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にゃん影の武器
しおりを挟む夜五つ半(午後九時頃)過ぎ。
パッカ、
パッカ、
パッカ、
パッカ、
我蛇丸と八木はまた早馬を乗り継いで江戸へ戻ってきた。
八木のお供二人は伝馬役所で八木の帰りを待っていた。
伝馬役所に借りた馬二匹を無事に返して、冠木門を出る。
「八木殿、今日はわざわざ富羅鳥までご足労を戴き、まことに――」
我蛇丸が改まって礼の言葉を述べんとするが、
「あいや、それがしは四つ時までに帰らねばならぬのでっ」
幕臣の八木は門限の夜四つ(午後十時頃)までに自分の住まうお庭番の御用屋敷のある雉子橋御門を通らねばならぬのだ。
お庭番の御用屋敷は江戸城を挟んで反対側の虎ノ御門にもあった。
「然らば、ご免っ」
八木は挨拶もそこそこにお供二人と一目散に駆け出していった。
「――という訳で、雁右衛門殿は消え失せておったんぢゃ。一応、帰りしな峠の茶屋の爺さんに伝えて富羅鳥の忍びの者に捜索するよう頼んでおいたんぢゃが――」
錦庵に帰った我蛇丸は富羅鳥山での出来事をハトとシメに話して聞かせた。
「飛び道具を使われたら刀など形無しぢゃ」
我蛇丸は使う出番のなかった仕込み麺打ち棒を意気消沈して掛け台に戻した。
「刀など形無し、駄洒落かっ」
シメが突っ込む。
「いや、たまたまぢゃ。我蛇丸はこんな時に駄洒落を言えるほど気の利く男子ぢゃないでのう」
ハトは受け流す。
「それより、矢は雁右衛門殿の背中のどのへんに刺さっておったんぢゃ?このへんか?それとも、このへんか?急所は外れたかも知れんからのう」
医術の知識のあるハトはシメの背中を使ってあちこちを指し示した。
「いや、たしかな位置はよう分からん。雁右衛門殿は合羽を羽織っておったんぢゃ」
我蛇丸は咄嗟に矢が射られた前方を見たので倒れた雁右衛門の姿を目にしたのは一瞬であった。
「しかし、あの暗い山中で遠目から一矢で命中させるとは相当な凄腕ぢゃ。八木殿を矢で狙うたのも脅かすためでわざと外したのかも知れんしのう」
「八木殿に射た矢は三本ぢゃということは射た曲者は三人いたということかも知れんのう」
「う~ん、腕前からして富羅鳥藩の御手廻弓之者三人かも知れんのう」
「~かも知れん」「~かも知れん」と憶測ばかりで、さっぱり埒があかない。
すると、
「ニャッ」
にゃん影が我蛇丸に向かって招き猫のように自分の前足を上げて見せた。
「ああ、にゃん影もいつの間にやら早馬にくっ付いて富羅鳥まで来ておったんぢゃ。にゃん影がわしに飛び付いてきたのも弓矢で狙うとる曲者に気付いたからに違いないのう」
にゃん影も曲者を追っていったが我蛇丸と八木よりも遅れて峠の茶屋へ戻ってきたのだ。
「ニャッ」
にゃん影は猫ゆえの物言えぬ悲しさ、イライラとして、「これ見さらせ」とばかりに自分の前足を手拭いにペタンと押し付けた。
先ほど我蛇丸が座敷へ上がる前に縁側で泥足を足桶で洗って拭いたばかりの濡れ手拭いだ。
「――ん?これは?」
白い手拭いに茶色い梅の花のような猫の足跡が付いた。
「――血――ではないか?」
我蛇丸はにゃん影の前足を持ち上げて確かめる。
「お――っ」
五本の爪にも肉球にも乾いた血が固まって付いている。
にゃん影は肉球まで黒い完璧なる黒猫なので前足をチラッと見ただけでは血に気付かなかったのだ。
「にゃん影が怪我した訳ではないということは、これは、にゃん影が引っ掻いた曲者の血ぢゃ」
「かなり出血したようぢゃわ。曲者はずいぶんと深い引っ掻き傷を負ったようぢゃのう」
「にゃん影、お手柄ぢゃっ」
五本の引っ掻き傷ならば必ず痕が残る。
曲者を見極める目印になるはずだ。
「ニャッ」
実に実ににゃん影は有能な忍びの猫であった。
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