Ambivalent

ユージーン

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Through the glass

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 【姥火うばがび
 それが、西東京に建つ吸血鬼収容所の名前だった。
 建物の四方は高い壁に囲まれており、周りには一軒たりとも民家はない。人工芝と風力発電用の巨大な風車が、ちらほらと見えるだけ。
 周辺には銃器を装備したドローンが飛び交っており、二十四時間休むことなく目を光らせている。無感情の兵器は、これまでにいくつもの命を刈りとってきた。人も吸血鬼も容赦なく。
 その【姥火】に向かって走る一台の車に、数台のドローンが張り付くように飛行していた。機関銃、グレネード、レーザー、硫酸弾アシッドバレット。ドローンにはどのような事態にも対処できるように、あらゆる武器を備えている。
 一台のドローンが車の後部に張り付き、内蔵カメラがナンバープレートを読み込む。
 早見はやみ玲奈れな、【彼岸花】、『戦術班』──。様々な情報を一秒ほどで処理したドローンは警戒レベルを下げ、一台だけが車の見張りに残った。
 車が正面ゲートに停車する。ドローンは高度を維持したまま、機関銃の照準を車に合わせている。
 やがて、ゲートが開き、車輌が中へと消えていった。
 見送ったドローンは警戒を解いて、どこかへと飛び去っていった。
 



 エントランスに着いた早見は、慣れた手つきで受付を済ますと、待機場のソファに腰掛けた。周りには同じように面会に来た人がちらほらと見える。家族、恋人、友人──大切な人を吸血鬼に変えられた者たち、その中の一人に早見もまた混ざっていた。
 壁に取り付けられている薄型テレビからは、ニュースが流れていた。『【舞首】へ吸血鬼の護送が決定、対象は十五歳までの吸血鬼』。関東の各所の吸血鬼収容所から、子どもだけを護送するといった内容だった。【舞首】の事件のことも、ほんの少しだけ触れている。
『その脅迫を送りつけた吸血鬼ですが、未だ逃亡中と発表されています』
『このまま捕まらなければ、市民にとっての脅威となるのは間違いないでしょうね』
 キャスターやコメンテーターが、事件についてそれぞれ語る。どの意見も、吸血鬼に対して否定的なものばかりだ。
 例の事件か間もなくして、政府への脅迫が一つ届いた。誰がそれを送りつけたのかは、言わずともわかっている。
(十五歳まで……か)
 そんなことを思っていると、ニュースが切り替わった。ベルギーのホテルで突如吸血鬼が現れたらしく、対応に追われているとのことだ。その他の国外のニュースが、流れるように早々と過ぎ去っていく。
「どうしてですか!?」
 雷鳴のような声が響き渡った。突然の出来事に周囲の人は一斉に声のした方に振り返る。
「すみません、これは決定されたことなので……」
「いや……そんなのいや! なんとかならないんですか!?」
 【姥火】の男性職員にすがりつく女性の姿が見えた。女性の顔は絶望の一色に染まっており、瞳から粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。
 早見は、
「お願い、処刑なんてやめて! すぐに取り消して!」
「できません。お父さんは高齢の方だ。吸血鬼化して十年以上経っているし、残存費ざんぞんひの滞りもあります」
「なんでよ!? 子どもの吸血鬼は送られてここから居なくなるんでしょ!? だったら、檻の空きはあるじゃない!」
「その点だけが問題ではありません。お父さんの人工血液の摂取量が一カ月で三十倍以上に増えてます。三倍どころじゃないし、手のつけられない事態も多い。総合的な判断なんです」
 職員の冷たい言葉に、女性はどん底に突き落とされたかのような表情になる。
「だったら……私が家でるから……ちゃんと看るから。だから、お願い……殺さないで……」
「失礼します」
 そう言って職員は立ち去った。残された女性は崩れるように床に座りこむ。まるで、結婚前夜に破局を言い渡されたかのように、その場で泣き続けた。
「早見さん」
 悲劇の一場面から引き戻されるように、早見は名前を呼ばれて振り向いた。タブレット端末を手にした職員が立っている。
「お待たせしました、どうぞ」
「あの……成瀬なるせくんは?」
 早見は顔見知りの職員の名前を口にする。
「ああ、いつも彼が案内してましたね。彼なら後で来ますよ。子どもたちの輸送手続きなどで、てんやわんやでね。まったく、いい迷惑です」
 見たことのない年配の職員は、汗を拭うとため息をついた。冷房はきいているが、七月下旬の時点で彼には効果がないらしい。
 早見は待機場を後にして、職員の男性とともに並んで歩く。
「なんでも、脅迫されて子どもの吸血鬼を運ぶとかなんとかって」
「ええ……そうみたいですね」
 早見は、他人をよそおうような物言いをした。出会って五分と経ってないが、詮索して根掘り葉掘り訊いてくる人間なのは、なんとなくわかってしまう。
「仕事を増やしたそのバカを殺してやりたいですよ。いっそのこと、子どもたちも楽にしてやりたいですね。何年経っても吸血衝動に苦しみながら生きるより、よほどいい気がしますよ」
 早見の個人情報に目を通してないのか、それともただの無神経なのかはわからないが、職員は思いきり愚痴を飛ばす。待機場の中で今の言葉を言おうものなら、バッシングされることは間違いないだろう。
「早く吸血鬼化を治す薬とか開発されないもんですかね。そいつができたら、その人物は人類史でずっと語り継がれる英雄ですよ。ああ、でも……定年するまでは勘弁してほしいな、仕事がなくなってしまう、そうでしょう?」
 男性職員は、同じく吸血鬼を扱う仕事の早見に、同意を求めるように訊いてきた。
 吸血鬼が居なくなるということは、完全な治療法が確立されるか、一人残らずの絶滅か、その二択だ。治療法が見つかる、それが理想的な展開であり、誰もが救われるハッピーエンドになるだろう。
 だが、現実は理想とは違う。人々が歩もうとしている道、その先に吸血鬼の姿はない。吸血鬼を殺し、灰でできた道に足跡を残し、進んでいく。辿り着いた果てには一切の汚れのない世界が広がっているのかもしれない。道を振り返ることは、きっとしないだろう。そして、今までの歴史と同じように、犠牲者は教科書に数行の文字だけで表される。
 進んでいると、廊下の先に奇妙な列を見た。車椅子に座り、拘束された子どもの吸血鬼たちが、後ろから職員に押されて進んでいる。手と足、そして口にはかせが付けられていた。
「あれが【舞首】への護送方法ですか?」
 早見は職員に訊く。
「ええ、なんでも……古いゾンビ映画を参考にしたらしいです」
 職員の物言いには、哀れみや悲しみといった同情的な感情は一切なかった。
 窮屈そうな拘束具や車椅子という移動手段は、安全性を保証していたが人権的な配慮はない。拘束を嫌がり、暴れる吸血鬼の子どもが何人かいたが、職員は無視したまま車椅子を押していた。
「多少暴れたりは仕方ないですけどね。度が過ぎたら……警備の者がちゃんと撃ちますので、その点は御心配なく」
 早見は子どもたちの列をじっと見つめる。行き先に不安を感じているのか、泣き出しそうな者や、全てを受け入れるような諦めた表情をしている者が多い。不安を拭うような配慮や説明は一切されてないのだろう。
 列の先頭の方を見ると、子どもたちに声をかけている人が見えた。かがみこみ、きちんと目線を合わせて接している。その人物に早見は見覚えがあった。
「あの……少しいいですか?」
 早見はそう言うと、職員から離れて、護送される吸血鬼の列を見守るように立っている男性に近づく。
かけい所長」
 早見が声をかけると、かけい忠信ただのぶは振り返った。筧所長は早見の顔を見ると、驚いた表情になる。
「あっ……早見さん、でしたっけ?」
「ええ。先日はどうも」
 早見が微笑むと、筧所長も同じように笑顔で返してきた。
「怪我の具合は?」
「私の隊のみんなは特に問題はないです。娘さんは大丈夫ですか?」
「ええ。そちらの隊の……鵠さんでしたっけ? 彼女を専属の護衛として雇いたいと毎日言ってます」
「申し訳ありません。人員不足は意外と深刻でして」
「なるほど、そうですか」
 筧所長は笑顔で言う。
「護送の様子を見にきたんですか?」
「ええ……【舞首】の業務の方は信頼できる他の職員に任せてます。視察して、自分の目で子どもたちを見てまわりたくて」
 硬い表情の【姥火】の職員たちに比べて、筧所長の顔に警戒心は一つも表れていない。歓迎するように、一人一人の目をまっすぐ見つめている。場合によっては口枷すら外して、会話をしていた。
「大変ですよね。たった一人の脅迫でここまで事が大きくなるなんて」
「私はむしろ、彼女が脅迫したとは思わないです。吸血鬼の対応を考えるいい機会だと思ってますから」
「対応ですか」
「ええ、彼らは人となにも変わらない。私は同じ人間のように接しているだけです。明日菜のように見ているだけですよ」
 何人かの吸血鬼を見送ったところで、筧所長は早見に耳打ちして、列から離れた場所に移る。
「大沼議員のことなんですが……」
 筧所長が切り出すと、早見は周囲を警戒した。幸い、自分たちの会話を耳に入れそうな人はいない。
「その件はこちらも知ってます。遺体で発見されたと。吸血鬼に襲われた形跡はありませんでした」
 朝一に入ってきたその情報は、綾塚沙耶によって伝えられた。大沼義時議員の遺体が自宅で発見されたとのこと。年老いた老体は容赦なく黒焦げにされており、頭には銃弾が撃ちこまれていた。噛み跡はなく、部屋は荒らされていたものの、金品が盗まれた形跡はない。
「私は、あの男が許せないし、増田を吸血鬼に変えて殺したと知ったときには……殺してやりたい気持ちが芽生えました。でも、実際に死んだ……殺されたとなると……」
 殺害された理由は、あの事件で流出した秘蔵のデータが原因なのだろうか。それとも前もって計画されていたことなのか。
 探偵のように思考を巡らせるものの、早見はすぐに行き詰まった。
「せめて噛みつかれていれば、DNAを調べて割り出せたんですが……人間の犯行の可能性が高いので、警察機関に任せることになりました」
「吸血鬼を支持する盲目的な人の犯行……ですかね」
 その手の人間は、いたるところに居る。ただ吸血鬼を崇めるだけで終わるならまだしも、行き過ぎると蓮澪村のような災害が起こってしまう。人間よりも吸血鬼の身を優先し、そのためなら蛮行すら厭わない者たちの犯罪も、近年では社会問題になってきている。
「マスコミへの公表は夕刻辺りになるそうです」
「事情聴取はされるだろうね。明日菜のところには行ってほしくないな。あの子は、ゆっくりのびのびと自分の道を歩んでもらいたいからね。そういえば、早見さんはどうしてここに?」
「私ですか。実は……ここに息子が──」
 言いかけたところで、視界の端に吸血鬼の姿が映る。列にいた女の子の吸血鬼に、早見は思わず目を見開いた。
篠田しのだ莉子りこちゃん?」
 声をかけると、女の子の吸血鬼は驚いた表情で顔を上げた。名前を呼ばれるなど思ってもいなかったのだろう。
 早見の顔を見た篠田莉子は、きょとんとした顔で首を傾げた。
 すかさず筧所長が【姥火】の職員から鍵をもらい口枷を外す。眉をひそめた職員は、腰にぶら下げてある警棒を握りしめていた。
「えっと……誰ですか?」
「あー、えっと……」
 早見はスマホを取り出すと、あんじゅの写真を莉子に見せた。
「あっ……! あのお姉ちゃんの知り合いさん?」
「ええ、そうよ」
 早見は微笑むが、莉子は無感情な表情のままだった。まるで、魂が抜けてしまったかのように。ショッピングモールの事件の後で見た篠田莉子との印象とはまた違う、すっかり別人になったかのように。
「ねえ……お母さん、殺されたんでしょう?」
「え?」
 唐突な莉子の問いかけに、早見は言葉に詰まる。
 それが答えだと見抜いたのか、莉子は少しだけ悲しそうに目を伏せる。
「やっぱり……そうなんだ」
「えっと……小太郎くんは?」
 早見は答えを濁したまま、先に進む。
 莉子は首を振ると、より一層冷たい目に変わった。
「小太郎は……連れて行かれた。ずっと血を欲しがってて……飲んでも飲んでも、治らなかったの。毎日暴れたり、職員の人を噛んで血を吸ったり……だから、
 いよいよ早見はなにを訊いていいか、言うべきなのかわからなくなった。慰めようとしても、なにも通じないかのように思えた。
 篠田莉子の目は、世界の全てを拒絶するように冷たく達観したもので守られているように思えた。吸血鬼を否定する世界に、心を開いてなんの意味があるのか、とでも言いたい具合に。
 相手が息子──竜司だったなら、まだ簡単に言葉が出てくるのに。吸血鬼とはいえ、他人と親族との差でここまで言葉がかけづらいなんて思いもよらなかった。
「一つ訊いてもいいですか?」
「いいわよ、なに?」
 莉子から言われて、早見は思わず身構える。
「吸血鬼でも【彼岸花】の捜査官になれる?」
「え?」
 莉子が言った言葉を理解するのに時間がかかった。
「えっと……莉子ちゃんは、どうして捜査官になりたいの?」
「悪い吸血鬼を殺すの。私や小太郎をこんなにした犯人を。そうすれば、もう私たちみたいな人が出てくることはないでしょ? 同じ吸血鬼ってことを利用すれば、私も役に立てると思うから」
 抑揚のなかった莉子の言葉に、初めて感情のようなものが顔を覗かせた。冷たい闘志と信念、そして復讐心。混ざり合った感情が小さな体の容量に収まりきらずに溢れ出していた。
 その姿に、早見は綾塚沙耶の面影を見た。篠田莉子が将来的にどのような成長をするのかを考えてしまったときに、身近な人の中で一番近いのが沙耶だった。
「それで、捜査官にはなれるの?」
「訊いといてあげるね」
 言うべき言葉が見つからず、とりあえずその場を取り繕う。
「そろそろ行かないと。喉が渇いて……
「……お姉さん、かあ。」
 十五の子どもがいるこの年齢で、まだお姉さんと呼ばれるなんて思っていなかった。早見はとろけるような満面の笑みを作ると、莉子の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 幼い吸血鬼が口にした不穏な言葉など、気にもかけずに。
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