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一大事
しおりを挟むその頃、桔梗屋では、
「――という訳でな、草之介の浮気はマッチョ姐さんの勘違いぢゃったそうなんぢゃっ」
サギは草之介の分の蕎麦をズルズルと食べながら、ついさっき錦庵で聞いた話をお葉とお花に伝えた。
昨日から錦庵と桔梗屋を行ったり来たりと、まるで伝書鳩ならぬ伝言サギだ。
「まあ、草之介は浮気なんぞ出来る子ではないと思うたわなあ」
お葉は安堵して蕎麦をスルスルと啜る。
「兄さんは気が小さいもの。あの蜂蜜が恐ろしゅうて浮気なんぞ出来んわな」
お花は小馬鹿にした口調だ。
「――けど、蕎麦の時にもカスティラの耳が付くんぢゃのう?」
サギは大鉢に山盛りの短冊切りのカスティラの耳を箸で摘まみ上げた。
「わりと合うんだえ」
お花はカスティラの耳を蕎麦つゆにどっぷりと浸けて食べる。
我蛇丸が見たらイヤな顔すること請け合いだ。
「オヤツは戴き物の饅頭と煎餅があったわなあ。どっちにするえ?」
お葉が茶箪笥の扉を開ける。
「わしゃ、どっちもっ」
サギは即答する。
「あたしも両方っ」
お花も張り合う。
「ほほっ、いいとも。二人共、わしのように真ん丸に肥えておしまいっ」
「うひゃひゃ」
「もお、イヤだわな」
お葉もサギもお花もケラケラと笑う。
まったく、この時までは穏やかな昼のひとときであった。
一方、桔梗屋の台所では、
「ほんに半玉というのは、まあ、いけ好かない。うちのサギと同い年の小娘がいっぱしに男子へ色目を使うんぢゃからのう。末恐ろしいわ」
シメが出前の蕎麦を持ってきてからずっと女中のおクキを相手にしゃべくっていた。
「へえっ、さすがに小娘とはいえ色を売る商売だわいなあ」
二人は板間に座り込んで本腰を入れておしゃべりしている。
「我蛇丸とハトにはニッコリしてみせて、わしには知らん顔しよるんぢゃから。ああ、小憎らしっ」
パシッ。
シメは腹立ち紛れに土間を走る油虫をまきざっぽうで叩いた。
これでも錦庵では紅一点のシメとしては若い女子に敵対心があるのだ。
「我蛇丸さんにニッコリとっ?」
我蛇丸を狙っているおクキは吊った目をさらに吊り上げた。
「我蛇丸に色目は一緒にいた姐さん芸妓のほうぢゃわ。イヤらしい目で我蛇丸の尻ばかし見てのう」
「あれまあ、ほんに淫らがましいことっ」
二人はさんざん芸妓というものに対する悪口で盛り上がり、
半時(約一時間)近くも無駄話してから、ようやくシメは長っ尻をヨッコラサと上げた。
「そいぢゃ」
シメは台所の水口から出て裏庭を通って、
裏木戸に手を掛けてから、ハッと驚いたように踵を返した。
「おクキどんっ、裏木戸の格子にこんな結び文がっ」
シメが台所へ駆け戻って、おクキに結び文を差し出す。
結び文の先になにやら文字が見える。
「こ、これは――」
読み難い文字におクキは目を凝らす。
「――羊?いえ、単?いや、草?――あっ、草之介?若旦那様っ?」
おクキはハッとして、
「――奥様、奥様っ」
結び文を持って廊下をバタバタと走っていった。
シメも上がり込んでおクキの後に続く。
「――なにっ?草之介から文がっ?」
お葉は気が急いて、もどかしく結び文を開いた。
やけにグチャグチャした文字が見える。
「よほど取り乱して書いたとみえるのう」
シメは憐憫の眼差しで文の文字を見たが、
「おお、この筆跡は、たしかに草之介の字だえっ」
お葉は嬉しげに叫んだ。
「草之介もミミズがのた打ち廻ったような字ぢゃったのかっ」
サギはのけぞった。
「なあ?兄さんは何て?何て書いとるんだえ?」
お花がせっつく。
「ええと、我が子ながら、あまりに字が汚うて、よう読めんわなあ」
お葉は嘆かわしげに眉をひそめた。
「どれ、あたしが」
お花が文を手に取る。
やはり、ミミズがのた打ち廻ったような字を書くお花ならば読むことも出来るはずだ。
「ええと、以手紙申上候。然者――」
文に目を走らせたお花の顔色がにわかに青ざめた。
「――ああっ、大変だえっ。兄さんは何者かに攫われたって書いとるわなっ」
お花はビックリと叫んだ。
「えええっ」
一同は驚嘆した。
草之介は何者かに攫われていたのだ。
どうりで家に帰ってこない訳である。
「――そ、草之介が攫われた――」
お葉はヨロヨロと横倒れになって畳に臥した。
「お、奥様っ」
おクキがお葉の肩を支える。
「攫われたのなら身の代金を要求しとるんではっ?」
シメがお花に文の先を読むように促す。
「う、うん、ええと、人攫いの要求は命と引き換えに金、金、――あぁ、何?この字は?」
お花にも読み難い文字に気が焦る。
「金百両か?金千両か?草之介のためなら金なんぞ幾ら出そうが惜しくないえっ」
お葉は当然ながら金の後に続く文字は百両、千両といった金額だと思った。
「どれ、わしに貸せっ」
サギがお花から文を引ったくる。
お花のミミズがのた打ち廻ったような文字を見て清書が出来たサギにはこの文も読むことが出来た。
「――鳥っ。『金鳥』ぢゃ。草之介の命と引き換えに『金鳥』を渡すようにと、草之介はそれが人攫いの要求ぢゃと書いとるんぢゃっ」
サギが『金鳥』と言うや否や、
「――っ」
お葉はギクリと全身がおののいた。
「――金鳥?何のことだえ?」
お花は怪訝におクキを見やる。
「さあ?何でござりましょう?ホントに鳥などと書いてあるんでござりまするか?金百両か金千両の間違いでは?」
おクキはサギに確かめる。
「いや、『金鳥』ぢゃ。わしゃ、どんなミミズがのた打ち廻ったような字でも鳥という字は見違えん。富羅鳥山で生まれ育った者ぢゃからなっ」
サギはキッパリと断言する。
「『金鳥』というと黄金で作られた鳥の彫像か何かだろうかえ?おっ母さん?家に『金鳥』なんてお宝があるのかえ?」
お花はごく素直に黄金のお宝を思い浮かべた。
「――わ、わしゃ、知らん。そ、そんなものは知らんわなっ」
お葉は首をブンブンと振りながら叫ぶ。
明らかに『金鳥』という言葉に狼狽している。
「ええと、三日後の夜五つ半に神社の拝殿に『金鳥』を置いとくれと、そしたら、草之介は無事に返されるんぢゃとっ」
サギは声を弾ませる。
いよいよ我ら富羅鳥の忍びの出番か。
必ずや草之介を無事に取り戻し、人攫いを捕らえてみせようぞ。
サギはワクワクと武者震いした。
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