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美人は言わねど隠れなし
しおりを挟む同じ頃。
桔梗屋では、
「ほれ、おはぎぢゃっ」
サギが今日もお枝とお栗に付き合って裏庭の真ん中に敷いた蓙に座って熱心に泥饅頭をこしらえていた。
お枝は豪華な人形や蒔絵のままごと道具で遊ぶのに飽き飽きしていたので裏庭での泥んこ遊びにすっかりハマっているのだ。
「きりこ、きりこ~♪何誰様細工♪お若衆様のお手細工~、お手細工~♪」
裏庭に面した座敷ではお花が鈴を転がすような声で唄いながら刺繍を刺している。
下女中五人はお桐といつもどおり針仕事をしながらペチャクチャおしゃべりしていた。
「そいぢゃ、お桐さん、今日から杉作はまた手習い所へ通い出したのかい?」
下女中が嬉しげに首を横に突き出す。
みなは明るい縁側を向いてズラリと横並びに座って作業しているのだ。
「ええ、お陰様で仕立て物の仕事もあちらこちらから戴けて、もう杉作が薪売りをしなくても済むようになりましたので――」
お桐は杉作が席書会までに手習い所へ戻れることになってホッとしていた。
普段は手習い所は昼八つ(午後二時頃)までだが、席書会が近くなると居残り稽古があるので実之介も他の手習い子も昼七つ(午後四時頃)まで稽古している。
杉作も居残り稽古のおかげで普段よりも多く稽古が出来るのだ。
(三年も手習いが疎かになってしまったけれど、利発な杉作ならすぐに遅れを取り戻せるに違いない――)
お桐は自分も杉作に負けじとせっせと針を動かす。
にわかに仕立て物の仕事が増えたので手を休めている暇はない。
「奥様がご贔屓にしてる呉服屋へ声を掛けて下すったら、たちまち仕事が舞い込んでさ、お桐さんも大忙しだ」
「けど、こんなに引き受けちまってさ。無理をしちゃいけないよ」
下女中はお桐の背後にドドンと詰まれた反物の山を見て、おやまあと大変そうに吐息した。
以前、お桐が何日も足を棒にして方々の呉服屋へ頼んで廻ってもけんもほろろに門前払いだったのに、桔梗屋の奥様の鶴の一声でこの反物の山である。
かつてはお桐も大きな材木問屋の森田屋の一番番頭の家内という立場でどこの呉服屋でもそれなりに丁寧な扱いを受けたものだったのだが。
お桐は桔梗屋の威光に預かって有り難いものの、名もなき庶民の無力さを感じずにはいられなかった。
そこへ、
「毎度ぉぉ、小間物のご用はぁぁ?」
お庭番の八木明乃丞がやってきた。
今日も行商人に変装している。
「うわぃ、オヤツぢゃあっ」
サギは「待ってました」と裏木戸へ突っ走った。
「おお、サギ殿ぉぉ、しばらくぅぅ。今日の手土産は羊羮にござるぅぅ」
八木が風呂敷包みを差し出したが、
「うわっ、わしの手、泥んこぢゃっ。洗ってくるっ」
サギは慌てて井戸端へ走っていく。
「泥んこ遊びとは、まったくぅぅ」
八木はやれやれとサギの後ろ姿を目で追って井戸端のある裏庭の奥のほうを見るなり、
「――おや?」
一番端っこの座敷にいるお桐に目を留めた。
縁側を向いて座って針仕事をしているので顔がよく見える。
しかも、面喰い馬鹿の八木は美人に関しては通常よりもますます目が良くなった。
(――はて?あの美人はぁぁ?)
お庭番というお役目で人の顔もよく覚えている。
日頃、美人と逢う機会など滅多にないので、すぐに思い出した。
(ああっ、見合いの武家娘ではぁぁ?)
見合いでは絹物の贅沢な金糸刺繍の振り袖で、今は下女中と同じように黒襟を掛けた木綿の普段着だが、どちらの姿でも美しい顔立ちに変わりはない。
(他人の空似というよりは本人としか思えぬでござるぅぅ)
しかし、武家娘が桔梗屋の下女中に混ざって働いているのは合点がいかない。
「手を洗ってきたのぢゃっ」
サギが両手をピッピと振って、しずくを飛ばしながら戻ってきた。
「――あ、そうそう、今日は桔梗屋のご主人に折り入って内密の相談があって参ったのでござるぅぅ。サギ殿、それがしの役職をコソッとご主人に告げて取り次ぎを願い奉りまするぅぅ」
八木は見合いの武家娘と思しき美人に気を取られて、うっかり忘れ掛けていた本来の用件を伝えた。
今日は桔梗屋へ遊びに来た訳ではなく、お庭番のお役目で大事な用件があって来たのだ。
「ほほお、そいぢゃ、お葉さんに――」
サギはクルッと踵を返し、茶の間へ行こうとする。
「あいや、待たれい。桔梗屋の主は草之介殿にござろうぅぅ」
八木はサギのたっつけ袴の腰板を掴んで引き止める。
「えええ?草之介ぢゃとお?」
サギはとてつもなく納得し難い顔をしたが、実際に桔梗屋の主は草之介なのだから仕方ない。
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