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日々是陰謀
しおりを挟む「ほれ、お桂さんの好きな大福を買うてきた。茶の間で子供等とオヤツにするといい」
又吉は柔和な笑みを浮かべて大きな包みをお桂に手渡す。
奉公先のお嬢様から女房になってもお桂さんと呼ぶのは入り婿の立場をわきまえた奥ゆかしさを演出するためであろう。
「へえ、そいぢゃ、虎也さん、ごゆっくり~」
お桂は大福の包みを抱えてホクホクと客間を出ていった。
「昨日の今日でいったい何の用だ?」
又吉は向かい側に胡座を掻くと、打って変わって冷徹な顔になった。
「親父、八人目の子も産まれるってのに無茶な考えはやめとけよ。今日はそれを言いに来たんだ」
虎也は咎めるような目で又吉を見据えて、すぐさま本題に入った。
なにがなんでも又吉に将軍様の暗殺を思い止まらせなくてはならない。
「なあに、八人目が産まれる今だからこそやるのだ。末広がりで縁起が良い」
又吉は手ずから火鉢の鉄瓶のお茶を湯呑みに注ぐと、
「――おっ?見ろ。茶柱が立っておる」
湯呑みを覗き込んで目を輝かせた。
「ますます験が良い。これは陰謀を全うせよという神仏の思し召しだ」
又吉はそう決め込んでご満悦に頷く。
この調子では陰謀をやめるように説得するのは難しそうだ。
「……」
虎也は苦笑いしてズズとお茶を啜った。
「虎也、お前がまだ経験のない陰謀というものに尻込みする気持ちは分からんでもない。だが、わしにとって陰謀とはごくごくありふれた日常なのだ」
又吉はおもむろに語り出した。
「――日常?――陰謀が?」
虎也は何のことやらと片眉を上げる。
「ああ、俳人が俳句をひねり出すように、わしは日夜、陰謀のことだけを考えて過ごしてきた。わしがこの丁子屋の旦那の座を手に入れたのもコツコツと陰謀に勤しんできたからに他ならない」
又吉は丁子屋の立派な客間を満足げに見渡した。
床の間の掛け軸、香炉、伊万里の大皿も相当に高価な品のようだ。
「コツコツと陰謀?」
虎也は訝しげな顔をする。
順風満帆に出世して娘婿に収まった又吉が陰謀とはどういうことなのか。
「ああ。わしがいかに有能であっても世の中は不公平に出来ておるからな。わしの出世を妨げるような邪魔者には速やかに消えて貰ったという訳だ」
又吉は十歳で奉公に上がってからというもの五十人いる丁子屋の奉公人の中でも有力者の口利きで雇われた縁故採用の奉公人はあらゆる手段を講じて潰していった。
「なにも殺した訳ではない。奉公人が次々と死んでは薬種問屋の信用に関わるからな」
日頃から邪魔な奉公人には薬の調合を間違えさせたり、医者に届ける薬をすり替えたりと仕事で失態させるべく裏工作したのだ。
幸いにして、縁故採用の奉公人には無能が多く、いとも容易く宿下がりで次々とクビにさせることが出来た。
そのうえ猫魔の女が男をたぶらかす能力があるように猫魔の男である又吉には女をたぶらかす能力があった。
又吉は先代の旦那の母であるご隠居様、奥様、娘のお桂までたぶらかして自分の味方に付けていた。
「わしが十六歳の若衆の頃にお桂が生まれたが、物心付く前から『気立てが良く優しい』『おっとりして心が和む』『いつも笑顔で癒される』とまじないのように言葉を掛け、そのとおりの明るく屈託のない娘に育った」
お桂が生まれた時から婿になることを狙って自分好みの性質の娘になるように仕向けていたのだ。
ぽっちゃりしているのも又吉の好みなので大福などを与えて適度に肥えさせている。
「しかし、丁子屋にはお桂の上に二人も息子がいたのでな。なかなか厄介だった」
お桂の兄二人は美人芸妓と博徒の罠を仕込んで自滅させた。
江戸は職種ごとに組合があって跡継ぎ息子であろうと店を継ぐには組合の話し合いで旦那として相応しいと承認を得なければならない。
芸妓と博打にのめり込んだお桂の兄二人は薬種問屋の組合に跡継ぎとして認められなかったために若隠居の身となった。
組合は仕事の出来る有能な又吉を推したので娘のお桂の婿に決まったのだ。
江戸の大店では息子がいるにも関わらず手代や番頭を娘婿にして跡継ぎにする場合が多いのは組合がそれだけ厳しいせいでもある。
「まあ、旦那は長生きしそうで目障りなので始末したが、それも半年前から少しずつ毒を盛ってじわじわと弱らせて冬に風邪をこじらせるように片付けたのだ」
又吉はあっけらかんとして言う。
「……」
虎也は唖然とした。
又吉はお桂の父である先代の旦那に毒を盛っておきながらケロッと優しい夫を演じているのだ。
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