Ambivalent

ユージーン

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Two of us

143. No way to say

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 カイエの運転する車は廃墟のビルの中へと進むと、停車した。
 あんじゅが窓から外の様子を探っていると、一台のバンが見えた。バンの窓には全面にスモークフィルムが貼られており、中の様子はうかがえない。ただ一つ【彼岸花】の関係者の車輌でないことは断言できる。
「おい、降りろ。てめえもな」
 ほたるに命令されて、あんじゅと後ろに座っていた男女も車から降りた。後ろ手に拘束されているあんじゅはほたるに押されて、先に進む。カイエも降りてきて、あんじゅの方を見て、それからほたるに口を開く。
「車で待機させたままでいいだろ」
「向こうはご立腹だよ。せめてもの……」
 ほたるは口ごもった。
「なんだよ?」
「なんでもねえ」
 バンから男が降りて、向かってきた。スーツを着て身なりは整ってはいるが、どこか似合っておらず嘘くさく見える。詐欺師のように。
「おいおいおいおい、遅いぞ遅いぞ」
 スーツの男が口を開く、その声は予想外に甲高かった。
「そいつは誰だ? まあいいや。その二人が新しいか?」
「ああ。そうだ」
 あんじゅを一瞬指差したスーツの男はすぐに男女のペアに注目した。両人を品定めするようにじっと見たところで、バンの方に戻っていった。誰かが座っているのだろうか、後部座席の窓を少しだけ開けて、なにやら話している。
「入居者……?」
「口閉じろ」
 あんじゅがカイエに訊こうとすると、後ろからほたるに小突かれた。
 スーツの男が戻ってくる。どうやら、後部座席に誰かが乗っているようだった。
「悪いニュースしかないけど聞いてほしい。時間に遅れた、それが問題だ。あとはわかるな?」
「受け入れないってことか?」
「骨折り損だけど怒るなよカイエ、仕方ないだろ。俺だって個人的にはこんなこと言うのは辛いさ。だけど、全体を危険にさらす行為は認められない。だから、二人の受け入れはできない、それがこちらの言い分だ」
 カイエの表情が険しくなる。今までもカイエのそういった表情をあんじゅは見てきたが、それとはどこか違う。憤りを感情を露わにしていて、近寄りがたい。その表情は、【舞首】で大沼議員に見せたものとそっくりだった。
「殺されるか、誰かを襲う。そうなることを、あんたわかってるのか?」
「そうならないかもしれないだろ」
 スーツの男は一息間を置くと、あんじゅの方を指差した。
「それで、彼女は誰だ? 部外者連れてくるのは感心しないぞ。軽いノリで友だち呼ぶなんて学生時代までにしてくれ、まったく」
「なら、手土産だよ」
 ほたるはそう言うと、あんじゅを無理やりひざまずかせた。落ちていたコンクリートの破片が膝に突き刺さり、あんじゅは悲鳴をあげる。温かいものが流れ出る感覚がした。
「【彼岸花】の捜査官だ。名前は霧峰あんじゅ。何年か前に吸血鬼に襲われた不幸な修学旅行生たちがいただろ? その中で猟銃で吸血鬼化した同級生を殺して生き延びた女、それがこいつだ」
「ほう、そりゃまたを連れてきたな。それで、どうすればいい?」
「遅刻の謝礼だよ。餌にするなり遊ぶなり好きにしな」
 あんじゅは無理やり顔を上げさせられた。ほたるが髪を鷲掴みにしているのが見える。その表情に悪意はない。無邪気なそれは、ピラニアの水槽に小魚を入れらたどうなるのだろうか、と興味を示す子どものようだった。
「おい、ほたる。それはさすがにダメだ」
 カイエが声を上げた。それがまるでスイッチだったかのように、あんじゅを解放したほたるはカイエの前に行くと詰め寄った。
「なんだよ? 気に食わないって?」
。頭冷やせ」
「てめえは人より頭冷えてるから軽く言えるよな」
「二人を渡して終わりだ!」
 カイエはほたるに向き直りながら、自分たちが連れてきた男女の方を指差す。
「彼女にはなにもするな」
「なにもするなって? なにもしねえよ。!」ほたるがカイエの真似をするようにあんじゅを指差す。
「彼女がいなくなって俺だけ帰還しても後先面倒になる。突然目の前から消えたら、悲しむ人もいる。それくらいわかるだろ」
「そういった常套句じょうとうく並べて、わたしのを揺さぶろうって? んなもんねえんだよ! わたしは──」
 続くほたるの言葉は銃声に遮られた。天に向けて撃ったのは、スーツの男だった。
「やめろ、やめろやめろ! もうわかった、わかったよ、時間の無駄だ! そこの二人、新天地にでも送るから車に乗れ。カイエとほたるはその有名人をどうにかしろ。もうそれは任せるから、いいな? これ以上痴話喧嘩を見せつけるな」
 うんざりした様子で胸の内をぶちまけた男は、せき止められていたものを吐き出すように大きなため息をついた。
「痴話喧嘩じゃねえよ、ボケ」
「なんでもいい、とにかく……次は遅刻するな。ほら、報酬だ。美味いものでも食って仲直りしな」
 男は懐から札束の入った封筒をカイエに投げ渡した。小さな文庫本ほどの厚みの束だった。
「遅延代は引いとく、いいな?」
「わかった」
「それじゃあ、ご機嫌よう。ああ、そうだ」
 男は立ち去ろうとする前にあんじゅの方を見た。
「この後で地面に埋められるかもしれないから言っておくが、怨んで化けて出てこないでくれよ」
「は、はい」
 反射的にあんじゅは返す。男はそれだけが気がかりと言わんばかりの怯えようだった。
 スーツの男が客人二人を手招きする。女の吸血鬼は恋人の男性に支えられながら車の方に歩いていった。二人が後部座席に乗りこむとスーツの男は手を振ってからこの場を後にした。
「で? どうすんだよ」
 ほたるがあんじゅの方を見た。手は腰のホルスターに収まった銃に伸びている。
「俺が話す。札束でも数えててくれ」
「あたしのこと金の亡者みてえに言うな、バカ」
 カイエはほたるに頭を叩かれた。特になにかを言うわけでもなく、カイエはあんじゅの方に向かうと、手錠の鍵を外した。
「すみません。面倒に巻き込んで」
 カイエの口調はまたいつものように戻っていた。
「ううん、大丈夫」
 手首を抑えながらあんじゅは言った。
「見つからなければ穏便に済んだんですけど」
 本心のような、冗談めいたようなカイエの物言いにあんじゅはどう答えていいかわからなかった。もし吸血鬼に気づかなければ、彼のもう一つの顔を知ることはなかっただろう。
「カイエくんは……」
 何者なの、と訊こうとしたが、あんじゅは言葉にしなかった。答えてくれるとは思えなかったし、その質問が彼を苦しめることもなんとなく察しがついた。今の状況に困惑しているのはカイエも同じだった。それは、彼の疲れ果てた表情が物語っている。
 あんじゅはちらりとほたるの方を見た。銀髪で口が悪く、おそらく鵠美穂以上に気が強そうな彼女は、気だるそうに札束を数えている。目が合うと、中指を立てられた。
「ほたるさんって…………」
「言わなくていい。言わないでほしい、
 重たくなったカイエの言葉に、あんじゅは胸の内のそれ以上のことを口にはしなかった。。一体どうして、などといった新しい疑問の芽は摘んでおく。
「もし、俺が危険だと思うなら、早見さんにこのことを言ってもいい。でも……できることなら黙っててほしい。ほたるのことも、頼むから」
 あんじゅはなにも言えなかった。カイエがここまで弱々しく見える日がくるなんて、想像もしてなかった。まだ半年も経ってない短い付き合いだが、彼にはそういう一面がないように思えたし、あったとしても誰にも見つからないようにする人だと思っていたから。もしかすると、今のカイエの方がなにも飾ってない本当の彼なのかもしれない。
「わかりました」
「……助かります」
 カイエがそう言うと、ほたるが戻ってきた。
「終わったのかよ?」
「ああ、そっちは?」
「金なら数えた。あの野郎、遅刻代に二十万も引きやがって」
「それだけで済んだだけでありがたい」
「そういう問題じゃねえよ。ああ、そうだ霧峰あんじゅ」
 ほたるはあんじゅに詰め寄ると、胸ぐらを掴んだ。
「誰かに言ってみろ。うっかりだろうが、殺す。いいな?」
「……わかってます」
「言っとくが、てめえを殺すのは最後だ。てめえが仲良くしてる友だちから……ああ、そう呼べるやつはみんな自分で殺したんだっけか?」
 いやに胸を抉る言葉に、思わずあんじゅは険しい表情になる。彼女の顔に唾を吐いてやりたい、といった気持ちを抑えつつ、胸ぐらを掴んでいるほたるの手を払いのける。
「ほたる、いい加減にしろ」
 カイエに咎められたほたるは、ばつが悪そうな表情になった。失言したと自覚があるのか、そのまま気まずそうに離れる。
「わかってんだろうな、わたしの言ったこと」
 捨て台詞のような言葉にあんじゅは頷いて返す。ほたるはあんじゅの顔をじっと見てから、カイエに「先に帰ってる」と言ってその場を後にした。
 ほたるが消えてから、カイエがスマートフォンを取り出した。
「連絡を入れないと」
 口調はまたいつものように戻っていた。
「スマホが無事だと怪しまれるんじゃない?」
 あんじゅは庇うような助言をした。そんなことを言う自分に対して、驚きはしなかった。
「これは予備のやつです。南門から出て左に五十メートル、そこで連絡してください」
 カイエが十円硬貨を渡してきた。公衆電話がある、ということなのだろう。あんじゅが受け取ると、カイエは銃を取り出すと
「ちょ!? なにしてるの!?」
 突然の出来事にあんじゅは狼狽した。迷うことなく自分の身体を撃ち抜いたカイエは痛みに顔を歪める。
「負傷したなら……深くは疑われない。あと一発、どこか致命的にならない場所に当ててください」
 そう言うとカイエは手にしていた銃をあんじゅに手渡した。銃は【彼岸花】の支給品ではなかった。銃の指紋とも言える線条痕せんじょうこんで自作自演の疑いを避けるためなのだろうか。
「なんで? なんでそこまでして……?」
「いいから、早く」
 あんじゅは迷いながらも銃を構える。狙いを定めると、カイエの太ももを撃った。
カイエが苦痛の声をもらして倒れこむ。弾丸は太ももをかすったが、肉が大きく抉れていた。
「さすが……スナイパーなだけはありますね……」
 痛みを紛らわせるために微笑もうとするカイエに、あんじゅはなにも答えなかった。       
 あんじゅは銃を返すと、そのまま指定された場所に向かう。吐き気をもよおすことはなかった。だけど、心の中のはいつも以上に濃さを増していた。
 電話ボックスが見えた。かなりの年代物だが、使えそうだった。あんじゅは十円硬貨を入れると、京の番号にかけた。彼の番号は掛け算の組み合わせだったため、自然と頭に入っていた。
『だれだ?』
「柚村さん……わたしです。霧峰です」
 そう言うと、受話器越しから声が聞こえた。早見と相澤だということは、なんとなくわかった。
『大丈夫か? 美濃原は?』
「わたしは大丈夫です。えっと、その……」
 なにから言っていいのかわからなくなった。口にしていいこと、いけないこと、言わなければならないことと、黙っているべきこと、それらの整理をするのに、少しばかりの沈黙を京に届けることになった。
『霧峰? 大丈夫か?』
「……すみません、吸血鬼たちは逃してしまいました。あと……カイエくんが、その……負傷してしまいました」
 撃ったのは自分だ。起こったことの真実が頭の中で巡る。吸血鬼を逃したのは彼で、彼には仲間がいる。捕まえて尋問すべきだ。
「救急車の手配をお願いします。場所は──」
 短いやり取りを終えると、あんじゅは受話器を置いた。そのまま小さな箱の中でガラスにもたれかかると、胸のざわつきが治まるのを待った。突然の出来事に整理のつかない心は、時間が経ってもやはりそのままだった。汚れた部屋の片付け方を知らない子どものように、あんじゅはずっと立ち尽くした。
 やがて、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。


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