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子故の闇に迷う
しおりを挟む錦庵の店では、小上がりの座敷の真ん中に稲荷寿司、卵焼き、その他にも豆腐田楽、かしわ、蒲鉾、小松菜のお浸し、等々、蕎麦屋にある余ったものは何でもあった。
晩ご飯を囲んで、我蛇丸、ドス吉、ハト、シメは車座に座った。
文太と文次は剣術の稽古で汗を掻いたので湯屋へ寄っていた。
「ところで、ドス吉。どうもハッキリせんのぢゃが、玄武一家は忍びの者なのか?」
我蛇丸がだしぬけに今更なことを問うた。
「いや、博徒の一家だろうな。猫魔の熊蜂姐さんが玄武の親分の妾になったのが縁で俺等は虎也の父親から忍びの修行を受けたというだけだ。れっきとした忍びの系統には属しとらん」
ドス吉は寄る辺のない身の上なので、れっきとした忍びの者が羨ましかった。
「ほう、それにしても、お前さんは見たところ鬼の一族の容貌ぢゃのう」
シメがつくづくとドス吉を見やる。
やはり、鬼の一族だと分かった鬼武一座の坊主頭の虹児とドス吉はよく似ている。
ただし虹児の坊主頭には角を切った痕がちゃんと見て取れたのだ。
「お前さんには角は生えとらんようぢゃが、鬼と人との合いの子でも角が生えるのは五分五分なんぢゃ。わしには人の女子が産んだ腹違いの兄弟が今のところ鬼ヶ島にはニ十四人おるが半分は角が生えとらんしのう」
シメの鬼の父もその兄弟も方々で人の女子に子種を仕込んでいるので知らないうちに江戸で産まれた腹違いの兄弟や従兄弟がいたとしても不思議はなかった。
「ふぅん、俺の母親は芳町芸妓だったんだ。俺を産んで三日も経たずに産後の肥立ちが悪く死んぢまったが、俺は蜜乃家の女中のおピンに育ててもらった。おピンの話では母親とねんごろだった客で俺によく似た筋骨隆々の大男がおったそうだが、どこの誰かはおピンも知らんそうだ」
ドス吉はそう言いながら自分の額の上あたりを撫でてみた。
角が生えてないのが悔しいような気もしてくる。
せめて自分が鬼の一族だと証しがあればいいのにと思った。
「そいぢゃ、その客が鬼の一族ぢゃったかも知れんのう。まあ、ともかく見た目では他人のような気がせん。身内のようなものぢゃわ」
シメは丈夫そうな歯が揃った獅子頭のような笑顔を見せて、ドス吉に稲荷寿司をどんどんと勧めた。
ドス吉はもう八切れも食べていた。
ちなみに江戸時代の稲荷寿司は油揚げ一枚に酢飯を詰めた大きさで四等分ほどに切り分けて食べたのだ。
「うちの雉丸はもう下の歯が生えたし、そろそろ角も生えてくるかも知れんのう。触ると頭にちょっとコブのような出っ張りがあるんぢゃ」
ハトは傍らにスヤスヤと眠っている赤子の雉丸の頭を撫でた。
角は爪のように少しずつ伸びるが、あと一月もしたら小さい可愛い角が現れるだろう。
そうしたら鬼ヶ島の伝統行事である『初角の祝い』をしてやらなくてはならない。
「角が生えたら、鬼ヶ島へ預けんとならんのう」
シメは寂しげに雉丸の頭を撫でた。
たしかに頭の両側に二つの角の手触りを感じる。
「まあ、鬼ヶ島で育つのが雉丸のためぢゃ」
鬼の一族では人との間に産まれた合いの子でも男子は十歳になるまでは鬼ヶ島で育てるのが習わしであった。
「人の親の心は闇にあらねども、子を思う道に惑いぬるかな――」
ドス吉はボソッと呟き、
「あ、また見た目に似合わんことを。いや、何かの本で読んだだけだが」
すぐに照れ臭そうに頭を掻いた。
本の一節をそらんじているとは、さすがに大の本好きというのは伊達ではなさそうだ。
「おお、そりゃあ『毛吹草』ぢゃったかのう?」
「いや、『御前義経記』ぢゃろ」
「うんにゃ、『袂の白しぼり』ぢゃわ』
我蛇丸、ハト、シメが口々に本の題名を挙げる。
貸本屋の文次のおかげで本はいつでも勝手に読み放題なのだ。
そこで、みなは本の話題で和気藹々と語り合った。
一方、桔梗屋では、
「なあ、そりゃあ富羅鳥の人のほうが強かったけど、うちの銀次郎も負けておらんかったね。だけど、兄さんだったら、もっと自慢になったのにさ」
実之介が惜しそうに口を尖らせていた。
下女中の子等と一緒に剣術の稽古を見物していたので、もっと自慢したかったらしい。
「あれ、銀次郎はミノ坊が産まれる前から桔梗屋におるんだもの。家族も同じだえ。だから、あたし等の兄さんも同じだわな」
お花は身内として自慢が出来れば、この際、どちらでも良かった。
「そうだわなあ。家族も同じだわなあ」
お葉はぼんやりと言ってからピンと閃いた。
先から可愛い娘等を余所へ嫁がせたくないばかりに、お花もお枝も桔梗屋の奉公人を婿にと考えていたが、お花の婿には手代の銀次郎が打って付けではないか。
真面目に仕事熱心で、岡場所で遊ぶこともない堅物で、なによりもお葉にとって肝心なことに桔梗屋の奉公人の中では一番の男前なのだ。
(そうだえ。決めたわなあ)
お葉はポンと手を打った。
銀次郎を婿にするなら話は早い。
それというのも桔梗屋の小僧の頃に明和の大火で親兄弟を亡くした銀次郎には身寄りがなく、一番番頭の平六が親代わりの身元引受人になっているので、平六に相談して承諾を得るだけで話は済むのだ。
なにしろ縁組は親同士が決める時代なので当人同士の意志などお構いなしだ。
「わしゃ、もう腹ペコぢゃあ」
サギは長い縁側を台所へ向かっていた。
今日は草之介の剣術の稽古のせいで桔梗屋の家族は普段より晩ご飯が遅かった。
「腹ペコのペコペコなんぢゃあ」
台所で晩ご飯の支度をしている下女中の隙を見てオカズをつまみ食いしようと思った。
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