Ambivalent

ユージーン

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Village

35. Witness it silent

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 手に風穴の空いた吸血鬼──広沢亜紀斗は、目を剥いて自分を撃った者を睨む。自分の手を撃った男。獲物を追い詰め、なぶる愉しみを一瞬にして奪った男を。
「よくも俺の手を……!」
 恫喝し、自分を撃った人間を始末しようとした広沢だが、飛んできた弾丸に阻まれて、接近を一時的に中段する。
「マジで避けれんのか」
 広沢を撃った男──柚村京は、吸血鬼の動きに驚愕した。弾が切れ、弾倉マガジンを入れ替える。十発以上を射出したが、一つとして標的を捉えることはなかった。
 京は広沢から視線を移した。倒れているカイエは起き上がる気配を見せない。遠目からではその安否を確認することはできなかったが、おそらく生きてはいるだろう。
 美穂の方も、今の隙で逃げおおせて京たちの傍に来ていた。美穂は潰された方の手を添えて、無事な方の手でライフルを構えているが、安定しているとは言い難い。戦う意思は示しているものの、これ以上留まらせるのは気が引けた。
「霧峰、鵠を沙耶のとこまで連れて行け」
「で、でも柚村さん……」
「今連れて行かねえと、ネチネチ言われんぞ。こいつ一生根に持つからな」
「誰が……っ……!」
 反論しようとした美穂が、痛みに顔を歪める。
「俺なら大丈夫だ。あの吸血鬼倒して、あの坊主頭が生きてるか確かめねえと」
「わかりました」
 言って、あんじゅは美穂と共に去る。去り際に、あんじゅの目がなにかを云おうとしているのを京は感じた。死なないでください、そんな風に言っているようにも思えた。


 ○


「さてと、そんじゃあ、悪い鬼を退治しますか」
 京のその挑発は、広沢をたけり立たせるには充分だった。
「ナメんなよテメェ! 俺の手を撃ち抜いたくらいで!」
「避けれるんだったら避けりゃよかっただろ」
「殺してやる……あの捜査官のチビみてえになぁ!!」
「お前……」京はある言葉に反応を示した。「誰をどうしたって?」
「あ? ああ、そっか。そういえば、あれはテメェらの仲間だったな。あのクソチビ、俺に弾を撃ち込んだクソ野郎。だから、ぶっ殺してやった」
 広沢は、まるで楽しい思い出話を語るような口調で話す。
「【彼岸花】の『戦術班』とかいうのも、拍子抜けだぜ。テメェらのあの隊長だって、村の雰囲気に騙されてあっけなく吸血鬼になっちまうし。お前らみたいなザコが、我が物顔で俺たちを狩って、調子に乗ってるのが笑えんぜ、ホント」
 言い終えたと同時に、京は発砲する。当然のごとく避けられたが、京自身もそう簡単に当たるとも思ってもいなかった。
「黙ってろ」
 京の声には怒りが孕んでいた。落ち着きを取り戻すように、京は何度か深く息を吸い込んだが、特に心境に変化はない。こんなにも心をなだめることが容易ではないなんて思わなかった。
「中身のないお喋りに興じる暇なんざねえんだよ。俺は仕事しに来てんだ」
 再び京は広沢を狙い撃つ。手の銃槍は、広沢の回避行動になんら支障をきたしてない。それでも京は引き金を引くことをやめなかった。避けるということは、弾丸が命中すれば、ダメージになるということだ。部位によっては致命的な傷を負わせれることも可能になる。それに、絶対的に見切れるわけではない、と京は確信した。鵠を助けるための最初の一発が当たったのは、それが吸血鬼の意識の外にあったからだろう。つまり、隙を狙えば当てれるということになる。
「おい、当てろよ、当てろ! 当ててみろや、あ?」
 うるせえ、と京は小声で呟くと、弾を装填する。このまま避け続けられれば、いずれ弾切れになる。相手がそれを狙っているのかはわからないが、弾幕を止めてしまえばどのみち接近戦になる。
(いっそ、相手を誘い込むべきか)
 再び、京は全弾を撃ち尽くした。空になった弾倉マガジンが落ち、銃はスライドが後退したまま、止まる。
「なんだよ、弾切れか?」
 打つ手なし、そう判断した広沢は嘲笑すると京の方に向かって走る。闘牛の牛のように勢いよく、狙いを定めて。
「オラ! 死ねよテメェ!!」
 広沢との距離が充分だと判断した京は、素早く弾倉マガジンを入れ替えた。弾切れと思い込ませ、相手を懐にまで誘い込む。相手の慢心を利用した作戦は上手くいく。──京はそう思っていた。
 至近距離からの発砲を避けられるまでは。
 嘘だろ、京がそう心の中で呟いた時には、身体が岩に叩きつけられた。
「はっ、どうせそんな姑息な作戦だと思ったぜ。底が見えてんだよ、テメェ」
「クソ野郎……」
 鳩尾みぞおちに痛みを感じる。どうやら、殴り飛ばされたらしい。鈍痛に耐えながら、京は立ち上がる。
「おい、まだやるってか?」
「当たり前だろうが……」血反吐を吐き捨て、狙いを定める「こっちは、テメェらを狩るのが仕事なんだからよ」



 ○



 銃声が聞こえる度に、あんじゅの胸はざわめいた。
 殺しの音が響いているうちは、京も広沢も生きている。だが、音が止めばどちらかが死を迎えたということになる。銃声が少しでも途切れると、不安の色は自然と顔に出てしまう。
 踵を返して加勢するべきだろうか。だが、自分は美穂を任されている。任された以上は送り届けるのが仕事だ。
「……霧峰」
「え? あっ、はい。ゴメンなさい、行きましょう」
 美穂に声をかけられて、自分が来た道を振り返っていたことにあんじゅは気がついた。
「柚村のこと心配なんじゃないの?」
「いえ、あの……鵠さんを連れて行くように言われましたから、だからその……」
「あのねえ、顔には出てないけど態度に出てるのよあんたは」
 眉をひそめた美穂に睨まれる。心配だ、だから加勢したい。それに、吸血鬼として生きていたクラスメートのことも気がかりだ。それが全て顔に出ていたのだろうか。
「大丈夫です……柚村さんならきっと」
「絶対じゃないでしょうが。あんた、宗谷が死ぬの間近で見たんでしょ」
 あんじゅは黙り込んだ。凶弾に倒れた仲間の最期の光景が脳裏に浮かぶ。
「柚村が、そうなる可能性だってあるでしょ」
 美穂は、押し付けるように、託すように、ライフルを手渡してきた。
「行きなさいよ」
「けど……鵠さんは」
「一人で行けるわよ。先輩の命令聞けないっていうの? 正直嫌だけど、今はあんたの他に託せるやつなんていないのよ」
 美穂は高飛車な物言いをする。いつもように高圧的だが、あんじゅには背中を押す言葉のようにも思えた。
「わかりました」
 ライフルを受け取る。残りの弾は一発のみ。
「先輩命令、絶対に当てなさい。できないなら、あんたとは一生口きかないから」
 あんじゅは黙って頷くと、踵を返した。


 ○


 再び咳き込み、京は血を吐く。鳩尾みぞおちのダメージは予想以上だった。おそらく、臓器が損傷しているだろう。
「おい、動きが鈍くなったな」
 憤っていた広沢は、負傷した京の様子を見て次第に余裕の色を見せてせせら嗤う。
 先ほどから京の射撃は広沢に脅威を与えていない。狙いを定めようにも一呼吸分の間があり、弾道を見切るのに充分な時間を与えてしまっていた。
「観念しろや、テメェ。四肢を引きちぎって、霧峰のところに投げてやるよ」
「黙れ……ボケ」
 悪態をついて、射撃する。スライドが後退し、弾が切れる。だが、予備の断層マガジンはもうなかった。
「ゲームオーバーだな」
 喉元を掴まれた京は、岩に背中を叩きつけられた。
「おいおい、弾がねえと、なにもできないのか?」
 獲物を追い詰めた広沢は笑う。
「ぶっ殺す前に教えてくれや。テメェ、霧峰の同僚なんだよな?」
「だったら……なんだよ?」
「あいつが、あのクソアマがなにしたか知ってんのか?」
 含みのある物言いだった。
「修学旅行先で……吸血鬼に襲われて、吸血鬼化したクラスメートを殺したんだろ……」
 京は言い終えると咳き込む。粘ついた血が口の中で絡んだ。
「ふざけんじゃねえぞ……!」
 首を絞める手が一層強くなった。呼吸もままならないくらいに、噛み付くように手が食い込む。
「なにも知らねえなら、死ぬ前に教えてやるよ」広沢は赤い瞳をギョロつかせて、顔を近づける。憎悪を混ぜた声が耳にかかった。
「あいつはな──」
 広沢が先を声にしようとした刹那、銃声が轟いた。
 苦痛に顔を歪めた広沢は、京の喉元から手を離した。よろめきながら、岩に身体を支える。胸部には血がにじんでいた。
「テメェ……!」
 目を剥く広沢は離れたところに立っている人影に目を剥く。未だ赤いその瞳は、明確な怒りに色濃く染まっていた。そして、耐えかねたように、膝を崩し、壁に手をつく。
 京は自分を助けてくれた人影を見る。そこには、ライフルを持った霧峰あんじゅが立っていた。ライフルの銃口は消炎をくゆらせている。
「大丈夫ですか?」
 あんじゅは走って駆け寄ってきた。
「ああ……」
 痛みに耐えながら、京は頷く。間一髪のところで、現れたあんじゅに礼を述べる。
「よく当てれたな……」
「おじいちゃん直伝の射撃です」
「……助かったよ」
 京は苦笑いを返す。不意に、呻き声だか、怒号だかわからない声が聞こえた。
「テメェ、霧峰……! ころ、す……ぶっ殺す……ッ!」
 胸を押さえながら、広沢が一歩を踏み出して、向かってきた。

「やめなよ、広沢」

 唐突に、静止する女の声が聞こえた。
「もう諦めて、退散しようよ。電波も回復したから、これから猛攻撃されちゃうよ」
 女が現れた。仮面を付けて、学生服を着た女だった。
「あっ……」
 あんじゅが声を漏らした。たった一言だったのにもかかわらず、どこか怯えたような声だった。
「黙れ……黙ってろテメェは……」
 静止する女の声に広沢は耳を貸さない。今すぐに、殺してやる。そんなオーラが身体中から出ている。
「あーもー、めんどいなあ」
 女は気怠げに広沢に近づくと、襟首を掴んで引きずった。
「状況わかってる? 今逃げないと、狩られちゃうよ。嫌でしょそんなの。せっかく能力種のうりょくしゅになったんだからさ」
 穏やかな口調とは裏腹に、女は乱暴に襟首を引く。広沢が重傷を負っていることの配慮など、まったくない。
「おい、お前」
「んー? なにー?」
「その吸血鬼の仲間だってんなら、俺たちがみすみす逃すと思ってんのか」
「え、じゃあ、きみたちみんなぶっ殺していいの?」
 女の物言いは、子供のような無邪気さと、残酷さを孕んでいた。思わず京は自分の発言に後悔する。向こうは、殺っても構わないという姿勢だった。
「冗談だよ」
 見えなくても、仮面越しで女が笑ったのはなんとなくわかった。
「さて、じゃあね、あんじゅ。元気そうで、良かったよ」
 最後まで相好を見せぬまま、仮面の女は手を振ると、広沢を引きずりならが坑道の奥に走り去った。風のようにあっという間に。
「今の……」京はあんじゅを見る。「あの制服って……」
 あんじゅはなにも言わなかった。ただ、口を紡いだまま、仮面の女が去った方向をじっと見ていた。
 唐突に、呻き声が聞こえた。倒れていたカイエが、ゆっくりと身体を起こして立ち上がろうとしている。
「大丈夫か?」
「ああ……」
「あっ……えっと、立てますか?」
 あんじゅがカイエを介抱しようとしたが、カイエは手で遮る。
「あいつは?」
「逃げたよ」
 ありのままを京は伝えた。カイエは、辺りを見回すとなにも言わずに頭を押さえる。頭を打って気絶しただけで、特に深刻な外傷はないようだ。
「……追わないのか?」
「いや、それよりもここから出よう」
 京は、脱出を促す。本当なら、ここで立ち止まってあんじゅに聞きたいことが、いくつかあった。現れたあの女のことや、広沢が口にしようとした先のこと。あんじゅの心に残る修学旅行のことを。だが、今この場で触れるのは気が引けた。


 ○


 男は坑道内でうずくまり声を潜めていた。
 銃声、悲鳴、ほとんど全ての音が消えた。だから、自分の息遣いですら、響くのではないかと思っていた。
「くそう……くそっ……!」
 なにもかもが、そう、時間をかけて作り上げたなにもかもが崩壊してしまった。忌み嫌っていた村を吸血鬼と共に閉じ、人間の協力者を呼び、そして勘づいた暴力者たちを抹殺する。大きくなったコミュニティを維持し、何者も近づけないように独立させる。それが男が村長としての地位を得たままの、未来図だった。
 だが、全ては失敗した。忌まわしき【彼岸花】の連中によって。
 男は岩陰からチラリと様子を伺う。
 目の前に見えたのは死体。人間の、吸血鬼について同じ価値観を持っていた者たちの亡骸。そして、吸血鬼の亡き姿である灰が散らばっていた。
「冗談じゃない……」
 ほんの数ヶ月前までは、全てが上手くいっていた。広沢亜紀斗の協力を経て、村をじわじわと侵食させ、父親である村長を殺した時には、こんな結末を迎えるなど考えてもいなかった。
 一方的な虐殺、認められない。彼らは人とは違う。高尚な存在。なのに、なぜ狩る。どうしてなぜ。人から神へと進化できるのになぜ、異端者ら理解しようとしない。
「なぜ……なぜだ……なぜ……」
 ぼそりぼそりと呟く男は、背後から迫っていた人影に気がつかなかった。足音が背後からし、耳がそれを捉えた時には、無理やり立たされていた。
「ここにいたか」
 異端者が呟いた。黒髪に、前髪を少し赤に染めた、女が。





 沙耶は男を立たせると、腕を掴み、連れて歩く。
「聞きたいことがある」
 乾いた血が張り付いている石の祭壇が見えた。
「貴様……やめろ! 汚れた手で触るな!」
 掴んだ手を、男は振りほどこうとする。微かな抵抗すら許す気のない沙耶は、ナイフで男の肩を刺した。
「ぐあああっ! ああっ!」
 悲鳴をあげても無感情で意にも介さない。沙耶は、そのまま男を祭壇にひざまずかせる。眼下の地の底には、うごめく吸血鬼たちがいた。
「質問だ」無感情な声で沙耶は男に詰問する。「どれくらい吸血鬼を信仰している?」
「な、なに……?」
 男は沙耶の質問を聞き返した。
「お前は、吸血鬼をどれだけ心の底から愛している?」
「そ、それは……」
「吸血鬼は神様なんだろう? 答えろ」
「……ああ、もちろん! もちろんだ!! 彼らは……迫害を受けるべきじゃない。進化した姿として、きちんと敬意を払うべきで──」
「その信仰は相手に通じると思うか?」
「え……?」
「お前の、吸血鬼に対する考えは彼らも理解してくれているのか?」
「あ、ああ……きっと、きっと通じる。だから、私は村を──」
 まだ途中だったが、沙耶は笑顔を見せ男を突き落とした。
「なら、信仰の力を見せろ。私はここでただ見ている・・・・・・から」
 急斜面を石ころのように転がり落ち、男は背中を打ち付けた。
「や、やめろ……! だ、出せ……引き上げろっ!」
 沙耶は、なにも言わなかった。ただ黙って、穴蔵に落とした男を観察するように俯瞰する。
 大勢の吸血鬼が男に迫る。獣の檻に餌を投げ入れたらどうなるか、ましてや獣が空腹だったらどうなるかなど、想像するのは容易い。それをわかっていて、沙耶は男を突き落とした。
 断末魔の叫び声が響く。耳をつんざくような悲鳴が、坑道の中に広がっていった。
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