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げにげに
しおりを挟む夜も更けて、
小僧等は手に手に手拭いをぶら下げ、夜道を湯屋へ向かった。
月がまっぴかりに日本橋の屑だらけの通りを照らしている。
「ほれっ」
「飛んだり、飛んだり」
そこかしこに落ちている犬の糞を下駄で踏まぬよう小僧等はヒョイヒョイと飛びながら進んでいく。
日頃の遊びのちんちんもがもがの片足跳びの鍛練がこんな時にも役に立つ。
「いや、今日という日はまったく若旦那様を見直したなっ」
「ほんにそうさ。年の瀬まで千両箱の金を使うたらいかんとキッパリ言わしゃった」
「菓子の目出度い当て字だって小僧のわし等にまで考えさせて下さるしな」
「ホントは才長けた若旦那様だったんだよ。きっと今までは旦那様に気を遣うてボンクラの振りをされていただけぢゃなかろうか?」
「なるほど、きっとそうだっ」
「旦那様がどうしたことか知らんがおらんようになったから若旦那様はいよいよ本領発揮という訳かっ」
小僧等はすっかり草之介に感服した口振りである。
実のところ草之介の一連の行いは千両箱の金をちょろまかしたのがバレぬように誤魔化すためやミミズがのた打ち廻ったような字がバレぬように誤魔化すためであったが、小僧等はそんなことは露ほども知る由はなく、
今日一日で若旦那の草之介の評価はうなぎ登りだ。
同じ頃。
チャプン、
チャプン、
「児雷也思えば照る日も曇る~ 桔梗屋お花が涙雨~♪末は夫婦でござんする~ぅ 御念に及ばぬ そりゃそうでのうてかいな~♪」
お花は家の檜風呂に浸かって小唄の『丹波与作』を児雷也と自分の替え唄にして悦に入っていた。
『丹波与作』は明和の頃の小唄。
こんな替え唄はさすがに人に聞かれたらこっ恥ずかしいので風呂で一人こっそりと唄うのだ。
「浅草寺参りに奥山の小屋で惚れたとさ♪お花児雷也さんは名古屋帯よ~♪おほほのえへへのおほほのさ~♪」
元唄は『お半長兵衛門』で天保の頃。
「サァサ、浮いた浮いた~♪やあと、やあと、やあとぉ~♪花が蝶々か 蝶々が児雷也か 来てはチラチラ迷わせる♪瓢箪ばかりが浮きものか あたしもこの頃 浮いてきた~♪サァサ、浮いた浮いた~♪」
『花が蝶々か』は文政の頃。
お花の浮かれた替え唄はまだまだ続く。
チャプン、
チャプン、
湯をチャプチャプと叩きながら拍子を取る。
お花はすこぶる長風呂であった。
一方、
「うひゃひゃひゃ」
広間ではサギと実之介とお枝が畳の上をゴロゴロと転がって遊んでいた。
サギが縁側のほうへ頭を向けてゴロゴロと転がっていくと、障子を猫が出入りする隙間ほど開いて敷居のすぐ上に草之介が鼻先を突き出した。
何をしているのか怪しまれた時の言い訳に用意周到に懐に白猫を抱えている。
「サギどん、これを明日の昼のうちにコソッと書いといておくれ。くれぐれも家族の者や奉公人等に知られぬようにな」
草之介は声を潜めてサギに代筆の書状の下書きを手渡した。
「ひゃひゃひゃ」
「ひゃひゃ」
実之介もお枝もまったく草之介には気付かず夢中でゴロゴロと転がっていく。
「合点承知の介っ」
サギは江戸っぽい言葉で答えると下書きを懐に仕舞ってまたゴロゴロと転がっていった。
(――むぅん、どうも遊び半分のようだが、サギどんに頼んでも大丈夫だったろうか?)
草之介は一抹の不安がよぎったが他に内密の書状の代筆など頼める者がいないので仕方ない。
「おや?若旦那様?」
「いかがなされました?」
案の定、乳母のおタネと女中のおクキが廊下を曲がってきて、縁側で這いつくばっている草之介を見咎めた。
「ああ」
草之介は慌てず障子を閉めて立ち上がると、
「なに、猫が座敷へ入ろうとしとったから捕まえたのさ」
そう誤魔化して白猫を庭へ放した。
「おやまあ、ユキ。ほれ、あっちへお行き」
おタネはシッシと白猫を台所のほうへ追いやる。
猫の寝床は寒くなってきたら火を落とした後の暖かい釜戸の灰の中と決まっている。
それで「結構毛だらけ、猫灰だらけ」なのだ。
「ふぅん、そいつの名はユキだったのか」
たしか、白猫でクモ、シロ、トーフもいたはずだが草之介には白猫はどれも同じで見分けが付かない。
「はぁ、今日は色々と疲れた――」
草之介は五百両を担いで凝った肩をコキコキと廻しながらコの字の縁側を曲がって同じ中庭に面した自分の寝間へ戻っていった。
一方、お花はまだ風呂で唄っていた。
チャプン、
チャプン、
「同じ座敷にいる時は~ 物を言うのも気が咎め~ 結句、人目に立つそうな~ いっそ派手なが良いわいな~♪そうぢゃそうぢゃ、その気でなければ話されぬ♪もっともぢゃ そうかいな 実に実にもっともぢゃ~♪」
『げにげに』は安永の頃。
人目を忍ぶ恋仲の二人が同じ座敷にいて知らん顔しているとかえって怪しまれるので派手に話したほうが良いという唄である。
(うんっ。あたしもたぬき会で児雷也と逢うた時には『げにげに』の態度をせねばだわな)
お花はそう心得る。
児雷也は人気の花形芸人、自分は日本橋でも指折りの大店の箱入り娘、人目を忍ばねばならぬ恋には違いない。
恋に恋する厄介な年頃のお花は児雷也と相思相愛としつこく信じていた。
(だって、蝶々の銀のピラピラ簪を貰うたんだから)
小唄で蝶は想い人の元へ飛んでくる喩えの定番だ。
芸人の児雷也が知らぬはずがない。
(何でいまだにあたしの文に返事をくれんのだろ?)
お花にはその理由は一つしか思い当たらない。
(きっと児雷也もミミズがのた打ち廻ったような字なんだわな)
それなのに自分はサギに代筆までさせて美しい流麗な文を送ってしまった。
あまりにも達筆な文に児雷也は返事を書くことすら恥じ入ってしまったのかも知れない。
いや、そうとしか考えられない。
(ああ、あたしの馬鹿、馬鹿――)
お花はこうして返事を貰えぬ理由を児雷也が悪筆のためだと決め込んだ。
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