肢を消した。
 最悪、この死角の多い大広間に誘い出し、数人の精鋭達で始末すればいい。最も、この大広間に辿り着ければの話だが。
 セシルは大机やソファの影に潜む精鋭達に目配せし、標的が到着するのを待った。同時に、傍に控えていた連絡係に増援の状況を訊ねる。
「……増援に向かっている部隊が次々に連絡を絶っています」
「ふむ……。単独行動、というわけではないらしい」
「そのようです。他のメンバーから、もう一人の侵入者の存在を確認したと報告もあります」
「そいつは仕留めたのか?」
「……その報告以降、連絡は取れません」
 セシルは眉間に皺を寄せながら、考えを巡らせた。まず、ここの襲撃を命じた人間が誰であるか。セシルの頭の中に数人の顔が浮かんだ。その中に、サクソフォンの顔が浮かぶ。つい先日、彼について訊ねてきた男がいたことを思い出した。
 小太りの男でやたらとこちらのくすぐったいところをついてくる、妙な男だった。
 その男は妙に裏社会のことについて詳しく、セシルとサクソフォンが密な関係にあることも知っていた。いや、セシルが政界と密接な繋がりを持っていることは、噂レベルで有名な話だが、それを事実とすることのできる状況証拠も提示してきた辺りを見ると、その男も幾度となく修羅場を潜ってきたことが窺い知れた。
 ――きな臭いな……。
 その男の欲している情報は、大統領邸の内部事情だった。大統領邸にはセシルファミリーからも幾人か用心棒を送り込んでいたが、彼はその警備体制を知りたがった。そして、その見返りとして、サクソフォン失脚の約束を提示してきたのだ。
 セシルがサクソフォンの政策をよく思っていないこともお見通しらしかった。
 彼の本能が告げていた。この男は危ない、と。
 そして、最終的に彼を殺すように指示した人間も同じことを感じたらしい。
 「この男は、お前の身を亡ぼすぞ」と、そいつは言った。相変わらず、その眼鏡の奥の冷やかな瞳は何を考えているかわからなかったが、その意見には同意だった。
 部下を使って廃工場に連れ込み、生まれた場所から所属組織まで、洗いざらい全て吐かせるつもりだった。
 しかし、彼は自身については一切語らず事切れた。稀に見る、凄惨を極めた拷問であったにも関わらず、その男は自分の本名すら明かすことなく死んだ。死体を見せしめにするため、車に搭載されていたGPSはそのままにしておいた。
 悲鳴一つ上げない頑なな男だった。痛めつけているこちらが恐怖するほどに、目的に対する執着は凄まじかったのだ。
 屈辱だった。
 圧倒的優位に立ちながらなお、恐怖させられる屈辱。
 それを思い出し、くつくつと腸は煮えくり返る。
「くそっ!」
 その恐怖を振り払うために、手近にあったテーブルを殴りつける。固く、大きな音が広間に響き渡る。勘違いした精鋭達が身構えたが、セシルによるものだと気づき、警戒を解いた。
 この襲撃は、あの男の仲間によるものだ。セシルは確信した。
 ――報復、ということか……。
 面白い、とセシルは嗤った。できるものならやってみろ、と。
「どうして俺が、ここまで隆盛を極められたと思う?」
「は?」
「俺が、世界を動かすまでになったのは、何故だ?」
「……それは……」
 傍らに控えていた連絡係は困り果て、口を噤んでしまう。全ての増援との連絡が途絶えたのだろう。彼は通信機を外し、セシルを見た。
 セシルはおもむろに腰から銃を抜いた。サイレンサーを銃口に取り付け、撃鉄を起こした。
「教えてやろう。王を作るのは、四つの要素だ。まず、圧倒的な武力。次に、カリスマ的な統率力。緻密な計算を実現させた類まれな知能。そして――」
 連絡係の躰が震え、がくりと頽れた。サイレンサーを取り付けたまま銃を腰に差し直し、セシルは続けた。
「孤独を打ち砕く冷酷さだ」
 こちらに向かっていた増援は何らかの手段で壊滅させられたのだろう。ということは、敵はここに全ての戦力を集中させてくるはず。
 セシルは建物の中にいるファミリーに、敵をここへ誘導するように指示を出した。彼らがこの大広間へ足を踏み入れた瞬間が最期、精鋭達が一斉に集中砲火を浴びせかける。生きては帰れまい。
 セシルは未だ見ない敵の慌てふためき、絶望する姿を想像し、にやりと笑んだ。くつくつと湧き上がる笑いを堪えつつ、静かにその時を待った。
 固い音が広間に響き渡った。暗い空間に外からの光が差し込み、その中に黒い影が映った。隠れていた精鋭達が銃口を向け、一斉に引き金を引く。
 無音の銃撃が黒い影を射抜く。影が低く呻く。
「ぜ……んめ……つ……だ」
 射抜かれたファミリーが頽れ、再び静寂が広間に降りる。
 ――やられたか!
 精鋭達がそれぞれの位置から音もなく移動する。こちらの目論見を悟られたらしい。セシルは精鋭達とつかず離れずの距離を保ちながら、広間に侵入したであろう敵の気配に気を配った。
 しかし、それらしい気配はない。静かな広間の中を、人数分の静かな足音が響くだけである。
 足音は、セシルを含めて四つ。精鋭達の人数は三人なので、今のところ全員が無事らしい。
 ばらばらの方向に動きつつ、お互いの動きを確認できる距離を保っている。まだ、誰も襲われている様子はない。
 ただ、足を止めればそれで終わりだろう。敵は最初の銃撃でそれぞれの位置を割り出したはずである。そして、足音を追って自分達を目で追っている。
 足音は減っていない。
 このまま広間を脱出して、他の拠点へ逃げるのが最善だろう。ここに連れてこられたファミリーが「全滅」だと死ぬ間際に言い残した。それは大方間違いではないはずだ。
 彼よりほかに、ここへ入ってくる人間がいないのだから。
 開け放たれた扉から眩い光が入ってきていて、広間が仄かに明るい。セシルは逃亡を決断し、精鋭達に目配せをした。と、同時に精鋭達が出口に向かって駆けだした。無論、セシルを護衛するためである。このまま、外に止めてある車に乗り込めば、生還できる。
 広間を埋めるテーブルや椅子で身を隠しつつ、出口へ急ぐ。向こうもこちらの動きに気づき、出口の直前で襲撃してくるはずだ。
セシルはFingersの狙いを的確に予測していた。
 そう。的確に予測していた。
「……何のつもりだ?」
 出口の手前。眩いばかりの光の前に、三つの影が立ちはだかった。セシルは唖然としながらその影に向かって訊ねた。しかし、どの影からも答えは返ってこなかった。
 それぞれに握るのは、精鋭達の得物である。が、光に象られた影の形は、彼に見知ったものではなかった。
「ぐう!」
 銃を握った右手の甲に衝撃と痛みが走り、セシルは蹲る。影の一つが近づき、彼が取り落とした銃を拾い上げた。そして、サイレンサーの装着された銃口を突きつけた。
「両手を頭の後ろで組め。さもなくば、殺す」
 セシルは聞き覚えのないその声に素直に従うよりほかなかった。ここに常駐しているはずのファミリーが一人も来ず、広間の外には一切の気配がなかった。
 ――負けた、のか……。たかが数人に……。
 信じられないことが目の前で起こっていることは確かだった。国内屈指の規模を誇る我が組織を、ものの数時間で壊滅させてしまうのだ。その事実を再認識して、セシルの背筋を冷たいものが流れていった。
 セシルに銃を突きつけた影が、後ろの二人に目配せすると、彼はあっという間に拘束されてしまった。寸分の抵抗の余地もなく、彼は捕らわれの身となってしまったのだ。
「立て」
 銃を突きつけた影の横顔が明るみに晒される。アーヌラーリウスはセシルを拘束し終えた二人にもう一度目配せをして、セシルを外の車に運ばせた。
「憶えていろ……。貴様らは、必ず後悔するぞ……」
「安心しろ。この襲撃は、貴様の息子による指示だ。今この時を以て、貴様はこの組織から除名され、身柄は俺達に一任される」
「……何だと?」
 アーヌラーリウスが懐から携帯電話を取り出した。そのスピーカーから低く押し殺した声が聞こえた。まさしく、彼の息子の声であった。
 無機質な電子音に変換された息子の声は、セシルにとって信じがたい内容を告げた。
「今日からファミリーは俺のものだよ、親父」
「なっ!?」
 顔を見なくても、自分の息子の表情が強張っているのがわかる。未だ、自分がこの巨大な組織の全権を握るという自覚を持っていない者の表情だ。そして、思いもよらない展開に、自分自身すら困惑しているという心の内を、その声は如実にセシルに伝えていた。
 もう、何もかもが遅かった。そう思いつつも、最期の忠告として息子に告げる。
「……俺を蹴り落としたから、この巨大な集団をまとめ上げられると思うなよ? どんな形であれ、俺の跡を継ぐってことは、俺の敵もまとめて引き受けるってことだ。……ドラ息子、そこんとこちゃんとわかってんだろうな?」
 そもそも、自分の息子に跡目を注がせる気など、セシルにはなかった。齢二三にして、我が一団を率いるなど荷が重すぎるのだ。
 だが、彼自身は違ったようで、父親の跡を継ぐ気でいたようだ。そして、普段から何かと意見が衝突していた。そこを今回はうまく利用されたようだ。
 この少人数で二〇以上ある潜伏場所を制圧するのは不可能だ。だとすれば、こちらの内部に潜む反乱分子予備軍に働きかけて無力化するしかない。
 ――ふん……自分の息子には、もう少し優しくしてやれ、ということか。
「言われなくてもわかってるさ。あんたよりうまくやってやるよ」
「そうか……。それは、楽しみだ」
 息子の言葉を聞いて、セシルはワイルダーファミリーの終焉を確信した。
 未熟な息子では、この組織をまとめ上げ、運営することはできないだろう。彼は、この組織がどのようにして社会の闇に紛れ生きてきたかを知らない。どのようにしてセシルが道を切り開いてきたかを知らなかった。
 これから連日のように、ワイルダーファミリーの拠点が検挙されるだろう。それこそ、芋づる式に犯罪行為が暴かれ、幹部が根こそぎ逮捕されるはずだ。
 セシルの存在しないワイルダーファミリーなど、道端の犬猫と変わらない。それほどに、セシルはワイルダーファミリーの精神的支柱でもあったのだ。
 彼は心の内で目の前の敵に敬意を表さざるを得なかった。
 報復。そんな言葉では足りないほど徹底された復讐劇だ。彼を捕らえるだけでなく、組織の壊滅までを視野に入れた見事な作戦だった。脱帽である。

 セシルが連れてこられたのはどこかの地下だった。至る所で雫が落ち水面で跳ね、凛とした音を立てている。遠くで列車の通過する音が聞こえてくる。
 ――使われていない、線路か?
 足元に時折、真っ直ぐに加工された何かが触れた。目隠しをされた状態ではそれを正確に把握することはできなかった。
 しばらく歩いたところで、セシルは止まるように命じられた。後ろを歩く人間は、変わらず三人。全員が銃を所持しているのが音でわかる。時折彼らは、その存在を知らしめるために頻りにマガジンの脱着を繰り返したり、ベルトの金属部に銃身をぶつけたりした。
 目の前に、もう一人の人間の存在があった。気配から察するに長身だ。さっきまで匂わなかった煙草の匂いが鼻先を掠めた。
「煙草は嫌いなんだ……消してくれ」
「これは……失礼した」
 じゅっっ!
「ぐううううあうああああああああ!」
 襟元に強烈な痛みが走り、セシルはのたうち回った。煙草の火を押し付けられたことは言うまでもなかった。
「て、めえ……」
「身の程を弁えろ。物事を要求できる立場にあるのは、お前か、俺達か?」
「くっ……」
 目隠しの下から、目の前の男を睨みつける。
「ふん……。どうせ殺すんなら、自己紹介してからにしてくれねえか?」
「それは遠慮しておこう。いつ、お前の仲間がここに乗り込んでくるかもわからんからな」
 ――ちっ! 抜け目ねえな。助けなんか来ねえよ!
 そう思った矢先、今度は右肩に強烈な衝撃と痛みが襲った。後ろに控えていた誰かが彼を蹴り飛ばしたのだ。
 小さく呻き、上半身を起こす。直後、強引に立たされ、膝を着かされた。
「裸にしろ」
 冷徹な命令に、後ろの三人は黙々と従った。セシルは暗闇の中で身包み剥がされていく。
 ――この男っ……。
 セシルの矜持を尽く捻り潰しに掛かっているのがわかった。同時に、絶望が彼の心を飲み込んだ。
「小太りの男は、誰に命じられて殺した?」
「っ!?」
 男の質問に、セシルは面食らった。あの男を殺したのが、セシルの意思ではないことを早々に悟ったというのか。目の前にいる男は、只者ではない。単純な死への恐怖が、得体の知れないものへの畏怖に変わりつつあった。
 ――こんな男、聞いたことがないぞ……!
 これほどの男を、裏社会に精通しているはずのセシルが知らない。それこそが異常だった。
 そして、後ろに控えている三人を指揮していたのもこの男だということをセシルは察した。
「もう一度、同じことを訊かねばならないか?」
「ま、待て。知らねえんだ。あのデブは俺の部下が殺した。部下に指示したのも俺だ。だが、確かに俺に指図した人間がいる! でも、素性がわからねえんだ。どこの誰かも――」
 鋭い痛みが太腿を貫く。痛みで呻き、前のめりに倒れる。地に頬を着き、痛みに耐えていると顔面を蹴り上げられる。その衝撃で目隠しが外れた。
 長身の男が一人、仁王立ちでいた。腕を組み、厳めしく眉間に畳まれた皺は深い。部下らしき人間に持たせた懐中電灯で、その恐ろしい形相が暗闇にぼんやりと浮かび上がっていた。
「あ、あんたは……」
「目隠しが外れたか。いいだろう。俺はポレックス。後ろに控えているのは俺の仲間だ。アーヌラーリウス、メディウス、ミニムス。なあに……ただのカフェの従業員だよ」
 ポレックスは怒気を孕んだままそっと笑みを浮かべる。悪魔がいたならば、きっとこんなふうに笑うに違いない。
 背後で金属が冷たく打ち鳴らされた。
「待ってくれ! 本当なんだ! 何者かもわからねえ! ただ、金をやるっていうからやっただけだ。はは……金額聞いてたまげたよ……一〇億……一〇億だぜ?」
「アーヌラーリウス……」
「ああ……」
「ああ! くそ! 考えてみろ! この期に及んで、どうして俺が嘘を吐く? 生きて帰ったところで何も残っちゃいね――」
 暗い、暗い地の底で、乾いた銃声が一つ響いた。
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