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偽りの婚約者
②
実際にそんな場面にお目にかかったこともないのだが。おそらく鳩が豆鉄砲でも喰らったときのように、瞠目し口をあんぐりと開けてしまっていたのかもしれない。
真向かいに座る秀が、一見冷たく見える美麗な相貌をふっと緩めて微苦笑を漏らした。
妙な緊張感に苛まれていた恋同様に、秀も緊張していたのだろうか。
唯一無二の親友に素性を明かしたのだ。どういう反応をされるのだろうかと不安だったのかもしれない。
週末限定の女装男子であるカレンのことを知っているのは、恋だけだと言ってもいたし。
それに、ふいに緩んだ相貌の柔らかさに、いつものカレンの表情が垣間見えた気がして。強ばっていた身体から余計な力が抜け、緊張感が薄れていく。
恋はたちまち安堵感を覚えた。
とはいえ、街の小さな花屋の娘という、庶民の代表格とも言えそうな、平々凡々を地で行くような自分と、上流階級のお坊ちゃんである秀とは、到底釣り合いがとれないと思うのだが。
いくら両親が格式張ったことは気にしない気さくな方々だとは言っても、結婚となれば、それ相応の相手を望むのではないのだろうか。
ーーいや、本人がゲイだと思い込んでたくらいだから、両親も薄々察していたということなのかな?
だから、この際、結婚して跡取りさえ設けてくれればそれでいい。そういうことなのだろうか。
ーーどっちにしても、お金持ちの考えることはわかんないや。
恋が考えあぐねているところに、秀の不機嫌そうな低い声音が割り込んでくる。
「どうした? 俺の素性を聞いて怖じ気づいたのか?」
ーー否、別に怖じ気づいた訳じゃない。驚いただけだ。
だが確かに、藤花総合病院という場所は、恋にとって職場だっただけでなく、ある意味特別な場所でもあった。
けれどもそれは、現在の病棟に建て替える以前、五年前までの話だ。
五年前、老朽化に伴い、大規模な建て替え工事が行われてからは、外観も何もかもがリニューアルされて、昔の面影はない。
唯一、昔の名残が残っていると言えば、周囲に植えられている桜の木々ぐらいだろうか。
だから恋が怖じ気づくような要素など微塵も残ってはいない。
幼い頃、交通事故に遭った母が搬送されて、父に連れられた恋が変わり果てた母と対面したのも同じ場所ではあったが、記憶は朧気だ。
それ以前もその後も、花屋を営んでいた父と一緒に配達等でもよく訪れていた記憶だって、微かにだが残っている。
そう、嫌な記憶ばかりではない。
だからこそ藤花総合病院に派遣として勤めることができたのだ。
そんな事情など知らない秀がどうしてそう思ったのかは不明だが、とにかく誤解を晴らさなければ話が先に進まない。
既に事故の件も解決してもらっているので、今更白紙にはできない。だったら念のために確認しておきたいというのもある。
「吃驚しただけだよ。それと、いくらお互いの利益のための結婚だって言っても。本当に、何の後ろ盾もない私なんかでいいのかなって思って」
そんな思いで放った恋の言葉に、微かに安堵したような表情を浮かべた秀は、思いの外熱のこもった熱い眼差しを向けてきた。
「この前も言ったが、俺にとって恋は特別な存在なんだ。恋以外に考えられない。恋は違うのか?」
まるで恋人にでも向けるような、熱のこもりように、恋は不覚にもドキンッとしてしまう。
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