強欲魔女の経済学

綾栗ナオ

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ジルコール経済短編集

4話~強欲魔女と薬草売りの少女シム

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 遠くの山村からやってきた少女シムは、
 背中に背負った木箱の紐を何度も確かめながら、初めての街・ジルコールの門を見上げていた。

 古ぼけた木箱には、祖母に教わった薬草がぎっしりと詰まっている。
 乾かし終えた葉には、小さな札――震える手で書いた薬草の名前と、効能のつもりの文字。

(これが売れれば、冬の薪も買えるし……おばあちゃんの薬も、ちゃんとしたのが買える)

 魔物の少ない街道を選び、
 たまたま同じ方向に向かう隊商の後ろを歩かせてもらいながら、
 シムは何度も祖母の言葉を思い出した。

「ジルコールは、人が多い。薬草の分かる人も多い。ちゃんとした物なら、ちゃんと値が付くよ」

 街の喧騒が近づくにつれ、胸の鼓動は早くなっていく。
 色とりどりの露店、人々の笑い声、行き交う冒険者や商人たち。
 すべてが、シムには眩しくて、少し怖かった。

 簡単な商会登録を済ませ、露店市場の端っこに、一枚布を敷いただけの小さな店を構える。
 深呼吸を一つして、シムは震える声を張り上げた。

「い、いらっしゃいませ! や、薬草あります!」

 ――誰も足を止めなかった。

 通り過ぎる人々は、慣れた様子で目線だけで品定めをし、シムの前を流れのように通り過ぎていく。
 
 札に書いた文字は、乱れていて自分で見ても読みづらい。効能を書いたつもりが、ほとんど暗号だ。

 目の前を通りかかった人に思い切って声をかけようとするが、喉がひゅっと詰まり、言葉が続かない。

 
 太陽が西に傾くころには、シムの肩はすっかり落ちていた。
 安宿代すら稼げない。薬草は乾きすぎれば質が落ちる。
 木箱の中の葉たちが、じわじわと「価値を失っていく」音が聞こえる気がした。

「どうしよう……全然、売れない……」

 
唇を噛んだ時だった。


「うーん……これは見事なまでに、売る気はあるけど、売れる気はまるでない顔ね」

 呆れたような、楽しんでいるような声が頭上から降ってきた。

 振り向いたシムの視界に、銀灰色の髪と灰色のローブが映り込む。
 フードの影から覗く瞳は、冷たいようでいて、どこか懐かしさを孕んだ光を帯びていた。

「ひっ……あ、あの……」

「安心しなさい。別に食べたりしないわよ。食べても大して栄養にならなそうだし」

 にやり、と冗談めかして笑ったあとで、ノーラは薬草の木箱に目を落とした。

「ちょっと見せてくれる?」

「あ、はい……!」

 シムが慌てて木箱を開くと、ノーラは一本一本、薬草を手に取り、葉の乾き具合や香り、葉脈の太さを確かめる。
 指先の動きは迷いがなく、目は真剣だ。

「悪くない。むしろ、相当いいわね。……このカンデル草、ジルコールではほとんど見ないわ。こっちの気候だと育たないから」

「お、おばあちゃんが、山の奥で……」

「この夢見草も状態がいい。乾かしすぎてないし、香りも飛んでない。ちゃんとした人が教えた仕事って感じ」

 ノーラは感心したように頷き、シムを見た。

「でも――売り方が壊滅的ね」

「えっ」

「札は読みにくい。効能も専門用語っぽくて、素人には分からない。
 あんたが声をかけられないから、何をしてくれる物か伝わらない。
 その結果、なんか草が並んでる布切れでしかないわけ」

「うぅ……」

 図星すぎて、シムはうつむいた。

 ノーラは少しだけ目を細めた。
 かつて、自分も似たような失敗をしていた。魔術も磨かず、売り物の価値も説明できず、足元を見られ続けた日々――。

「ねえ、あんた。今日売れなかったら、どうするつもり?」

「え……」

「宿代は? 帰りの道中の食費は? 村で待ってるおばあちゃんは?」

 畳みかけるような問いに、シムは必死で言葉を探した。

「……野宿して、明日も、がんばって……それでもダメなら、少しだけ残して、村に戻ろうと……」

「その頃には、この薬草の半分は湿気て、価値が落ちてるわね」

 ノーラは、軽く息を吐いた。

「わかった。協力してあげる。ただし、条件は2つ」

「……条件?」

「まず、利益の2割は私にちょうだい。これは指導料と宣伝費ね。
 もう一つ。今日はアナグラに泊まっていきなさい。野宿して風邪をひいたら元も子もないから」

 唐突な提案に、シムは目を瞬かせる。

「に、2割って……そんな、大金を……」

「嫌ならいいわよ。その代わり、あんたは今夜一人で震えながら野宿して、薬草を半分腐らせることになる。どっちがマシか、よく考えて」

 その言い方は冷たく聞こえたが――ノーラの瞳は、シムの答えを待っていた。

 シムはぎゅっと拳を握る。

「……おねがい、します。お願いします!」

 その答えに、ノーラは初めて、心底おもしろそうに笑った。

「よろしい。じゃあ、その薬草売れるようにしてあげる」



 翌日。

 昨日と同じ市場の一角。
 シムの布の上には、同じ薬草が並んでいた――はずなのに、見た目の印象はまるで違っていた。

「安眠、解熱、滋養、毒抜き、傷薬」

 ノーラが書き直した札には、難しい薬草名ではなく、ひと目で分かる効能が大きな字で記されている。
 薬草は束ねなおされ、用途ごとに分けられた。
 古布と縄を使って作った「吊るし薬草セット」は、風に揺れて目を引く。

「文字も字が下手な子供の必死さから、ちょっと下手だけ丁寧な店になったわね。成長成長」

「うぅ……昨日の字、そんなにひどかったですか?」

「まあね」

 ノーラは即答し、通りの流れを観察する。
 人通りの多い時間帯。となりの露店との距離。声の届く範囲。

「よし、ここからは私の仕事」

 ノーラは前に一歩出て、声を張った。

「――はいはーい、お疲れのお父さま方、昨日はよく眠れましたか?
 寝つきが悪いあなたに、山奥でしか採れない夢見草はいかが? 若く真面目な娘さんの手摘みで採取した薬草よ!」

 瞬間、数人の男が足を止めた。

「若く真面目な……?」
「手摘み……?」

 半分は薬草より言い回しに興味を惹かれたようだが、人が止まればそれでいい。

「こっちは熱に強いカンデル草。子どもの熱に薄めて飲ませるとよく効きます。
 こっちは解毒。酒の飲みすぎた翌朝にどうぞ。今のうちに奥さまに買って帰ってもらえば、夜の説教も少しは短くなるかもね」

 笑いが起こり、周囲の空気が和らいだ。
 ノーラはあくまで案内役に徹し、説明とおすすめだけをする。

 その時だった。

「万能薬! 不老長寿! 恋愛成就! 三日で効果絶大! 本日限り銀貨3フロー!」

 向かいの路地から、喉を絞るような声が響いた。
 黒ずくめの男が広げた露店には、得体の知れない液体が並んでいる。

「うわ、また出たよあいつ……」
「前も腹壊したって客が文句言ってたやつだろ」

 周囲の商人が眉をひそめる一方で、好奇心の強い客がちらりちらりとそちらを見ている。

 当然――シムの露店の客足も、目に見えて鈍った。

「こ、困りました……」

「こういう連中がいるから、真っ当な薬草売りまで、怪しいって見られるのよね」

 ノーラはわずかに目を細め、周囲を見渡した。
 衛兵は今は市場の反対側。商会の監視もいない。

(なら、私がやるしかないか)

 ノーラは一人の中年男の肩に声をかけた。
 さきほどから肩を回している、明らかに疲れた様子の職人だ。

「おじさん、肩が石みたいに固まってるわよ」

「お、おう? 見りゃ分かるか」

「うちの薬草、一つ試してみる? お代はあとでいいから」

 ノーラはシムに目配せし、「温湿布セット」を組ませる。
 カンデル草と温めた布を組み合わせ、即席の湿布にして肩に当てる。

「少し我慢してね。じんわり熱くなってくるから」

「お、おお……なんか、じわっと……」

 数分後。男が腕を回し、目を丸くした。

「おおっ!? さっきよりずっと軽いぞ!」

 それを見ていた周りの客から、どよめきと拍手が起こる。

「ほんとに効いてる……」
「さっきの黒ずくめのより、よほど本物だな」

 ノーラはそこで一拍置き、声の調子を変えた。

「――ところで、そこのお兄さん」

 視線の先、黒ずくめの男が肩をびくりと震わせた。

「商会登録証のご提示をお願いできますか?
 ジルコール市場で療薬を売るには、王国衛生局か、商会の登録が必要なはずだけど」

「な、なんだあんた……!」

「私は銀刻の値踏み姫よ。で、こっちにはちゃんと登録証がある。ね、シム?」

「は、はいっ!」

 シムが慌てて木箱から紙を取り出すと、周囲の視線が一斉に彼女の手元に注がれた。衛生局の簡易検査印と、商会登録印が押された簡素な許可証。

「片や登録済みの薬草売り。片や、どこの誰かも分からない黒ずくめ。
 同じ薬なら、どっちを選ぶかは――皆さんの自由だけど?」

 黒ずくめの男は舌打ちし、瓶を雑に布で包む。

「ちっ……今日はツイてねぇ。こんなクソガキの多い日に来るんじゃなかった」

 捨て台詞とともに、露店を畳んで足早に去っていく。

 しばらくの沈黙のあと、市場に笑いとささやき声が広がった。

「やるじゃねぇか、銀箱女」
「こういう奴を追い出してくれると、こっちも助かるよ」

 周囲の商人たちがノーラに軽く会釈し、その流れでシムの露店にも、人の輪ができていく。

 その日、シムの薬草は見事に完売した。

 

 夜。アナグラに戻ったノーラは、簡素なテーブルの上に小銭をざらりと広げた。

「売上は……全部で73コル。棚代と布代、宣伝用の試供分を引いて――あんたの取り分は54コル」

「ご、ごじゅう……よん……!」

 シムは、数字を繰り返し、目を見開く。

「こんなに……本当に、こんなにもらっていいんですか……?」

「あんたの薬草は、それだけの価値があったってことよ。
 覚えておきなさい。売れなかったと価値がなかったは、全然別の話」

 ノーラは指先で一枚のコルを弾きながら、薄く笑った。

「また仕入れてきなさい。売れる物なら、私はいつでも相手になるわ」

 シムの喉の奥から、言葉にならない声が漏れた。

「……はいっ!」

 その夜、シムは久しぶりに、安心して眠った。



 数日後。

 ジルコールの朝は、澄んだ空気とパンの焼ける匂いに満ちていた。

 アナグラの片隅で、シムは黒パンをかじりながら頬をほころばせる。

「こないだは54コルも……これで、おばあちゃんにも少しは楽をさせてあげられる。今日もがんばらないと」

 ノーラは向かいで帳簿をめくりつつ、淡々と今日の市場の話をする。

「今日は、単に売るだけじゃなくて、覚えてもらう日にしましょうか」

「……覚えてもらう?」

「そう。薬草少女シムって顔と声をね。
 人は、顔と話し声を覚えた相手から物を買うの。信頼っていうのは、一晩で作るものじゃない」

 シムはこくりと頷いた。

 昼。再び市場の一角。
 今日は、昨日より少しだけ人通りの良い場所をノーラが押さえてくれていた。

 シムは小さな紙に、手書きで薬草の簡単な説明と使用法を書いた。
 今度はそれを一枚ずつ配りながら、通行人に明るく声をかけていく。

「こんにちは! この薬草は咳に効きます。小さなお子さんでも薄めれば安心して使えますよ!」

 子連れの母親が足を止め、質問を投げかける。
 シムは昨日よりずっと滑らかに答えられる自分に、内心驚いていた。

 そこへ、一人の青年が近づいてきた。
 革鎧に青いバンダナ、腕には包帯。腰には、使い慣れた剣。

「君、前にも見かけたな。あの時の肩こりおじさんのとこで薬草を出してた」

「えっ、あの……!」

「俺、冒険者協会の依頼で森の見回りしててさ。帰り道に腕を痛めちまってな。
 ギルドの仲間から、薬草ならあの子のところがいいって聞いたんだ」

 シムの胸が熱くなる。
 ――自分の薬草を、誰かが誰かに勧めてくれた。

 震える声を押さえながら、彼女は丁寧に薬草の効果と使い方を説明した。

「この葉を少し砕いて、温かい水で湿らせて、包帯の下に……」

「なるほど。じゃあ、それをいくつかもらおうか」

 夕暮れ時。
 シムが売り上げを抱えて戻ると、ノーラが口元だけ笑って迎えた。

「どうだった? ちゃんと“人に覚えられる商売”ができた?」

「はい……! お母さんや冒険者さんに説明して、名前も覚えてもらえて……
 また買いに来るねって言ってくれたんです。お金も嬉しいけど、それが一番嬉しくて」

「そう、それよ」

 ノーラは小さく頷く。

「金儲けは人を動かすこと。その人がまた戻ってきてくれるなら、今日の苦労は全部投資になる。君はもう、ただの売り子じゃない。自分の看板を持った商人の入り口には立ったわ」

 シムは目を輝かせた。

「ノーラさん、ありがとう……! 私、もっとがんばります。
 いつか、もっと遠くの村の人にも、私の薬草を届けたいです」

 その夜、シムはアナグラの天井を見上げ、小さな決意を胸に刻んだ。

 ノーラはそんな横顔をちらりと見て、ひとりごとのように呟く。

「……良い商売人になりそうね。
 信用っていう、一番高くて、一番壊れやすい商品を、大事に扱えそうだもの」

 灰色のローブの中で、彼女の指先が、癖のように見えない帳簿のページをめくっていた。
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