24 / 44
偽りの婚約者
④
秀の両親のスケジュールに合わせて挨拶は来週末に決まり、恋の父親は入院中のため病室でということになって、打ち合わせは終了した。
恋はモヤモヤした不可思議な感情を払拭するべく、残っていた紅茶を一息に飲み干し、退席しようとしたのだが。思いがけず足止めを喰らうこととなってしまっている。
「じゃあ、また」
「はっ!? このまま帰るつもりなのか?」
足元の床に置いていたバッグを手に取り立ち上がった恋のことを、慌てた様子の秀がガタンッと大きな音を立てて立ち上がり、すぐ傍まで駆け寄ってきた。
ーー私、何かおかしなこと言ったかな? それとも、何か言い忘れたことでもあったとか?
秀の慌てように、驚いた恋はポカンとしつつも、問い返す。
「うん。だって、話は終わったんだよね? それとも言い忘れたことでもあるの?」
恋の問いに、一瞬、柄にもなく窮する様子を見せた秀だったが、俺様らしく、やけに強気な発言を繰り出してくる。
「否、そういう訳じゃないが。俺たち、偽りだとはいえ婚約者なんだぞ。話が終わったからって帰ったりしないだろ、普通」
さも、当然であるかのように。
これには、さすがに唖然とさせられた。
確かに間違ってはいない。だがそれは本物の婚約者であるならばの話だ。
「そりゃ、普通はそうかもだけど、本物じゃないんだし」
恋の主張は至極当然なことだと思う。
だが秀にとっては、そうではなかったらしい。
「じゃあ、さっきの言葉は嘘だったのか? 俺のことをもっと知りたいと思ったから、出た言葉じゃなかったのか? 違うのか?」
しかも、婚約者うんぬんの話にではなく、数分前に交わしたやり取りについて言及してくる。
ーーはて。さっき、何て言ったんだっけ?
逡巡する時間を要したが、何とか答えることができた。
「……へ? あっ、ああ、うん。もちろん、嘘じゃないよ」
そのことに安堵している間もなく、秀にバッグを持っていない方の手首を掴まれ、今度はしっかりとした命令口調で言い切られてしまう。
「だったら、帰るな」
ーーそれはどういう意味? どう捉えたらいいの?
恋の胸の内で疑問と戸惑い、ずっと燻っていた期待感とが綯い交ぜとなってどんどん膨張していく。
「……え?」
恋の複雑な心情が、裏返ってしまった声音にも如実に表れていた。
そんな恋に秀は、恋人にでも向けるような、やけに熱のこもった眼差しを向けてくる。
ーー嫌だ、そんな風に見ないで! そんな風に切実に、熱っぽく見つめられたら何も言えなくなってしまうでしょう。
恋の心の声は秀に届くことはかった。
秀の切れ長の双眸と、初めて夜を共にしたあのとき目にした、雄を彷彿とさせる色香を纏った妖艶な相貌とに、魅入られてしまった恋は、身動きも、瞬きでさえも叶わない。
今にも吸い込まれてしまいそう。そんな錯覚に陥ってしまいそうだ。
そこに、手にしていたバッグが床へと落下するドサリという無粋な音がやけに大きく響き渡った。
その音で、我に戻ることができたのだが、その音が部屋の静けさに吸い込まれる寸前。
「俺のことを知りたいんだろ。だったら帰るな。俺たち、婚約者だろ。もうすぐ結婚するんだろ」
言葉は相変わらず俺様仕様の命令口調だが、切なく聞こえてしまうのはなぜだろう。
おそらくそれは、言葉の裏に何かが秘められているんじゃないかという、身勝手な期待感がそうさせているに違いない。
そう思うと、偽りの婚約者を演じる上で、互いのことを知る必要はあっても、本物の婚約者のように一緒に過ごす必要などないのではーーという言葉を再度口にすることはできなかった。
怖かったからだ。
もしもそうじゃなかったとき、秀との関係性が壊れてしまうんじゃないかって。
幾度となく浮上してくるこの期待感通り、秀が恋に対して稀有で特別な存在だという言葉の裏に、恋に対する恋愛感情が秘められていなかった場合のことを思うと。
つまり、後継者をもうけるために、恋の男性恐怖症を克服しようとしているだけだったとしたらーー。
先走った恋が余計なことを口走ってしまったら最後、大きなダメージを負った上に、これまで築き上げてきた親友としての関係性にまで亀裂が入ってしまうのではないか、と。
だとしたら、いつの間にか芽生えてしまっていた、この不可解な感情が親友にではなく、異性に抱くものだったのだと、今さらながらに確信してしまったからといって、認める訳にはいかない。
恋は全力で気づかないふりを決め込んで、猛スピードで胸の奥底に仕舞い込んだ。
あなたにおすすめの小説
迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる
九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。
※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
藤白ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
絶交した幼馴染と大学の合コンで再会した。
孤独な蛇
恋愛
中学生の浅野春樹は上級生と喧嘩騒動を起こしたことがあった。
その上、目つきが悪く地毛は茶髪のため不良少年のような扱いを受けて学校では孤立していた。
そんな中、幼馴染の深瀬志穂だけは春樹のことをいつも気遣ってくれていた。
同じ高校に行こうと声を掛けてくれる志穂の言葉に応えたい一心で受験勉強にも力を入れていた。
春樹にとって、学校で孤立していることは問題ではなかった。
昔から志穂が近くにいてくれるから……。
しかし、3年生なってから志穂の態度がよそよそしくなってきた。
登下校も別々になり、学校で話しかけてくることも無くなった。
志穂の心が自分から離れていってしまっている気がした春樹は焦っていた。
彼女と話がしたい。笑った顔が見たい。
志穂と一緒に帰ろうと、彼女が部活動を行っている体育館へ向かったのだが……。
そこで春樹が耳にしたのは、自分の悪口を言って部活の友達と楽しそうにしている志穂の声だった。
その瞬間、春樹の中で志穂に対する想いや信頼は……消滅した。
うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや
静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。
朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。
「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。
この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか?
甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
マカロニ
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!