悪役令嬢にされた私たちで、同盟を組みました

月森野菊

文字の大きさ
11 / 12

後日談

しおりを挟む
  

 ──玉座の隣は、今も空白のまま


 春の終わり、王都の空に初夏の風が吹く頃。
 政務机に積まれた文書の山を前に、王太子レオニスはふと視線を逸らした。

 窓の外には、よく整えられた王宮の庭園。
 昔、アリシアがよく花の手入れをしていた場所。

「……名も、残っていない」

 彼女のことだ。自身の痕跡など一切残さぬよう、自ら記録を抹消したのだろう。
 公式文書からアリシア・ミルフォードという名前は削除され、王太子妃候補の欄には、今も空欄が残る。

 多くの貴族が、次なる縁談を持ちかけてくる。
 だが、レオニスはそれをすべて断っていた。

「……誰かを隣に据えることが、どれほどの重さを持つか。あの一件で、思い知ったよ」

 誰かに与えられた仮面で、誰かを飾ることはしない。
 彼の隣は、今も空席として存在している。
 それは失ったものの証であり、これから築く自分の王道の証明でもあった。






 ──静養地・ヴァルシアの記録室にて



 王妃イザベルは、北方の離宮に静かに暮らしていた。
 政から退いた彼女を狂った王妃と呼ぶ者もいれば、最後の劇作家と讃える者もいた。

 真実はどちらでもない。

「……どれだけ整えても、物語は永遠には続かないのね」

 今や誰も使わなくなった記録室の片隅で、王妃は一冊の白紙の本を手に取った。
 ページを一枚めくるたびに、若かりし頃の夢がよみがえる。

 正しさを仕組めば、世界は美しく動く

 彼女が求めたのは支配ではなかった。
 静けさと均衡――だが、そこに人の心を想定しなかったことが、唯一の敗因だった。

 ふと、彼女は口元に微笑を浮かべた。

「……貴女たちの物語も、悪くなかったわよ」

 その視線は、王都から届いたある報告書の上に落ちる。
 名もなき少女たちが始めた私塾の記録だった。

 舞台は変わった。
 だが、彼女の中の劇作家は、今も静かに頁をめくり続けている。






 ──もう一度、自分で名前を選ぶなら


 辺境の海沿いの街。
 日差しの強い午後、波の音と風が交錯する岬の上。

 アリシア──いや、アリスは、今は小さな薬草屋で暮らしていた。
 偽りの名を捨てたその日から、誰も彼女の正体を知らない。

「王都の話? 興味ないわ。……昔のことでしょ」

 そう言って笑いながら、子どもたちに手当て用の薬を渡す。

 けれど、夜、誰もいない店で帳簿を閉じたとき、彼女はふと、海を見つめる。

 あの日、壊れた仮面の中に残っていたのは、空虚でも、虚構でもなく、誰かになろうとして壊れてしまった、一人の少女の痛みだった。

「……もし、もう一度名前を選べるなら。今度は、役柄じゃなくて、生き方を選びたい」

 小さな風鈴が揺れる音とともに、アリスはゆっくりと椅子を立った。

 明日もまた、誰の目にも留まらない平凡な一日が始まる。
 でも、それこそが、彼女の自分で選んだ物語だった。







 ――物語を織る私塾



 辺境地ラルティア地方、風の抜ける丘の上。
 白壁の小さな館──それはかつて地方貴族の離れとして使われていたが、今は「小さな書斎(サロネッタ)」と呼ばれる、少女たちの学び舎となっている。

 本棚には、礼儀作法書だけでなく、演劇台本、記録学、告発文、そして「物語の読み解き方」という奇妙な講座資料が並ぶ。

「ようやく、貴族令嬢ではなく物語の語り手として名簿に名前を残せたわ」

 ティナがそう笑い、机に積まれた生徒の課題を束ねる。

 クロエは、今やこの地方の民兵団の文官補佐。だが時間を縫ってはこの館に足を運び、書類整理と若い生徒たちの「真実の伝え方」指導にあたっていた。

 そして、今日──

「久しぶり」

 扉の奥から現れたリシェルは、かつてと変わらぬ真っ直ぐな眼差しを携えていた。

「ようやく過去に追われる日々から、一歩抜け出せた気がするの。……今度は、自分の手で誰かの未来を編む番だと思って」

 三人は笑った。
 もう同盟ではない。
 今は同じ筆を持つ仲間として、物語を紡いでいる。







 ――王都・王太子との再会


 王都の一隅、王立政庁内の特別閲覧室。
 リシェルは、ひとり記録閲覧の許可証を持って入室していた。

「久しいな」

 扉の奥から現れたのは、王太子レオニスだった。
 その瞳に迷いはなかった。
 だが、かつて彼女が見た玉座の傀儡でもなかった。

「私塾の運営、ご苦労だ。……私としても、貴族教育の再構築に関する提案を受け取るに値すると判断した」

「ありがとうございます。けれど、あくまで一提案者としてお伺いしたまでです」

「わかっている。誰かの隣に立つことを望まぬ者がいることも、今では理解しているつもりだ」

 彼の表情には、過去への悔いと、未来への責任の影が交錯していた。

「……かつて私は、母の作った物語の主役だった。だが今は、自分の物語を選ぶ側にならねばならない」

「それができる王であれば、国は変わるでしょう」

 リシェルは微笑んだ。

 そこにはもう、あの日の怒りも被害者としての痛みもなかった。
 ただ、一人の語り手として、未来と向き合う強さだけが残っていた。







 ――ギルバートの静かな死と、物語を継ぐ者たち



 聖務官修道院の片隅。
 ギルバート・エストリンは、誰にも看取られず、静かに息を引き取った。

 彼の枕元には、革で綴じた帳簿と、王妃付き記録官時代の古い筆記具。
 そして、開ける者を選べと書かれた封書が一通、遺されていた。

 その手紙は、リシェルたちのもとに届けられた。

 記録とは、誰かの記憶を未来に繋ぐための橋だ。
 嘘でも真実でもなく、語る者が正直である限り、それは力を持つ。
 私は途中でその筆を折った。だが、君たちは続けてくれると信じている。

 物語は、語る者の数だけ生まれる

 彼の言葉は、今や私塾の講義室の扉に掲げられている。
 リシェルたちが、少女たちに最初に伝える教えとして。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

「俺が勇者一行に?嫌です」

東稔 雨紗霧
ファンタジー
異世界に転生したけれども特にチートも無く前世の知識を生かせる訳でも無く凡庸な人間として過ごしていたある日、魔王が現れたらしい。 物見遊山がてら勇者のお披露目式に行ってみると勇者と目が合った。 は?無理

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...