魔女と旅する死者の世界

ユージーン

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40.影

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 飛び立って一時間が経過した頃に、透と真穂は戻ってきた。
 まだ屋上には、着陸したままのヘリが残されていた。混乱は収まっていたが、何人かの人々は奇跡を期待してか、屋上にまだ残っていた。

 透は屋上に降り立つと、バックパックを背負ったまま、歩き出す。

 先程の事件を起こした父親はパイプに手錠で繋がれていた。子どもたちは父親のそばで寄り添っている。腫れた顔と流れ出た鼻血はそのままになっていた。
 透は何も言わずに父親の目の前に行き、バックパックを逆さにした。
 父親が服用していた薬、そして包帯や消毒液が辺りに散らばった。

「まさか……取ってきてくれたのか……?」

 薬の容器を手に取ると、父親は声を震わせた。自分を殴った少年に、言うべき言葉を探そうとした。
 だが、透はそれを遮るようにバックパックをその場に捨てて立ち去る。
 入れ替わるように、真穂が父親とたちの方へ向かっていった。

「これで大丈夫ですか?」
「こんなに、どこから?」
「この辺の病院全部です」
「ど、どうやって……?待ってくれ、そもそもきみは……?」
「わたしは、魔女です。あと、これはわたし個人からの謝罪というか……。彼が殴ったことについての詫びの品です」

 真穂はそう言って、物資を手渡す。中身は食料で、ほとんどがお菓子だったが、父親に寄り添っていた子どもたちの不安そうな顔が少しだけ和らいだ。

「ありがとう……すまない……」

 手を顔で覆った父親は、自らの行いに後悔したのか涙を流した。子どもたちも、涙を流す父親により強く寄り添う。
 あとは、親子だけでこじれた状況をどうにかできるだろう。真穂はそう思うと、透の姿を探した。
 透は、人々が集まってる場所から一番離れた場所でどこか遠くを眺めていた。声をかけにくい、近寄りがたい雰囲気が出ている。背負っている血のついたバットのせいだろうかと、真穂は思った。

 真穂は透の方に向かって歩き出す。どうして殴る必要があったのか、それを問い詰めるために。

「真穂ちゃん」

 沙織に呼ばれて真穂は振り返る。

「いろいろありがとうね」
「いえ、人助けはむしろ大歓迎ですよ。それより、ヘリは飛ばさなくていいんですか?」
「ええ。一応事態は収まったって連絡はあったわ。とは言っても、避難民を受け入れるのはまた今度ね」

 沙織は透の方を見た。

「橘くん、道中なにも喋らなかったです」
「でしょうね。怒ってるのは見ればわかるし」

 真穂は透の行動を振り返る。突然の出来事には、戸惑いを感じた。自分勝手な面が強く、あまり人から好かれる要素は持たない。それでも、透が自ら暴力を振るいに行く人間でないことは真穂もよく知っていた。知っていたからこそ、今回の透の行動に不安を感じてしまう。

「さすがにやり過ぎですよ。薬を取りに行くなら『俺に任せとけ』くらい言えばいいのに、病人の人を子どもたちの目の前で殴るなんて」
「許せなかったんだと思う」
「許せなかった……?」

 沙織は透に目を向けたまま続けた。

「あのお父さん、きっと長くは生きれないわ。真穂ちゃんたちが持ってきてくれた薬が切れたら、死んじゃう。だから、身を犠牲にする覚悟で、子どもたちを助けたんだと思う」

 あの父親はきっとヘリには乗らないだろう。島に行ったとしても、そこに薬があるとは限らない。死者から逃れられる安全な離島よりも、本島の方が長く生きれる可能性はずっと高い。

 真穂と沙織は荒廃した街の景色に目を移した。この街では、この世界では、生者が死者と戦っている。生きる望みを求めて、このマンションの屋上を目指す者も居るはずだ。

 あの親子も希望を求めてここにやってきた。父親は、道中で薬が切れることを知っていたのだろう。だからこそ、子どもたちを助けるために凶行に及んだのだ。

 それを許すことが出来ず、手をあげてしまった透の心理。
 それはつまり──

「橘くんのお父さんって……」

 真穂は、もしかしたら、の可能性を口にした。沙織はチラッと真穂を見ると、再び荒廃した街を眺め始めた。

「透のお父さん……うちの弟ね。過労死したの」

 沙織は淡々と語る。

「朝から晩までずっと働いてた。わたしの知る限りじゃ……数年は休んでなかったわね。休みの日も家で仕事漬け。盆休みや正月は、わたしの方が透と過ごしてたわ」

 遥か彼方の死者たちの呻き声に重ねるように、沙織は言った。

「弟はね、息子の……透のためって言ってたわ。透は母親を小さい頃に亡くしてるし、わたしたち姉弟きょうだいの家って、すごく貧しかったから。だから、経済面だけでも、透に不自由なく過ごさせようとしたんだと思う。それが母親の代わりになれない、父親に出来ることだと弟は思ったのよ」

 自らを犠牲にしてでも、家族を救う。凶行に及んだあの父親はきっとそのことで頭がいっぱいだったのだろう。その行動が亡くなった父親と重なるものだとしても、子どもたちの目の前で殴る必要などない。

 沙織の話を聞き終えた真穂の耳に、遠くの死者たちの呻き声が入り込む。

「けど……それが理由であの人を殴るなんて、そんなの……やり過ぎです。どうして……」

 真穂は俯く。透が再び似たようなことを起こしたら、その時は止めなければならない。だが出来ることならば、気持ちを汲んであげたい。何も理解することなく、彼の愚挙を止めるのではなく、せめてどこが許せないのかは知っておきたい。
 真穂は透と一年も一緒に過ごしているがお互いを理解するような深いところまでは、まだたどり着けてない。
 
「橘くんのこと、わたし半分も知らないです。だから、教えてくれませんか、沙織さん」

 沙織は静かに頷く。沙織は胸ポケットからタバコを取り出すと火をつける。紫煙がゆらゆらと舞っていた。

「この話ね……続きがあるんだけど」

 沙織は口調を少し重たくしていた。

「わたしが言ったってことは、内緒にしてくれる?」
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