こちら百済菜市、武者小路 名探偵事務所

流々(るる)

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第十四謎:遺された五線譜 IQ150(全七話)

涙のあと

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 そう言われても僕には何も分かっていない。奥様も美咲さんも戸惑った表情を浮かべている。
 そんなことは気にもせず、先輩は自信満々といった笑みを浮かべたまま言った。

「奥様のお名前はサエコさんでは?」
「ええ、そうです。何でお分かりになったの?」

 思わず目を見開いたのは奥様だけじゃなかった。
 やっぱりあの楽譜は暗号だったんだ。そして、とうとう謎を解いたということか。

「鈴木くんのおかげだよ。それにしても岩見沢さんの発想は素晴らしい。自分が携わっている音楽を介して、こんな斬新なルールを思いつくなんて」
「もぉ焦らさないで早く説明して下さいよ」

 三人の思いを代表して先輩を急かす。

「この楽譜は私たちが絞り込んだ仮説の通り、岩見沢洋樹氏が作った暗号メッセージだったんだ」
「どうして岩見沢先生が作ったと分かるのですか?」

 美咲さんの問いかけにも先程と同じ笑みを浮かべた。

「メッセージを聞いてもらえば疑いの余地はありませんよ」

 自分だけ分かってるから、もったいぶっちゃって。
 僕が話したことがヒントになったって言うけど……やっぱり分からない。

「暗号であると仮定すれば何らかのルールに従って文字へ変換しているはず。それを考えていた時に、右手の音符が全て五本の線上にある――この五という数字が引っ掛かりました」
「数字、ですか」
「日本語の文字を表す場合に重要な数字が五なんだよ、鈴木くん」

 うーん、文字に重要な五……なんだろう。
 思いつくのは平仮名が五十五音ということくらい――ん? 待てよ……

「アからオの五段、ということですかしら」

 あー! また美咲さんに先を越された。ここまで出掛かっていたのに。
 先輩はにっこりとうなずく。

「右手パートと左手パートが一対一ということは、両方で一つの文字を表すのではと考えました。五線の下から順に、右手パートはア段から、左手パートはア行から始まると仮定して当てはめてみると、最初の文字はサ行ア段でサ、二つ目はア行エ段でエ、三つ目はカ行オ段でコ、となります」

 説明を聞きながら、三人で楽譜を覗き込み確かめてみる。



 本当だ。順を追っていくと――
 サ行ア段、ア行エ段、カ行オ段、ア行ア段、ア行イ段、サ行イ段、タ行エ段、ラ行ウ段、ア行イ段、マ行ア段、マ行ア段、タ行エ段、ア行ア段、ラ行イ段、カ行ア段、タ行オ段、ア行ウ段。

 奥様はハンカチを取り出し口許に当てた。いまにも涙がこぼれそうだ。

「#がついているのは濁点か半濁点だろうと思いました。順にみていくと、サエコアイシテルイママデ――」

 アリガトウ。
 なんて素敵な暗号なのだろう。
 先輩の言う通り、岩見沢さんが作ったとしか考えられない。
 もう奥様はこらえきれず、涙の粒が頬を伝わり落ちる。その背中に優しく手を添えている美咲さんも目が潤んでいた。

「岩見沢さんが晩年に作られたものでしょう。おそらく曲として仕上げて、奥様へプレゼントするおつもりだったのではないかと」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって暗号のままならば思いが伝わらないじゃないか」
「確かにそうですね。今回は先輩がいたから、こうして意味が分かったんだし」
「そう、私がいなかったら分からないままだったからね」

 謙遜せず、無邪気に胸を張るところがいかにも先輩らしい。
 でも、そこに至るまでは僕の観察力も少しは貢献したことを覚えておいてくださいね。

「なんとお礼を言っていいか。本当にありがとうございました」

 涙のあとを残したまま奥様が深々と頭を下げた。

「決して怒ったりしない主人でしたけれど、ねぎらいの言葉をかけてもらったことはありませんでした。私がそばについているのが、さも当たり前のような感じで……。まさかこんな風に思っていてくれたなんて」
「あらぬ疑いも晴れてよかったですね」

 美咲さんも自分のことのようにうれしそうにしている。

「そのことなんですが……この件は公にしないでおこうかと思うんです」
「えっ! どうしてですか。せっかく岩見沢さんの遺したものだとはっきりしたのに」

 奥様の言葉に驚いて聞き返してしまった。

「新しい曲の一部なら広く知ってもらいたい、そう思っておりました。でもこれは主人が私に遺してくれたメッセージです。ならば、私の胸にだけ留めておけばいい」

 そう言うと先輩の顔を伺っている。
 先輩はといえばにこにこしているだけ。肘で軽く小突いて(先輩の意見を聞いてるんですよ)とささやいた。

「え、あ、いいと思います」
「よろしいんですか⁉」

 すんなりと了解が得られるとは思っていなかったのだろう。
 有名作曲家が遺した楽譜が暗号メッセージだったとなれば、それを解いた探偵はマスコミから注目の的となるはず。これ以上の宣伝はそうそうない。
 だけど、そんなことなんかまったく気にしないのが先輩なのだ。

「奥様の気持ちを安らかにすることが今回の目的ですから」

 あいかわらずにこにこと笑っている顔を見て、誰もが笑顔になった。



「えぇっ、今回の件は無報酬だったんですか!?」

 丁重すぎるほどの奥様からの御礼を受けて岩見沢邸を後にし、車に乗り込んでから衝撃の告白を聞いた。

「当然でしょ、こちらからお願いしたことなんだから」
「そりゃそうかもしれませんが」

 このあたりが大企業の御曹司なんだよなぁ。いくらエムケー商事から補助が出ているからといって、仕事なんだから少額でも報酬を受けるべきなのに。

「奥様にもあんなに喜んでいただけたし、よろしいじゃありませんか」

 助手席の美咲さんからもそう言われちゃうと、まぁいいかという気になってしまう。僕の給料が減らされるわけじゃないし。

「今回は鈴木くんに助けられたね。いい観察眼だったよ。ありがとう」

 先輩が解いた謎を解き直すのではなく、今回は一緒に解いたという充実感がある。僕はただ思いついたことを並べただけだけれど、それが助手としての役目なのかもしれない。

 いつもの駐車場にデニムブルーメタリックのボルボV40を停め、三人で事務所へ向かった。

「謎も解けたから、先輩が淹れてくれる美味しい珈琲で乾杯したいですね」
「お酒じゃなくて?」
「まだ昼間ですから、お酒はいけませんわ」

 ここ数日の緊張感からも解放されて、足取りも軽くなった気がする。そこへ背中から何やら突き刺さる視線を感じた。美咲さんは前を歩いているのに……。
 振り返ると、煙草屋のおばちゃんが怖い顔をしてこちらをにらんでいる。
 やばい、この前無視したことをまだ怒っているのかも。
 ひきつる笑顔で会釈しながら事務所へと急いだ。

「豆から挽くので少し時間が掛かるよ」

 奥のミニキッチンへ先輩が姿を消すと、美咲さんがあらたまった様子でこちらを向いた。

「鈴木さまは、耕助さまのことをどう思っていらっしゃるのですか」

 急にあらたまって聞かれても。

「いい人だと思いますよ。ちょっと素直すぎるくらいな一面もあって、僕が手助けしてあげなきゃって気にもなります」
「わたくしは幼いころからずっと耕助さまを見てきました。たまたま近くにいただけの存在かもしれませんが、耕助さまへの思いは変わりません。鈴木さまには負けませんから」

 そばで見ていれば分かりますよ、あなたがどれほど先輩を思っているのか。
 ん? なぜそこに僕が出て来る? まさか、まだ僕と先輩の仲を疑ってるの⁉

「いや、そんなつもりはないですよ。いつも言ってるじゃないですか、美咲さんの勘違いだって」
「何が勘違いなの?」

 三人分の珈琲を持って先輩が戻ってきた。
 ここで話すと余計にややこしくなりそう。

「別に何でもありません。今日の珈琲もいい香りですね」
「でしょう? 特別にブルーマウンテンを乾杯用に淹れたからね」

 先輩をごまかすのは珈琲を褒めるに限る。
 それにしても美咲さん、まだあんなことを言って。もっと自信をもっていいのに。でも先輩があんな感じだしなぁ……。まだまだ先が思いやられるよ、この二人は。



―第十四謎:遺された五線譜 終わり―
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