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吹く風 枝を鳴らさず
しおりを挟む「へい、お次の番だっ」
サギは木戸番からホイと火吹き竹を渡された。
「――へっ?」
ポカーンと舞台を見ていたサギはハッと我に返る。
どうやら舞台の前に立っていた男等は順番待ちで、サギは順番待ちの列に割り込んでいたのだ。
「あ、いやいや、わしゃコレを吹くつもりなんぞ――」
サギはブンブンと首を振って、木戸番に火吹き竹を返そうとしたが、
「またまたぁ、舞台にかぶり付きで見ておったくせにぃ。この期に及んで恥ずかしがるこたないやね」
木戸番は笑いながらサギの両肩をパンパンと叩いて屋台の中へ押し込む。
「い、いや、わしゃホントに違うんぢゃっ」
サギは木戸番に背中を押されながら田舎者丸出しでジタバタとした。
「どうした、小僧、ビビったかあ?」
「しっかりやれっ」
「とっとと度胸ぉ決めやがれ」
見物客から冷やかすようなヤジが飛ぶ。
サギはお庭番の八木の見立てによると男と女どちらに見えるかは五分五分なので、こういう場では間違いなく男に見られているようだ。
「む、むうぅ」
サギは今更、後に引けなくなった。
ビビったの度胸がないのと思われるのは、すこぶる気に入らない。
断じて自分も火吹き竹をちょっとばかり吹いてみたかった訳ではない。
知らず知らずに順番待ちに割り込んでしまって客と勘違いされたので仕方なく不本意ながらやるだけだ。
サギは意を決し、三歩進んでクルッと舞台へ向いて花魁もどきの女の正面に立った。
花魁の煌びやかな衣装。
縮緬三枚重ね、地は栗梅、模様は扇面に光琳の四季の花と富士山。長襦袢は緋縮緬。前に結んだ帯は紺地に金糸銀糸唐草古代模様だ。
「……」
俯いていた花魁もどきの女が重たげに横兵庫髷の頭を起こした。
「――おっ?」
サギは女の顔に目を見張った。
思いの外、美しいではないか。
白塗りに厚化粧しているが自分とそう変わらぬほど若く見える。
ペペン♪
ペペン♪
「当てられたなら、当ててみなんせ♪」
三味線の音に唄声、手拍子が始まった。
「ようしっ」
サギは気合いを入れて中腰になって火吹き竹を構えた。
やおら、女がM字に足を開く。
いよいよかとサギの胸はドキドキと高鳴った。
「……」
花魁もどきの女はからかうような笑みを浮かべる。
そして、
着物の裾がパッと左右に開かれた。
ご開帳ーーー。
なんということか。
「……」
サギは今度こそ我が目を疑った。
(お、お、お――)
ドテンッ。
尻餅を突く。
(――男ぢゃああっっ)
サギはこれぞ「おったまげた」という見本のような驚き方をした。
「わはははははっ」
見物客から大爆笑が湧き起きる。
(だ、騙されたっ)
先に火吹き竹を吹いた客を見やると先頭のチンピラがサギに向かって目配せをする。
(あっ、さてはアヤツはサクラの客か?)
ペペン♪
ペペン♪
「当てられたなら、当ててみなんせ♪」
花魁もどきの女、もとい、男の向こう側の見物客は大盛り上がりで手拍子しながら唄っている。
おそらく花魁もどきが男と知っていて騙される客を見るために見物している者と、何も知らずにこれから騙される客になる者が半々だ。
自分だけ騙される訳にはいかない。
サギは素早くバッと起き上がって火吹き竹を構えた。
「――ぷぷ」
花魁もどきの男はサギのおったまげっぷりが可笑しかったのか笑いを堪えている。
ペペン♪
ペペン♪
「当てられたなら、当ててみなんせ♪」
サギは大きく息を吸い込んだ。
「すううぅ」
みな、ここで笑ってしまったのは期待いっぱいのスケベ心の絶頂で騙されて馬鹿を見た男の決まり悪さによるものであろう。
しかし、元々、スケベ心は持ってやしないサギには大した羞恥心もない。
ペペン♪
ペペン♪
「当てられたなら、当ててみなんせ♪」
いざ、
「ふうううっっっ」
サギは思いっきり火吹き竹を吹いた。
果たして、息は届いたか。
「あっああ~んっ」
花魁もどきの男が高らかによがり声を上げて、腰を左右に振る。
「大当たーりーーっ」
「でかしたっ」
「いよっ、日本一っ」
見物客から拍手喝采が起こる。
「へへん」
サギはどんなもんだと胸を張った。
見事に命中させた満足感でニマニマしながら屋台を出る。
「の、のう?」
「あ、あの花魁は美人だったのか?」
「二十歳というのはホントかのう?」
田舎侍の三人組が興奮気味にサギに詰め寄ってきた。
いかにも田舎者丸出しのサギには訊きやすかったのであろう。
「――え?」
サギはサクラの客らしきチンピラをチラと見やる。
チンピラはまた目配せをする。
「う、うん、ああ、そりゃビックリするほどの美人ぢゃ。年は、二十歳よりも若う見えたのう。十六、七歳というところぢゃな」
嘘は言っていない。
「そ、そうかあっ」
田舎侍の三人組はパアッと喜色満面でまた見物しに屋台の前へ戻っていった。
見れば屋台の看板にも『吹き当て美人』と書かれているではないか。
嘘偽りはないのだ。
「そいぢゃ」
サギは意気揚々と見物客の人垣を抜け出した。
来た道を戻って角を曲がると、
「おうい」
チンピラが走って追いかけてきた。
「木戸銭、八文っ。木戸番が貰うの忘れてたってよ」
そういえばサギは木戸銭を払ってなかった。
「なんぢゃ、やっぱりお前はサクラの客か。騙されてチンケなものを見せられて銭を出すなんぞ合わんのう」
サギはブツクサ言いながら腰に提げた四文銭の束の結び目をほどく。
「しっかし、よう男とバレとらんのう?」
サギは騙された客の中に言いふらす者がいないのか不思議に思った。
「なに、どっおせ江戸見物に来た田舎者の客ばかりさ。それに、いつもは花魁の役はホントに二十歳の姐さんがやってんだ。姐さんが月の五日ほどは血の病(月経のこと)で出らんねえからアイツが代わりに出ているってだけでさ」
チンピラはシャアシャアとして言う。
それならサギは月に五日ほどの代役の日にわざわざ当たったという訳だ。
「ま、どっちにしても八文の損しただけぢゃ。八文で団子二本も食えたんぢゃぞ」
サギは惜しそうに四文銭の束から二枚を引っこ抜いてチンピラに渡した。
手のひらを出したチンピラの手首には薄紅の火傷の痕があった。
ゴォン。
暮れ六つ(午後六時頃)の鐘が鳴る。
「あっ、晩ご飯の時分ぢゃっ」
乱痴気騒ぎにかまけているうちにすっかり日が暮れていた。
日暮れの日本橋の通りはいつにも増して甚だしい人混みだ。
屋根の上を飛んで帰ったほうが早い。
サギは待合い茶屋らしき家の屋根へピョンと飛び上がった。
「おうい、今度は姐さんが出る日にまた吹きに来いよお。お前みてえな田舎者丸出しだと見物客が盛り上がっからよお。昼七つ(午後四時頃)からやってっからあ」
チンピラは屋根から屋根へとピョンピョンと飛んでいくサギに向かって叫ぶ。
サギの常人離れした跳躍にまるで驚く様子もない。
「イーヤーぢゃよーーっ」
返事が聞こえた時はもうサギの姿は屋根の向こうへ消えていた。
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