Ambivalent

ユージーン

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Aftermath

114. Explanation3

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「カウンセリングですか?」
 女子トイレの洗面所のペーパータオルで口を拭きながらあんじゅは、口の中の残留物を吐いて捨てる。すっかり胃の中は空っぽだ。
「ええ、そうよ。……大丈夫?」
 早見に訊かれて、あんじゅは頷く。
 吸血鬼への狙撃は成功したものの、その直後には。今は近くの公衆トイレの一つしかない手洗いスペースを占領している。
「だいぶ気分は楽になりました。それで、カウンセリングってなにを話すんですか?」
「こういう仕事だから、精神的な負担とか凄いでしょ。だから義務付けられてるのよ、例えば『技術班』が防衛手段として吸血鬼を殺した場合とか。まあ、『戦術班』は定期的に受けるのが義務だけど」
 吸血鬼を相手にし、常に死の概念が張り付いているような仕事だ。殺し殺され、ときには味方までも殺めなければならない状況に追い込まれる。それが自分の内面に及ぼす影響というのは、目にすることはできなくても、とても大きいだろう。
心的外傷後ストレス障害PTSD……」
 あんじゅは思わず呟く。一昔前は戦争による功罪だったが、吸血鬼が現れてからは、それに関わる人々にも症状が出始めていると聞く。
「深く考える必要はないわ。聞かれたことに答えるアンケートのようなものと思えばいいのよ」
「アンケート……ですか」
 それで心理的な負担を軽くできるのだろうか。「はい」と「いいえ」だけ答えたところで、胸の中の鉛のような重みが消えるとは思えなかった。
「ところで早見さん。今日の事件って、私が撃ってよかったんですか?」
「どういう意味?」
「新人で、『技術班』の講義しか受けてなくて、『戦術班』に異動したばかりで……おまけに吐く。そんな人をスナイパーを使うなんて危険だと思うんですけど」
 自虐のオンパレードだが間違った評価ではない。退院したばかりの鵠美穂に任せた方がよほど安全だと、あんじゅ自身も思った。
「まあ、あんじゅちゃんの実力は、訓練と【舞首】の成果で上の人も理解してるわ」
「マスコミや一般市民の人が知ったら、私バッシングされそうですね」
「まあ、上の人からの命令でもあったから。その点は問題ないと思うわ」
「え?」
 早見の顔を、あんじゅは思わず見やる。
「霧峰あんじゅを実戦でスナイパーとして投入してほしいって……黒川副局長からの命令でね」
 意外な人物からの指名にあんじゅは目を丸くした。黒川不由美、【彼岸花】の副局長。未だにどんな人物か掴めない副局長の指名、その意図にあんじゅは眉をひそめる。
「まあ、深く考える必要はないわよ。変なこと言われても、飲んで忘れましょ。お酒の力は偉大だし」
 そう言った早見は、グラスを持って飲む動作をした。


 オフィスに戻ると早見隊のほとんど全員が揃っていた。各々が自分のデスクに着席している。その中で空いている机が一つ。持ち主は、あと三日間だけ病院で退屈な日々を過ごすことになっている。
「みんなそろってるから、ちゃっちゃと話すわね。メンタルカウンセリングを受けてもらうから、このミーティングが終わったらすぐに指定された場所に行ってね」
 早見の言葉に表情を変えたのはただ一人、綾塚沙耶だった。いつもの凛とした面持ちは少しだけ崩れて、気怠さを滲ませている。
「……行かなくてもいいですか?」
「ダメ」
 上司隊長に即却下されて、沙耶はため息をつく。
「嫌なんですか?」
 カイエが訊くと、沙耶は肩をすくめる。
「メンタルのケアは自分で出来てるから問題ない。」
「調べたけど沙耶ちゃん、須藤さんのときからカウンセリングに一度も行ってないわよね」
「え? なら……前の室積さんのときも?」
 あんじゅが訊くが沙耶は口を紡ぐ。沈黙は正解だろう。
「隊員の精神の管理も隊長である私の仕事なの。行かないって言うなら、私がカウンセラー役やってもいいんだけど?」
 早見のカウンセリングをあんじゅは想像した。問診票の代わりに酒とつまみが用意されてそうだ、と思った。
「うちで一番吸血鬼を倒してるのはあなたなんだから、精神的な影響は強いはずよ。大丈夫、終わったらアメあげるから」
 子どもをあやすような口調に沙耶は不満顔になった。だが論破する術を思いつかなかったのか、結局は早見に従うことにしたらしく、頷いた。
「アメが目当てか? 副隊長」
 氷姫幸宏の茶化しを沙耶は一瞥する。
 一方で、心酔している副隊長をバカにされた美穂は嚙み殺しかねない勢いで幸宏を睨んでいた。





「やあ、ご苦労だったね。霧峰あんじゅ」
 カウンセリングルームで自身を出迎えた人物に、あんじゅは驚きを隠せないでいた。
「えっ……え?」
「おや? 初対面ではないだろう? まさか、副局長の顔を忘れたとかいうわけではあるまい」
 椅子に腰掛けていた黒川不由美は、あんじゅの反応を愉しむように小さく笑う。そして黒川副局長の隣に座る男性は表情を崩さず石のように静かに座っていた。こちらはあんじゅは会ったことがない。
「先に言っておこう。彼は羅城らじょう光一郎こういちろう。【彼岸花】の上級職員だ」
 羅城。その性にあんじゅは思わず立ち尽くした。
 同時に、蓮澪はすみお村の森の中でを思い出す。

『俺以外に何人かいるんだぜ、吸血鬼化した三組のクラスメート。会いたいよな? 羅城とか雨宮によ』

 仲間を撃ち殺す前に、彼は確かにそう言った。その存在を知らしめるかのように。
 棒立ちのままのあんじゅに羅城光一郎は声をかけてきた。
「お会いするのは初めてかな。羅城らじょう風香ふうかの父だ」
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