魔女と旅する死者の世界

ユージーン

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世紀末のジャーナリスト

29. Interview with the Survivor

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 スキゾイド

 分かり易く要約すれば、他人との親密な関係を持たない人のことらしい。

「……ふーん」

 クレープをかじりながら、透は図書室から持ち出した心理学関係の本を屋上で読んでいた。真穂に言われた言葉の項目を読んではみたが、他人と接点を持とうとしない点以外は、あまり当たってはない。
 屋上には透以外の人影はなかった。強いて言うなら、野菜のプランターやら、ソーラパネルを利用したスプリンクラーがあるくらいだった。土を敷き詰めた小さな農園には、誰かのお手製の案山子も立っている。

 騒がしい校庭では、真穂が子どもたちと楽しそうに話していた。自分たちよりはるかに年下の小学生くらいの子から、同年代の同性まで様々な人と交流を深めている。

 きっと、前の世界から真穂はあんな感じだったのだろう。誰とでもすぐに仲良くできて、友だちも多かったはずだ。改めて自分とは正反対の人間だな、と透は思った。

「おーっす、透少年」

 屋上にやってきた瑠衣に呼びかけられた。自作したクレープ片手に首には一眼レフ、そして手にはハンディカメラ、指にメモ帳を挟み、大荷物だった。

「ごちそうさまです」

 透はクレープの礼を瑠衣に言う。

「いえいえ、どうよ? 久々のスイーツは」
「いや、スイーツじゃないでしょ」
「まあ、厳密に言えばね。でも真穂ちゃんや他の人は喜んでたよ」

 クレープの正体がおかずだと知ったところで、真穂にはなんら影響はなかったらしい。多少驚いてはいたが、それでも笑顔で瑠衣の作るクレープを堪能したようだ。ら

「なにしに来たんですか?」
「屋上で黄昏る青春真っ盛りな行為を邪魔して悪いんだけど、お仕事」
「仕事ね」

 透の腰掛けていたベンチに、瑠衣も座り込んだ。

「最初に会ったときに、いろいろ話しましたよね」
「あのときは、透くんの持ってたバットの威力で頭が離れなかったし、魔法とか言うからわたしも話がまとまらなくて。はい、というわけで、改めていろいろと訊いちゃいまーす」

 乗り気ではなかったが、あの啖呵を見せられたのだから、瑠衣の仕事に対する執念は知っていた。断っても、後ろをついてくるだろう。

「それで、パンデミックのあったあの日から真穂ちゃんとずっと旅してたんだっけ」
「ええ最初は北の方に向かったかな──」

 透と真穂は、パンデミック初期の頃に関東を離れて東北の方に足を踏み入れた。人の少ない田舎の方が食料が手に入るだろうと安直な考えだった。だが、同じ考えを持つ者が多く、他からのからの避難者で人の流れが一気に増えた。この世界で人口密度が高くなれば、それだけ危険性を孕む事態になる。食料の確保が難しくなり、やがてバケモノの数も増えていった。
 目的地にしていた北海道方面も、避難者たちの話を聞くと、行くべきではないと判断し、そこからいろんな県を跨ぎながら、透たちはつい最近古巣へと戻ってきたばかりだった。

「ふーん、なら北の大地はけっこう危ない感じ?」
「直接見たわけじゃないですけどね」

 瑠衣はメモ帳に文字を素早く綴っていた。撮るだけではなく、こういう書くことも彼女の仕事なのだろう。

「透くん。きみはなんで、真穂ちゃんと旅してるの?」

 いくつか答えていると、瑠衣からこんな質問が飛び出した。

 透はしばらく考え込む。真穂と居るその理由を今まで深く考えたことなどなかった。どこかの避難所で別れたり、気の合うコミニュティに所属するために離れたりせずに魔女と一年を共にした。その理由はきっと──

「……腐れ縁ですよ。助けたし、助けられたし」
「本当? 実は内なる恋心を秘めてるとか、ないの?」
「ないっす。異性といるからって、なんですぐ恋愛関係に持ち込むんですか」
「うーん、やっぱり透くんは冷めてるなあ」

 瑠衣は言って笑う。恋愛にはまだ早いか、と小学生を笑うように。

「いろいろ透くんに訊いたけど、一つわかったことがあるわ」
「なんですか?」
「きみね……真穂ちゃんと居ないと、になってた」

 瑠衣は透に屈託のない笑顔を向けて言った。あまりにも突然で、悪気のないトーンに、透は呆気にとられる。堂々と目の前で言われたため、ムッとする感情を抱くことなく、逆に面白いとさえ透は思った。

「クズなのは自覚してますよ」
「あはは、だろうね。初めて会ったとき、わたしのこと見捨てようともしてたし」
「……バレてたんですね」
「まあね、人を見る目はあるから。あのとき、わたしを無視して逃げてもよかったのに、透くんはわたしを助けようとした。それって、真穂ちゃんの影響だと思うよ」

 真穂の影響──果たしてそうなのだろうか、と透は思った。だとしても、もう少し他人に寛容だろう。
 パンデミックから一カ月が過ぎたときに、ナイフを突きつけてきた男に会ったことがある。そのナイフの男は食料を要求してきた。透は、臆することなくその男をバットでぶっ飛ばそうとしたが、真穂が割って入り、男の分の食料を分け与えた。自分たちの分ですらままならないときに。
 そのときはだいぶ揉めたが、今では真穂の慈善活動にすっかり慣れてしまった。度が過ぎたとき以外は不本意ながらも、真穂のボランティア精神には目をつむるようにしている。

 心の底では、自分よりも他人を優先する真穂のお人好しな人柄を良しとは思ってない。だから、真穂からのあまり影響は受けてないと、透は思っていた。

「あいつが魔法使いだから、便利だから一緒にいるだけですよ。お人好しなのがたまにムカつくけど」
「いいバランスだと思うけどね。お互いに足りないものを補い合って生きてく……それって大事でしょ」

 笑顔の真穂の姿が見えた。同世代の子たちと話している。その光景は、ゾンビ パンデミックなどなかった前の世界の一部を切り取ったかのように、学校や街中のどこかで見たことあるみたいな懐かしさを思わせた。

「あいつも、俺なんかと外の世界を歩かずに、こういうところでのんびりしてればいいんですよ。そうすれば、危険な目に遭わずに済む」
「透くんも、真穂ちゃんと一緒にどこかのコミュニティに住めば?」
「無理ですって、息がつまる。だから、外の方がマシなんですよ」

 いくら危険だろうと、人間関係は少ない方がいい。平和だった前よりも張り詰めた空気が漂っているのだから、何がトラブルになるかわかったものではない。保存食一つで、殺し合いが起きてもおかしくない世界なのだから。

 切り上げるような雰囲気を瑠衣が出していたので、透は逆に彼女に質問した。

「ブラック企業勤めって言ってましたよね」
「ええ、そうだけど」
「もし世界がこうなってなかったら……今でもまだそこで働いてたんですか?」

 質問に不意をつかれたのか、瑠衣は少し長く考えて言った。

「……多分ね」
「それって過労死……してでもですか?」

 少しの間が空いた。

「どうだろうね。人間って限界がきても無理しちゃう生き物だから」

 瑠衣は自身の体験や経験を思い出すような仕草を見せた。きっと彼女のまわりにも居たのだろう、身体や心の声を無視し続けた人が。あるいは本人が、その声を聞かぬように耳を塞いでいたか。

「一応……今の質問をした意図を訊いてもいい? オフレコにするから」
「ダメです」

 透が言うと、瑠衣は潔く引き下がった。

「わかった。ありがとうね、透くん」
「こちらこそ」

 瑠衣が差し出した手を、透は握り返す。
 小さな手ながらも、その宿っている力強さは彼女の人間性を思わせた。

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