Ambivalent

ユージーン

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Village

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 京は梨々香に抱きつかれた。

「京くぅぅん!!」

 香水の甘い香りをなびかせて、梨々香は咽びながら京を抱く。はぐれた親と再会した幼い子どものように力強く、潰してしまう勢いで。

「お前……生きてたのか?」
「ヤバいよおおお!! マジ爆発で死ぬかと思ったぁぁ!! 梨々香まだ死にたぐないぃ!!」

 京は声をかけるものの、梨々香は答えずにただ咽ぶだけ。

「おい柴咲、一応声落とせ。敵がいたら……」
「うええ……ごめん……グスッ」

 優しく言い聞かせると梨々香は一度離れた。涙と鼻水とメイク、とにかくいろいろなものでグッチャグチャになった顔で頷くと、再び京の胸に顔を預けて泣きじゃくる。

「生きてたんだな」

 連絡が途絶えた直後に乗っていたトレイラーが爆破された。それから姿を見せなかったことを考えたら、あの爆発で巻き込まれ命を落としたと思うのが普通だ。

「うん……。なんか電話が通じなくなってから車の外に出て、向かおうとしたら、突然爆発して、銃声とか声とかいろいろ聞こえてきて。なにがなんだかわからなくて、怖くて森に逃げたの……」

 間一髪で逃れたらしい。そのあとは、ずっと独りだったのだろう。暗い森の中で、吸血鬼に見つかるかもしれない恐怖の中で。それが、どれだけ怖かったのかは京にはわからないが、再会した瞬間にせきを切ったように泣き出したところをみれば、そうとう精神的にきたのだろう。

「まあ、無事ならよかった。怪我とかもなさそうだし」
「うい……ごめん。マジでもうちょい泣かせて……死ぬかと思ったしぃ……」
「少しだけな」

 京はゆっくりと梨々香の頭を撫でる。安堵した梨々香は胸の中で一層強く泣き出した。

「……で、落ち着いたか?」
「うん……ありがとぉ」

 心が鎮まった梨々香は目をこすり親指を立てる。目は真っ赤で、鼻水を垂れ流していて、おまけに化粧が少し落ちている。それが神秘的な月明かりに照らされていてよく見えるのが、なんとも言えない。

「よく見つからずに森の中過ごせたな」
「それは、日焼けマシンで肌を色黒にしたおかげかもぉ。ねえ、それよりみんなは? どこ?」

 言われて京は言葉に詰まる。辺りを探す梨々香も、京の表情を見て悪い予感を察した。

「霧峰と真樹夫は捕まった。室積さんは吸血鬼化して、沙耶と美穂が残った。そのあとは俺はよく知らない」

 仲間の状況を知らされ、梨々香は視線を落とす。だがすぐに顔を上げた。

「ねえ、宗谷は?」

 梨々香は名前の抜けた仲間の一人を呼ぶ。

「忘れてるよ、京くん。ねえ……宗谷は、どこ?」
「宗谷は……」

 京は無意識に言うのを後回しにしてしまった。本来ならば、宗谷の身に起こった出来事は一番伝えなければならないことだ。だがどう伝えればいいのかわからなかった。直球に云えばいいのか、言葉を濁して察してもらうべきなのか。

「ねえ……京くん……嘘だよね……?」
「こっちだ」

 それだけしか言えなかった。宗谷の遺体はすぐ近くにある。強い血と火薬の臭いが漂う、薬莢の散らばるその場所に梨々香を連れて行く。

 柴咲梨々香は真田宗谷の遺体と対面した。

 赤く汚れた身体と光を失った宗谷の目を見て、梨々香は呆然と立ち竦む。吸血鬼化して灰になるわけでもなく、人としての死を迎えた仲間の無惨な姿。

「なんで……」

 梨々香の、誰に向かって放たれたかわからない言葉が宙を舞う。その続きがなんだったのかは京にもわからない。梨々香はそこから先はなにも言わず、真田宗谷のむくろを見下ろすように眺めていた。

「なんで……なにしてんの宗谷? 戦ったの? なんで……バカなこと……」

 再び梨々香の目から涙が溢れ落ちた。仲間の死に直面した衝撃。その行き場を探すように拳を握りしめる。宗谷の死に関わる殴るべき物があるなら、きっと梨々香は殴っていただろう。感情と拳がただただ宙をさまよい、涙だけは止めどなく地に落ちていった。


 泣き終えた梨々香は羽織っていた上着を脱いで宗谷の遺体に被せるて、静かに手を合わせた。

「京くん」

 立ち上がり梨々香が言う。

「絶対にあいつら許さない」
「俺もだ」
「ぶっ殺して、吊し上げてやる」
「そうだな……」

 だが、ここからどう反撃するべきかわからなかった。装備も乏しく、『戦術班』と『技術班』のそれぞれ一名ずつであの村人や吸血鬼たちにどうやったら立ち向かっていけるのだろう。

「他に今の状況教えて」
「とりあえず……電波塔だな。妨害電波が出されてる、それを解除すれば応援が来るはず。だけど」
「だけど?」
「地図はあるんだが、目的地まで真っ直ぐ進める自信がない。電波塔を優先したら、人質になってる沙耶たちが間に合わないかもしれねえ」
「電波塔は奥里の方なんでしょ? だったらぁ、そこは梨々香が行くよ」
「けどこの暗闇で移動するとなるとな……さっきも一度迷いかけた」

 森の中に目立つものはない。覚えやすい目印もないうえに景色は全て同じ木々ばかりだ。進んでいるつもりでも同じところを巡回するようになっては意味がない。

「いいものあるよぉ」

 そう言って梨々香は歩き出す。梨々香を見つけた場所にまで戻るとタブレットと機械が見えた。機械は、鳥のような外見をしているが金属製なのは見て明らかだった。

「それって、ドローンか?」

 ここに来た時に飛ばしていたことを京は思い返す。
「そうだよぉ。爆発前にトレイラーから持ち出したのぉ。それが僥倖ぎょうこうだったみたい」

 確かにドローンならば上空にいれば地上からは見つからないだろう。

「使えるのか? 妨害電波が発生してるんなら墜落するんじゃ……」
「梨々香特性の自立型プログラムを組んでるからね、この子に電波はいらないんだよぉ。勝手に戻ってくるからぁ。それにぃ、充電マックスだからそこんとこもノープロブレムぅ」

 梨々香は早速ドローンを飛ばす。

 鳥型のドローンは空高く羽ばたくと、摩天楼のように高々と生え揃った巨樹の背丈を追い越した。

 地図とドローンが持ち帰った電波塔の映像を照らし合わせると、確かに奥里の方向と一致した。その方角に向かって京と梨々香は足を進める。周辺は暗視スコープが、大まかな行き先はドローンの導きによって明かされる。
 道中に敵は見られなかった。遠くから聞こえてくる明瞭な声も足音もない。足音は自分たち二人分だけだった。
 京は状況を整理しだす。敵は吸血鬼と人間の合同部隊。人数は、村人そのままの人数が吸血鬼に変えられ敵に回ったと仮定するなら百四十名だろう。加えて外部からの信奉者。敵は鹵獲ろかくしたこちらの兵器を使用していて、人質をとってる状況。

 思いたくはないが、難しすぎた。敵の本拠地がどのような状態なのかは把握できてないし、一人で救出作戦を遂行するには装備もない。せめてもう三人、いやもう一人でも『戦術班』の人間がいてくれたら。
 本当に人手不足が嘆かわしい。自分たちは吸血鬼を倒すために存在しているのにその人数が揃わないとなると人間共々全滅するしかない。

「京くん」

 不意に梨々香が声をかけてきた。

「ん?」
「京くんって、童貞?」

 梨々香がなにを言っているのか理解できなかった。聞き間違いだろうか。

「……どっかで頭打ったか?」
「真面目な雑談で京くんが童貞か聞いてるんだけどぉ」

 真面目に。この状況でその質問のどこをどう解釈すれば真面目になるのだろうか。

「Yesって答えたらどうなるんだ」
「いやぁ宗谷って……その、童貞のまま死んだからぁ、京くんもこんな状況だし、心残りになる前に……ねぇ?」

 これは、不安を拭うためのお喋りなのだろうか。切羽詰まった状況を紛らわせるために梨々香はおかしな質問をしているのだろう。そう解釈して京は返事を返さず進む。

「……って無視!? 京くん酷くなぁい!?」
「不安でペラペラ喋るのは別にいいけど、そういう質問なしな」
「あっそぉ……」

 露骨に不機嫌さを混じらせた梨々香に背中をつねられた。加減を間違えたのかというくらい強い力で。

「てめっ、柴咲……おい!」
「あーあーぁ、不安で怖いから、京くんつねらないと梨々香は落ち着かなぁーい」

 作り声をあげてさらに梨々香はつねる。肉を抉り取ろうとする勢いなので、さすがに力ずくで引き離した。

「お前なあ……!」
「ふーんだ。美人のお誘いをあしらう京くんなんか一生童貞でいればぁ?」
「この状況でわけねえだろ、バカか」
「は? わたし京くんよりは頭いいしぃ。つーか、梨々香もこんな山奥ではっちゃけたりしないし」

 頬を膨らませて梨々香はそっぽを向く。反省の色はなくむしろご機嫌斜めになっていた。京はため息をついて先に進む。こういう不機嫌な時は相手にしないほうが一番いい。

「ところでとは?」
「その質問やめろ」前の相方の名前も今は聞きたくなかった。
「仲良かったじゃん。向こうも懐いてたし」
「雑談して敵に見つかるとか勘弁しろよ」
「いやさ、死ぬかもしれないじゃぁん? だからお二人の仲がどうだったか気になる気になるぅ」
「言わねえ、死んでも言わん」

 しばらく歩くと、開けた場所に出た。朽ち果てた小屋と、目の前には洞穴が見える。
 炭鉱。すぐに京の頭の中にその言葉が出てきた。奥里には炭鉱があり、そこが吸血鬼たちの本拠地だと。だが、地図上ではまだ奥里には辿り着いてはいない。もしかしたら、穴の向こうは繋がっているのだろうか。すぐ外に建てられている朽ちた小屋を見れば、この洞穴がなにかに利用されていたのは明らかだった。

「柴咲、ここにいろ」
「気遣いはありがたいけど、また一人になるのはちょっとなぁ……」
「わかった。でも離れるなよ」
「あいあいさぁー」

 そう言って梨々香は京の服を掴む。まるで飼い犬の手綱を掴むように。

 一瞬だけ、京は思い出した。護送車に乗せられる前に服を掴んできた、諦めの悪い指先を。泣き出しそうな目で見てくる、のことを。

 懐かしい痛みを思い起こす記憶を振り払うと、足を進めた。

 洞穴に光は一筋たりとも差し込まなかった。それでも視界が良好なのは奪った暗視スコープのおかげだった。尖った岩も入り組んだ地形も、これで確認できる。
 京は銃を構えながらゆっくりと進む。後ろを振り返りはしないが、引っ張られているので梨々香が後ろにいることは確認できる。
 この先が奥里の炭鉱なのだとしたら、状況を確認しなければならない。一歩ずつ慎重に進む。足音一つでも察知されればそれだけで命取りになるだろう。

 そう思った直後、何者かに組み倒された。

 「ふえ? 京くん!?」

 狼狽える梨々香の声がしたが、手で塞がれたようにくぐもった声になる。
 すぐに起き上がろうとした京だが、頭に冷たい金属のものを押し付けられ固まる。

「動いたら撃つ」

 背後から低い声が耳に入る。腕は押さえつけられ、銃を撃てない。
 不意に強い光に照らされ、視界が前がくらんだ。

「どうする? 見つかりましたけど」

 焦る男の声が聞こえてきて、目が光に慣れだすと状況が見えてきた。
 男と女のシルエットが見えた。髪の長い男の方は梨々香を押さえつけていて、女の方は岩に背をもたれて座っている。

「ちょ! 放せこの変態! スケベ!」

 捕らえられた梨々香は力の限り暴れているが、男は微動だにせずに凄味を利かせてがなる。

「おいおい、暴れるな! カイエ、男の方を立たせろ!」

 男が指示すると京は乱暴に立ち上がらされた。

「殺しますか?」

 背後からの声とともに銃の安全装置を外す音がした。

「ダメよカイエ。待って、敵じゃないかも」

 もたれかかっていた女が苦しそうに声を出す。よく見ると足を負傷しているようだ。

「可能性は?」
「村人の中にこんな可愛いくて派手なギャルはいなかったはずよ」

 梨々香の容姿を見て、女は顔を綻ばせる。

「新しく来た人かもしれない」
「この子が吸血鬼を崇拝してるように見える? むしろネイルとかアクセサリーとかの方に惹かれるんじゃない?」

 女は梨々香をまじまじと見つめる。

「けど、あり得なくはないと思いますよ」
「吸血鬼なんかに心酔するわけないしぃ! てかぁ! それ以上触ったらちんこ引きちぎるぞ! 放せっての!」
「おい! クソ……抵抗するな!」
「一度解放しなさい。女の子に乱暴はダメよ、幸宏ゆきひろ

 幸宏ゆきひろ、そう言われた男は拘束していた梨々香を解放する。舌を出して一瞥した梨々香だが、行き場所に迷い立ち竦む。
 幸宏そして京の背後に立つ人物を女はカイエと呼んだ。幸宏とカイエ、この両名の名前を京は知っている。ここに来る前の資料で名前だけは把握していたから。負傷しているあの女性も写真付きで資料に載っていたのを覚えている。泣きぼくろが特徴的だった。

「……早見さん?」

 京が名前を呼ぶと、女は驚いた表情になる。

「ええ。【彼岸花】早見隊の早見はやみ玲奈れなよ。あなた誰……?」
「【彼岸花】室積隊の柚村京です。助けに来ました」
「……へ?」
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