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寿留女と勝男武士
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暮れ六つ。(午後六時頃)
「うわぃ、目出度いの鯛ぢゃっ」
サギは晩ご飯の膳を見て万歳した。
出入りの魚屋が捌いた鯛の姿造りが豪勢な伊万里焼の大皿に美しく盛り付けてある。
今まで膳を見る度に万歳していたが、幾度も大したご馳走でもないのに万歳してしまったものだと悔やまれる。
この鯛こそが万歳に相応しいではないか。
「――うくぅ」
サギはあまりの鯛の刺身の美味さに感激して言葉も出ない。
舟遊びでも鯛の刺身は食べたが、やはり熱々のご飯と一緒に食べると満足感が桁違いだ。
「ほほ、鯛の他にもスルメと鰹節でだしを取った吸い物。カブの漬物も目出度いわなあ」
お葉は上機嫌でそれぞれの器を指し示す。
スルメは寿留女、鰹節は勝男武士、カブは家富という当て字の縁起物である。
「ふうん、それでいうと桔梗屋の菓子はいかんのう」
サギは鯛の刺身に醤油をペタペタと付けながら何の気なしに言った。
「いかんって?」
お花は鯛の刺身をモグモグしながらキョトンとする。
「ぢゃって、カスティラだのボーロだの、カスやボロでボロッカスぢゃあ」
サギはズケズケと遠慮がない。
カス。ボロ。
どちらも屑のことではないか。
「……」
桔梗屋の家族はみなピタリと箸を持つ手が止まった。
今だかつて生まれた時から慣れ親しんだ南蛮菓子の名に疑問を持ったことなどなかったのだ。
「たしかに言われてみればカスやボロなんて名は縁起が悪いわな。何で今まで気付かなんだろの?」
お花は母のお葉と兄の草之介の顔を順に見やる。
「うぅむ、そういえばそうだ。いつも正月には喜ぶで昆布だの、黒豆でまめまめしくだのと縁起担ぎしておったのに桔梗屋の菓子の名については考えもしなんだ」
草之介は難しい顔で唸った。
「ほんに、うっかりしとった。やはり、サギのように菓子屋とは縁もゆかりもない者だからこそ気付くこともあるんだわなあ」
お葉は感心しながらサギが草之介の嫁になれば桔梗屋のためになるという意を強くした。
お葉は「わしの見る目は確かだったえ?」というように乳母のおタネと女中のおクキに頷いてみせる。
心得た二人は揃って「まったくにござります」というようにお葉に頷き返した。
「スルメを寿を留める女と書くようにカスティラもボーロも目出度い当て字を付けたらええんぢゃないか?」
実之介が至極もっともな提案をした。
まだ九歳ながら『金鳥』の存在など知らぬ実之介は『金鳥』のせいでまともな価値観を失った兄の草之介と違ってまともで賢かった。
「うんっ、それぢゃ。目出度い当て字ぢゃっ」
サギはペチッと膝を打ち、
「よおし、うんと目出度いの考えるぞっ」
実之介は拳を突き上げ、
「あたいもかんがえるっ」
まだ漢字は知らず仮名だけでしゃべっているお枝までやる気満々、
「ほほ、頼もしいわなあ」
お葉は子等を見つめてご満悦、
だが、
「……」
草之介とお花はやにわに渋い顔になった。
さもありなん、ミミズがのた打ち廻ったような字を書く二人は当然のごとく手習い嫌いで漢字も苦手なのだ。
「ああ、そいぢゃ、店の者にも言うてみんなで当て字の案を出すことにしよう。桔梗屋の菓子はわし等だけでなく奉公人のものでもあるのだからな。桔梗屋一丸となって公明正大に名付けなくてはならん」
草之介は自分は考えずに済むように上手く取り繕った。
元々、父の樹三郎に似て舌先だけはよく廻る口達者なのだ。
さっそく、晩ご飯の後に板間で手習いの稽古をする小僧等に伝えると、
「ええ?わし等にも菓子の目出度い当て字を考えさせて戴けるんでござりますかっ?」
小僧等は飛び上がって大喜びした。
手習いを小僧に教えている手代の銀次郎も大層に乗り気で、
「では、各々が考え付いた当て字を書くとしよう」
今日の手習いはカスティラの当て字を書くことになった。
「わし等も手習いぢゃっ」
サギも実之介も勢い込んで文机を二つ出して並べた。
お盆の前まで小僧は六人いたので文机は六つある。
お枝は甲斐甲斐しく銀次郎を手伝って半紙をみなに配る。
草之介とお花は漢字を書く気はさらさらないが口は出したいので、みなの背後から手習いを覗き込んだ。
「カスティラのカは菓子の菓はどうかな」
「香りの香もええぞ」
「おいらぁ、お花様の花がええと思うなっ」
「豪華の華もあるなあ」
小僧等はそれぞれの漢字を半紙に書いていく。
「んふふ、花、ええわな」
お花はカスティラのカは花と独り決めしてにんまりする。
「ほほう、みんな、なかなかの筆運びだな。感心、感心」
草之介は偉そうに後ろ手を組み、師匠気取りで小僧等の背後を行ったり来たりする。
手習いでは小僧等にも劣る草之介は若旦那としての面子のためにもミミズがのた打ち廻ったような字などまかり間違っても書いてみせる訳にはいかない。
「――おや?」
草之介はサギの背後で足を止めた。
サギは菓、香、花、華、果、嘉、珈、佳、歌、箇、渦、架――と漢字をスラスラと淀みなく書いていく。
しかも、とてつもなく達筆だ。
(――ば、馬鹿ではなかったのか?)
草之介はてっきりサギのことを馬鹿とばかり思っていたので驚いてサギの手元を覗き込んだ。
ミミズがのた打ち廻ったような字の草之介は常日頃、手代の銀次郎に代筆を頼んでいたが、堅物で融通の利かぬ銀次郎には頼み難い内密の書状もある。
このサギなら細かいことには頓着しなさそうで頼みやすいと草之介は思った。
「サギどんと言うたな?その達筆を見込んでちょいと頼みがあるんだが――」
草之介は背後からコソッとサギに耳打ちする。
(なんぢゃ、草之介まで代筆か)
サギは返事の代わりに半紙に「可」と書き示した。
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