Ambivalent

ユージーン

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Defamiliarization

124.Morning Driver

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 午前五時。
 あんじゅは美穂からのモーニングコールに叩き起こされた。
「ふぁ……はい……?」
 あくび混じりに声が出る。
『おはよう』朝一番にもかかわらず、美穂の声はいつものように凛然としていた。
「……おはようございます。なにかあったんですか?」
『昨日逃した吸血鬼の居場所がわかったわ』
 あんじゅの眠気が飛んだ。この仕事をしてまだ半年も経ってないが、脳が仕事の状態に切り替わる。
「吸血鬼はどこにいるんですか?」
『山奥よ。衛星で発見して、今も追ってる最中』
「わかりました。準備します」
『早くしなさいよ、家の前にいるから』
 そう言って電話は切れる。家の前、美穂の言葉が頭の中で反復される。
 あんじゅは玄関のドアから外の様子を覗き見た。
 動きやすそうな戦闘服に身を包み、髪を結んでキャップを被った美穂が腕を組んで立っている。
 あんじゅは思わず扉を開けた。
「早かったわね……って着替えてないの?」
「いえ、その……」
 どうして美穂が家にいるのかわからなかった。教えただろうか、それともデータベースから入手したのだろうか。
「早く着替えなさいよ、パジャマで行く気?」
「えっ……と、鵠さん中で待ちますか?」
 狼狽する中で、精一杯の気遣いの言葉が出てくる。
「着替えるだけでしょ……って思ったけど、あんたの部屋ね……一目拝んどくのも悪くないわね」
 なにか弱味でも握ろうか、と言わんばかりに美穂は悪戯な表情になる。
「ど、どうぞ……」
 見られて困るものを頭の中で探したが、特に思い浮かばないので、勢いに任せて招くことにした。同僚の中では、柚村京に続き二人目の訪問者である。
「お邪魔するわ……部屋どっち?」
「……あの、急ぎじゃないんですか?」
「あんたが着替えるまでの間よ。それにしても、鹿の剥製とか熊の毛皮の絨毯敷いてるイメージだったんだけど、思ったのと違うわね」
「さすがにそこまで野性的じゃないです……」
 部屋に戻り、クローゼットを開ける。
 すると、後ろから驚く美穂の声がした。
「どうかしましたか?」
「いや……ここあんたの部屋なの?」
「はい……あー……びっくりしましたか?」
 あんじゅの部屋には天井まで伸びているCDラックがあり(当然ながらCDもぎっしりと敷き詰められている)、壁には一面のポスターが貼られている。骸骨やドラゴンが描かれている外国のコミックアートのようなジャケット。派手なタイトルロゴ、部屋の色は重々しい黒がほとんどだった。
 ほぼ全てがあんじゅお気に入りのメタルバンド関連のものだ。
「……あんた、こんなの聴くんだ……」
 唖然とした美穂はポスターの一枚を凝視する。九人組の人物が、それぞれおぞましいマスクを被っている。
「吸血鬼が発見されるより前の時代だから古いですけど、いいですよ。なにか貸しましょうか?」
 わかってはいるが、あえてあんじゅは訊いてみる。
「いや……いい」
 予想通りの回答が返ってきた。



 着替え終えたあんじゅは、車の中で銃とホルスターを装着する。夏場なので、プロテクターのフル装備だと暑さにやられることになる。
「私たちだけですか?」
「もう一人いるわ」
 ハンドルを握りながら、不機嫌そうに美穂は答えた。
「……上條さんですか?」
「なんでわかったのよ」
「顔に書いてあります」
「それって私がわかりやすい性格って言いたいわけ?」
 そうではないが、当たらずも遠からずだった。
 同じスナイパーの美穂はオンとオフの差が激しい。感情的にならず常に冷静といった、狙撃という繊細な仕事を行うのには不適切な性格をしている。
 だが、一旦スイッチを切り替えれば、執刀医の如く繊細な動きと正確な判断力を瞬時に引き出していく。それがあんじゅの知るスナイパーの鵠美穂だった。
(それでも、初日はけっこう怒鳴ってた気がする)
 感情と動作は切り離しているのだろうか。二重人格のように。
「鵠さんって、なんでスナイパーになろうと思ったんですか?」
「なによ、急に」
「いえ、その……」
 しばらくの沈黙。五分ほど経ってから美穂が口を開いた。
「あんた、これ話したっけ? 私が吸血鬼に売られたこと」
「え?」
「私の親はクズだった。狂ったみたいに吸血鬼を崇拝して、湯水のようにお金を使って支援してた。それでお金が底を尽きたら、私を売った。百万くらいでね……それが十二歳だったかな」
 他人事のように美穂は語る。
「三年後に、私は地獄から助けられた。私を助けたのは、ほとんど私と変わらない年齢の女の子。その子はナイフを使って、無免許で吸血鬼を殺しまくってた。それが、沙耶さん」
 あんじゅは驚いた。
「それが……綾塚さんとの出会いなんですか?」
 美穂はなにも言わない。それからしばらくして口を開いた。
「私はリハビリを受けて、【彼岸花】のアカデミーに通ったわ。それで、一応卒業はできた」
 【彼岸花】のアカデミーは中学を卒業をしていれば、通うことはできる。試験は最低限の難易度だが、適性検査、身辺調査の点がかなり厳しい。この仕事をするうえで吸血鬼に同情的な思想は、あまり好まれない。
「アカデミーじゃ死にものぐるいよ。中学校の勉強なんかしてなかったから、ハンデが大きかった。だからできることを絞りに絞ったの、『技術班』になれる頭なんかなかったし。理数系の適性があったから、狙撃に向いてるって言われてね」
 赤信号に引っかかり、車が停まる。
「それが、私がここにいる理由。今こうして生きているのは、沙耶さんのおかげよ」
 美穂はそう言うと、一区切りするように腕を伸ばす。
「ごめんなさい。その……訊かれたくないようなことを訊いてしまって」
「なんで謝るのよ。私が勝手に話してるだけでしょ」
 美穂はさっぱりとした物言いをするが、過去を過去だと割り切れてはなさそうだった。言葉の端に暗い影のようなものがへばりついている。
 吸血鬼によって人生を大きく狂わされたのは、あんじゅもまた同じだ。吸血鬼の存在が切り離せないこの社会では、そういう人間は数多くいる。その中で戦う意志を抱く者がこの仕事を選ぶのかもしれない。
「上條さんにも……なにかあるんですかね」
「なにが?」
「この仕事を選んだ理由、とか」
 死に近く、仲間を殺める可能性もあるこの仕事はとてつもなく精神をすり減らす。辛く逃げ出したいときに、踏みとどまれる原点のような者は誰にでもあるはずだ。それは、普段から気弱でいる上條真樹夫も例外ではないはず。
「知らないわよ。ていうか、もうちょっとシャキッとしてほしいわよ、本当に!」
 唐突に美穂の口調が荒くなった。
「えっと……鵠さん?」
「話しかけただけでおどおどして……付き合い長いのに、いまだに言いたいこと言わないし。なにチワワみたいに怯えてんのよ! なんなのよあいつは!」
 怒りまくるから怖いのだろう、あんじゅはそんな言葉を飲み込む。
「顔色ばっかりうかがって……仲間なんだから、間違ってても言いたいこと言えばいいでしょうが!」
「鵠さん……! 少しブレーキを……」
 美穂のハンドル操作が若干荒くなり、あんじゅは焦る。衝突しかけた車に、クラクションを何度か鳴らされた。
「あーもー、上條だけじゃないわ。柚村もムカつく!」
「ええっ!? な、なんで柚村さん?」
「腹立つのよ、あの遅刻魔。沙耶さんに散々迷惑かけまくって、それでいて気にもしてないなんて……! アホか、社会人でしょ、時間の大切さとかわかってんのかっつーの! それに……!」
「まだあるんですか?」
「なんか……沙耶さんと仲よさそうだし……」
 イライラした美穂の様子は、恋人が他の異性と仲良く話しこんでることに嫉妬する人物のように思えた。
「たしかに、そうですね……」
 京と沙耶、お互いが交わす言葉数は少ないが、たしかにどことなく強い繋がりというものがある。入社して短いあんじゅもそれを感じてはいた。
「もしかしたら……恋人同士だった……なんて」
 あんじゅは冗談を飛ばす。
 運転手の美穂が死んだ表情を向けてきた。
「じょ、冗談です……冗談ですから! 前見てください!」
 壁に激突しそうな寸前でブレーキが踏まれた。
「……あんた、また変なこと言ったら、撃つから」
「は、はい……」
 あんじゅは、鵠美穂に対する禁句を頭に叩きこむ。
 不意に誰かが助手席をノックした。
「あっ……」あんじゅはミラーを下げる。
 上條真樹夫が唖然とした表情で立っていた。普段よりも寝癖が跳ね上がっており、ひどく眠そうに見える。
「おはようございます、上條さん」
「だ、大丈夫……? あ、えっと……お、おはよう……」
 真樹夫はあんじゅに小さく頭を下げる。そして、視線を運転席側に向けたときに、顔を引きつらせた。
「おはよう……なによ?」
「い、いや……その……おはよう、ございます」
 美穂はため息を一つつく。「上條、あんた助手席。霧峰は後ろ」
「え……鵠さんでも……」
「いいから早く移りなさいよ」
 あんじゅは車から降りて、真樹夫と入れ替わる。
 重そうだった真樹夫のまぶたが、開ききっていた。
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