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チンピラ風情
しおりを挟む「――ええ?玄武一家が?いったい玄武が今更、桔梗屋に何の用があるというんだえ?」
お葉は玄武一家の女賭博師が男衆をぞろぞろと引き連れてやってきたと訊くや、忌まわしげに眉をひそめた。
「さあ?わしも何の用かは聞いとらんのぢゃ」
サギはケロッとして答える。
「わしゃ、もう玄武なんぞと関わり合いとうないわなあ」
お葉は玄武一家の訪問の目的に見当も付かず、不安と不快が込み上げた胸元を手で押さえた。
『金鳥』を手放し、草之介と蜂蜜の縁組みが破談となって、玄武一家とはいっさい縁が切れたと安堵していたのに桔梗屋へ大人数で何をしに来たというのだろう。
「玄武は桔梗屋と一緒に金煙の密売した仲間ぢゃろ?そしたら仲良しぢゃないのか?」
サギは一緒に悪事を働くほどの親密な関係なら仲良しだろうと安易に思った。
「とんでもない。誰が博徒なんぞと」
お葉は身震いしてみせる。
金煙の密売で贅沢三昧し遊び惚けていた樹三郎や草之介と違って人並みに良心のあるお葉には密売の悪事など一刻も早く忘れ去りたいおぞましき過去の過ちなのだ。
そこへ、
「――よお?お竜姐さんが『いつまで待たせるつもりだい?』ってさ」
いきなり竜胆が縁側から座敷に顔を突き出した。
「だっ、誰だえ?」
お葉はハッと振り返って、竜胆の顔にまじまじと目を凝らす。
「ああ、これは竜胆というんぢゃ。玄武一家のチンピラぢゃよ。わしの仲良しなんぢゃ」
サギがそう紹介すると、竜胆は異論なさそうににんまりして頷いてみせる。
「おやまあ」
お葉の目の色が明らかに変わった。
美しいものに目がないお葉は美しい竜胆が一目で気に入ったらしい。
お葉の三十八年の人生で見たこともない世にも稀なる美少年だとさえ思ったようだ。
それというのも竜胆より美しい児雷也をまだお葉は見たことがないからなのだが。
「それと、お訊ねの用件だけどよ、お竜姐さんはサギにツボ振りを教えに来てやっただけだぜ。こないだ、俺がドス吉を通じてお竜姐さんに聞いといてやるって言っただろうが?」
竜胆はそう言いながら首を上下左右に振って桔梗屋の広い屋敷を物珍しげに見渡している。
「ええっ?マジかっ?」
サギは大袈裟にのけぞった。
自分で丁半博打のツボ振りを教わりたいと頼んでおきながらホントにお竜姐さんが教えてくれるとは、しかも、わざわざお竜姐さんのほうから出向いてくれるとは思ってもみなかったのだ。
一方、
「まったく、『ヤバい』だの、『イカレとる』だの、『マジ』だの、サギは江戸へ来てから悪い言葉ばかり覚えるのう」
貸本屋の文次は裏庭の縁側でやれやれと嘆息していた。
忍びの地獄耳には茶の間のお葉とサギと竜胆の話も筒抜けであった。
そこへ、
下女中が台所からお栗を連れてやってきた。
「ああ、文次さん、その赤本はお桐さんの娘のお栗ちゃんに選んでやっとくれな」
「ほれ、お栗ちゃん、見てごらん。絵がいっぱいある面白い本だよ」
下女中は縁側にお茶とオヤツのカスティラの耳を置くと、お栗を貸本の木箱の横に座らせる。
「わあっ、こんなの、みたことないっ」
お栗は多色刷りの美麗な表紙に目を輝かせた。
おせっかいにも文次とお桐をくっ付けようと策略している下女中の面々はまずは娘の四歳のお栗を文次になつかせようと考えたのだ。
「――」
文次は(それで、今日は赤本を持って来させたのか)と渋面しつつも仕事なので親切にお栗に赤本を選んでやる。
予てから下女中の策略はあからさまだし、お桐の乙女のような恋心も察してはいるが、
(――どだい無理な話ぢゃのう)
忍びの者である文次には忍びとは無縁のお桐と夫婦になるなど有り得ないことであった。
「あっ、ヤッベー。お竜姐さんを待たせたままだぜ」
竜胆はハタと気付いて急かすようにお葉を見やった。
裏木戸ではお竜姐さんと男衆が突っ立ったまま中へ案内されるのを今か今かと待っているのだ。
「あれ、こうしちゃおれんわな。――サギ、お客様を客間へ、いや、大一座だからの、広間へお通ししておくれ。――おタネ、おタネぇ」
お葉は慌てて腰を上げるや、乳母のおタネを呼びながら廊下を小走りしていく。
客を迎えるのなら桔梗屋の奥様としてそれなりに抜かりなく身支度も整えて来なくてはならない。
「――のう?『ヤッベー』って何ぢゃ?」
サギは前のめりで竜胆に訊ねた。
「ああ、『ヤッべー』ってのは『ヤバい』がさらに崩れた言い方さ」
竜胆は訊くまでもないという調子で答える。
「な、何ぢゃとお?」
サギは思いっ切り顔をしかめた。
せっかく江戸へ出てきてから江戸のチンピラ言葉を覚えて得意げに使いまくっていたのに、本物のチンピラはさらに崩れたチンピラ言葉を使っているというのか。
(――くうぅ、所詮、田舎者の付け焼き刃ぢゃ。本物の江戸のチンピラのチンピラ言葉には太刀打ち出来んのぢゃ)
サギは悔しさに歯噛みした。
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