Ambivalent

ユージーン

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Village

32.will be

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「なあ、もうここ見張らなくてもいいんじゃねえか?」
 電波塔の周辺を見張っている若い男の吸血鬼の一人がそう呟いた。
「バカ言え、見張りが少なかったおかげで【彼岸花】の連中が来たんじゃねえか」
 野球帽を被った吸血鬼が言う。
「いや、違うぞ」別の壮年の吸血鬼も会話に入ってきた。
「なんだと? なら、なんで来たんだよ。無線で助けを呼んだに決まってる」
「昨日来たのは広沢さんがわざと呼んだらしいし……ワシにはようわからんわ」
 壮年吸血鬼の言葉に若い男の吸血鬼は反論する。
「なんで【彼岸花】の連中をわざわざ呼ぶんだよ。【彼岸花】は俺らの敵だぜ、吸血鬼ハンターなんだぞ。あの人時々おかしいことするよな」
「おいおい、あまり悪口言うもんじゃねえ。広沢さんのおかげでこの村が吸血鬼の楽園になったんだからな。土地があって、オマケに人間の協力者までいる。これ以上の贅沢なんて望むもんじゃねえよ」
 そうして会話が終わると、吸血鬼たちは再び周辺を警戒する。
 とはいえ、変化らしい変化もない。目に映るのは夜の闇の森と、星空、そして照らす月のみ。巡回したところで、景色は変わらない。しかも彼らは緊張に気を張る戦場の兵士たちではないので、早々と気の緩みというものは生まれてくる。
「おい、なんだあれ?」
 誰が言ったのかはわからないが、誰かが空に向かって指を差した。
 その場にいた者たちが皆、上を向く。
 鳥が上空で旋回していた。その鳥は目立つようにぐるぐると同じところを回っている。もしあの鳥が喋れるのならば、「みんな、こっちを見て」と言わんばかりに。
「田舎ってすげえな、あんな鳥いるんだ」
 若い男の吸血鬼が呟く。

 そして、彼の頭が吹き飛ばされた。

 突然の出来事に、吸血鬼たちはわけがわからず立ち竦む。動きを止めたその一瞬のうちに、どこからともなく弾丸が飛んできた。
「おい!? なんだよ!?」
 強襲に吸血鬼たちは狼狽うろたえる。
 辛うじて身を屈めた者たち以外は、灰にされた。
「どこだ!?」
 近くの草むらが音を立てて揺れる。
 そこだ、と誰かが言った第一声によって吸血鬼たちが突撃していく。隙だらけの背中に容赦なく弾丸が撃ち込まれた。
「おい! 全方位見張れ! どこから来るかわからねえぞ!」
 悲鳴と弾丸が交互に聞こえてきた。運の良い数少ない吸血鬼たちがようやく連携の体勢を整えようとしていた。だが、全方位をカバーできるほどの数は、もう残っていなかった。
「おい! もう逃げようって!」
「バカ言え! ここを死守しなかったら、無線で敵がどんどん来ちまうだろうが!」
 再び、空中でなにかが横切る。ヤケクソになった吸血鬼たちが手にした銃器をぶっ放すが、次々と凶弾に倒れる。
 残りの吸血鬼は二名だけになった。
 羽音が再び聞こえた。吸血鬼たちの目の前に、鳥が羽ばたいている。そこでようやく気がついた。これが鳥でないこと、生き物でないことに。鳥型のドローン。
 吸血鬼の一人が叫びながらドローンを撃つ。だが狙いは、興奮して定まらない。反撃を試みるも成果はなく、射殺された。
「あ……あああ……」
 とうとう自分一人になった吸血鬼は、銃を捨てて両手を挙げた。降伏の合図。白旗があるならば思いっきり振り回し、敵意がないということを必死にアピールしているだろう。
「降参だ!頼む──」
 闇の中から飛び出した弾丸が、最後の吸血鬼の命を容赦なく狩り取った。



 ○



「……終わったぁ?」
 森の中に堂々と立つ幸宏を見て、周囲の吸血鬼が全滅したかを確認する梨々香。
「おう、楽勝だぜ。そのガラクタ使えるな」
「ちょっとぉ、ガラクタってなによぉ! つーかぁ、囮にしようとか言ったのあんたでしょうが!」
「へーへー、俺は仕事したからな。こっから先はテメェの仕事だぞギャル。ちゃんとキーボードの打ち方知ってんだろうな?」
「口縫い合わすよ?」
 悪態をつくと、梨々香と幸宏は電波塔の内部に入る。中に敵は見当たらなかった。
「よしっ」
 脅威がないとわかると、梨々香は壁に備え付けられてあったコンピューターに向かう。自身のタブレット端末とコンピューターを繋ぐと電波解除にとりかかった。
「うわっ、めんどくさっ……」
「あ? もしかして、できねえとかぬかすんじゃ……」
「予想より面倒なだけでぇ、梨々香にとっちゃ楽勝の範囲なんだけどぉ?」
 聞き捨てならない言葉に反駁はんばくする。
「だったら早くしやがれ」
 外野の声を無視して梨々香は作業に集中する。セキュリティはそれなりにいいものを使ってはいるが、解除するのには五分とかからない。
「アンテナの点検用コンピューターと連動……よし」
 電波塔の電源を落とした。これで妨害電波の発生は解除完了した。とはいえ、まだ終わりではない。今度はもう一度電波塔を復旧させて、正常な無線LANを流さなければならない。救助を求められるように。
 不意に、複数の音がとどろいて、なにかが梨々香の耳元を掠めた。
 次の瞬間、幸宏が発砲した。振り返ると、銃を持った男──人間の男が倒れたのが見えた。
「まだ隠れてやがったのか、危なかったな」
「んもぉ、ちゃんと全員倒してよぉ」
「うるせえな、早くしろよ」
「この件が終わったら、パソコンのハードディスクの中身世界中にバラまいてやるぅ」
 作業に戻ろうとした梨々香は、我が眼を疑った。
「え……?」
 ディスプレイにヒビが入っているのが見えた。それだけではない。機材に穴が空いていた。
「……は!? うそぉ!?」
 叫び出して再び我が眼を疑う梨々香。接続したタブレット端末をいじるが、向こうのコンピューターの応答がない、と表示されていた。完全に破壊されている。
「おい、なんだよ、大声出しやがって……ん? なんで穴が空いてんだよ?」
「今の! 今の銃撃……」
 足の力が入らなくなった。唐突に、梨々香はへたりこむ。
「お、おい!」
「どうしよう……」
 寸前で復旧は完了した。そう思いこんでスマートフォンを取り出すが、電波は入ってなかった。
「嘘でしょ……」
 仮に、コンピューターがウィルスに侵されて使えなくなるのならば、まだ対策はとれた。技術的なたぐいを取り除くことは、梨々香には造作もない。だが、物理的・・・に破壊された・・・・・・となれば、お手上げだった。
「おい、電波は?」
「……自分のガラケーでチェックすればぁ?」
「あ? ……おい、電波戻ってねえじゃねえか!」
「戻ってるなんて梨々香一言も言ってないんですけどぉ?」
「テメェ……やっぱり使えねえな、クソギャル」
「ああ!? あんたがちゃんと見張ってなかったからなんだけどぉ!? ロン毛とピアス引き抜くぞ」
 諍いもそこまでにし、梨々香は知恵をしぼる。
「点検用コンピューター……」
 使えるコンピューターはもう一台ある。だが、その場所に問題があった。
 階段を駆け上がると、梨々香は外に続く通路に出た。ドローンを飛ばして、そびえ立つ鉄塔の上部を確認する。
「高っ……」
 塔の上部。アンテナの側に機器が取り付けられていた。そこまでの移動手段は梯子のみ。おまけに梯子には背カゴは付いていない。
「意味わかんない……」
 あんなところに、機械を取り付けるなんてバカじゃないのか。登るには命綱が必須だった。だが、梨々香はその代りになるようなものは、持ってない。
「おい、どうしたんだよ」
「上にコンピューターがある」
「上……あ? 上って電波塔の上か?」
「そう、上。真上、塔の上! あのアンテナのとこにあんの!」
 摩天楼のような塔を指差す梨々香。
「登るから見張ってて」
「おい、待てよ、登るって……アホかテメェ! 自殺行為だろ! 命綱なけりゃ……」
「だったら、あんたが登るぅ!? 登って残りの作業やるの!? できるのぉ? コンピューター弄って最後までやれんのぉ?」
 責めるような物言いに、幸宏は押し黙った。
「やるしかない……落ちたら死ぬかもしれないけど。やんなきゃ助けは来ない……」
 梯子に足をかけ、細い踏み子を握る。踏み子は氷のように冷たかった。
「……ちゃんと見張っててよぉ」
「わかってるよ、テメェも気をつけろよ」
 
 

 どれくらい梯子に足をかけたか、梨々香にはわからなかった。ただ、一度も下は見てはいない。見たらおそらく恐怖で足が竦むだろう。
 上を向くと、まだまだ先は長い。細かく目視できるほどには近づいたが、それでもほとんど進めてないように思えた。
「下は見ない」
 踏み子を掴む。ゆっくり慎重に、全神経を集中させて。
「下は、見ない」
 冷たい風が肌を刺すように襲いかかる。まだ四月だというのにどうしてだろうか。ここが東北部だからだろうか。それとも標高のせいなのだろうか。
「ゆっくり……一段ずつ……」
 梯子でも踏み子の数え方は一段なのだろうか。なんて頭の中でよぎる。くだらないことを考えれるようになったのは、慣れたからなのか、それとも余裕が生まれているのか。
 足を踏み外しそうになった。
 手に全神経を集中させて、落ちないようにしっかりと握り直す。
「靴……」
 片方の靴が抜けた。落ちた音が聞こえたが、梨々香は下を見ようとはしない。いつも自分たちが踏みしめている地面が、高さのせいで死神が手招きしているように感じてしまう。
 気を緩めることなく、ゆっくりと移動する。
 やがて、目的地に辿り着くことができた。
 手すりを掴み、足場に体重をかける。安全地帯に辿り着いたのに、まだ心が張り詰めていた。
 満月が空の舞台から降りようとしている。遥か彼方、東の空にはぼんやりと朝日が見える。見晴らしのいい景色だが、それを楽しむ心の余裕は梨々香にはなかった。
「この仕事……やめようかなぁ……」
 愚痴りながら、下でやった時と同じようにコンピューターとタブレット端末をコードで接続する。
 解除は文字通りあっという間に終わった。一項目、ボタン一つ押すだけ。
 梨々香はため息をつく。やりきったとか、達成感とか、そんなものを全く感じなかった。トレイラーの爆破に、森の中を彷徨い歩き、天高く伸びた梯子を登る。なにか一つでも間違っていたら、確実に死んでいただろう。宗谷のように。
「…………」
 スマートフォンを開く。電波は回復していた。すぐに【彼岸花】東北支部に連絡を入れた。
『はい、こちら、【彼岸花】東北支部です。吸血鬼の被害ですか?』
 女性オペレーターの声が聞こえた。
「【彼岸花】……関東本部、室積隊『技術班』の柴咲梨々香です。I.D.は──」
 連絡を取る中で、梨々香の脳裏に退職の文字が浮かんできた。
 割に合わないとか、そんな気持ちが強い。吸血鬼と戦うことで、技術的な支援をするのならばまだいい。でも、実地任務で命を張るのは、自分の仕事ではない。今回の仕事が例外中の例外だとしても、また実地任務に赴くことになれば、その時は本当に命を落とすかもしれない。
 決断としては感情に任せているので冷静さには欠けている。梨々香自身も、これは半ば冗談の気持ちが強かった。
『──了解しました。増援と航空支援を行います』
「おねがぁい」
 だが、もし時間が経っても、この決心が揺るがない時は、その時はこの仕事を辞めるだろう。

 遠くに見える東の山の稜線りょうせんが、次第に明るくなってきた。
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