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第十四謎:遺された五線譜 IQ150(全七話)
二銭銅貨
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「こんな真剣に取り組んでいただいて……ありがとうございます」
応接間のソファに座るなり、奥様が頭を下げた。
「先日、武者小路さんに言っていただいた言葉、あれだけで私は十分です。週刊誌に何と書かれようと、捏造なんかしていないことは誰よりも自分自身が分かっているのですから」
こちらこそ、そう言っていただけるだけで……と思いつつ、紅茶に口を付けている先輩を横目で見る。素直すぎるほどに相手の言葉を受け入れてしまう人なので「そうですか、ではこれで」などと言いかねない。
けれど、今回の件は最後までやり通すつもりみたいだ。先輩の頭の中では暗号説が大きくなっているのかもしれない。
「早速ですが、岩見沢先生のお部屋を拝見してもよろしいでしょうか」
奥様の案内で二階へと向かう。
案内された部屋は八畳ほどでさほど広くない。
窓を背にして年季の入った木製の書斎机があり、両側の壁は天井まで本棚でおおわれている。音楽関係の本が多いのは当然として、様々な図鑑やミステリー類も目につく。
「読書家でいらっしゃったんですね」
美咲さんの声にうなずきながら、奥様が答えた。
「自分が知らなかったことを教えてくれる、経験できる、だから本を読むことが好きなんだと言っていました」
「あの楽譜はどの本に挟まっていたか覚えていらっしゃいますか」
書斎机を観察していた先輩がたずねる。
「えぇっと、確かこの辺に……。あ、この本です」
手渡された表紙を見てすぐに先輩の表情が変わった。
目がきらきら輝き始めている。
「本当にこの本で間違いありませんかっ!」
思いがけない大きな声に驚きながら「えぇ、間違いありません」と奥様が返した。
「いったいどうしたんですか?」
「やっぱりあの楽譜は岩見沢さんからの暗号だったんだよ」
「僕たちにも分かるように説明してください」
「この本を見て」
黄土色をした文庫本の表紙には妖しげな女性が描かれ、その上に「二銭銅貨」とタイトルが記されている。よく見ると一番上には江戸川乱歩と書かれていた。
「この小説は有名な江戸川乱歩の処女作、そしてテーマは暗号なんだよ」
「え、暗号ですか!」
「そう。これは偶然ではないと思うだろう?」
先輩が興奮してしまったのも分かる。あの楽譜がこの文庫本に挟まっていたのなら、あれは岩見沢さんが考えた暗号と考えるのが自然だ。
「この前お邪魔したときにここを確認していれば、もっと早く絞り込んで検討できたのに。私のミスです」
そう言って奥様へ頭を下げた。僕と美咲さんもそれに倣う。
奥様は壁に並ぶ本棚を見渡した。
「毎回少しずつ虫干しをしていたので、この本も一度や二度はすでに手に取っていたはずなんです。何かの拍子でしおりの頭が少し出ていたので気付きました」
「楽譜の他にしおりが挟まっていたんですか」
「えぇ、同じページに」
その言葉を聞いて思わず美咲さんと顔を見合わせた。
(これで第三者説も完全になくなりましたね)
小声で伝えると、彼女はにっこりとうなずいた。
その間も先輩は楽譜と僕が作ったメモを交互に見比べている。
もうこの部屋で確認することはないので、もう一度応接間へ戻った。
「この楽譜が岩見沢さんの遺した暗号らしいということは分かったけれど、その解読となると正直、僕にはお手上げです」
「私にもさっぱり……」
「いったい、主人はどんなことを遺したのかしら。暗号なんて主人らしいと言えばらしいけれど」
三人の会話にも加わらず、真剣な表情で脳をフル回転させている先輩。
僕も助手として、もう少し何かをひねり出してみるか。
「音楽にはホント疎いのでとっても初歩的なことを聞いてもいいですか」
奥様はにっこりと笑って軽く首を縦に振る。
「この譜面は右手パートと左手パートを同じリズムで弾いてますよね。ピアノって左右の手が別々に動くイメージがあったんですけれど」
「確かに別の動きをすることも多いけれど、こういった曲もありますよ。ただ、右は単音でも左手は和音にしたりすることが多いかしら」
「左手の拍数を変えたり休符を入れて単調にならないよう意識することが多いと思います」
美咲さんも補足するかのように教えてくれた。
「この曲はリズムも一定で、すべて一対一なんだよなぁ」
「一対一、面白い見方ね」
「鈴木さまのように、常識にとらわれず見ることがわたくしには難しいです」
「それって軽くディスってません? どうせ僕は音楽の知識がありませんから」
「いえ、決してそんなつもりは……」
あわてて美咲さんが否定したけれど、言われなくてもそんな気持ちがないことは分かっている。僕も軽いジョークのつもりで言ったのに、こんな風にまともに受け止めるところまで先輩に似ている。
「他にもまだあるかしら」
「うーん、もうないですね。しいて言えば……右手の音がすべて五本の線上にあることくらいでしょうか」
「本当だわ。左手パートは割と自由に動いているのに。偶然かしらね」
「いえ、この楽譜が暗号ならば意識してそう作られたのかもしれませんわ」
「今なんて言った?」
美咲さんの言葉に、ずっと黙っていた先輩が突然反応した。
「あのぉ、意識してそうしたと」
「いえ、美咲さんじゃなくて鈴木くん」
僕のこと? えっと何を話していたんだっけ。
「ああ、右手の音はどれも五本の線上にあるってところですか?」
「その前にも何か言ったよね」
「えーっと……右と左が一対一になってるという話をしてました」
先輩は再び口を閉ざし、楽譜を見てはノートに何やらメモを繰り返している。
三人とも何かを感じてその様子を見守った。
しばらくして顔を上げた先輩の目は一段と輝いていた。
「いい所に気がついたね、鈴木くん」
応接間のソファに座るなり、奥様が頭を下げた。
「先日、武者小路さんに言っていただいた言葉、あれだけで私は十分です。週刊誌に何と書かれようと、捏造なんかしていないことは誰よりも自分自身が分かっているのですから」
こちらこそ、そう言っていただけるだけで……と思いつつ、紅茶に口を付けている先輩を横目で見る。素直すぎるほどに相手の言葉を受け入れてしまう人なので「そうですか、ではこれで」などと言いかねない。
けれど、今回の件は最後までやり通すつもりみたいだ。先輩の頭の中では暗号説が大きくなっているのかもしれない。
「早速ですが、岩見沢先生のお部屋を拝見してもよろしいでしょうか」
奥様の案内で二階へと向かう。
案内された部屋は八畳ほどでさほど広くない。
窓を背にして年季の入った木製の書斎机があり、両側の壁は天井まで本棚でおおわれている。音楽関係の本が多いのは当然として、様々な図鑑やミステリー類も目につく。
「読書家でいらっしゃったんですね」
美咲さんの声にうなずきながら、奥様が答えた。
「自分が知らなかったことを教えてくれる、経験できる、だから本を読むことが好きなんだと言っていました」
「あの楽譜はどの本に挟まっていたか覚えていらっしゃいますか」
書斎机を観察していた先輩がたずねる。
「えぇっと、確かこの辺に……。あ、この本です」
手渡された表紙を見てすぐに先輩の表情が変わった。
目がきらきら輝き始めている。
「本当にこの本で間違いありませんかっ!」
思いがけない大きな声に驚きながら「えぇ、間違いありません」と奥様が返した。
「いったいどうしたんですか?」
「やっぱりあの楽譜は岩見沢さんからの暗号だったんだよ」
「僕たちにも分かるように説明してください」
「この本を見て」
黄土色をした文庫本の表紙には妖しげな女性が描かれ、その上に「二銭銅貨」とタイトルが記されている。よく見ると一番上には江戸川乱歩と書かれていた。
「この小説は有名な江戸川乱歩の処女作、そしてテーマは暗号なんだよ」
「え、暗号ですか!」
「そう。これは偶然ではないと思うだろう?」
先輩が興奮してしまったのも分かる。あの楽譜がこの文庫本に挟まっていたのなら、あれは岩見沢さんが考えた暗号と考えるのが自然だ。
「この前お邪魔したときにここを確認していれば、もっと早く絞り込んで検討できたのに。私のミスです」
そう言って奥様へ頭を下げた。僕と美咲さんもそれに倣う。
奥様は壁に並ぶ本棚を見渡した。
「毎回少しずつ虫干しをしていたので、この本も一度や二度はすでに手に取っていたはずなんです。何かの拍子でしおりの頭が少し出ていたので気付きました」
「楽譜の他にしおりが挟まっていたんですか」
「えぇ、同じページに」
その言葉を聞いて思わず美咲さんと顔を見合わせた。
(これで第三者説も完全になくなりましたね)
小声で伝えると、彼女はにっこりとうなずいた。
その間も先輩は楽譜と僕が作ったメモを交互に見比べている。
もうこの部屋で確認することはないので、もう一度応接間へ戻った。
「この楽譜が岩見沢さんの遺した暗号らしいということは分かったけれど、その解読となると正直、僕にはお手上げです」
「私にもさっぱり……」
「いったい、主人はどんなことを遺したのかしら。暗号なんて主人らしいと言えばらしいけれど」
三人の会話にも加わらず、真剣な表情で脳をフル回転させている先輩。
僕も助手として、もう少し何かをひねり出してみるか。
「音楽にはホント疎いのでとっても初歩的なことを聞いてもいいですか」
奥様はにっこりと笑って軽く首を縦に振る。
「この譜面は右手パートと左手パートを同じリズムで弾いてますよね。ピアノって左右の手が別々に動くイメージがあったんですけれど」
「確かに別の動きをすることも多いけれど、こういった曲もありますよ。ただ、右は単音でも左手は和音にしたりすることが多いかしら」
「左手の拍数を変えたり休符を入れて単調にならないよう意識することが多いと思います」
美咲さんも補足するかのように教えてくれた。
「この曲はリズムも一定で、すべて一対一なんだよなぁ」
「一対一、面白い見方ね」
「鈴木さまのように、常識にとらわれず見ることがわたくしには難しいです」
「それって軽くディスってません? どうせ僕は音楽の知識がありませんから」
「いえ、決してそんなつもりは……」
あわてて美咲さんが否定したけれど、言われなくてもそんな気持ちがないことは分かっている。僕も軽いジョークのつもりで言ったのに、こんな風にまともに受け止めるところまで先輩に似ている。
「他にもまだあるかしら」
「うーん、もうないですね。しいて言えば……右手の音がすべて五本の線上にあることくらいでしょうか」
「本当だわ。左手パートは割と自由に動いているのに。偶然かしらね」
「いえ、この楽譜が暗号ならば意識してそう作られたのかもしれませんわ」
「今なんて言った?」
美咲さんの言葉に、ずっと黙っていた先輩が突然反応した。
「あのぉ、意識してそうしたと」
「いえ、美咲さんじゃなくて鈴木くん」
僕のこと? えっと何を話していたんだっけ。
「ああ、右手の音はどれも五本の線上にあるってところですか?」
「その前にも何か言ったよね」
「えーっと……右と左が一対一になってるという話をしてました」
先輩は再び口を閉ざし、楽譜を見てはノートに何やらメモを繰り返している。
三人とも何かを感じてその様子を見守った。
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