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第五章「千子山縣と言う男」

第104話 平穏の朝

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 「ん…………んん……」

 双魔は布団から顔を出して、まだ半分ほど寝ぼけながら声を出した。

 小鳥のさえずりが聞こえる。瞼はまだ閉じたままなのに、目が眩しさを感じている。

 どうやら、もう朝のようだ。

 昨夜は帰ってきた後、左文の作ったおにぎりを食べて、風呂に入った後、すぐに就寝したはずだ。

 段々と意識がはっきりしてくる。

 (…………今……何時だ…………)

 時間が気になり、体を起こして布団から出ようとする。

 「…………寒い」

 しかし、双魔はもぞもぞと布団の中に戻っていく。部屋の温度は冷え切っていてかなり寒い。この状況なら誰でも一度は布団の中に戻っていくだろう。

 (……………………)

 布団を頭まで被ってうつらうつらとしはじめた時、廊下をこちらに向かって歩いてくる気配がした。が、それに構うことなく双魔はそのまま眠りの世界へと落ちていく。

 「…………すー……すー……」

 寝息をたてはじめたのとほぼ同時に襖がスーッと静かに開かれた。

 「…………?」

 部屋に入ってきた人影、長い長い夜闇のように美しい髪の少女は首を傾げる。そして、フンスっと鼻息を荒くして笑顔を浮かべると…………布団目掛けて飛び込んだ。

 「グエッ!」

 ボスッと少女が布団に突っ込む音がしたあとを追って、蛙がつぶれた時のような奇妙な声が布団の下から聞こえてくる。

 「…………っ!?…………!…………」

 しばらくの悶絶の末、双魔は布団からもぞもぞと顔を出す。突然腹の上に落ちてきた”何か”の重さはまだそのままだ。

 こんなことをするのは一人しかいない。

 「ソーマ!おはようだ!」

 目を開けると満面の笑みを浮かべたティルフィングの顔が見えた。

 「…………おはようさん」
 「うむ!朝餉ができるぞ!」
 「ん…………分かった、起きるからどいてくれ」
 「おお!そうだな!」

 ティルフィングは立ち上がって双魔の上から離れた。

 双魔は片手で未だに衝撃が抜けきらない腹をさすりながらムクリと起き上がった。

 ティルフィングの奇襲には大分慣れたが、昨日は鏡華に優しく起こされたので気が緩んだようだ。

 「……………………」

 ふと、至近距離で感じた鏡華の顔や匂いを思い出してしまう。幼い頃と違って”女の色香”というものが出ていた気がする。否、出ていたのだろう。

 本人が目の前にいるわけでもないのに、何となくバツが悪くなり、眼を閉じたまま親指でグリグリとこめかみを刺激する。心なしか顔も熱い。

 そんな双魔をティルフィングは不思議そうに見ていた。

 「ソーマ、何をしているのだ?早く行くぞ」
 「ん、そうだな…………とっとと」

 立ち上がってすぐにティルフィングに手を掴まれてグイグイ引っ張られてしまう。

 双魔は着替えもできず、顔も洗えず、寝癖もそのままに居間へと連行されるのであった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 居間の襖を開けるとちゃぶ台の上には既に朝食の準備が整えられていた。

 昨日は干物だったが今日は焼き魚のようだ。他にもティルフィングのリクエストに応えたのか玉子焼きに納豆、漬け物などが並んでいる。

 座って急須にお湯を入れて茶葉を蒸らしていた左文が双魔に気づいた。

 「あら、坊ちゃま、おはようございます。ご自分でお目覚めに?」
 「ああ、おはようさん……いや……」

 口淀んだ双魔の後ろからティルフィングがひょこっと顔を見せた。

 「我が起こしてきた!」
 「そうでしたか、ティルフィングさん偉いですね」
 「ムフフー!そうであろう!」

 どうやらティルフィングは誰に言われたわけでもなくて自分で双魔を起こしに来たらしい。左文に褒められて嬉しそうにしている。

 丁度いい位置に頭があったのでくしゃくしゃと髪を撫でてやる。

 撫でられたティルフィングはくすぐったそうにしながら双魔に抱き着いてきた。

 「あらぁ、双魔、おはよう。今日も具合はええようやね。うち安心したわ…………ま、ちょっとお寝坊やけどな」

 台所の方を見ると割烹着姿の鏡華が鍋を両手で持って笑顔で居間に入ってくるところだった。

 鍋から食欲を誘ういい匂いが漂っている。

 「ん、おはようさん」

 時計を見ると長針が九を指していた。これで寝坊と言われても微妙なところだが、わざわざ何か言い返すほどのことでもない。

 時計から鏡華へと視線を戻す。

 いつも見ているわけではないのに鏡華の割烹着姿に双魔は何故か安心感を感じさせた。

 「ささっ、座って。冷める前にはよ食べよ」

 鍋をちゃぶ台の真ん中に置くと座布団に座り、お櫃を手元に寄せる。

 何となく鏡華から目が離せないまま、双魔もティルフィングと一緒に座布団の上に座った。

 鏡華が杓文字を片手にお櫃の蓋をとると、中には立った白米がキラキラと輝き、炊き立ての白米独特のいい香りが漂ってきた。

 「双魔、どれくらい食べる?」
 「ん、適当でいい」
 「そ、じゃあ、これくらいやね。はい」
 「ん、ありがとさん」

 米をよそった御飯茶碗を鏡華が差し出す。受け取るときに少しだけ指先が触れ合った。

 「…………」
 「…………」

 双魔も鏡華も二人して黙ってしまった。朝から何ともこそばゆい気分になる。ちらりと盗み見た鏡華の耳はほんのりと赤くなっているように見えた。

 「キョーカ!我は大盛りで頼むぞ!」

 待ちきれなくなったのかティルフィングが無邪気な声を上げる。

 鏡華はふわふわとしていたところからハッと我に返った。

 「はいはい!ティルフィングはんは大盛りな…………はい、どうぞ」
 「うむ!かたじけない!」

 ティルフィングは満面の笑みを浮かべて山盛りの茶碗を受け取った。

 「左文はんは?」
 「私は自分でよそいますので大丈夫ですよ。それよりも坊ちゃまにお味噌汁をよそって差し上げてください」
 「う、うん、せやね」

 何やら鏡華が緊張したような声を出した気がしたが双魔にその理由話分からない。

 鏡華は杓文字を左文に預けると、お玉を手に取り、空いた方の手で鍋の蓋を開ける。

 炊き立ての米の香りに続いて、これまた食欲をそそる味噌とほんのり出汁の香りが漂う。

 蓋を置いて、お椀に味噌汁を注ぐと双魔に差し出す。

 「はい、熱いから気ぃつけて」
 「ん」

 今度も指が触れ合うが、熱い味噌汁がこぼれては大変だ。落ち着きを払ってお椀を両手で受け取った。

 「それでは、いただきましょうか」

 鏡華が双魔に味噌汁のお椀を渡している間に左文が残りの配膳をパパっと手早く終わらせていた。

 ティルフィングなど待ちきれないのか既に箸を手に持っている。

 「ん、じゃ、いただきます」
 「いただきます」
 「いただきますだ!」
 「はい、召し上がれ」

 昨夜、鵺を倒し、山縣と怨霊鬼の出現によって混乱したのが噓のように感じられる平和な朝食の時間がはじまった
 
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