富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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やましい関係

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「はぁ~、蕎麦も卵焼きも美味かったし、我蛇丸さんは男前だし、言うことないね。明日も来ようっと」
 
「あたしも来よっと。松千代姐さんのおごりぃ」
 
「やなこったえ。奢ってやるのは今日だけだよ」
 
「ちえ~」
 
 錦庵のある浮世小路を出た松千代と小梅が笑い合いながら日本橋の通りを歩いていると、
 
 前方からズカズカと桔梗屋の旦那の樹三郎が近付いてきた。
 
「あれ、旦那。お出掛け?」
 
 小梅はシレッとして言った。
 
 樹三郎の苦虫を噛み潰したような顔で小梅が桔梗屋へ行ったことを怒っているのは一目瞭然だ。
 
「小梅、ちょうど良かった。これから大亀屋へお前を呼んで貰おうと思うておったんだ」
 
 樹三郎は日本橋の大店の旦那ともあろうものがお供も付けずに一人で出歩いている。
 
 よほど小梅のことを店の者に知られたくないのであろう。
 
「へえぇ、そう」
 
 小梅は開き直った。
 
「ちょいと旦那?半玉はんぎょくの小梅だけでは参れませぬが、他に呼ぶ芸妓げいしゃは?」
 
 松千代が横から口を出す。
 
 半人前の半玉だけをお座敷へ呼ぶことは出来ぬのが決まりで、必ず同じ芸妓屋から姐さん芸妓を一緒に呼ばなくてはならない。
 
「ああ、お前でいいっ」
 
 樹三郎はイライラと言い捨て、三人は日本橋芳町の料理茶屋、大亀屋へ向かった。
 
 
 大亀屋の座敷へ入ると樹三郎は松千代に席を外させて、小梅と二人きりになった。
 
「おい、困るだろうが。家などへ来て、女房に知らすつもりかっ?」
 
 樹三郎は十五歳の小娘相手に情けなく動揺していた。
 
「なにさ、芸妓遊びなんざ男の甲斐性だろ?奥様に知られて何が困るって言うのさ?それとも奥様に知られたら、あたしの水揚げを出来なくなるとでもお言いかえ?」
 
 小梅は腕組みして顎をツンと突き上げ、偉そうに樹三郎を見据える。
 
「――う、うぅむ」
 
 樹三郎は言いよどむ。
 
 小梅の言うとおりなのだ。
 
 お葉にバレたら水揚げは出来なくなるに決まっている。
 
 娘のお花と同い年の半玉を水揚げするなどとお葉に知られれば無事では済むまい。
 
 もう跡継ぎの草之介が一人前の年齢だ。
 
 入り婿の自分はお葉に愛想を尽かされたら離縁されて桔梗屋から追い出されてしまうであろう。
 
 それだけは困る。
 

 だが、しかし、
 
 この小梅の水揚げの旦那になるためにどれほどの金を湯水のごとく使ったことか。
 
 すでに京の呉服商に来春らいはるのお披露目ひろめの着物は注文してある。
 
 縮緬ちりめん三枚重ね、上着は黒、光琳こうりんの紅白梅模様。下着は利休鼠、同模様。長襦袢は紅綸子匹田絞べにりんずひったしぼり。帯は紫紺地綾地錦しこんじあやじにしき吉野廣東縞蔦よしのかんとんじまつたの模様だ。
 
 お披露目の支度だけで三百両は使った。
 
 今更、お葉にバレて水揚げがおじゃんになったらどうしてくれよう。
 
 小梅に執着している訳では決してない。
 
 よくよく考えれば小梅など美しいだけの小生意気な小娘に過ぎない。
 
 だが、一番の売れっ子の半玉というところに価値があるのだ。
 
 小梅の贔屓客には『近江屋』『伊勢屋』『上州屋』『駿河屋』『加賀屋』という名だたる大店の旦那衆がいる。
 
 みな、小梅の水揚げを望んだが、水揚げの栄誉を獲得したのは樹三郎であった。
 
 売れっ子の水揚げは贔屓客の旦那同士が競り合う勝負だ。
 
 一番、金を使った者が勝ち取るという分かりやすい勝負なのだ。
 
 もはや後には引けない。
 
 樹三郎は内心でジタバタと焦った。
 

「……」
 
 小梅は猫を思わせる見透かしたような目で樹三郎を見ている。
 
 たかが十五歳の娘であるが、海千山千の花柳界を身一つでのし上がってきただけに樹三郎などよりはよっぽど肝が据わっていた。
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